余談雑談(第168回)敗戦79年

元駐タイ大使 恩田 宗

 眠れずに横たわっていると突然頭の中に旅順港封鎖作戦で戦死した軍神広瀬中佐の歌が流れ始めた。先の大戦中の小学校で歌った記憶がある。当時日露戦争は四十年前の戦争でそれ程昔のことではなかった。

 日本は維新で富国強兵に努め日清日露の戦争に勝ち領土権益を獲得し先進国との条約改正と大使交換を果たした。次いで欧州の戦争に参戦、五大国の地位を得て西太平洋での覇権も確立した。それが先の大戦の敗北で全てを返上し元に戻った。その間77年。今その敗戦から79年である。廃墟から立ち上がり池田首相が「トランジスターラジオのセールスマン」とドゴールに揶揄される程「富国」に邁進し世界第二の経済大国になったがバブルの崩壊で終わった。維新=敗戦のサイクルも敗戦=現在のサイクルも山型の曲線で最後は失墜している。日本人が国勢隆盛の時謙虚さを失い驕慢になったからである。

 日経新聞が「昭和っぽい企業」は改革の必要ありと論じた。昭和はもう古いらしい。明治と同様内容の濃い時代だったが前半の歴史は読むと気が沈む。中島健蔵も「昭和史」に「暗い谷間に入って行く感じ」と書いている。ずるずると大陸の泥沼にはまりナチスに 乗せられ米英を敵に回し開戦理由の欲しい米国に先制攻撃へと追い込まれた。東條首相は「清水の舞台から飛び降りるような覚悟」で(大本営政府連絡会議発言)戦争を始めたが 持久作戦以外の勝つ為の計画(米本土砲撃?)は持っていなかった。海軍は「半年か1年の間は随分暴れてご覧に入れるが(それ以上は ) 全 く 確 信( な し )」( 山 本 五 十 六 ) だ った。米・中との両面戦争は誰がみても無謀で殆どの国が当初から日本の負けと観ていた。日本は米国を侮り欧州情勢も読み間違えていた。国を焦土と化し多くの命を奪った戦争がそんな事で始まった。痛恨の極みである。

 敗戦後初の記者会見で東久邇首相は「軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬ(それが)我が国再建の第一歩であり国内団結の第一歩と信じる」と述べた。皆が悪かったことになり「一億総懺悔」が流行語になった。日本は元首を含む国家指導者の戦争責任追究は占領軍に任せ事を曖昧にして国内の分裂改革を避けたのである。

 帝国海軍では駆逐艦は軍艦ではなく(艦首に菊の御紋章なし)消耗品の様に酷使され損耗率が高かった。「雪風」は殆どの主要作戦に参加し同型艦38隻中唯一終戦まで生き残った。艦長寺内中佐は敗戦後の記者会見でこう語ったという。「(悲観することはない)消耗品で甘んずるような人間がいれば…日本は大丈夫だ」と。大丈夫ではあった。(了)