経済外交における「さきがけ」としてのOECDについて
OECD日本政府代表部大使 新美 潤
日本のOECD加盟60周年と議長国
本年は1964年に日本がOECD(経済協力開発機構)に加盟してから、丁度60周年に当たる。5月に開催されたOECD閣僚理事会(OECDのいわばサミットに当たり、毎年1回開催)では、日本が10年ぶりに議長国を務めた。岸田総理、上川外相はじめ、内閣府、経済産業省、総務省、デジタル庁の、総理及び5閣僚が出席して議長采配を振るった。閣僚声明等主要文書についても日本がペンホルダーを務めた。今回日本が議長をとったのは、周年もさることながら、ポスト冷戦下の経済外交がダイナミックに変化していく中、昨年日本が議長を務めたG7広島サミットのアジェンダや課題を、OECDの場で実施・更に展開し、経済外交における、国際社会での日本のリーダーシップをつなげ発展させていこう、という目論見と思いがあった。


OECDの位置づけ
OECDについては、「先進国クラブ」「世界最大のシンクタンク」と言われることが多く、そのようなイメージを持っている読者も多いことと思う。
OECDの現加盟国38カ国の内26カ国が欧州諸国であり、その内の22カ国がEU加盟国である。米、加、豪州、ニュージーランド、韓国、そして日本等を加えると、加盟国の太宗は確かに所謂先進国ということになる。OECDは事務局に3000人以上のスタッフを擁し、その殆どが調査分析や政策研究・形成に従事する専門家達である。世界最大のシンクタンク、という表現は必ずしも誇張ではない。
OECDの最も重要なミッションは、国際社会における経済・社会の諸問題を見いだし、その解決策を調査分析の上、加盟各国間で議論して、新たなスタンダードやルールを形成する「さきがけ」としての役割を果たすことにあると考える。同機関は、国際社会における政策形成のいわば「上流」に位置しているともいえる。更に、ピア・レビュー等を通じて、これら新たなスタンダードやルールの履行を加盟各国、更には国際社会全体に促す「シンク・ドゥー・タンク」という側面もある。これらは、国連やWTO等、他の国際機関とは異なるOECDの特徴である。
現在OECDでは、マクロ経済運営や経済政策上の国際協力、自由貿易投資の推進、といった従来からの活動とともに、新たな経済・社会分野の諸課題への対処も重要なミッションとなっている。これらOECDの活動の具体的例としては、AIや自由な国際データ流通に関する国際ルール形成やそのベース作り、経済的威圧に対する対応、サプライチェーンの強靱化、国際投資や企業活動において遵守すべきルールの普及のための責任ある企業行動やコーポレートガバナンスの推進、新たな国際課税制度の策定、質の高いインフラ投資の推進、環境就中気候変動への対処、人口動態の変化への対応(高齢化、移民・・)、ジェンダー平等の推進、学校教育のあり方、等があげられる。
これら各分野・課題について、OECDは調査分析提言を行い、加盟各国間で議論して政策ガイダンスやルールを作り、相互に関連する各国の政策策定に貢献している。(これを反映して、OECD日本政府代表部には、ほぼすべての経済・社会関連省庁からアタッシェ達が送り込まれてきている)。
諸課題の中には国連やWTO等において議論されているものも多いが、OECDでは前述のように「さきがけ」として先進的に諸課題を取り上げ議論するとともに、事務局の有するシンクタンク機能を使って専門的観点からプロフェッショナルな議論を行い前広に政策提言やガイドラインを示すことができるという点に特徴がある。
OECDの役割の歴史的変化
OECDの前身は第二次世界大戦後の1948年に、マーシャルプランに基づく欧州諸国側の援助の受け入れ体制整備等のために設立されたOEEC(欧州経済協力機構)である。その後、1961年に、世界的視野にたって国際経済全般について協議する目的で、①経済成長、②開発途上国援助、③自由かつ多角的な貿易の拡大、のために、改組されOECDが誕生した。社会共産主義体制に対して、資本主義経済・自由市場経済・民主主義を奉じる「西側」欧州諸国(及び米、カナダ等)の集まりとして生まれたのがOECDであり、ここにその原点(遺伝子)があるとも言える。
1989年以降冷戦が終了し、東西対立が無くなり、「平和の配当」を国際社会が一時的にせよ享受するようになった。世界は「フラット」になり、「西側の」国際機関としてのOECDのアイデンティティは色あせた。試行錯誤する中で、OECDの新たな位置づけとなったのが、価値やシステムを共有する「ライクマインディッド」な国々の集まりとしてのOECDである。1994年から1996年にかけて、メキシコ、チェコ、ハンガリー、ポーランド、韓国がOECDに加盟し、2000年にはスロバキア、2010年にはチリ、スロベニア、イスラエル、エストニアと加盟が続いた。その後、現在までにラトビア、リトアニア、コロンビア、コスタリカが更に加盟している。2020年にはルーマニア、ブルガリア、クロアチア、アルゼンチン、ブラジル、ペルーの加盟申請が認められ現在審査中である。更に日本が議長国を務めた本年には、東南アジアから初めて、インドネシアとタイの加盟申請が認められた。このように、旧共産主義諸国や、メキシコ等の新興経済国、更には経済的先進国とは必ずしもいえない国々がOECDに加盟するに至っており、「西側の国際機関」「先進国クラブ」といったOECDのかつての位置づけはすでに大きく変わっている。前述した「ライクマインディッドネス」、すなわち民主主義や自由経済、法の支配といった、価値やシステムを同じくする国々の集まり、としてのOECDが現在の新たなアイデンティティとなっている。

(©OECD https://creativecommons.org/licenses/by-nc/3.0/igo/)
ポスト・ポスト冷戦期のOECD
21世紀に入り、一部の権威主義的国家の台頭等に伴い国際社会は再び分断的傾向を見せるようになっている。また、「グローバルサウス」とも言われるように、新興経済国家を含む非・先進経済諸国が国際社会において経済的にも、政治的にも影響力を高めるようになっている。
かかる状況はOECDに以下のような二つのインパクトと変化をもたらしている。
第一は、国際経済におけるOECDエコノミーの相対的低下である。冷戦時において、OECD加盟国全体のGDPの総和は、世界全体の7割近くを占めると言われていた。それが、現在では中国やインド等、非加盟国の経済力の相対的上昇を背景に、OECD全体のGDPは世界の4割程度までに下がっている。
かかる中で、前述したようにOECDは「ライクマインディド」な新興国等を新規加盟させようとの傾向にあり、すでに加盟申請が認められている国々を加えれば、近々46カ国までメンバーが拡大することがほぼ確実視されている。OECDは更に拡大していく可能性が高い。
第二は、かつての冷戦時代→ポスト冷戦時代、から、世界が再び分断的になりつつあることで、国際社会のマルチの場で、共通の政策やルール等を決めることが困難になりつつある。かかる中で、価値やシステムを共有するライクマインディドなOECDは物事が決められる(少なくとも、他の場に比べ、決められやすい)というアドバンテージが、生まれてきている。
かつての冷戦時代の世界と現在の分断的ともいえる国際社会の大きな違いは、政治的外交的に対立していても、経済的には相互依存で深く結びつき関連し合っていて、お互いを切り離すことはおよそ不可能であるということである。かかる状況下では、政治的あるいは対立あるいは競争しながらも、経済社会面では共通のプラットフォームやルール、秩序を作るようお互い努力協力していくことが必要である。かかる意味で、ライクマインディドであり「決められる」OECDが率先して政策や規範を作り、それを非加盟国にも働きかけて国際社会のスタンダードとして均てんしていくことが、極めて重要になっている。
なお、前述したインドネシアとタイについては、OECDの設立以来、今回初めて東南アジアから両国による加盟申請がなされ、本年、加盟審査の開始が決定された。日本は今から十年前にOECDの議長国を務めた際に、OECD内にSEARP(東南アジア地域協力プログラム)を立ち上げ、東南アジアとの協力の先鞭を取ってきた。その結果が両国の加盟申請につながったとも言え、OECDにとって画期的であるとともに、日本の対OECD外交の成果の一つであるとも言えるとも考える。
昨年から本年前半にかけて、筆者は両国の駐仏大使となんども意見交換を行ってきた。その頃インドネシアについては、BRICSにも参加するのではないかという噂がもっぱらあった。これに対しインドネシア側は、「インドネシアはOECDに加盟するプロセスにおいて国内政治・社会の制度を変革し、加盟によって将来的に先進国入りするというインドネシアの大目標を実現する」ということを述べていたことが印象的であった。タイはインドネシアに続き、OECDに加盟申請を行い、短期間で申請が認められたが、同時期にBRICSに参加することも表明した。OECDとBRICSという交わりの少ない二つの組織に加盟・参加することについて、タイは「両者の架け橋になりたい」といった説明を行っていた。なお、インドネシアはタイに遅れること約半年、2024年10月下旬になってBRICSへの加盟を表明した。
インドネシアについてもタイについても、日本はこれらの国々の加盟申請表明の最初から強く支持して、OECD内においても両国の加盟申請が迅速に認められるよう、主導的な役割を果たしてきた。その結果両国の加盟申請が実現したことは喜ばしいことであるが、両国の対応・反応がこのように異なることは興味深いとも言える。
OECDの将来
「さきがけ」として世界の経済・社会の諸問題課題を先進的に取り上げ、政策やルールを作り世界に示していくOECDの強さは、「ライクマインディッド」な集まりの加盟国が、コンセンサスにより意思を統一して「決められる」ことにある。
他方、前述したように、国際社会・経済の構造的とも言える変化の中で、OECDは従来の欧米中心、先進国中心の集まりから、ライクマインディッドネスを維持しつつも新興国や開発途上国を加盟国として取り込んで、拡大していく傾向にある。
現在38カ国であるメンバーシップがいずれ46カ国となり、更に50カ国以上と増えていくにつれ、今までのような価値やシステムを共有する共同体としての強みを維持することができるのか。今までのようにコンセンサスで「決められる」組織でありつづけることができるのか。これが今後のOECDの大きなチャレンジになると考えられる。
最後にー日本にとってのOECD
ルールは先に作ったもの勝ち、というと雑な表現であるが、国際場裏における共通の政策、規範といったものは、作るのも大変だが、一旦できた流れを変えたり直すのは、更にその何倍も難しい。マルチやプルリの場において、政策やルールを議論する最初からそれに加わること、そして、受け身ではなく、できる限り自国(自分)の意見を積極的に主張して議論を引っ張っていくことが重要だ。「さきがけ」として経済社会問題に関するアジェンダセッター、ルールセッターであるOECDに、日本が積極的に参加していく意味はそこにあると考える。これは、「OECDに入ることの重要性を自国の政治家達にどう説明したらよいか」と聞いてきた、インドネシアやタイの友人達に筆者が述べたことでもある。
自国で「旗を立てる」ことの重要性、一旦他国が立てた旗に反対してそれを引きずり下ろすのは容易ではないこと、自国の意に沿わない案件に対しては後ろに逃げるのではなく「前に逃げる」ことが大事であること、等々を外務省の先輩達から学んだ。今、現場の大使として、これらの重要性を改めて実感している。(了)