余談雑談(第134回)長寿社会

元駐タイ大使 恩田 宗

 霞関会の米寿会員は今年88になる人を含め125人である。 10年前は104人だった。50年前は68人でその時の最高齢者が93歳、今は103歳である。平均寿命や会員構成を勘案しても長寿者が多い。

 長寿化で老年期が長くなる。老いは朝の起きがけの体の堅さ痛さで始まる。世阿弥の能「養老」では老人が山の水を飲み「朝寝の床も起き憂からず」になったことで奇瑞の滝を発見する。昔から朝起きの憂さは老いの象徴で最初のうちは霊水など飲まずになんとかなるが年とともに厳しさを増し生涯続く。88にもなると心身は容赦なく劣化し去年できたことができない。医者通いが増え友人知人などとは疎遠になり孤独化が進む。老いを生き通すのは想像していたよりはるかに辛い。米寿といって喜んでいいものか迷う。

 もっとも88年生きると、それがどれ程長くて短いものか、人の考え方が如何にたやすく変り又変わらぬものか、予期せぬことが如何に予期せぬ時に起るかを経験する。目先にとらゎれず時聞軸長く考えられるようになる。これは青壮年の及ばないところで教えてやりたいが言葉ではうまく伝わらずともすれば往時を懐古しての詠嘆になる。懐古談は老人同士の会話は活気づけるが忙しい人には今と事情が異なり日々の実務との繋がりを見出し難ぃ。経験・関心事・人生観などの異なる世代が心を通わすのは容易ではない。

 北宋のややマイナーな詩人の晃沖之(字叔用) に暁行という題の七言絶句がある。「年老い功名ヘの意欲はもうない、独り痩せ馬で都を遠く離れる道すがらの孤村の暁になお燈火のともる家がある、夜を徹し読書する人がいるのだろう」 という内容である。馬上の人は科挙に備え勉学に励んだ曰々を想い長くも 短かった人生を感慨深く回顧したに違いない。どう思ったかは書いてないが聞かれても言葉にはならなかったのではなぃか。

 長寿化は急速に進むと国家にとっては経済発展の足かせになる。生活水準の向上で人類は長命になり今人間社会は老齢化が進行している。日本の老齢化率は世界一で曰本は寿命を延ばし同時に経済も発展させるという人類の新たな挑戦の最前線にいる。AIやロボット技術や女性の能力を活用して生産性を向上させ是非成功して見せたいものである

 歳についての言葉遊びに喜寿・傘寿・米寿・白寿の他に半寿・茶寿・皇寿があり広辞苑にも載っている。半は八と十と一で八十一、茶は草冠の十が二つと八十八で百八、皇は白の九十九と王の十プラス横棒二本で百十一だという。会員の最高年齢者の茶寿や皇寿を祝うことになるのもそう遠ぃことではない。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。