余談雑談(第175回)ロシアと日本    

 
元駐タイ大使 恩田 宗 

 5月27日は日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅し日露戦争を勝利に導いた日である。日本は東方に膨張してきたロシアをアムール川とウラジオストックの線で抑えそれ以上の南下を防いだ。ロシアは東欧からシベリアにまたがる国に留まり極東アジアに直接関与し得る国にはなれなかった。なっていたとすれば東アジアの歴史はより複雑で中東の様により悲惨なものになった筈である。欧州ではロシアの弱体化で英国対仏・露対独・墺の3極構造が英・仏・露対独・墺の2極構造に変り、後発国や植民地では自立への気運が高揚した。日本は意図した訳ではなかったが世界史の流れを変えた。

  ロシアは義和団事変の解決後もそのために派遣した大軍で満州を制圧し朝鮮も脅かす姿勢を示した。日本の撤兵要求に応じず「満州はロシアの、朝鮮は日本の勢力圏とする」との妥協案をも拒否した。日露戦争はロシアが朝鮮に入ると国の安全が危うくなると恐れた日本が意を決して先制攻撃したことにより始まった。アジアの新興の島国が欧州白人大国に挑んだ戦争は世界の注目を集めその成り行きは電信で全世界に即時に逐一報道された。ネルーの自伝に「日本の戦捷は私の熱狂を沸き立たせ・・・毎日、新聞を待ち焦がれた・・・印度をヨーロッパへの隷属から救(う)ことに・・・思いを馳せ」たとあり、同じく少年だった毛沢東やホーチミンも日本の勝利に感動し勇気を得たと語っているという。

  ロシアの国土面積は世界一で2位・3位・4位(面積はほぼ同じ)のカナダ・米国・中国の倍近くある。小国がこれ程巨大化したのは15世紀末にモンゴル支配を脱して以来休みなく膨張し続けたからである。南は18世紀末にクリミヤ迄を併合した。東は16~17世紀に侵略を開始し18~19世紀には6日で東京都に等しい領土を略取するという速さで前進した。中央アジア征服に参加した画家ヴェレシチャーキンは「ウズラでも撃つように居住民を撃ち殺した」と書いているという。ウラジオストック到達の8年後日本は明治維新で軍の近代化に着手しロシア迎撃にからくも間に合った。近年中国が無法な海洋侵出を試みている。これは国際協力で防ぐべきで米・加・豪・ECに加えアジア諸国とも協調し中国が戦争になる様なことをせぬよう防備の強化と対話に努めるしかない。

  ウラジオストックは「東方の征服」を意味する。日本はそのロシアの夢を砕いた。第二次大戦ではソ連は日本の降伏後も千島占領を終えるまで進軍を続けそれを完了した9月5日にスターリンは国民に「(我々は)この日を40年間待っていた」と演説した。ロシアにとりあの敗北はそれ程手痛いものだった。(了)