余談雑談(第176回)いろはカルタと日本人


元駐タイ大使 恩田 宗

 憎まれ嫌われる独裁者が未だに跡を絶たない。いつの世も「憎まれっ子世にはばかる」である。この諺は「いろはカルタ」の中の一句であるがカルタには日本人の知恵が詰まっている。「出る杭は打たれる」「触らぬ神に祟りなし」「喧嘩両成敗」「立つ鳥跡を濁さず」「孝行のしたい時分に親はなし」など日本的な諺が数多く含まれており日本人の思考・行動の指針の役割を果たしてきた。
 「いろはカルタ」は江戸後期に主として子供向けの遊びとして作られたが発行業者や地域・時代により異なるらしい。「犬も歩けば棒に当たる」の代わりに「石の上にも三年」「一石二鳥」「急がば回れ」「井の中の蛙大海を知らず」などを使っているという。「いろはカルタ辞典」(時田昌瑞)によると明治時代には英語の諺も翻訳して取り入れている。「艱難汝を玉にす」「時は金なり」「木を見て森を見ず」「二兎を追う者一兎も得ず」「終わりよければ全てよし」「失敗は成功の基」「溺れる者は藁をも掴む」などは皆外来の諺である。逆に、英語のTime flies like an arrowや Practice makes perfect は日本の「光陰矢の如し」や「習うより慣れろ」が輸出されたものだという。
 解釈が分れる諺がある。「犬も歩けば棒に…」は棒が①災難か②幸運かで分れる。江戸時代は①の人が多かったという。「道でぶたれるような犬はたいした犬ではない、ちゃんとした犬は人間をお供にしておりそんな目には遭わない」などと言う人もいるが(筒井康隆「朝のガスパール」)江戸時代には犬に紐をつけて歩く習慣はなかったらしい。「情けは人の為ならず」も①自分の為にもなる②本人の為にならないと分れる。「辞典」の著者は①は鎌倉時代からの用法だがここ二~三十年は②だと考える人が増え、そろそろ②を正解と認めるべきかも知れないと言う。又、諺は絵に成しにくい。「山より高い親の恩」「無理が通れば道理が引っ込む」「怪我の功名」など絵師を悩ませたと思う。
 大岡昇平がこう書いている。子供の頃(大正初期)は百人一首は小学上級以上「いろはカルタ」は小学下級以下が遊ぶもので「犬が…」の絵札には大きく「い」と書いてありそれで字を覚えた、と。カルタは子供の遊びとしては亡びつつある。日本人の感性の繊細さが百人一首に感じられる様にカルタの句を読めば日本人の考え方が理解できる。後世に伝えていくべき文化財である。
 「いろはかるたの真実」(椎名誠他の座談記録)の中で沢野ひとしが「格言を言う人って…インチキ臭い人が多いんじゃない?」と言っている。真を突いたコメントで、格言は権威があるので脆弱な論理の補強に引用されることが多い。 (了)