米国大統領選挙を踏まえての日中関係


駐中国大使 金杉憲治

 北京に着任してから約1年が過ぎたが、トランプ大統領が誕生する機会を捉えて、今後の日中関係についての展望を自分なりにまとめてみたい。

 中国に到着して以来、中国の有識者に強調してきたこととして以下の点がある。即ち、ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルとハマスとの戦闘、更に、国際社会の多くの地域で混沌とした状況が生じている中で、アジア地域、特に東アジアは様々な混乱はあるとしても、全体としてみれば平和と安定、そして経済的繁栄を享受してきており、こうした状況を未来の世代に必ずや受け継いでいかなければならないこと。そして、そのためには、米中は決定的な衝突を避けながら、戦略的な安定を維持していかなければならず、その中で日本も中国と緊密な意思疎通を図り、二国間関係を出来る限り安定させるようにお互いに努力しなければならないこと。幸い、こうした点について中国の有識者に強い異論はないと言って良い。

 トランプ大統領の下で、米中関係は今後、政治・安全保障や経済関係も含めあらゆる面で、これまで以上に厳しい状況が続くであろう。米国は「デリスキング」を超えて「デカップリング」を追求するのかも知れない。そうした中で、日本はどのように対中関係を進めていくべきなのであろうか。国際社会の分断が更に進む可能性が高い中で、日本にとって体制が異なる隣国である中国との距離感の取り方はますます複雑になることが見込まれる。そうした中で、今後とも手探りの状況が続くであろうが、少なくとも以下のような点が重要であることは指摘できるのではないかと思う。

 第一に、日本として中国の現状をよりバランスの取れた形で理解することである。日本にとって2千年以上の交流の歴史を持つ「一衣帯水」の隣国である中国について、我々は他者のプリズムではなく、自らの視点で理解すべく努力しなければならない。日本では現在、経済面を含めて中国について「悪い」ニュースだけが大きく取り上げられる傾向にあると感じている。確かに、足下の中国経済を見れば、不動産の落ち込みが続く中で、若者の失業率は高止まりし、また、消費も冷え込んで事実上のデフレ状況に陥っている。地方財政の状況も悪く、人口減や少子高齢化といった構造問題も大きな課題となっている。要は、マクロ経済的に見れば中国が大変厳しい状況にあることは事実であり、中国政府も過去の日本の経験をも参考にしつつ、対策を随時打ち出し、状況の改善を目指している。
 一方、ミクロのレベルで個々の中国企業の活動を見ると、研究開発も活発であり、他の事業で稼いだ利益を拠り所にして新規事業に参加する動きも盛んである。「新質生産力」と位置づけられる産業の中でも、電池、電気自動車、そして太陽光パネルは輸出の「御三家」と数えられ、過剰な生産力故に国内で消費できない分が輸出に回され、それが国内でのデフレ圧力と各国との貿易摩擦につながっている。しかし、足下のマクロ経済の状況や各国との摩擦に拘わらず、中国の成長している企業の活動は極めて活発である。中国経済が有するこのような二面性が日本では必ずしも広く理解されていない。
 筆者自身が当地で中国企業による活発な動きを見るに、是非、こうした実態について日本でも認識を深めてもらいたいと思っている。例えば、過日、中国の自動運転車(レベル4)に試乗する機会があったが、大変安全かつ快適で、こうした自動運転が日本の地方で導入されれば、利便性が格段に向上する、との思いを強くした。
 中国市場は引き続き巨大であり、2023年の実質GDP成長率5.2%はベトナムとタイを合わせた規模の経済が新たに生み出されたことになる。加えて、新技術を社会実装に落とし込む中国企業のダイナミズムには目を見張るものがあり、中国で活動する少なからぬ日系企業は、中国で勝ち抜かなければグローバルには競争できないとの強い信念を持って果敢に対応してきている。また、中国企業と協業しながら、第三国市場での更なる活動を模索する日系企業も存在する。因みに、ドイツを中心とする欧州企業も、中国を「フィットネス・センター」と位置付けて当地で中国企業と競争しつつ、地産地消に向けたサプライチェーンを再構築するなど、中国市場をしたたかに開拓しようとしている。

 第二に、そのような実態を理解する上でも、実際に中国に来て、現場を見て、そして関係者と意見交換することである。もちろん、国家安全を極端に重視する中国で反スパイ法の下での邦人拘束事案が断続的に発生し、現在でも5名が拘束されている状況は忸怩たるものである。加えて、この半年ほどの間に日本人が被害者になった事案も含めて、中国各地で殺傷事件が相次いで発生している。そして、それらが日本からの訪問者に与えている心理面での否定的な影響が大きいことは確かであろう。また、11月30日付けで漸く再開になったとは言え、中国側が日本に対する査証免除をなかなか認めなかったことも、日本からの訪問者にとっての障害になっていた。こうした点は中国側に適切な対応を促し、リスクは管理、低減した上で、中国との直接の関与を続けていくことが不可欠である。これまでも邦人拘束事案や邦人の安全確保等については、中国側にその否定的な影響を含めて、首脳会談を含む様々なレベルと機会を通じて働きかけてきている。また、特に反スパイ法について言えば、外務省の海外安全ホームページ上に当館が出している「安全の手引き」が掲載されており、その中で「いわゆる『反スパイ法』等」と題する項目を設けて中国訪問前に留意すべき点を詳述している。要は、中国リスクだけに着目して、中国を忌避するのではなく、先ずは中国に来てみること、そのためにも「リスクを正しく恐れて、管理する」ことが肝要である。

 第三に、様々な制約要因があるとしても、中国との交流を地道に続けていくことである。現在の中国との間では、かつてのように「日中友好」の旗印の下だけで大らかな交流を進めることは残念ながら現実的ではない。しかし、そうした中でも、日本との交流を求めている中国側の関係者は根強く存在するし、当地での限られた経験ではあるが、中国の若い世代は様々な手段で情報を入手し、思った以上にフラットに世界を見ている印象である。実際、留学や旅行で相手国を訪れた中国人や日本人は、おしなべてお互いに良い印象を持っている。日本としてもそうした人たち、特に若い世代の中国人に粘り強く関与し続けていくことが、将来の関係の安定につながってくると思う。今年を振り返ると、地方自治体による相互交流は活発になってきているし、議員交流についても5年ぶりの日中友好議員連盟の訪中が行われるなど、再起動の兆しは見えてきている。中国から日本への旅行者は今年700万人に達する勢いである。中国から日本への修学旅行も着実に行われており、政府としても申請に応じて査証を免除することで彼らの渡航を後押ししている。このような将来を担う若い世代の交流は今後とも更に活性化していきたい。なお、日本から中国への渡航は、上述したような制約要因もあって未だ制限的ではあるが、そうした中でも修学旅行を含めて、中国を訪問する若い世代が根強く存在することは心強い限りである。

 第四に、そうした交流の中で、相手の発言に耳を傾けると共に、こちらも主張すべきは率直に主張することである。もちろんそうしたやりとりの中で相手の理解を直ちに得ることは難しいが、少なくともこちらの考えを知らしめることは出来る。筆者自身、率直なやりとりは、その場の雰囲気はともかくとして、先々の信頼関係の醸成に寄与すると感じている。因みに、当地に着任してからしばしば投げかけられる質問に、「日本は中国を『前例のない最大の戦略的挑戦』と位置付けているが、それは中国との戦略的互恵関係と整合するのか」というものがある。これに対しては私からは「近年の中国の軍備増強や、ウクライナ侵攻を進めるロシアとの関係強化に鑑みれば、安全保障面では『前例のない最大の戦略的挑戦』であるが、日中関係は安全保障分野に限られるわけではない。その他の政治や経済、文化交流等では重要なパートナーである」と応えてきている。また、中国では日本と米国は一枚岩で、外交では常に同じ行動を取る傾向にあるとみられている。言わば、米国が動けば日本は自動的に付いてくるという見方が根強いが、それに対しても、日本の様々な取り組みに具体的に言及しつつ、日本はあくまでも自らの国益を踏まえて外交政策をとり進めていることを強調してきている。様々なレベルでそのような率直なやりとりを続けていくことが、今後の日中間の信頼醸成に少しでもつながることを期待したい。その関連では、8月下旬に発生した中国軍機による日本の領空侵犯事案について様々なレベルで説明を求めてきた結果、時間は要したものの、11月中旬までに中国から領空侵犯を認めた上で、領空侵犯の意図はなく、類似の事案の再発防止に努めるとの説明があったことに留意しておきたい。
 なお、中国で様々なやりとりを通じて感じるのは、中国人の考えの多様性である。もちろん、現在の中国では政府関係者等の発言は厳格にコントロールされているが、そうした中でも、経済人や文化人には幅の広い見方を持っている人たちが多く存在することも明記しておきたい。

 第五に、直近では、ペルーで行われたAPECサミットの際の石破総理と習近平主席との首脳会談の機会も含めて、首脳レベルで繰り返し確認されている「日中戦略的互恵関係」を手探りながらも実践に移していく中で、両国民が具体的に裨益する実感を持つことである。「戦略的互恵関係」を一言で言えば、日中間の様々な懸案は適切に管理して、それが両国関係の大局に悪影響を与えることを避けつつ、共通する課題についての協力を深化させることである。懸案については言うまでもないが、協力分野としては、気候変動や防災、北朝鮮問題といった地域や国際社会の課題に加えて、少子高齢化への対応や養老介護といった両国が共通に抱える社会的、経済的課題があげられる。「言うは易し行うは難し」ではあるが、要すれば韓国も交えた三国間協力の枠組みも活用して、協力が国民生活に良い影響をもたらし、それを両国民が実感できるよう努力していくことが重要である。
 近い将来、日中外相による相互訪問や、日中人的・文化交流対話及び日中ハイレベル経済対話の開催も見込まれている。日本の議長国の下で、日中韓サミットの日本での開催も視野に入っている。こうした機会を是非とも、最大限に活用したい。

 最後に、あまり注目されていないデータを一つ紹介したい。日中間のサプライチーンが鉱工業製品で密接につながっていることは広く知られているが、実は、農林水産品についても日中は切っても切れない関係にある。日本の農林水産物の輸出先として中国が大きな市場であることは周知の事実であるが、同時に、日本にとって農林水産物の輸入先として中国は米国(21,209億円、2023年)に次ぐ第二位(16,450億円)となっている。主な輸入品目は冷凍野菜、鶏肉調整品、大豆油粕、うなぎ(調整品)、生鮮野菜等であり、対日農林水産物輸出の拠点の一つとなっている山東省を訪問した際の関係者による発言を引用すれば、日本のコンビニ弁当もファミレスのメニューも中国からの農林水産物の輸入がなければ成り立たない、のが実情である。

 冒頭の繰り返しになるが、トランプ米大統領の登場によって、米中関係は厳しさを増すであろうし、その余波は日本にも大きな影響を及ぼすことは間違いない。幸い、石破政権の立ち上がりの段階で日中関係は順調なスタートを切っている印象であるが、この先、難しい状況になったとしても、日本は何とか中国と折り合いをつけて、日中関係を安定させ、少しでも前に進めていく努力を怠ってはならない。その際、本稿で記したような諸点が少しでも参考になれば幸いである。

(了)