米国のインド太平洋戦略
外務省参与、和歌山大学客員教授、元駐グアテマラ大使 川原英一
6月上旬、米シンクタンク(Stimson Center)が企画した「インド太平洋と世界」と題する対談にキャンベル米国務副長官が登場してインド・太平洋戦略についての考え方・具体的内容を明らかにしています。対中政策、対北朝鮮関係、米印関係、東・南シナ海での中国の力による現状変更の動き、南太平洋島嶼国の安全保障など諸課題に対してバイデン政権がどのような地域戦略を進めてきたのか、また、7月9日から米国で開催されるNATOサミットで欧州とインド太平洋との連結性が議題となると語っており、バイデン政権下のインド太平洋戦略の全体像を理解するうえで大変良い内容に感じました。同副長官の発言中、個人的に印象深く感じたこと、背景事情と併せてご紹介します。
なお、キャンベル氏は米上院の承認を得た後、今年2月に国務副長官となりました。それ以前は、米国NSC(国家安全保障会議)インド・太平洋調整官兼バイデン大統領補佐官(国家安全保障担当)として同政権のインド太平洋戦略を支えてきました。 この対談はYoutubeで見ることが出来ます(注1)。
対中政策
同副長官は、米国は自らの中国への影響力を過大評価してきたと述べ、中国を国際社会の主要なプレーヤーとして受け入れて建設的に外交を進めるのが米国の利益にかなう、中国と協力できる余地はあまり多くはなく、相互の政策を整合(align)し、相手が何を考えているのか理解し、両国関係を安定させることを最重視していると述べています。
併せて同盟国・パートナーとの間では、相手国の主張に耳を傾け、協働する決意をもって、米国はこの地域の平和と安定に向けて大きな役割を果たそうとしており、トランプ前政権がみせた米国ファースト、単独で進めるやり方とは異なる、今日の世界は危険に満ちて予測ができない、東欧で戦火が続き、中東(イスラエル・ガザ、紅海)の不安定な状況やアフリカ飢饉などがあり、米国にとり外交政策上の試練となっており、これら試練に主要なグローバル・パワーである中国との関係が険悪化する状況をさらに加えることは、米国及び同盟・パートナー国の利益とならないと語っています。
昨年11月サンフランシスコ南郊で行われた米中首脳会談について、キャンベル副長官は、両国軍高官の対話再開、AI(人工知能)安全性向上、違法薬物の取締強化などで両首脳が合意したこと、また、中国がロシアへ武器支援をしないようバイデン大統領から習近平国家主席に要請したこと、他方で、米国の同盟・パートナー国と連携して(中国には)越えてはならない一線(レッドライン)を、譲歩せず、明確に伝える行動をしていると語っています。
バイデン政権は中国の経済成長を制限しようとしているのではなく、特定テクノロジー分野への中国による米国先端技術へのアクセスを制限して米国の国益を保護するのが目的であり、中国の軍事力強化に利用されないよう特定製品の対中輸出規制を行い、中国による対米投資の審査が強化されたと述べています。また、中国の過剰生産問題に触れて、同国産のEV(電気自動車)による不当な競争から米国企業を保護する立場から措置していると同副長官は述べています。
なお、バイデン政権は中国産EVへの100%輸入関税措置を公表済です。EUもEVについて最大38%の追加関税を7月4日から暫定実施します。中国は、自国経済の成長ために欧米企業による対中投資の誘致と欧米市場アクセスを重要視しています。中国内で自動車生産中の欧米企業への優遇措置と報復措置の両面作戦で、欧米諸国を分断して中国側に有利な状況に持ち込む動きにでるものと思います。
トランプ前政権の対中政策の評価
トランプ前政権による中国への分析と対応措置は適切と評価しながら、他方で、アメリカ・ファースト、単独行動により米国の同盟国・パートナー国の信頼を損なった、バイデン政権は、同盟国等との関係を重視し緊密な連携を心掛けていることが異なる点だとキャンベル副長官は述べています。
この発言の背景には、トランプ政権が中国との貿易大幅赤字の削減を求め、中国の構造的問題である不公正な貿易・ビジネス慣行(補助金、外国企業所有技術の強制的供与など)を是正して同じ土俵での公平な競争を要求し、中国製品の輸入関税大幅引上げをしており、バイデン政権もこの対中関税措置・投資規制を踏襲していることがあります。他方で、トランプ前政権は、中国のみならず米国が貿易赤字を抱える同盟国・パートナー国にも赤字削減を強硬に迫り、信頼を損ねたことがあります。
北朝鮮関係
(質問に応え)トランプ前大統領と金委員長との2回目首脳会談が6年前にベトナムで開かれ、会談が物別れに終わって以降、水面下で何度も試みたが米朝間の対話は途切れたままであり、政権交代後の韓国と北朝鮮との関係も悪化しており、北朝鮮側が付き合う相手を極めて少なく絞っており、核・ミサイル開発に関する安全保障協議の見通しは立っていない、他方で、日・米・韓の3か国で北朝鮮に対する様々なシナリオを協議していると語っています。
さらに、北朝鮮によるロシアへのミサイル・弾薬の大量供与によってウクライナの戦況に大きな影響があったことについては、米とEU・NATOとの間で広く議論がされている、予定されるプーチン大統領の訪朝に際して、ロシアへの軍事支援の見返りに、ロシアから北朝鮮へエネルギー供給、核・弾道ミサイル技術が供与されるのではないか、中国もロシアと北朝鮮の動きに懸念を抱いていると思うとキャンベル副長官は語っています(プーチン大統領の訪朝は、この発言後の6月18日にあり、両国間で相互安全保障取極めなど公表)。
良好な米・インド関係
インドとの二国間関係は、過去数十年間で最も良好な関係へと進展しており、米、インド、豪及び日本の4か国からなるクアッド(QUAD)の枠組みで、感染症対策をはじめ多くの分野で協力関係にあり、特にテクノロジー分野での両国間の協力が進展しており、米IT超大手企業がテクノロジーの新天地としてインドへ投資を活発に行っている、若者を中心とした両国の人的交流も活発であり、21世紀に米国が優先すべき二国間関係のリストのトップにインドを位置づけているとまで同副長官は語っています。
インドと中国との国境紛争にふれて、領土問題で習近平国家主席は柔軟性を示すことはなく、問題解決に向けて両国が共通基盤を見出すのは容易ではない、他方、両国国境紛争がエスカレートしないよう常に監視を怠らないと述べています。
(質問に対し)インドで6月3日まで実施された議会選挙については、世界最大の民主主義国家として良い見本となったと評価し、同国内政には触れない配慮もみられました。また、経済制裁中のロシアから安いエネルギーを購入して実利を優先していることやグローバル・サウスのリーダーとしてのインドの独自の外交については対談の中では話題になりませんでした。
米国主導の安全保障
安全保障面から米国とインド太平洋地域諸国との関係がさらに強化されており、二国間安全保障関係だけでなく、米・日・韓、米・日・比、QUAD4か国などミニ・ラテラルな協力関係を通じて、地域の平和と安定、法に基づく国際秩序の維持・強化を引き続き図るとの立場を述べています。
昨年8月、バイデン大統領の仲介によりキャンプ・デービッドで行われた日・米・韓の首脳会議(注2)では、革新的(innovative)な安全保障・協力体制を構築することで3首脳の意見が一致したことを副長官は力強く述べています。
この背景には、ウクライナへ軍事侵攻するロシアと中国が「無制限の協力関係」にあり、北朝鮮からミサイルや弾薬をロシアへ大量に供給してウクライナへのロシアによる攻撃が勢いづいた状況があり、ロシア、中国、北朝鮮の3か国に地理的に近く位置する日・韓と米国との間での安全保障面での結束を強化することを最重視したのだと思います。
キャンベル副長官は、頼・台湾新総統の就任後、中国が台湾周辺海域で大規模軍事演習をしたこと、中・ロによる日本近海での共同軍事演習があったこと、さらには、比(フィリピン)の海域で中国公船による比船舶へ威圧活動が行われていることなどに触れて、米国は中国への警戒・監視活動を怠っていない、米国の基本的立場は、同地域の平和と安全、航行の自由を維持することであり、中国側にこの立場を明確に伝えている、6月初めにシンガポールで開催されたアジア安全保障会議(シャングリラ会議)の場でもオースティン米国防長官がこの立場を明確にしたと述べています。
今年に入り比が領有権を主張するセカンド・トーマス礁で中国公船が、度々、比の船舶を実力で排除しようとして比側に負傷者が出ており、比と安全保障協定を結んで共同防衛の義務を有する米国は、違法な挑発活動が一線を越えないよう中国に対して警告していることについて言及がありました。またマルコス比大統領は、事態がエスカレートしないよう中国側に対話と外交で解決することを求めており、米国も比の姿勢を支持していることを同長官が明らかにしています。
この背景には、比政府が、中国の東・南シナ海の広い海域を自国の領海・領土と主張していることから国際仲裁裁判所に提訴し、2016年夏、同裁判所が中国の領海主張に法的根拠はないとの裁定がなされました。ところが、中国はこの国際仲介裁判所の裁定を認めず、一方的な力による現状変更を続け、同海域に軍事拠点網を築いています。また、東・南シナ海には天然ガスほか豊富な海底資源があり、中国が自らの管理下に置こうしているように思います。
インド太平洋と日本外交
インド洋太平洋を、自由で開かれた(free and open)海として、法に基づく国際秩序の維持と地域の安定と繁栄を願う構想は、2007年にインドを訪問した安倍総理(当時)がインド議会で演説したスピーチ(注3)に始まります。 2017年にトランプ大統領が就任した後の日米首脳会談では、自由で開かれたインド太平洋との考えを安倍総理からトランプ大統領に伝えて同大統領も賛同し、その後、米国自らがインド太平洋戦略を重視する立場を鮮明にしています。また、中国艦船が繰り返し接近する尖閣諸島は、歴史的にも法的にも日本固有の領土であることは明らかですが、この尖閣諸島を日米安全保障協定5条により共に防衛することを同大統領が明確にしました。日本はその後も欧州を含め関係各国に、国際法に基づく、自由で開かれ、平和と繁栄の海としてのインド太平洋への理解を働きかけて、ASEAN諸国を始め、多くの国がこの考えを共有しています。昨年の日英、日米首脳会談では、英・仏の空母部隊のインド太平洋への派遣継続に合意しています。
南太平洋島嶼国との関係
キャンベル国務副長官は米国と南太平洋島嶼国の間でブルー・パシフィック・パートナーと呼ばれる連携・協力枠組みがあり、安全保障の観点から最重要事項の気候変動対策を強化していること、中国が大船団による違法漁業を行う中で海洋資源の持続可能な管理や違法な活動を取締まる執行機関間の協力も進んでいると語っています。
因みに、今年7月に第10回太平洋・島サミットを東京で開催予定です。日本と太平洋島嶼国との関係は1997年まで遡ります。同サミットは1997年の第1回サミットから、島嶼国の諸課題である気候変動、海洋資源の持続的維持、輸送インフラ、海洋取締の法執行機関の強化などの協力を行っており、島嶼国の課題に同様な関心を示す米国や仏・豪・NZなどとの相互協力がさらに進むのではないかと思います。
インド太平洋と欧州との連結性
7月9日から米国で開催される北大西洋条約機構(NATO)サミットの想定議題について、ウクライナ支援強化といった議題と併せてロシアを支援する中国・北朝鮮への対応、偽情報・サイバーセキュリティ、インド太平洋と欧州との連結性(connectivity)が議題に上るとの見通しを同副長官が述べています。
さらに太平洋のみならず世界の海での中国大漁船団による乱獲への対応と海洋資源の持続的管理、沿岸国の法執行体制の強化、気候変動といった太平洋島嶼国にとっての重要課題が討議に含まれる可能性も述べています。このNATOサミットへ日本、韓国、豪、NZ各首脳が招待されています。
最後に
プーチン大統領が北朝鮮を訪問した際、北朝鮮がウクライナを侵略するロシアへの軍事支援をした見返りにロシアは北朝鮮の長距離ミサイル・核開発への協力に合意したと報じられています。また、日本近海での共同軍事演習にみられるロシアと中国との軍事協力が拡大し、中国による台湾、そして東・南シナ海における力による現状変更や威圧・グレイゾーン行動は止むことはなく、日本をとりまく安全保障環境は劇的に変化しています。
日本は中・ロ・北朝鮮という核保有国に取り囲まれ、普段から安全保障上の脅威にさらされ、又、急速な軍事力拡大によりインド太平洋地域での動きを活発化させる中国に対して、日本を含む西側諸国が結束し、外交と軍事力によりバランスをはかり、抑止することがどこまで可能なのでしょうか。
バイデン政権下の米国防予算はここ数年減少傾向にあり、ウクライナへの米国による軍事支援の継続については米国内で厳しい見方があります。インド太平洋地域の重要性を理解する英・仏両国は空母部隊をインド太平洋に派遣し日米豪インドなどと軍事演習を行っています。他方で、英国では7月はじめの議会下院選挙により保守党から労働党への政権交代が確実視され、仏や独でも現政権の支持基盤が揺らいでおり、今後も欧州主要国がこの地域で同様な立場を続けられるか不透明さもあります。
ウクライナ侵略を続けるロシアへの同国防衛産業の生産基盤の支援につながる中国からの工作機械・民生品輸出や北朝鮮からの軍事支援は続きます。ウクライナの帰趨が今後のアジアに与える影響について「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」との岸田総理の指摘はNATO諸国との間で共有されています。ロシアのウクライナ侵略により結束が強まったNATOによる7月サミットでの欧州とインド太平洋の連結性に関する討議結果が大いに注目されます。
ロ シアによるウクライナ侵略から中国はどのような教訓を得ているのかを考えつつ、インド太平洋地域で、短期的のみならず中長期的にも、力による一方的な現状変更や威圧行動が得策ではないと中国側に判断させるため、西側諸国による結束がさらに深まることが期待されます。
また、今年11月の米大統領選挙の結果、民主・共和党候補のどちらが大統領となった場合も、インド太平洋地域の平和と安定のため、西側諸国が結束して対応するシナリオが用意される必要があります。 (令和6年6月28日 記)
(注1 対談動画 https://youtu.be/awYBNTUBEFI )
(注2 日米韓首脳会談 https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na2/page1_001789.html )
(注3 安倍総理インド議会演説https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/eabe_0822.html )