余談雑談(第180回)昭和時代

元駐タイ大使 恩田 宗
今年は昭和百年に当たる。昭和は長さと歴史的重みで明治に並ぶ。明治は45年で日清・日露の戦争をした。昭和は65年で中国及び米英と戦争をした。両時代とも飛鳥・奈良の時代と同じ熱心さで先進文化を吸収した。明治は欧米諸国から、戦後の昭和は専ら米国から学んだ。日本近代史160年は明治と昭和で二分される。昭和は無謀な戦争で明治の遺産の大日本帝国を食いつぶしたが戦後に豊かで平和で平等な国に再建した。
明治政府は富国強兵に努め世界一流の軍国を築いた。その強盛な軍隊は朝鮮を争う二戦争に勝利するとそのまま大陸に居座った。彼等は負けを知らず次第に驕慢になり勝手に行動するようになった。内閣が軍を統轄制御する制度ではなかったからで結果として日本を破滅に導いた。事に成功すると驕り高ぶり油断し災いを招くものである。太平洋戦争でも日本海軍はミッドウェー海戦で主力空母四隻を沈められ開戦後半年にして太平洋の制空権を失った。草加中将は敗戦の理由を「驕慢の一語に尽き」ると語っている。政治指導者も大局観に乏しかった。ナチスが偏狭・過激で危険な思想の持主で世界の支持は得られず長くはもたないこと、アングロサクソンの結束は固いこと、を見極めることができなかった。天皇も近衛首相・松岡外相もスターリン、チャーチル、ルーズベルトに比し国際政治の見方で厳しさに欠けた。
あの大戦で戦没した日本兵は230万人で半数以上が餓死だった。密林や孤島では敗残兵を屡々置き去りにしたからである。小説「野火」(大岡昇平)では、レイテ島の密林を逃げ迷う日本兵が「天皇陛下様。大日本帝国様。何卒、家に帰らして下さいませ」と叫ぶ。日本国は戦い敗れた自国の兵を見捨てた罪を犯したことを忘れてはならない。
戦前は地位・所得の格差が大きく「身分貧富に関わりなく」「○○の分際で」「〇〇風情が」などの言い方が格差の存在を示していた。戦後は華族制度の廃止や財産税や農地改革で格差は縮小した。人々はひたすら「上を向いて歩」き高度成長を達成しGDPを世界二位に押し上げた。戦後昭和の誇れる実績であるが、最近NHKが「やがて悲しき奇跡かな」と評したように、過労死や環境破壊などの犠牲を伴うものであった。
半藤一利(「昭和史」)は明治・大正・昭和の近代史をこう総括している。明治の40年で国を作り次の40年で国を滅ぼしその後の40年でGDP世界第二の経済大国に建て直した、と。その昭和も終わってバブルがはじけ34年になる。維新後の四番目の40年は失われたままで終わることになりそうである。 (了)
