グローバル・ガバナンスの危機と日本の多国間外交


地球規模課題担当審議官 中村 亮

“The contemporary quest for world order will require a coherent strategy to establish a concept of order within the various regions, and to relate these regional orders to one another.”
— Henry Kissinger, World Order, 2014

1. グローバル・ガバナンスの危機

(1)国際社会の構造的変革
 現在、世界は「グローバル・ガバナンスの危機」と称される大きな構造的変革期を迎えている。
 大局的に整理すれば、1945年の国連設立以来、国連を中心とする国際秩序の体制が構築されてきた。冷戦期において政治・安全保障分野では困難な問題が続いたが、経済・社会の分野では国連及びその専門機関、各種基金・計画がそれぞれの役割を果たし、国際協力もそれなりに進んできた。途上国と先進国の関係、いわゆる「南北」関係においても、北による援助と南の開発というコンセンサスが一定程度形成されていた。
 ちょうど筆者が外務省に入省する前後の出来事であるが、1989年頃の冷戦終焉に際しては、東西対立の解消により全世界的な協力が一層進むと期待された時期もあった。しかしながら、それから30年を経た現在の国際社会を見渡すと、当時描いたバラ色の未来とは程遠い現実が広がっている。南北対立は激化し、ソ連の消滅によって米ソの二項対立はなくなったものの、地政学的にはむしろより複雑な世界となった。
 グローバル化の進展により南の諸国はそれぞれ成長を遂げたが、その速度と程度には著しいばらつきが生じた。いわゆる新興国が台頭し、BRICSが誕生する中で、今や「現在の国際秩序のままで良いのか」という根本的な問いが発せられるようになっている。
 こうした状況において、国際会議や交渉の場では一部の途上国の発言力が著しく高まっている。中国の立ち位置については議論があるとして、インド、ブラジル、さらにはメキシコ、インドネシアといった国々の影響力は格段に増している。アフリカ諸国もアフリカ連合(AU)というブロックとして結束した行動をとっている。
 こうした途上国の台頭が意味するところをあえて単純化して述べれば、これまでの国際協力を支えてきた「暗黙の社会契約」が機能しなくなってきたということなのではないか。すなわち、北の国々が援助資金を提供し、南の国々はその恩恵を受ける代わりに北が形作ってきた国際秩序に従うという暗黙の了解が、今日では通用しなくなっている。

(2)「グローバル・サウス」の台頭とその影響
 昨今、途上国を「グローバル・サウス」と呼ぶことが多くなったが、この表現には慎重であるべきだと考えている。それぞれの途上国が置かれている立場は千差万別であるにもかかわらず、一括りにすることでその実態が見えにくくなるからである。実際のところ、アジアの一部など、先進国に近い水準まで発展した諸国もあれば、引き続き深刻な内部問題を抱える諸国も存在する。今日の国際交渉の場では、南対北という単純な構図よりも、産油国グループや島嶼国グループのように利害を共有する国々が形成するまとまりの方が重要な交渉単位になっているというのが交渉当事者としての実感である。
 この「数の力」を使って、気候変動交渉の場では、途上国側から「共通だが差異のある責任(CBDR:Common But Differentiated Responsibilities)」という概念が頻繁に持ち出される。これは途上国の文脈では、気候変動問題は全世界の責任ではあっても各国の責任には差異があるから途上国は資金負担を免れるべきだという主張として援用される。先進国側はこれに反論しているが、数の上では劣勢に立たされている。
 先進国側の事情はどうかといえば、事情はほぼ逆の方向に動いている。欧州を中心に、また米国においても、国内が困難な状況にある中でなぜ途上国を援助しなければならないのかという声が高まっている。日本政府はこれまで対外援助を「長期的な投資」として説明してきた。資源に乏しく国土の狭い日本が生存していくためには、自由で開かれた平和な国際秩序が不可欠であり、それを維持するための援助は国益に適うという論理である。欧州においては移民問題が加わり、自国民を優先すべきという国内圧力が対外援助の削減につながっている。さらにはウクライナ問題に伴う国防費の増額が対外援助削減に拍車をかけているが、より本質的には南北問題をどう捉えるかという価値観の問題が絡んでいるように思われる。
 その点、トランプ米大統領の登場がグローバル・ガバナンスの危機を招いたという見方があるが、そうした見方には同意できない。トランプ氏が選ばれた背景には、援助がなぜ必要なのか、それは米国の国益に資するのかという根源的な問いに対する国民の不満が存在したと思われるからである。問題の根はより深いところにある。
 筆者は、ワシントンDC、東京、そして多国間交渉の現場において、米国政府高官と議論を重ねてきたが、米国が新方針として打ち出している内容の多くは、日本から見れば決して目新しいものではない。
 米国は世界保健機関(WHO)からの脱退を表明したが、その保健援助の新方針とは、資金をNGOに委ねて配布するのではなく、被援助国の自立した保健政策立案・実施能力を持続的に育成するというものである。これはまさに日本が長年掲げてきた援助哲学そのものである。
 援助の究極の目的は被援助国の自立であり、それが実現すれば援助は不要になる。この30年間、欧州の多くの国は援助を慈善事業の一種と捉え、無償援助こそが正義であって日本式の有償資金協力は悪だという風潮があった。しかし、今回、米国が援助戦略を抜本的に転換して従来型の援助を打ち切ったことで、援助に100パーセント依存していたアフリカ諸国の保健政策が次々と機能不全に陥った。従前の援助が果たして途上国の自立に真に貢献していたのかという問いを、改めて突きつけられた形となっている。
 欧州の開発担当大臣たちも今更ながら「援助はチャリティーではない」と言い始めているが、先進国側に資金的余裕がないことも事実である。知恵を絞って国際協力をいかに継続するか、今まさにその答えが問われている。
 中国については別途触れる必要がある。中国は国際社会のリーダーたらんとする野心を隠していない。2021年時点において、中国は国連食糧農業機関(FAO)、国連工業開発機関(UNIDO)、国際民間航空機関(ICAO)、国際電気通信連合(ITU)の事務局長等のポストを同時に占めていた。現在は国連食糧農業機関(FAO)のみとなっているが、様々な形で国際社会への影響力を行使し続けている。
 こうした状況において日本の国益にかなう道は何か。資源に乏しい日本にとって自由で開かれた、平和で互助的な国際秩序の維持は死活的に重要である。日本はこれまで援助を通じた協力関係を丁寧に積み上げ、南北双方の国々との間に深い信頼関係を築いてきた。これは外交上の大きな財産である。
 その具体例として、昨年11月のワシントン条約締約国会議におけるウナギ問題を挙げたい。EUはヨーロッパウナギの保護措置を名目に、ニホンウナギ、アメリカウナギを含む全種類のウナギの貿易規制を提案した。科学的根拠に乏しく、EUが自ら招いた問題を他国に転嫁するとの性質が否定できないその提案については、日本は政府一丸となって全世界に働きかけた結果、35票対100票で否決することに成功した。多くのアフリカ諸国、アラブ諸国、ラテンアメリカ諸国等が日本を支持してくれた背景には、EU提案の内容の不適切さもさることながら、長年にわたって培われた我が国との信頼関係があったのは間違いない。
 もう1つの例はプラスチック条約交渉である。生産規制を求める欧州・島嶼国と規制強化に反対する産油国の対立が解けないまま、昨年は条約案作成に失敗した。最終日、交渉会議の議長から日本とチリに非公式会合の主催を要請されたのは、交渉を通じて日本が関係国の間で信頼関係を築いてきたことが評価されたからに他ならない。今年の3月にも日本主催で非公式少数国会合の続きを開催したが、中国、ロシア、サウジアラビア、米国といった立場の異なる国々を含む声をかけた20か国全てが参加した。
 この種の交渉における難しさの1つは、参加する専門家が自国の縦割りの視点に囚われ、地政学的な全体構造を把握していないことにある。産油国のエネルギー省の担当者と欧州諸国の環境省の担当者は互いに話をしない。対話なくして落としどころは見つからない。日本の交渉チームが複数の関係省庁の出席者で構成され、互いにしっかり連携をとることにより、分野横断的な視点から交渉に臨めることは大きな強みである。包括的な視点を持った外交こそが、複雑な多国間交渉を前進させる鍵である。

2.主戦場としてのマルチ外交

 申し上げるまでもなく、国家間交渉は文字どおり各国の国益をかけた戦いである。その主戦場において日本が最も注力すべきは、国際秩序の維持とともに、様々なルール形成の場への積極的な参画であると感じている。「ルールを作った者の勝ち」という原則は今日も変わらない。
 例えば、中国は電気通信分野に特に力を注いでいる。ITUの研究部会等では中国から非常に多くの人が参加するのに対し、日本からはせいぜい1人程度という状況と聞いている。この非対称性はルール形成に直結する問題として深刻に受け止める必要があるのではないか。
 一方、多様化している途上国に対しては、テーラーメイドの対応が求められる。持続可能な開発目標(SDGs)についても、ルールメイキングの側面を意識した対応が必要である。気候変動や国際保健といった「国際公共財」の維持・管理コストを誰がいかに負担するかという問題も避けて通れない。各国に資金的余裕がない中で民間セクターの資金活用はますます重要となるが、その際には資金が将来への有意義な投資として機能する仕組みを整える工夫が求められる。
 中国やインドのような大国にいかに相応の資金負担を求めるかも重要な課題である。気候変動枠組条約の附属書には30年前の経済協力開発機構(OECD)加盟国を基準とした義務負担国が列挙されているが、現在1人当たりGDPが日本を上回るシンガポールや韓国が途上国扱いとなっているなど、制度的矛盾がアップデートされていない。
 成長した途上国が応分の責任を担うようになることは、援助の本来の目的でもある。この点で注目すべき事例がある。低・中所得国へのワクチン配布を担うGaviワクチンアライアンスにおいて、インドネシアが被援助国から援助国へと転籍した。自ら資金を拠出して他国を支援するという決断は、国際社会において大きな拍手をもって迎えられた。かつて南部アジア部長として主管していたインドネシアのこの決断を、特別な思いをもって喜ぶものである。こうした「卒業」を促し、支援していくことが日本外交の重要な役割の1つである。

3.日本のために

 多国間協力、グローバル・ガバナンス、地球規模課題への対応は今、大きな曲がり角に差し掛かっている。南北対立の激化、多国間主義に対する主要国の懐疑、資金不足、中国の影響力拡大——これらが複合的に絡み合う中で、日本は長年かけて培った国際的な信頼という財産を最大限に活かす局面を迎えている。
 前述の通り、日本は、国際社会とのやりとりなくしては立ちゆかない国である。そうした認識のもと、日本の国際社会とのあり方を今一度考えることが重要と思われる。それは、いかに日本の国益を守るために国際社会に貢献するかであり、その日本らしい「貢献」の土台となるものは、日本がこれまで培ってきた経験、知識、習慣、それに失敗から得られた教訓など、多岐にわたる。グローバル・ガバナンスのあり方が揺らぐ今こそ、そうした貢献を行うことが重要であり、そのためにいかに国民の皆様の理解を頂くかが死活的であろう。そのために、最大限の努力を重ねていく所存である。
(了)