余談雑談(第178回)人とその住居

元駐タイ大使 恩田 宗
ウクライナやパレスチナで瓦礫になった家を前に嘆き悲しむ住民達の写真を見るとその泣き声が聞こえてくるような気がする。プーチンとネタニヤフの罪は重い。400年続いた平安時代の最後の100年の京都も戦乱と災害で建物の大半が壊され焼かれた。加えて深刻な飢饉と平清盛の強行した福原への遷都があり身分に関係なく人々を苦しめた。鴨長明は下鴨神社の神官の家に生まれ5つの時平治の乱、23の時安元の大火、26歳で強烈な竜巻と福原遷都、30前後に飢饉と大地震を経験した。彼は晩年の著作「方丈記」に、「愁へ悲しむ声耳に満」ち、放置された餓死者の死体(4万を超えたという)が腐乱して「くさき香世界に満ち」たと書いている。
ドイツ人建築家ブルーノ―・タウトは「日本文化私観」(1933年著)の中で「方丈記」が描く福原遷都による都の荒廃に言及しこう言っている。首都は国の文化が創られる処で遷都などすべきではない、日本が遷都した東京は西洋特にアメリカを真似しているだけで日本独特の文化が全く感じられない、日本は中国と違い「武人が崇とばれ」「簡素」「清純」を好む独特の価値ある文化を創り上げた、その「日本の文化的業績の中心は…京都にあった」、パリは二千年この方フランスの政治・文化の中心地である、もし京都が日本の首都であり続けたとすれば「日本の文化相は如何に華々しいものとなっていた」であろうか、と。しかし、もし京都が首都であり続けたとすれば先の大戦で貴重な文化財と共に灰燼に帰したであろう・・もっとも標準日本語が京言葉になった筈で国の流儀もサムライ風より公家風となりあんな戦争はしなかったであろう・・もしあの戦争がなければ日本人は民主化を自力で達成し得ただろうか・・。歴史は「もし」では結論がでない。
夏目漱石は大学生の頃「方丈記」を英語に完訳している。冒頭部分は次の通りで既に立派な英語力をつけていたことが分かる。
(原文)ゆく河の流れはたえずしてしかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中にある人と栖(すみか)とまたかくのごとし。
(漱石訳)Incessant is the change of water where the stream glides on calmly: the spray appears over a cataract, yet vanishes without a moments delay. Such is the fate of men in the world and of the houses in which they live.
(了)
