ヨルダンから見た中東の戦略環境
駐ヨルダン大使 浅利秀樹

1.ヨルダンのイメージ
読者の皆さんは「ヨルダン」というと何を思い浮かべるだろうか。インディ・ジョーンズのロケで有名なペトラ遺跡、スターウォーズ撮影で使われたワディ・ラム砂漠、浮遊体験で有名な死海をはじめ見どころが多い国である。昨年の大阪・関西万博では、ヨルダン館は屋内に22トンのワディ・ラム砂漠の本物の砂を使ってワディ・ラムを再現し大好評を得た。
一方、地図を見れば明らかなとおり、ヨルダンは、北をシリア、西をヨルダン川西岸地区、北東をイラクに接するという戦略的に厳しい場所に位置する。その中で、自らの安定を保つと共に、約340万人の難民(パレスチナ及びシリア等。ヨルダン全人口の約3割。)を受入れ、パレスチナ等への人道支援のハブとして機能する等、地域の安定に貢献している。
本稿では、このような「地域の安定の要」であるヨルダンが直面する現下の戦略的課題、地域安定のためのヨルダンの取組みと貢献、日本との関係について紹介すると共に、ヨルダンの安定と密接不可分のパレスチナ問題の展望を含めた論点につき、これまで意見交換した当地要人や有識者等の見方を踏まえヨルダンの視点も踏まえながら述べる。
2.ヨルダンの厳しい戦略環境
筆者が当地に赴任した2025年1月は、2023年10月のハマスの卑劣なテロ以来のガザ紛争が継続する一方で、前年12月のアサド政権崩壊によるシリア情勢の急変の影響を各国とも推し量っている状況であった。
ガザ情勢は1月から3月前半にかけて小康状態を保たんとしていたが、3月中旬のイスラエル軍の軍事作戦再開により、これはもろくも崩れ去ることになる。ガザ地区は、イスラエル及びヨルダン川西岸地区により隔てられてはいるものの、筆舌に尽くしがたい破壊と人的損失は、パレスチナ系が人口の7割を占めるヨルダン世論に衝撃を与え、アンマンでは毎週のように抗議デモが行われていた。一方、ヨルダン北方で350km以上の国境を接するシリアの突然の政変と、テロリストと言われていたシャラア氏の登場により、ヨルダンでは、この変化が「新たなチャンス」をもたらすのか、又は「もう1つの難題」をもたらすのかにつき分析が急がれていた。シリアについては、その後の情勢の展開に伴い、ヨルダンは米国等と協力しつつ経済再建と安定に注力するというスタンスをとっている。
翻って、ヨルダンの「隣国」であるヨルダン川西岸地区は、1967年の第三次中東戦争以来イスラエルの占領下に置かれている。イスラエル・パレスチナの交渉を通じて中東和平が成立するまでは「現状維持」であるべきはずが、国際法違反である入植地の拡大が既成事実として進行し、入植者暴力等によりパレスチナ人が土地を追われ「国内避難民」となる状況が続いている。このような状況に直面し、筆者が会った政府要路・有識者を含め強い危機感を募らせてきている。
これらの隣接地との安全保障上の課題に加えて、2026年2月末からは米・イスラエルとイランとの攻撃の応酬が勃発した。この原稿を執筆する時点(9月初旬)で、勃発から180日以上経つが、情勢は依然不透明な部分があり、事態の沈静化と米イラン協議再開のための日本を含めた各国の外交努力が続いている。2月末以来の状況は、ヨルダン経済にも多大なる負担を強いることになった。湾岸諸国よりは少ないもののヨルダンにもミサイル・ドローンが飛来し、ここアンマンでも空襲警報のサイレンが吹鳴する日が続いた。7月下旬には、アンマンから東に約80kmの空軍基地に着弾し、米軍人3人が殉職した旨が報じられた。
このような状況は当然のことながら観光客を遠ざけ、ヨルダンの主力産業である観光業は、既にパレスチナ情勢の影響により冷え込んでいたが、追い打ちをかけられるように観光収入が激減した。失業率は約20%(若年層では約40%と言われる)を数え、経済状況は非常に厳しい。
このような困難な状況にもかかわらず、ヨルダンは人道的観点から人口の約3割に当たる難民を受け入れる度量を示している。2011年以来のシリア危機・内戦の結果、それまでのパレスチナ難民に加え100万人以上のシリア難民を新たに受け入れたことは、ヨルダン国内のインフラに多大なる負荷をかけることになったが、各国・国際機関の支援も得つつ受入れを継続している(国際機関等の支援は近年大幅に削減されている。)。
3.「地域の安定の要」としてのヨルダン
上述のような厳しい戦略環境にもかかわらず、ヨルダンは安定を保っている。アブドッラーⅡ世国王への国民の信頼は篤く、国王は有能なテクノクラート及び軍・治安関係者に補佐され、ヨルダンは困難な状況を乗り越えるのみならず、難民の受け入れやガザへの人道支援、シリア安定化等のための積極的な外交を展開して来ている。国内が安定を保っている要因の1つには、2011年の「アラブの春」を受けて、年月をかけて徐々に推進して来た政治改革(政党法、選挙法改正)によって、政治プロセスを通じて民意を反映することによる体制の安定を目指して来たことが挙げられよう。
経済情勢についても、6月に公表されたIMF報告書は、未曾有の逆風の中で、ヨルダンが賢明なマクロ経済政策運営により、財政健全性の維持や経済改革を進める努力を懸命に払っていることを高く評価すると共に、各国からの支援の重要性を強調している。
こういったヨルダンの政治的・経済的安定と同国の戦略的・地理的な位置が相まって、各国はヨルダンを「中東の安定の要(anchor of stability)」と呼び、人道支援や自国民保護等の重要なオペレーションの拠点として用いている。また、宗教的に寛容であり穏健なヨルダンは、未だシリア、レバノン、イラク等に残存し、一部はイランが背景にあると言われている過激主義に対する「防波堤」の役割も担っている。
ヨルダンの戦略的重要性を踏まえ、例えば当地米国大使館は、全世界の米国大使館のトップ7の1つに入る規模を擁しており(米国大使館LinkedInによる)、ヨルダンに対する財政支援は本年12億ドル以上にのぼり、支援総額はサブサハラ・アフリカ諸国全てに対する支援合計よりも多額であると言われる。また、当国に駐留する米軍は、もともとはシリアのISIS等に対する「生来の決意作戦(Operation Inherent Resolve: OIR)」を念頭に置かれていたものであるが、本年2月以来のイランとの攻撃の応酬においては、地域の平和と安全のために大きな役割を果たしていることが改めて明らかになった。米国以外にも、フランス等もOIRを契機に空軍部隊を駐留させている。
さらに、2024年から2025年にかけては、ガザの悲惨な人道状況を踏まえ、「ヨルダン回廊」と呼ばれる陸路を通じた人道支援物資の輸送や、ヨルダン、フランス、ドイツ、カナダ等の空軍機による、ヨルダンを拠点とした人道支援物資の空中投下活動が行われた。
国際機関も集積している。UNICEF、UNHCR、OCHA等、ヨルダンのみならず地域を統括する拠点をアンマンに置く国際機関も少なくなく、またUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)も現下の困難な状況を踏まえつつ、在ヨルダンのパレスチナ難民救済を含む活動を行っている。昨年には北大西洋条約機構(NATO)もアンマンに連絡事務所を置いた。
日本も「地域の安定の要」であるヨルダンを重視している。2023年10月・11月のイスラエルからの邦人等退避、2024年10月のレバノンからの邦人等退避においては、自衛隊機及び自衛隊部隊がヨルダンを拠点としてオペレーションを実施した(自衛隊機により両国から合計145名が退避)。昨年11月には、令和7年度自衛隊統合国外演習が開催され、内倉統合幕僚長の参加を得て、邦人退避訓練を実施している。本年3月にも、米国・イスラエルとイランとの攻撃の応酬が続く中、イスラエル在住の邦人の陸路退避をヨルダンの協力を得て実施した。また、開発支援においても、日本とヨルダンは長年のパートナーであり、ODA供与額は例年各国ドナーのうち概ね第3位でありヨルダンの経済改革を支援すると共に、UNHCRやUNRWA等を通じた難民支援により、ヨルダンの難民受け入れ負担の軽減を図っている。
何よりもヨルダンは大の親日国であり、アブドッラーⅡ世国王は既に16回の訪日歴を有する。皇室・王室との親密な関係から始まり、若者・草の根の交流に至るまで、両国の絆は強い。冒頭の大阪・関西万博でのヨルダン館の成功も、さらなる友好関係の深化に大きく寄与した。
4.ヨルダンの安定は中東の安定、西岸の安定はヨルダンの安定
このようなヨルダンの安定は当然視されるものではなく、ヨルダン自身の賢明な政策運営及び外交と、各国との協力により達成されている。一方、上述のとおりヨルダンをとりまく戦略環境は、依然厳しい。
ヨルダンにとっての最大の戦略的課題は、パレスチナ問題である。特にヨルダン西側国境の約3分の1を接し、300万人以上のパレスチナ人が居住する西岸の問題は、ヨルダンの安定に直結するものであり、識者の中には「存亡」にかかわるという者もいる。何故か。これを分かりやすく説明している論考に2025年初めの「フォーリン・アフェアーズ」に掲載された「Jordan’s Looming Crisis (ヨルダン国家存続の危機)」があるが、これも踏まえると、イスラエルの極右が推進する考え方に「ヨルダン・オプション」というものがある。これは、西岸からパレスチナ人をヨルダンに追い出して、ヨルダンを事実上のパレスチナ国家にすることにより、パレスチナ問題の「解決」を図るとのことである。
もとより、このような極論がイスラエルの政策となることは通常考えがたいが、ヨルダンとしては警戒せざるを得ないようである。一方、ヨルダンはイスラエルと外交関係は継続し(ガザ紛争以降はアンマンのイスラエル大使館は非常駐となり、テルアビブのヨルダン大使館は臨時代理大使レベルであるが)、関係機関間の一定のコミュニケーション・協力も継続している。警戒しつつも安定的な関係を維持するということであろう。
日本を含む各国が明言するとおり、イスラエルによる西岸の入植政策は国際法違反である。それにもかかわらず、イスラエルは入植地の拡大を継続しており、西岸は現在虫食いの状態であると指摘されている。更にイスラエルの過激入植者による暴力が猖獗しパレスチナ人の住む土地が奪われている。これらは法的にも人道的にも許されず、イスラエルと将来の独立したパレスチナ国家が平和裏に共存する「二国家解決」(日本を含む大多数の国が支持)に逆行する。
のみならず、このような状況下でパレスチナ人の鬱積した不満が過激思想に隙を与え、西岸の不安定化とその周辺への波及をもたらし得ることも懸念されている。また、仮にも将来西岸の不安定化からパレスチナ人のヨルダン大量流入が起きれば、ヨルダンの人口バランスを大きく覆し、社会の不安定化をもたらしかねないものとして懸念されている。いずれにしても、ヨルダンの安定が揺らぐことは、「地域の安定の要」が危殆に瀕することを意味する。これらは、大局的観点からは、イスラエルの安全も害することになる。
日本は、外務大臣レベルを含め、累次、イスラエルに対し行動の是正を求めている。具体的には、入植活動の凍結を含め、「二国家解決」に逆行するいかなる一方的措置も即時停止することである。欧州諸国、中東諸国を含め、同様にイスラエルに働きかけている。米国もイスラエルによる西岸併合への反対を明言している。「ヨルダンの安定は中東の安定」であるが、その前段として、「西岸の安定はヨルダンの安定」ということができる。
一方、ガザ問題もヨルダンにとって重要な戦略的課題である。パレスチナ系が人口の7割を占めるヨルダンにとってガザ問題は「自分達の同胞の問題」とも言え、ヨルダンは対ガザ人道支援に注力して来た。現在もガザではヨルダン軍の野戦病院が活動しており、またアブドッラーⅡ世国王のイニシアティブであるガザの病気・傷害を負った子供達のヨルダンでの治療も続けている。
昨年秋に始動したトランプ大統領が主導する「ガザ紛争終結のための包括的計画」は、悲惨なガザの状況に一筋の光明を与えるものであり、現在、ハマスの武装解除等につき、困難に直面しつつも関係者の努力が継続している。ヨルダンもガザ警察の訓練をヨルダン国内で実施する意向を有すると言われる。
目を北に転じると、シリアの安定に死活的利益を有するヨルダンは、米国等と協力しつつシリア復興努力を支援している。シリアの状況は脆弱であり、8月18日にはイスラエルによる北部シリアへの空爆が行われた。事態の制御を目的として、同月下旬にはシリアのシャイバーニー外相とイスラエルのゴフマン・モサド長官が、ヨルダンのお膳立てによりアンマンで会談を行ったと報じられている。
5.今後の展望
ヨルダンをとりまく戦略環境は、その中心的な課題であるパレスチナ問題に加え、シリア問題、レバノン問題、さらにはイラン問題、イラク問題等々が複雑に絡み合う。紙面の関係上、パレスチナ問題以外は詳述できなかったが、ヨルダンの外交戦略は、これら多くの変数がある複雑な連立方程式をどのように解いて行くかということと言える。
厳しい情勢の中でも将来的な展望につながる話題を述べれば、最近ヨルダンでもIMEC(インド中東欧州経済回廊)が話題になりつつある。ホルムズ海峡の脆弱性に一部起因する議論ではあるが、サウジ・ヨルダン・シリア・トルコを経て欧州に至る物流ルートの可能性等が議論されている。連結性の強化は経済活動の強化につながり、これはシリアの復興と安定のみならず、地域規模の平和と安定に貢献し得るものと期待されている。IMECは、日本が推進するFOIP(自由で開かれたインド太平洋)との親和性もあり、連携の可能性も考えられよう。こうした動きは日本企業にとっての新たなビジネスチャンスにもなり得る。
10月のイスラエルのクネセット選挙、11月の米国中間選挙を経て、今後、イラン・フロント、パレスチナ・フロント、シリア・フロント等がどのように展開するかは、現時点では見通し難い。1つ変わらないことがあるとすれば、ヨルダンの「地域の安定の要」としての重要性であり、日本としては、米国、欧州諸国等と連携しつつ、ヨルダンにテコ入れをし、経済改革を支援し、パレスチナ問題等で外交的に支援し、その安定を維持していくことが国益に叶うと言える。
(本稿には、筆者の個人的見解が含まれます。)
