変わるブルネイ、変わらないブルネイ
駐ブルネイ大使 菊田 豊
1.はじめに
ブルネイ・ダルサラーム国は、面積世界第3位の島、ボルネオ島の北部に位置する小さな国である。面積は約5,765㎢で三重県程度、人口は約46万人で葛飾区ほど。日本での知名度は低く、研究書籍も少なく、ユーチューバー旅行者が描く典型的イメージは石油で裕福なイスラム教の国といったところか。
筆者はかつて宮内庁に出向し、現上皇陛下の侍従を務める栄に浴した。外務省に入省して天皇陛下に黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)をお着せする仕事をするとは思わなかったが、当時の経験を通じて感じたことは、所謂「外交」が戦略的観点からどの国をパートナーとして選択するかの作業であるとするならば、天皇陛下のなさる「国際親善」は国の大小に関わらずどの国にも同じ誠心誠意さを以て交流されるということであった。
全ての国はそれぞれにuniqueである。在外公館職員は規模の大小を問わず、日本での知名度如何に関わらず、世界中の国々に駐在し懸命に働いている。そうした同僚の姿を胸に抱きながら、変わるブルネイ、変わらないブルネイにつき卑見を述べることとしたい。
以下は勿論、筆者の個人的見解である。

2.日本とブルネイ
(1)ブルネイはアセアンの地理的中心に位置し、古来より季節風貿易の要として栄え、16世紀にはボルネオ島全域やフィリピン南部まで支配する強力なイスラム王国であった。当時、人類史上初の世界一周航海を成し遂げたマゼラン艦隊は、マゼラン自身がフィリピンで戦死した後、残された船団がブルネイ湾に寄港して艦隊を立て直し、スペインに帰還することが出来た。第二次世界大戦時には、戦艦大和、武蔵、長門などがブルネイ湾に集結し、そこからレイテ沖海戦に出撃した。現在のブルネイ湾にはアセアン最長、全長30㎞の通称テンブロン橋が架かっており、眼下に広がる壮大な海の上を、マゼランや大和に思いを馳せつつ爽快な気分でドライブすることが出来る。

(2)ブルネイが、自国の産出する天然ガスを液化して海上輸送出来るようになったのは日本企業の関与の賜であり、1972年の最初のLNG輸出も日本向けであった。以来50年以上、ブルネイにとり日本は最大のLNG輸出先である。今後の世界の電力需要の高まりに鑑み、予想される当面の間、天然ガスへの需要も低下することはないであろう。ホルムズ海峡、マラッカ海峡といった所謂チョークポイントを経由せずに石油・天然ガスの安定供給が可能な親日国がここにある意義は強調してもし過ぎることはない。
(3)こうしたブルネイに赴任していて日々感じるのは、第二次世界大戦時の悲劇を乗り越え日本へ友好の気持ちを示して頂ける有り難さである。世界で唯一、国の正式名称に「平和」(ダルサラーム=平和の郷)を冠するこの国は、日本との間に美しい物語も多い。例えば、第二次世界大戦時、日本がこの国を「ブルネイ県」として統治した際の初代ブルネイ県知事・木村強の秘書を務めたのが後の第28代スルタン・オマール・アリ・サイフディンであり、国王として国を発展させた後、22年の時を経て木村をブルネイに呼び旧交を温めた。南方特別留学生として広島大学に留学していた時、原爆投下に見舞われたペンギラン・ユソフは、ブルネイに帰国した後、教師となり、当国の国歌を作詞し、首相となり、その後駐日大使となった。
王室と日本の皇室との長年にわたる親密な関係も特筆に値する。ハサナル・ボルキア現国王は、1970年大阪万博視察に初訪日して以来、十数回日本を訪れ、昭和・平成・令和と三代の天皇とご親交を結ぶ世界にも希な国家元首である。
最近日本に旅行して来たと語るブルネイ人の多さは驚くばかりであるが、近年は教育研修等の分野での人的交流も拡大しており、香川大学や大阪大学は当国大学と長年の交流を続けている。筆者がブルネイに赴任して以来、日本からブルネイへの観光客を含む渡航者は二倍以上になっている。
3.恩讐を超えて
(1)豪やNZに関与した経験のある方はご承知のANZAC DAYは、1915年4月25日に、ムスタファ・ケマル・アタテュルク将軍率いるオスマン帝国軍と戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍(ANZAC)が、ガリポリ半島に上陸した史実を起源とし、今ではオーストラリアとニュージーランドの国民が、これまでに関与してきたすべての紛争で従軍した人々を称える日となっている。ここブルネイでも4月25日に式典が行われるのだが、ここ数年、日本大使も参列した上スピーチを求められるようになっている。トルコ大使は分かるが、なぜ日本大使まで招かれるのか。
実は式典の行われるムアラ海岸には1945年6月、オーストラリア軍が上陸し、旧日本軍を全滅させた史実があり、ここに建立された豪・ブルネイ記念碑に献花が行われるのである。ブルネイでの式典が日本を破ったことを強調するものなら日本大使は出られない、戦争の惨禍を超え、敵味方問わず今後の世界の平和を希求するものなら出るとのラインで豪側の全面的理解を受けて参列しスピーチした。このスピーチを日本語に訳し大使館ホームページに掲載したところ、日本の企業関係者や一般の方からもコメントを頂き、日本語にすれば日本の方も読むのだなと改めて思った。リンクは以下の通りであり、「ANZAC DAY ブルネイ 菊田」で検索すれば2025年、2026年のスピーチ両方が一発でヒットするので、ご関心の向きは御笑読頂きたい。
記念碑に刻まれた全文を読んでも、豪がブルネイ解放に貢献したことが記されるだけで、どこにも敵国としての日本には言及されていない。こうしたブルネイ及び豪の大人の対応、そして言葉だけでなく行動と実践を積み重ねてきた日本の戦後の誠実な態度が相まって、今日の平和と相互理解があると心底感じる。
www.bn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/20250425Speech.html
www.bn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/20260425Speech.html
(2)この国の国王が1962年に行った選択と今日の近隣諸国との友好関係も、恩讐を超えた平和構築努力を感じさせる。1962年12月、インドネシアの影響下にあったブルネイ人民党が北カリマンタン王国樹立を目指し武装蜂起(ブルネイ動乱)した際、イギリスグルカ兵を以て鎮圧。翌年ボルネオ島のサバ州やサラワク州がマレー連邦に加入する際にはマレーシアに決別してイギリス保護領として残存することを選択した。マレー連邦に加わったシンガポールが結局2年後の1965年にマレーシアからの独立を余儀なくされたこととは対照的である。今、大使として毎日のようにブルネイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール高官らと笑顔で握手を交わしながら、彼らの心中に去来するものはいかがであろうかと思うこともある。因みに、ブルネイ動乱の際に当時の国王によって発出された非常事態宣言は今に至るも撤回されていない。非常事態宣言下の平和と安寧。不思議な国である。
4.変わるブルネイ
ブルネイに対するステレオタイプ的イメージは、「産油国で裕福な王様の国」かもしれない。しかしこの国は多くの日本人の気づかぬ間に、急速に経済構造の多角化を進めている。国内製油所の稼働開始に合わせるように2019年に原油を輸入し始め、2022年には原油の輸入が輸出を上回る純輸入国となって以来、「原油を輸出して外貨を稼ぐ国」から「原油を輸入して石油精製品を輸出する国」に経済構造の転換を果たしている。ブルネイ産原油セリア・ライトは高価で質の高いスウィート原油であり、今もこれを輸出する一方、同時並行的にヘビーで安価なサワー原油を輸入し石油精製を行っており、後者の比重が年々高まっている。これを担う石油精製所はブルネイと中国の合弁企業であり、出資の70%は中国企業である。2028年に第2フェーズ完了予定とされ、LPGガス、ジェット燃料やディーゼル燃料といった石油精製品に加え、ベンゼン、エチレンなど石油化学基礎製品まで製造する石油精製・石油化学コンビナートとして、GDP寄与度30%になるとの予測もある。
いずれにせよ、化石燃料は当面この国にとっての重要資源であり続けるが、気候変動問題への対応もあり、ワワサン35と呼ばれる2035年までの国家目標へ向け経済構造の多様化を進めている。善し悪しは別にして、この国においては国王承認の国家目標は国のあらゆるレベルでのコンセンサスである。所謂民主主義諸国に見られる与野党間の路線対立、賛成・反対の議論は起きない。筆者は、化石燃料から再生可能エネルギーに一足飛びに変革するのは現実的ではなく、この国が行おうとしているのは、経済の切替ではなく、経済の多様化、ベストミックスの追求なのだ、その流れの中で石油・ガスの上流及び下流部門の双方の発展、更には気候変動問題への対応、更には広く社会問題の解決のため日本は貢献しているのだと実例を挙げつつ説明するようにしている。
5.変わらないブルネイ
当国の国是は、1984年独立宣言に謳われたMIB(マレー主義、イスラム教、王政)である。これはブルネイがブルネイである限り変わらないであろう。しかし筆者は、日々の暮らしの中で、この国が厳格なイスラム的王政を敷く一方で、他民族への寛容さも併せ持っていることを感じる。中国系やインド系、その他外国籍労働者などが公共の秩序を害しない範囲内で彼らの文化・慣習を維持することを静かに許容する。外国人だから、移民だからと排斥するような風潮は見られない。
経済については、ブルネイの石油・天然ガス資源は将来の縮小が言われているが、筆者としては例えそうなったとしてもこの国の経済が簡単に困窮に至ることはないであろうと考えている。それはフローが減少したとしても、膨大な資本・インフラのストックが既にあり、高い教育水準による高度人材資源が期待できるからである。
また、前述の通り、この国がアセアンの中心に位置するという地理的優位性は変わるものではない。海上・航空輸送の要衝としての重要性を高めていくポテンシャルを十分有している。
6.中立外交
小国である故、外交は中立を旨としている。アセアンや近隣の大国とできる限り波風を立てないよう振る舞う。ただし、特にイスラム諸国を巡る問題となると、言うべきことは言う。本年、外務省で開かれた外交40周年記念書籍発刊イベントには各国大使やブルネイ外務省OBの他、多くの若手外務省員も出席していた。若手への継承をも意識したとのことであった。その際、会場スクリーンに動画が映し出され、ブルネイが独立し国連に加入した1984年に若き国王が国連加盟演説に於いて「我が国は小国である。故に国連が必要である。しかしそれは我が国が国連メンバーとして批判的なことを述べないことを意味しない。」旨述べたシーンが流れた。その直後、2025年の国連総会一般討論演説でエルワン外相がガザ情勢に関し「今日、かかる苦しみを無視するのは中立ではない。それは人道が良心を捨て去った、共謀である。」旨述べるシーンが流れ、会場にいた若手外務省員から拍手喝采が湧き上がった。日本の外務省の講堂で同じようなことをした場合、このような拍手喝采が起きるだろうか、とふと思った。
7.結びに 国際協力の意味
ブルネイはODA卒業国であり資金や機材の供与はない一方で、前述したような大学・大学院生同士の研究・実習交流などが長年続いている。若い世代が今後の地球規模問題のソリューションのために共に取り組む姿を目の当たりにすると、こうした交流を支援していくことが我々にできる今後の国際協力推進のひとつの路ではないかと思う。
筆者は当地でブルネイの若手に剣道の手ほどきをしているが、彼らが礼節、相手への敬意、自己規律といった剣道の精神を理解し、努力する姿に印象付けられる。過去を反省し平和を希求して来た日本の戦後の歩み、世界の多くが認め敬意を抱く日本人の共助精神、自己・社会規律等々の美徳が今後も永く維持されていくことを心から願う。
そして、ブルネイから日本が学べるものも色々あると感じるのである。この小稿により、日本の近くに存在する、小さいながらこのようなuniqueな国につき、少しでも面白いと思って頂けたなら幸いである。

