国際刑事裁判所(ICC )を米国は解体すると脅かす。ICCを救う方法はあるか?

元国連事務次長 赤阪清隆
米国のマルコ・ルビオ国務長官は、今年7月13日、国際刑事裁判所(ICC)を解体するとの意向を表明した。ICCが米国の主権に対して著しい脅威になっているのがその理由という。21世紀になってからの国連の金字塔ともいえる重要な国際機関をつぶすというのは、おだやかではない。米国は、ICCの加盟国でもないのに、なぜ、そしてどうやって解体しようとするのか?
国際刑事裁判所(ICC)というのは、2002年に設立された新しい国際司法機関であるが、そのルーツは、第二次大戦直後のニュルンベルク裁判及び東京裁判にある。その目的は、集団殺害犯罪(ジェノサイド)、人道に対する犯罪、戦争犯罪、および侵略犯罪の4つの重大犯罪の責任者を訴追して裁判にかけ、「法の支配」を守ろうとするもので、このような重大犯罪を犯した個人を対象とするのが一大特徴である。この点が、国と国との紛争を解決する国際司法裁判所とは異なる。
ICCの基本条約は、1998年に国連外交会議で採択された「ローマ規程」である。この条約策定にあたっては、日本政府が極めて重要な役割を果たした。交渉にあたった当時の外務省担当課長は、「日本の協力がなければ、条約は成立していなかっただろう」と当時を振り返る。米国は交渉に参加したものの、及び腰だったからだ。
2026年現在、ICCには、日本を含む125か国・地域が加盟しているが、米国、ロシア、中国、インドといった大国は加盟しておらず、また、イスラエル、イランなども未加盟である(米国はいったん署名したが、のちに撤回した)。米国も中国もいないICCで、日本はその分担金のトップ拠出国で、約16パーセント、年額約37億円(2024年度)を負担している。2018年3月からは検事出身の赤根智子氏が裁判官に選挙で選ばれ、その後赤根氏は、2024年3月からは、裁判官らの互選によりICC所長に選出されて現在に至っている。
ICCは、基本的には、加盟国の犯罪者を裁くのが原則である。これまでのところ、有罪判決は、コンゴ民主共和国や中央アフリカ、マリ、ウガンダといったアフリカの反政府勢力や武装集団の幹部に限られ、ほとんどが締約国自らの「自己付託」である。現職の国家元首や政府首脳が有罪になったケースはない。
しかし、非加盟国の犯罪人であっても、犯罪が加盟国の領域内で行われた場合や国連安保理が付託するような場合には、ICCは管轄権を行使できる。ただし、ICCは各国の裁判所の上位に位置するものではなく、これを補完する機関であり、関係国が捜査や訴追を行う「能力」あるいは「意思」がない場合に限ってICCは介入できるという「補完性の原則」がある。
このため、加盟国ではないロシアのプーチン大統領やイスラエルのネタニヤフ首相に対しても、加盟国たるウクライナやパレスチナ自治政府の領域での犯罪容疑で逮捕状が出された。ロシアやイスラエルには捜査や訴追を行う「能力」があっても、その「意思」がないと判断されたのだろう。米国人が逮捕されたケースはないが、2017年にICCの検察官が、アフガニスタンでの拷問や虐待容疑で、米軍関係者やCIA職員に対して訴追しようとしたことがある。
米国は、ICCが非加盟国たる米国の軍人、政府高官などを処罰しようとすることは、主権国家としての米国に対する脅威だと強硬に反発している。このため、ルビオ長官は、あらゆる外交・行政手段を行使して、ICCを一歩、一歩、着実に(brick by brick) 解体すると主張している。また、米国の支援に依存している同盟国やパートナー国に、ICCからの脱退や支援停止、非協力を強く働きかけている。
さらに、8月18日、ルビオ長官は、「ICCは、悪意をもって権限を乱用している」として、赤根所長と上級検察官を制裁対象に指定したと発表した。制裁により、米国内で保有する資産が凍結されるほか、米国の金融機関やドルを介した取引の禁止、米国への入国も原則禁止される。
赤根ICC所長は、これまでも、もしアメリカによる強い制裁が発動されれば、活動の継続が事実上不可能になる恐れがあるとの懸念を表明してきた。個人への制裁だけでなく、ICCそのものが制裁対象になったら、世界中のあらゆる銀行や企業がICCとの取引をストップさせる可能性があり、そうなると職員に給与が払えなくなり、組織のあらゆる機能がマヒするかもしれないからだ。そうなると、ICCはつぶれたも同然になってしまう。
欧州連合(EU)は、かなり強い調子でルビオ国務長官の発言に反論し、ICCへの全面的な支持を継続すると表明している。日本政府も、木原官房長官が、日本は一貫してICCを支持してきたと述べているが、米国への直接的な非難は避けている。赤根所長他に対する制裁発表に対して高市首相は、「大変残念に思っている。米国を含む関係国と意思疎通を継続しながら対応していく」と表明した。
ルビオ長官の発言を見る限り、ブラフではなく、本気でICCを解体しようとしていると読み取れる。ここは、赤根所長には、「忍」の一字で嵐が静まるまで耐えてもらうしかないと思われる。今年秋の中間選挙の結果いかんでは、民主党の議員がトランプ政権の横暴にストップをかける可能性もないわけではない。
他方、ICCにもいくつか改善の余地があろう。 これまでのところ、英国出身のカリム・カーン検察官のかなり強引な手法が目立った。逆襲されて噛みつかれるのが分かっていながらトラのしっぽを踏むような行動は、慎重の上にも慎重な対応が必要だっただろう。ICCは元来、極めて重大な犯罪のみを対象とし、しかも、国内の司法制度が的確に作動していない場合に限って補完的に介入するというのが本来の姿なのに、その原則を逸脱してきたとの批判もある。
赤根ICC所長がとれる現下の対応策としては、以下が考えられる。
(1)早急に、ICC擁護のための米への働きかけについて、日本政府や欧州諸国などの協力を依頼する。
(2)セクシュアル・ハラスメント容疑で解任されたカーン検察官の後釜をしばらく空席にしておくよう、締約国会議に働きかける。
(3)内々、水面下で、今後米国籍を持った兵士や政府職員に対する訴追は控えるよう、検察官側に要請する。
(4)イスラエルのネタニヤフ首相や政府高官に対しては、過度なメディア発表や政治的発言は控える。
このようなことは、赤根所長には、当然ながら、正義と法の支配を守る裁判官としての矜持と節操を曲げるものとして実行は困難であろう。しかし、このまま座視すれば、ICCは本当に米国によって解体されてしまうだろう。角をためて牛を殺すことになりかねない。節操を曲げてでも、なんとしても知恵を絞って、解体を免れる方策をとらねばならない。
ICCは、21世紀に入ってからの国連の歴史上、「保護する責任」(R2P)と並んで、特筆すべき重要な成果であり、しかも日本がその成立とその後の運営に枢要な役割を果たしてきた国際機関である。いったんつぶされたら、再興するのは不可能に近い。
ここは、外交術策に長けた日本外務省の外交官の出番である。欧州諸国なども、日本がICCを救うことに一段と積極的な役割を果たすよう期待する声を上げている。日本政府が、赤根所長と緊密な連絡を取って、ICC解体を阻止するために、獅子奮迅(ししふんじん)の活躍を展開してくれるよう願ってやまない。
(2026年8月22日記)
