MENU
 

余談雑談

更新日:2019.08.02 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗暮の年中行事に年賀状書きがある。 年賀状のことを中国では賀年片というらしい。漢字2字の単語でこのように日中で上下逆のものが6~70はあるという。勿論日中同形のものの方が断然多い。日本の高等学校と中国 […]

更新日:2019.07.17 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 在外公館長の公邸の壁を飾るのは主に日本画である。然し備え付けられている楽器はあるとすればピアノで琴や三味線は置いていない。 所謂「日本画」は明治の清新なナショナリズムが生み出した日本独自の絵画芸術 […]

更新日:2019.06.18 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 東京も山手線の外は江戸時代は農村で今でも四辻や道端に小さな祠やお地蔵が立っている。水や供物が供えてありその前で手を合わせる人をよく見かける。本気で信じているのか習慣や軽い気持ちでそうしているのかは […]

更新日:2019.05.22 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 拓殖大学国際教育会館は中国と因縁のある建物で1933年に建設された時の工費38万円は義和団事変の賠償金で賄われている。鴟尾をかざした大屋根が日本を感じさせるが東京大学と同じ内田祥三の設計で3階建鉄 […]

更新日:2019.04.24 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 世界が大きく動いているが具体的に今後どうなるのか明確な見通しは立てにくい。 未来予測は情勢が安定していた時代でも難しかった。カルフォルニア大学教授が専門家284人の20年間にわたる82,000件の […]

更新日:2019.03.28 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 日本は、鎖国の間も、中国とオランダを通じ貿易と海外文化の摂取を続けていた。それを支えたのは唐通事と阿蘭陀通詞でそれぞれ約30家が世襲しその教養と語学力は高かったらしい。司馬江漢の日記に大通詞の家の […]

更新日:2019.02.06 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 大田区馬込の万福寺は開基が梶原平三景時で彼を祀った立派な墓がある。景時は、頼朝の死の翌年の正治2年(1200年)、京に逃亡の途中静岡で敗死した。 景時は頼朝なき後の幕府を支える重臣13人の一人であ […]

更新日:2019.01.11 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 区の図書館の検索機に「鑑真大和上傳の研究」を平仮名で打ち込むとないという。蔵書リストに「がんじんやまと・・」と間違って入っていたからである。漢字には色々な読みがありこうした間違いが起る。日本語の表 […]

更新日:2018.12.20 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 国宝の鑑真和上坐像の摸像が公開されている。写真でみると鮮やかな緋色の上衣をまとい彼がもたらした盛唐のまばゆい文化を象徴するような装いである。 鑑真は出国禁止の唐から日本への密航を五度失敗しその間に […]

更新日:2018.12.04 余談雑談

元駐タイ大使 恩田 宗 「解体新書」は日本の西洋文化摂取を始動させた記念碑的な本である。だだ漢文で訳されているので今の人が読むには難しい。あの時代の医者や学者や武士は漢学の素養があり権威ある書籍は皆漢文で書かれていた。オ […]