外交からみた宇宙と気候変動


創価大学大学院客員教授 田中福一郎
(元在フィンランド大使館公使)

1. はじめに
 これまで多くの先輩、同僚、後輩に恵まれキャリアを歩ませて戴けた事に感謝し、中でも忘れがたい経験のひとつとして、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)国際部に参事として出向して考えた事を体験を交えて申し述べさせて頂きたいと思います。
 世界の気候変動対策については、特に昨今の災害級の猛暑、豪雨により喫緊の課題の一つに挙げられております。そこで宇宙技術との関連を取り上げ、外交の舞台から宇宙開発の現場へと足を踏み入れたことで、宇宙技術と気候変動フィールドという地味で目立つことのない分野ではありますが、両者は大切な関係にあり気候正義を追求する上でキーファクターであるとの実感も併せて申し述べさせて頂きたいと思います。
 筆者の机には、今も一枚の認定証が置いてあります。JAXAによる第一期水循環変動観測衛星GCOM-Wの愛称公募に応募し、筆者の提案した「しずく」という名前が採用された際にいただいたものです。些細なことのように思われるかもしれませんが、この「しずく」は筆者にとって、宇宙外交職務の中で象徴的な存在です。それは、気候変動のメカニズムについて、地球の「水の循環」をたとえば雨という「しずく」が衆流した海洋を通じて、宇宙から共通の事実を観測するというクリティカルな使命を背負っているからです。外交官として国際会議の現場で「事実をどう共有するか」に苦心してきた筆者にとって、宇宙からの地球観測がもたらす「国境を越えた共通事実」の意義を強く感じる契機ともなりました。
 筆者のJAXA出向直前に赴任したフィンランドは、かつてモバイル・フォンNokiaで世界一のシェアを占めましたが、その後2025年には世界で初めての商用合成開口レーダー(SAR)を備えた小型衛星を打ち上げました。フィンランドのSAR技術はこれまでの宇宙観測のレガシーであった光学衛星と異なり、夜間でも、かつ雲が覆っていてもマイクロ波で地表を観測できるという特徴を持ち、北極圏域などの気象変動や災害監視につき民間ベースによる機動的把握に欠かせないものと思います。
 日本が「しずく」などのJAXAによるSAR衛星コンステレーションで主に海洋水循環を捉えるのに対し、フィンランドは商用SARを主に陸域での状況を詳細に把握する。この二つが組み合わされることで、地球環境と気候変動の理解が飛躍的に深まることが期待され且つ国際社会にとっても「小さくともキラリと光る」貴重なファクターの一つになると思います。両国はまた、大国ロシアを挟んで西と東の隣国という地政学上において今後とも重要なパートナーとなると考えるからであります。

2.宇宙技術がもたらす「共通事実」
 気候変動に関する国際会議の場では、各国が自国の排出量、森林面積、被害状況について異なるデータを提示し、議論はしばしば平行線をたどりました。これは、データの算定方法や測定基準が国によって異なるために生じる問題です。筆者の任期中には、毎年JAXAが事務局となり、参加国もASEANとインド、豪州にまたがる各国政府宇宙機関長会議(APRSAF)をバンコク、メルボルン、シンガポールの各国各都市によるホストで開き、宇宙技術の利用促進に努め、衛星データの解析による防災などレジリエンスの向上を白熱した議論とともに推進しました。
 こうした状況において、「人工衛星から得られる宇宙観測データ」は、決定的に重要となり得ます。衛星は国家の主権や国境に縛られず、地球全体を網羅的に、かつ客観的に観測できるからです。このデータは、気候変動の現状に関する「共通の事実」を提供し、以下のような点で気候変動外交に大きな影響を与えていると思います。
(1)CO2排出量などの客観的評価:衛星は特定のガスの排出源を直接特定・定量化できるため、各国の報告する排出量データが客観的かどうかを検証する手段となります。
(2)気候変動被害の公平な評価:洪水や干ばつといった気候変動による被害の規模や影響も、衛星画像によって客観的に評価できます。これにより、被害を受けた国への支援策を策定する際の根拠ともなりました。

 それでは、気候危機回避の宇宙技術による具体的貢献とは如何なるものでしょうか。
 第一に、温室効果ガスの測定です。日本の「いぶき(GOSAT)」をはじめとする観測衛星は、大気中の二酸化炭素やメタン濃度を高精度で計測しています。これにより、各国の排出実態が統計的推計をもとに科学的事実として積み上がってきています。パリ協定が求めるMRV(測定・報告・検証)を支える基盤は、宇宙技術なしにはもはや成立しなくなったといってよいと思います。
 第二に、気候変動の被害把握です。洪水、干ばつ、森林火災、氷床融解――衛星観測は時系列で変化を追い、科学的エビデンスを提供します。私が国際環境会議の場に臨んだとき、衛星データを一枚示すことで、何ページもの報告書以上に説得力を持つことを実感しました。
 第三に、防災と人道支援です。気候変動は数十年スパンの課題であると同時に、「今夜の豪雨」「明日の熱波」という目の前の危機でもあります。気象衛星や測位衛星のデータに基づく早期警戒システムは、数時間の猶予を人々に与え、その間に避難を可能にします。JAXAのアジア太平洋各国政府宇宙機関協力の現場に出たとき、宇宙技術が人命を直接守る諸事例を知る経験は貴重でした。

3.国際協力の枠組みと課題
 環境衛星観測は一国単独では限界があり、国際的な協調が不可欠と思います。GEO(地球観測グループ)、CEOS(地球観測衛星委員会)、そして気候変動枠組条約(UNFCCC)における議論など、多層的な枠組みを継続することが大切と思います。
 そのために必要なことの第一は、「データ利用の格差是正の取組み」です。衛星データは公開されつつありますが、それを政策に活用する人材やシステムがなければ「宝の持ち腐れ」になります。アフリカや太平洋島嶼国で、公開データが存在していても防災政策に結び付けられない現実をJAXA出向のときに実感しました。今後の国際協力の焦点は「データ公開」から「データの利活用能力構築」へ移行することではないかと思います。
 第二は、「軍民汎用性の透明化の取組み」です。衛星技術は各国の安全保障にも直結します。そのため、透明性と信頼醸成をいかに担保するかが課題と思います。気候観測を名目としながら軍事利用が疑われれば、協力は容易に瓦解します。国際社会は、観測目的と利用範囲を明示する「透明性のルール作り」を避けて通れないと思います。

4.日本の役割と可能性
 それでは、具体的に日本はどのような役割を果たし得るでしょうか。
日本は観測衛星や気象衛星分野で米国に次ぐ先進的な技術力を有し、さらにアジア太平洋地域で防災協力の実績を積み上げてきました。筆者自身、JAXAでアジア太平洋島嶼国との国際会議の際、「日本の先進観測データは大変ありがたい。願わくは是非とも現地で人材を育て、使い方を教えていただきたい」との声もいただきました。これは日本の外交官として誇らしくもあり且つ忘れてならない目線であると思いました。
 そこで今後日本が担うべき貢献は次の三つの点ではないだろうかと思います。
 第一に、地域ハブとしての役割。アジア太平洋において、JAXAのセンチネル・アジア災害監視観測データと人材の循環を支える中核的存在となること。
 第二に、MRV制度への宇宙観測統合。パリ協定下での透明性枠組みに、衛星データを制度的に組み込む国際議論を主導すること。
 第三に、「最後の一マイル」支援。衛星データを単なる科学的知見にとどめず、防災計画、企業の脱炭素戦略といった現場に落とし込む橋渡しをODAで強化すること。

 最後に以下の三つを中心に提言し、今後とも宇宙と外交の課題を考え続けてまいりたいと思います。
 私たちが直面する気候危機を前にした気候正義という壮大な課題は、国境を越え、世代を超えて、地球というノン・ヒューマンの声なき声にも等しく向き合うことを迫っています。この未曾有の地球のプラネタリー・ヘルス危機に遭遇し、今、私たちの眼差しは地球の大気圏、そしてその先の宇宙へと向けられていると思います。宇宙から得られる知恵、すなわち衛星データ解析は、気候変動対策を加速させるための平和への最強の現実的な手段となり得ると思います。そこで、以下を提言したいと思います。

 第一に、 宇宙と地球を結ぶ「Space-for-MRVパートナーシップ」の創設
 気候変動対策の国際的な枠組みであるパリ協定には、「透明性の枠組み」が不可欠です。しかし、各国の取り組みを正確に把握することは容易ではありません。そこで、衛星観測をこの枠組みに制度的に組み込む「Space-for-MRV(計測・報告・検証)パートナーシップ」を提言します。宇宙から地球全体を俯瞰することで、人為的な活動による排出量や森林の状況を客観的に、そして公平に評価できるようになります。このパートナーシップは、国家間の信頼を築き、より実効性のある気候対策を推進する礎となると思います。
 第二に、 アジア太平洋気候衛星ハブの整備と地域のエンパワーメント
 アジア太平洋地域は、気候変動の影響を最も大きく受ける地域の一つとされています。この地域の課題を克服するため、「アジア太平洋気候衛星ハブ」の整備を提言します。これは、単なるデータの集積ではありません。最先端の宇宙技術による地球気候観測、豊富なデータ、そしてそれを使いこなす人材を三位一体で育成するプラットフォームです。このハブを通じて、地域全体の国々が自国の状況を正確に把握し、科学的根拠に基づいた政策立案を行う能力を底上げ出来ると思います。知識と技術の共有は、地域全体のレジリエンスを高める鍵となると思います。
 第三に、 早期気象警戒のユニバーサルサービス化と生命の保全
 気候変動は、洪水、干ばつ、山火事といった災害級の気象現象を頻発させています。こうした災害から人々の命を守るには、迅速かつ正確な気象情報が不可欠です。私たちは「早期警戒のユニバーサルサービス化」を目指すべきと思います。宇宙からの観測データは、災害の兆候をいち早く捉え、地球上の全ての人々に、たとえ辺境の地であっても、最低限の防災情報を届ける体制を国際的に保障します。それは、技術の進歩を一部の人々のためだけでなく、地球上の全ての市民のための「ユニバーサルサービス」へと昇華させる試みです。

5.おわりに
 机上にある「しずく」の認定証を前に、筆者は二つの思いを新たにしております。
 一つは、「宇宙から見れば地球は国境のない唯一の青い惑星である」という認識。そしてもう一つは、「この限られた、そして脆い惑星を、いかにして未来の世代に受け継いでいくべきか」という、重い責任です。
 外交官としての経験と宇宙開発の現場で得た知見。この二つが交差する時、筆者は改めて次のように思うものです。気候変動という地球規模の課題に立ち向かうには、「宇宙からの気候観測技術が最も強力な手段となる」と。それは、各国が「共通の事実」に基づき、「共同で行動」するための基盤を築くからであると。
 近年我が国においても災害級の猛暑や豪雨、森林火災など気候危機はすでに私たちの生活を脅かしています。地球が人新世の時代に突入した今だからこそ、私たちは宇宙技術の可能性を最大限に引き出し、持続可能な地球の未来を築くための「決断と協力」を積み重ねていかなければならないと思います。(令和7年8月31日記)