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第4回 駐日女性大使インタビューシリーズ 
駐日タンザニア Ms.サロメ=タダウス=シジャオナ大使に聞く 2014-12-22

━━━第4回 駐日女性大使インタビューシリーズ 
 駐日タンザニア Ms.サロメ=タダウス=シジャオナ大使に聞く


第4回は駐日タンザニア大使です。
今回は既に離任されたコロンビア大使の後を引き継ぎ駐日女性大使グループの幹事役を引き受けているシジャオナ・タンザニア大使です。シジャオナ大使は、開発経済、地域行政改革推進の第一人者として実績を重ね、5年前に駐日大使に任命され、翌年着任しました。インタビューは世田谷区上用賀の大使公邸で行われましたが、当初1時間の予定を大幅に超え大使のゆったりとした人柄に触れることができました。インタビュー終了に際してシジャオナ大使に益々の活躍を祈念するとともに、KWAとの交流・協力関係の継続を確認いたしました。

━━━大使は略歴を拝見しますと開発経済の分野で実績を積まれていますが、それが駐日大使任命へとどう繋がっていたのでしょうか。

大使:ダルエスサラーム大学卒業後、ダルエスサラーム地方政府の経済計画局で地方の開発プロジェクトの立案を担当していました。具体的には村や集落、地域における健康や教育サービス、水道などの公共サービス、地域のインフラなどの企画立案です。更に農業開発計画の立案や、協同組合組織を地域社会に導入する計画なども立案しました。その後首相府に異動し、最初は地域行政・地方政府担当の副事務次官、1年後には事務次官として全国の地方行政に関する諸政策を首相に諮問していましたが、地方行政改革、すなわち旧来の地方行政から草の根への分権という改革が私の仕事となりました。地方行政改革には地方のあらゆるレベルでのキャパシティビルディングが必要となります。とりわけ地方行政の見直し、法改正では大変な作業が必要となり、特に議会が草の根層の決定に優先性を認めるかどうかは地方行政改革の立ち上がりを左右するものなので、議会対策には本当に多くの労力を注ぎました。その後私は国土・住宅・定住振興省の事務次官に就任し新たな任務につきました。丁度新土地法が成立した時で、順調な法律の施行のためになすべきことは山積していました。例えば新しい法律を国民に理解させるための諸策や適正な運用にかかる対策を大臣に諮問することが私の主な仕事となりました。タンザニアの土地法では国土は基本的にはすべて大統領の管理下にあり、個人の所有権は期間を限定して,例えば33年間、66年間、99年間に限定してその資格が認められています。ただし地方の村落では伝統的に村人の所有権がそのまま認められています。新土地法では土地に価値を認める概念が初めて導入された他、土地の所有権が明確化され、女性の所有権も認められました。以前は土地の所有権があまり意識されないまま例えば家族の一員が利用したり相続されていましたが、新土地法発効後は、土地に商品価値があることを知り所有権を主張したり、土地を売買して利益を得ようとする傾向が出てきているのも事実です。いろいろな問題に対する対策を大臣に諮問するもの私の仕事でした。

━━━最近のタンザニア経済情勢を見ますと順調な成長を続けていますが、独立当初の社会主義経済から方向転換した今日の経済情勢をどう評価し、これからのタンザニアの経済発展をどう予測しますか。

大使:ご存知の通り独立の父ニエレレ大統領は社会主義者でした。彼にとってタンザニアの国民はすべて平等であり、国民一人一人と共に歩むことを希望しました。政府は国民の社会的要求にこたえるための経済を目指しました。そして全ての子供に教育の道を開きました。貧しい農家に生まれた私もその恩恵を受けた一人です。父は遠い都市部にある上級学校に私を通わせるほどの資力はありませんでしたが、地方出身とか貧富のいかんにかかわらず能力があれば教育を受けられるという政策のお陰で私は試験に合格し進学することができました。旅費、授業料などほとんどすべて政府から支給され、父から貰ったのはお小遣い程度でした。この政策は大変重要で今日のタンザニアの土台を作ることになりました。もう一つのニエレレ大統領の偉大な政策は共通語スワヒリ語をタンザニアに導入したことです。独立したタンザニアには120もの異なった部族が存在していましたが大統領はまず共通語スワヒリ語を導入しすべての人に共通な発展の土台を敷きました。学校ではスワヒリ語が義務付けられすべての若者に平等な教育の機会が与えられました。私は高校や高卒後の義務的軍事研修をとおして国中の異なった部落から集まった若者と一緒に学び,訓練を経験しタンザニア人としての一体感を感じることができました。更に大統領は広大な国土に分散していた小さな村落を指定村落にまとめ村落間の連携を図りながら効率よく学校、病院、水道などの公共サービスの提供を実現するvillagelizationプログラムを実施しました。今では10,000ほどの村落でほとんどすべてのタンザニア人が公共サービスの恩恵を受けていてほとんどの人が教育を受けています。これらは今日のタンザニア発展の基礎となっているのです。タンザニアは1985年に社会主義経済から市場経済に移行し数々の政策がとられていますが、すべてニエレレ大統領が構築したこの土台の上に成り立っているものです。例えばこれまで政府が100%やって来た教育や健康管理サービスに民間が加わり担い手が増えていくわけで,他方政府の直接投資が徐々に引き揚げられ,政府は政策や対策などに集中していくわけです。

━━━タンザニアの発展の中で女性の参画も積極的に進められてきたのですね。

大使:お話してきたようにニエレレ大統領の信念の一つに‘Sense of Unity’ があります。部族を超え一つの国となり,タンザニアという一つのアイデンティティに融合し,言葉はスワヒリ語,そしてスワヒリ語による一つの文化を目指すことです。そしてもう一つは国の紋章に象徴されているようにタンザニアはアダム(男)とイブ(女)によって創られる国という信念です。タンザニアも昔は男性優位社会でしたが大統領は国の発展に女性の参画が欠かせないことを訴えました。独立当初から女性問題省を設立し,キャパシティビルディングなど諸政策を実施し,更に議会での女性枠導入は早く女性の政策決定参画を進めています。私も地方行政改革の一環として地方議会での女性枠25%法案成立に尽くしました。
タンザニア女性は伝統的に恥ずかしがりやで人前で話さないことを美徳として育てられましたので意識を変え能力開発を進めることは政府にとり大変な作業でした。そこで先ず地域行政の始まりの隣組から女性参加をスタートし,次に村議会の女性枠5%,そして地区議会15%,地域議会最低25%と段階的に女性の意思決定過程への参画を進めなければなりませんでした。今年12月地方選挙がありますが,初めて当選した女性議員の能力開発は女性問題省の仕事です。多くの場合高等教育を受けていない女性議員がいますので初めの1年は教育の連続ですがそのようにして女性議員は成長していきます。

━━━日本の女性の社会参画状況と最近の現政権の関与についてどう考えられますか。

大使:日本とタンザニアの女性の置かれている状態はだいぶ異なっていますので単純に比較することはできませんが,例えば日本では子供の世話は一人母親の責任ですが,タンザニアでは社会全体の責任と考えられています。安倍政権の女性政策ももしそれが優先課題として取り組まれるのであれば,先ず失敗はないと考えますが,むしろ多くの優先課題がある中で安倍政権がどの程度真剣に取り組まれるかということではないでしょうか。そして私が不思議に思うのは日本の女性自身の動きです。私の国ではお話しした通り政府から地域までの女性参画の制度ができています。それでもなお議会の女性勢力グループやNGOなど女性の動きは活発で,政府もおちおちしていられません。でも日本は事情が違うようです。以前大阪のイベントで開発における女性の役割というテーマの会議に招待されタンザニアのことを紹介したことがあります。その時の反応は,どんなに女性が活発に活動していても国が貧しい,だから学ぶものはないということです。確かにタンザニアは貧しい国ですが,歴史を見てください,外国による植民地時代を経て独立後何にもないところから政府は建国を始めなければならなかった,だからいろいろな問題に直面しました。でもわずか50年で女性の社会参画を実現しているのです。少なくとも貧しい農家の娘だった私に教育を受ける機会を与えてくれたのです。日本では女性の閣僚が5人ですがタンザニアには16人います。日本の女性はチャレンジしないのでしょうか,おそらく基本的には生活費は男性が稼ぎ女性が家を維持するという体制があるからなのかもしれません。
WAW 2014には初日のパネルディスカッションを聴講し,ブレア元首相夫人,安倍首相夫人などの政治家の配偶者としての経験など興味深いディスカッションでしたし,女性の地位向上や役割の変革に対する安倍総理の真剣で強い決意を感じました。その決意がどのような具体的結果をもたらすかを見極めるには時間が必要だと思います。

勿論それには私たち女性たちも積極的に働き掛けることが大事ですね。(完)




第3回 駐日女性大使インタビューシリーズ 
駐日コロンビア共和国 パトリシア・カルデナンス大使に聞く 2014-7-7

━━━第3回 駐日女性大使インタビューシリーズ 
 駐日コロンビア共和国 パトリシア・カルデナンス大使に聞く

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第3回は駐日コロンビア共和国大使です。
パトリシア・カルデナンス大使は開発経済、財政の専門家として民間シンクタンク、財務省に勤務、その後ボゴダ市議会議員に当選後、国立銀行協会理事長、豪州兼NZ大使を歴任し、2007年駐日大使として着任、4月末次の任地のブラジルに向けて離任しました。離任直前の多忙なスケジュールの中行われたインタビューでは駐日大使としての7年間、駐日女性大使グループの取りまとめ役としての話などをうかがった。

━━━大使は駐日女性大使グループのDean として女性大使間の交流をはじめ、わが国で活躍している女性との交流活動を進めていますが、このような活動は大使がはじめられたと伺いましたが。

大使:私が7年前に駐日大使として着任した時まだ女性大使は4人だけでしたが、次第にその数が増えてきました。そこで4年前約10人の女性大使と共にその後環境大臣、防衛長官を歴任した小池百合子氏を特別ゲストに招き昼食会を開催しました。それを機に女性大使グループの朝食会や昼食会を継続することを決めました。勿論それとは別に新任の女性大使との会合、例えば1月にはキャロライン・ケネディ大使との昼食会を私のところで開催しました。

最近になって安倍総理の女性を活用する政策が公表されたのを機にそれを支援したいという気持ちと、女性のネットワークを広げる活動を推進しようということで3月に国際女性デー(3月8日)を記念したレセプションを開催しました。なぜか日本では国際女性デーについてあまり盛り上がりません。少なくとも私はそんな印象を持っていましたが、ふたを開けてみると岸田外相、森少子化対策・男女共同参画担当大臣、野田自民党総務会長、松島経産副大臣ほか多くの政府関係者や国会議員が参加してくださり、私たちの活動への支援をふくめ日本政府の真剣な姿勢を知ることができ、大きな成果でした。

━━━大使のそのようなイニシャティブは我々日本女性にとっても大変ありがたい貴重な支援となります。ところで大使が日本に発令となった時のことを少し御話しください。

大使:話があった時私は大変うれしく思いました。日本が重要な経済国であり素晴らしい国であることは知っていました。私が初めて訪日したのは1987年、当時の輸出入銀行の招待で財務省のインターンとして約2カ月滞在し日本経済や日本全般について学ぶ機会を得ました。その丁度20年後に再び日本に来ることができ運命的なものを感じました。

私の主要任務は日本とコロンビアの投資協定、経済連携協定締結の交渉を進めることでしたが、幸運なことに2008年は外交関係樹立100周年にあたり文化の分野でも重要な役割がありました。100周年では両国でそれぞれ幅広い分野での人物交流、文化交流が実施されました。外相の相互訪問をはじめ閣僚クラスの往来、国会議員交流など両国関係が大変盛り上がりました。安倍総理も当時友好議員連盟の一員としてコロンビアを訪問しました。学術面でも大学間交流が進んでいます。いつか天皇皇后両陛下のご訪問が実現することを望んでいますが、年内には高円妃殿下のご訪問が予定されています。

━━━大使にとって華々しいスタートだったようですが、それから7年間駐日大使として、また女性大使として特に記憶に残った出来事についてお話しください。

大使:本当にいろいろなことがありましたが、(1)外交関係樹立100周年に携わったこと、(2)東日本大震災の貴重な経験、(3)そしてサントス大統領の訪日が私にとって忘れがたい三大出来事と言えます。
東北大震災と津波は悲惨な厳しい出来事でしたが、私たちは日本人から勇気、連帯と苦難を跳ね返す力、つまり生きる力を学びました。最も印象的な経験でした。

震災の2週間後、コロンビアからの救援物資を被災地に持っていくためにNGOピースボートの手配でヘリコプターにのって石巻に行きました。その時上空から見た被災地は筆舌に尽くせないほど悲惨なものでした。避難所には沢山の人であふれていましたが、人々はそのような状況でも秩序を守って列に並び礼儀正しく1本のペットボトルの水にも礼儀正しく礼を言っていました。コロンビアからは水、食料品などの物資を運びました。その2週間後には鳩山夫人と共に郡山市にある避難所を訪問し2000人以上の人々と会い、子どもたちにもコロンビアからのおもちゃや本などを渡しました。この時私は日本人を本当に身近に感じることができました。そしてこの後私は北海道から九州まで、40以上の都道府県を公式訪問し出来る限り多くの日本人と会いました。私にとって日本とは日本の人々のことです。

震災の約6ヶ月後、サントス大統領が訪日し、野田総理との首脳会談では両国間の重要な協力関係につき大きな成果が得られました。東日本震災などの災害被害に対する連帯の表明、投資協定の締結を祝い、経済連携協定の交渉開始を話し合うなど正に両国関係のハイライトとなりました。
男性優位社会と言われる日本への大使発令では、女性である外相も躊躇したようですが私自身は日本での経験から何ら問題があるとは考えていませんでしたし、むしろ素晴らしい経験をしました。実際、女性大使であることからどこでも目立つ存在となり敬意に満ちた待遇を受けることができその利点を享受することができたと思います。


━━━日本の女性へのメッセージ

大使:私は以前男性中心の職場といわれていた市議会や銀行に勤めていましたが、今ではこれらの職場にも多くの女性が進出しています。政府内の女性の割合も40%になり、今では14人の閣僚中5人が女性です。世界経済フォーラムの統計(2013年)によればコロンビア女性の社会進出は世界で38位になっています(日本は140位)。既に2003年には所謂クォーター制(30%)が導入されましたが現在は平均で30%をはるかに超える実績を持っています。日本でもいろいろな対策や政策が取られていることを知っていますが、大事なことは女性自身が自立に向けて行動することです。文化を変えることです。その意味でつい先日上智大学、お茶の水女子大学、聖心女子大学などの関係者から提案のあった女性の社会参画をテーマにしたセミナーや講演会などは若い学生に良いきっかけを与えるものとして重要だと思います。そして日本社会全体がこの問題について意識が変わっていくことを期待します。

━━━最後に大使の今後の計画について

大使:既に私の次のポストはブラジルと決まっています。5月1日には着任しますが、ブラジルはコロンビアにとってもすべての面で極めて重要な国で、私としても大いにやりがいのあるポストです。着任早々サッカーのワールドカップもあり楽しみです。

駐日女性大使グループの幹事はタンザニア大使に引き継がれますが、皆さん大変前向きにグループの活動にも参加してくれていますので今後もKWA(霞関会女性会員の会)との交流が盛んになることを願っています。
一方で大好きな日本を離れる寂しさもあります。私の弟は日本で長年にわたり会社を経営していますので、これからも時々来日する機会もあると思いますのでその時をまた楽しみにしています。

最後に大使のKWAへのご協力に感謝するとともに新任地での益々のご健勝を心からお祈りします。(完)




第2回 駐日女性大使インタビューシリーズ 
チェコ共和国駐日大使に聞く 2014-2-6

━━━第2回 駐日女性大使インタビューシリーズ 
     カテジーナ・フィアルコーバ チェコ共和国駐日大使に聞く

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第2回は駐日チェコ共和国大使です。
カテジーナ・フィアルコーバ駐日チェコ共和国大使は1995年外務省に入省、NATOチェコ代表部(ブラッセル)に勤務したのちNATO事務総長ロバートソン卿の個人的スタッフとなり、外務省に復帰したのち在英大使館に勤務。駐日大使として日本に赴任する直前は本省でアメリカ局長を務めました。主要分野は政務・安全保障問題で1999年3月のチェコNATO加盟交渉にもチェコ代表団の一員として貢献。またフィアルコーバ大使は在京女性大使と霞関会女性会員や女性外交官同士の交流に積極的な役割を果しています。インタビューではご自身の歩みやわが国における経験、日本人への助言などを大変率直に語ってくれました。

━━━大使にとって日本はどのような国ですか。駐日大使発令の印象は?

大使:第一に私にとって駐日大使は大変光栄なことですが、初めての大使職、アジア勤務です。大統領、首相、外務大臣がチェコにとり重要な国そしてパートナーである日本の大使職を私に任せてくださったことを光栄に感じ、同時に大きな責任を感じています。光栄、大きな責任そしていろいろな面で享受できる特権を併せたものを感じます。

さて駐日大使発令の第一印象ですが、チェコでは大使任命のプロセスには時間をかけます。私の場合は在英大使館での次席勤務(2003-2007)から帰国後わずか6カ月の頃、当時の上司に私の将来について聞かれ駐日大使を希望したのを覚えています。その時私はアメリカ局長として、また間近に迫ったEU議長国の準備もあり頭は仕事のことで一杯でした。結局正式な発令まで3年かかりましたが、その間十分な準備ができました。長い準備期間は本人だけでなく家族にとっても重要で少なくとも1年は必要だと思います。

━━━駐日大使の使命、その優先分野について差し支えない範囲で教えてください。

大使:外交の仕事は展開というタイプのものであり、革命ではありません。前任の大使の足跡をできる限り継続しながら自分の関心分野や過去の実績を踏まえてアクセントをつけていくことではないかと思います。チェコと日本の関係は伝統的に大変良好で、それは経済(ビジネス、貿易、投資)と文化(特にクラシック音楽)の二本の柱に支えられています。これらをさらに発展させることは勿論ですが、政治・安全保障分野での協力にもう少し力を入れたいと思っています。実際に私は10年~12年にわたり安全保障政策やNATOに携わってきましたので、日本の安全保障政策に関心がありますので、定例の事務レベル協議でも議題に国防事項を導入しました。来日したチェコ外務省幹部を外務省だけでなく防衛省にも案内し、シンクタンク関係者との昼食会などの場を設けました。最近では米国、カナダ、欧州諸国と日本が参加して宇宙における安全保障に関する会合が開催されましたが、同様の会合は2年前プラハで開催されました。つい先週東京でも会合があり、来年か再来年には米国で同様な会合が予定されています。

プラハにはチェコ宇宙産業連合Czech Space Alliance (CSA) 本部があり、European Space Agency (ESA)の積極的メンバーでもあります。そして日本との宇宙協力の推進に努めています。これは長距離レースですぐに成果の見えるものではありませんが確実に進展に向かっています。原発分野での協力もあります。わが国は全エネルギーの30%が原子力エネルギーの原発支持国です。福島原発事故の後でも国民の70%が原発を支持。現在新規の原子炉2基の競争入札を実施中で、ロシアと日米の2企業がショート・リストに残っています。福島原発事故後この原発建設計画では新たな局面が検討されることになり興味深い実り多い協力が見られました。

━━━東北大震災の時大使館は避難されたのですか。

大使:福島原発事故発生直後、チェコ原子力安全局のお陰でパニックに陥らず東京に留まっていました。原子力安全局のトップはDana Drabovaという卓越した女性で、直接私に電話をかけてきて心配しないようにと言ってくれました。実際原子力安全局から送られてくる独自の報告と分析のお陰で私たちは現実にどう対応すべきかを判断することができました。同女史は原子物理学者でチェルノブイリ事故を知り欧州原子力安全規制グループの副会長としても高い評価を得ていますので日本への有効な助言者となりえる人物でした。実は私としては、同女史をa)その豊富な経験、b)日本とチェコとの協力促進に貢献できる人材、c)重責を担いかつ知名度の高い女性のロールモデル、として密かに日本に招待したかったのですが、同女史の家族の不幸もあり実現しませんでした。両国の協力関係はそのほかにも開発援助の面でチェコ・日本プロジェクト、グルジアにおける開発協力があります。バルカン地域を巡る地域協力においても更なる協力の可能性があると思います。

━━━ところで大使は日本の地域協力をどのように見ておられますか。

大使:欧州は歴史を上手に管理している点が違います。それは痛みを伴う長いプロセスですが欧州は第二次世界大戦の結果に対処し、欧州連合の基礎を築きました。多くの人々は不満や非難ばかり言っていますが、欧州連合が紛争の平和的解決にとって、そして地域紛争の予防協力としていかに重要であるかを忘れています。率直に言ってそのような解決策が日本を含む地域に必要だと思います。無知かもしれませんが私にはこの地域に真の地域協力が育っているとは思えません。先ず真摯に歴史に向き合い過去の傷をきれいにしない限り本当の地域協力へと進めないでしょう。

欧州ではそれはトップダウンで始まりました。将来へのビジョンを抱いた指導者や政治家が欧州共同体というプロジェクトを始めたのです。それが石炭鉄鋼共同市場の建設でその後ゆっくりと欧州連合に発展していったわけです。始まりは1950年代で未だ多くの人々が苦しんでいましたが、次の世代の先を見通す政治家がいました。1970年代、80年代のレーガン大統領、ゴルバチョフ大統領やサッチャー首相のような政治家です。アジアでもそのようなビジョンを持った政治家が必要なのかもしれません。あるいは市民の力が政治家や政府を動かすのかもしれません。

━━━日本では強いリーダーシップが育ちにくいと言われますが。

大使:日本はコンセンサス社会であるといわれていますが、コンセンサス重視、リーダーシップ欠如は無責任な状況を生むことも忘れてはなりません。私は福島原発事故がその例だと思います。ですから強いリーダーシップと責任感が必要です。今日、日本にリーダーシップの動きがあるのはよいことだと思います。安倍首相はこれまでのところリーダーシップと党内対策、そして国民からの期待を大変バランスよく調整しています。これとは別に、私がいつも不思議に感じることですが、どこへ行っても、代表して出てくるのは中年男性ばかり。私はこの人たちが社会全体を代表しているリーダーだとは思いません。この国の伝統や、年齢や経験が重要であるということを否定するものではありませんが、今こそ優秀な人材を年齢や性別に関係なく良いポストに就けるべきです。例えば大使への起用も私のように45歳の人にもなされるべきです。

━━━社会の変革はどこから?

大使:常々思うに社会変革は家庭が出発点です。私は二人姉妹でしたが両親から行儀作法は教えられましたが常に何にでも挑戦するよう勇気づけられ期待されました。最近は日本でもチェコでも女性が主張を持ち行動的になってきたことは素晴らしいと思いますがある時点で抑え込まれています。結婚や妊娠は病気ではありません。女性から何かする資格を奪うものではありません。保育施設への送り迎えは両親が分担できるものです。母親は息子に、もっと女性に場所を譲るよう教育すべきです。チェコでは第二次大戦中男性は戦場に出て女性が国を守るために工場や事務所で働いていました。戦後男性が戻り職場に復帰しても女性はそのまま仕事を続け、第二の収入を家計にもたらしています。いまや若い男性の多くは料理もでき男女平等が定着しています。チェコでは有給産児休暇は4年です。女性の働く権利は法的に守られていて職場復帰後も同じ仕事ないしは同等の責任ある仕事に戻ることができます。

━━━海外に飛び出す有能な日本女性について

大使:私はアメリカの大学で日本人の親友に出会いました。一緒に学び彼女は今テキサスの大学で日本語教授となっています。多くの有能な日本人女性が最終的には海外に留まってしまうことを聞いています。それは日本にとって大きな損失です。日本の女性たちももっと権利を主張して立ち上がるべきです。私自身、自立を学び取りました。幸運にも私が20歳代の時革命がおこりました。自立することを学び、私は優秀である、私は何かを試み、責任をとり失敗しても立ちあがって前進する意志があると言えることが大事です。人生に危険はつきもので、すべてを完全に予測すること不可能です。危険を恐れず立ち上がることです。

━━━日本で最も印象に残ること

大使:日本ではものごとが大変秩序よく組織されていてこれが自分の性格にもあっていて好感が持てます。徹底した時間厳守も好きです。また日本は安全です。初めて日本に来た時カフェでお茶を飲んでいると一人の婦人がハンドバックと買い物袋を椅子に置いてそのままトイレに行き、そのあと注文に行ってしまいましたが何も起こらなかったのを見て驚きました。私がバスのカードを落とした時も誰かが拾って届けてくれました。尊敬に値します。

━━━男性優位社会といわれる日本で女性大使として感じたことは何ですか。

大使:日本が男性優位社会であるということは事実だと思います。ただ女性大使として良いこともあり悪いこともあります。例えば大使が女性でしかも若い女性であるとは通常予想されにくいので、皆さん私を見て驚き大使だと信じません。時には複数の大使が参加するイベントでは同僚のブルガリア大使と一緒に歩いて行くとまず間違いなく私のことを伴侶とみなします。でも私が大使であると分かった瞬間から礼を以て丁重にその階層の人間にふさわしいもてなしを受けます。確かに男性優位社会では常に自分のことを明らかにしなければなりませんが、逆に常に目立ち、名前で覚えてもらえます。いつも若い女性に派手な色のジャケットを着なさいと言っています。英国女王やメルケル首相、クリントン国務長官は公式な服装でもいつもカラフルなものを着ています。それは文句なく関心を引き付ける方法のひとつだからです。国際政治の場でも有利になるものです。

もう一つの利点は男性大使には行けないところにも行けるということです。私は時々その利点を意識的に活用します。大使と大使夫人の二役で行事に参加することができます。日本各地の友好協会での講演では通常多くの女性が参加します。彼女らにとって私はより近寄りやすく実際に私のところに沢山の女性が来て親しく言葉を交わしていきます。そのようにして私は男性の政治家との話で得る以上のものを得て日本のことを学んでいます。先日チェコ使節団と上田市を訪問し、市長、大学関係者や商工会のメンバーと会合を持ちました。たまたま会合では女性は私一人でしたが市長からも誰からも全く男性と同等の扱いを受けただけでなく、その時皆さんと一緒にとった写真は現地紙に掲載され大いに宣伝に役立ちました。

驚いたことに会合の後密かに私のために地元交響楽団の女性コンサートマスターと彼女の息子さんによる小コンサートが開かれました。彼女は極度に緊張していましたので私は握手して自己紹介しました。素晴らしい演奏でしたが、もし私の前任者のように眼鏡をかけた背の高い男性であったならその女性は話すらできなかったと思います。また私は行事の成功のため実際に苦労した人々に出来るだけ会うようにしていますがそれが素晴らしい雰囲気を作り出すのです。これこそ女性であればこそ思いつく点です。大学で学生に話をする際、聴衆の中の女子学生に話しかけることも極めて重要です。今度の駐日アメリカ大使が女性であることを喜んでいます。彼女は私よりずっと力強く、より大きな注目を得ることができ、人々に勇気を与えることができるからです。その経歴に照らせば今の日本が必要としている大使ではないかと思います。

━━━日本人へのメッセージ

大使:おこがましいことですが一言で言うとすればそれは心を開くということでしょう。日本は美しい国です。チェコは中欧で国という海に囲まれているのに対し日本は海に囲まれています。それは日本及び日本人の決定的特徴の一つで、容易に自国に閉じこもることができます。世界は必ずしもいつも最高でもおとぎの国でもありませんが、交流や友好のチャネルを開いておく価値はあります。活発で一生懸命な日本は日本にとってのみならず世界にとっても必要なのです。
実は私にとって日本はパラドックスです。言葉の問題でなく、先ず外観から判断して私を普通に受け入れてくれません。勿論私には日本人の親友がいますが彼女とはテキサスからの友人です。他方で日本人の中に意外なことに関心を持ちそれを探求し熟知する人がいます。例えばウルグアイ大使がタンゴの宵を企画した時、日本人ダンスグループがウルグアイ・タンゴを披露しているのです。私が九州に行った時も普通の人々が私の国について大変多くのことを知っていることに驚きました。日本人は内向きと開放的な両極端を併せ持っているのです。

━━━チェコ人の日本観

大使:チェコでは日本は好意的に受け止められ友好国と認識されています。日本はハイテクの国であり、テクノロジー、日本車、そして電化製品という概念と共に知られています。日本の伝統や歴史的な面、例えば和服、茶道や日本武道についても知られています。より洗練された人々にとっては作家村上の小説が評判です。勿論和食のすしは大変人気があります。日本に対する好意的評価の理由としては、両国の間に歴史的遺恨がないこと、両国民とも働き好きである点が挙げられます。また多くのチェコ人が何らかの形で日本にかかわる機会が増えています。日本からの投資が増えていることが一つ、日本人観光客も増え日本人が大変感じがよく丁寧で礼儀正しいことを知る機会も増えました。これらすべてがチェコ人の日本人への好印象の素になっているのです。(完)
(2014年2月4日寄稿)

第1回 駐日女性大使インタビューシリーズ 
 駐日ジャマイカ大使に聞く 2013-9-12

━━━クローディア・セシール・バーンズ大使に聞く
                  駐日ジャマイカ大使

駐日ジャマイカ大使.jpg霞関会女性会員の会(KWA) では、女性会員間の交流促進を進めていますが、その活動の一環として昨年から駐日女性大使との交流をはじめました。現在13カ国から女性大使がわが国に派遣されていますが、駐日女性大使側はカテリーナ・フィアルコーバ駐日チェコ共和国大使が中心となって一緒に交流活動にアイディアを出し合っております。その活動状況は折々に霞関会ホームページおよび会報に掲載していますが、このたび駐日女性大使側の賛同も得てインタビューを開始することにいたしました。

第1回のインタビューは4年6ヶ月に及ぶ任務を終え8月初旬に離任された、駐日ジャマイカ大使に7月25日虎ノ門のジャマイカ大使館でインタビューを行いました。この紙面を借りてここにバーンズ大使に深謝するとともにますますのご活躍を祈念するものです。

━━━大使にとって日本はどのような国ですか

大使:駐日大使発令が決まったときは驚きました。というのもそれまでの外務・外国貿易省での仕事は欧州が中心で、ベルギーに2回、約10年勤務していました。一度だけ大変短期間当時の外務・外国貿易省アフリカ・アジア・大洋州局に勤務したことがありました。けれども2009年2月来日し、3月に信任状奉呈を済ませるや否や、駐日ジャマイカ大使に任命されたことを幸運で最も光栄なことと感じました。ジャマイカと日本は永年にわたって友好と協力の強いパートナーシップを築いてきましたが、日本は私にとり初めての大使職として忘れがたいところです。来日後しばしばジャマイカ系のアメリカ人歌手・ソングライターで日本でも公演したハリー・ベラフォンテのことを聞かれました。ハリー・ベラフォンテはボブ・マーリー同様日本でのジャマイカの知名度を高めてきました。

日本人の間で自分の祖国がこれほど知られ慕われていることを知ることは最高にうれしい驚きでした。ジャマイカは日本との強いつながりを享受し、誇らしいことに2014年3月には日本との外交関係樹立50周年を祝います。日本との関係は貿易・経済・技術協力そして市民交流に支えられています。良い例として毎年JETプログラムでジャマイカの青年達が来日します。この7月、日本全国の学校に外国語指導助手として派遣される19名の新たなJETプログラム参加者を大使館で歓迎しました。興味深いことに以前学校給食でジャマイカ料理を紹介したいというある学校からの提案をいただいたこともあり、これも日本におけるジャマイカとの関係の好例と言えます。

毎年開催されるOne Love Jamaica Festivalは大盛況でジャマイカと日本の文化の架け橋となっています。例年フェスティバルは5月代々木公園で開催されますが、今年は第9回を迎え週末の2日間で48,000人以上が集まりました。多くの日本の若いダンサーが同時に開催されたワールド・レゲエ・ダンスチャンピオンシップのセミファイナルに挑戦し、8月の独立記念祝賀期間中にジャマイカで開催されるファイナルへの出場を目指しました。
また日本には生活の多方面ですぐに真似できるものがありました。規律正しい日本社会は私たちが模範とすべきものです。私個人としても2年前の東日本震災の際に得た教訓でより強い人間になったと思います。

━━━男性優位社会といわれる日本でどのような経験をされましたか

大使:赴任前、日本に赴任する私が女性であることについて非公式に懸念を表明する人がいたことを思い出しますが、私自身女性であることを意識して仕事をしたことはありませんでしたから大して心配していませんでした。
実際にジャマイカでは公共サービス部門で教師や看護師は女性が大勢です。
また外務・外国貿易省でも70-80%以上が女性です。首相も女性です。ジャマイカでは女性は子供の頃から自立するよう育てられます。そのために女性には教育を受け資格を取ることに多くの関心が注がれています。このことはジャマイカにある西インド諸島大学モナ・キャンパスに男子学生を遙かにしのぐ女子学生がいることからも明らかです。

━━━私たち日本人になにかメッセージがありますか

大使:日本人は他の国や文化に対して強い関心を持ち続けています。そして率先して多くのジャマイカを含む国々との間に強いパートナーシップを築いてきています。このことは賞賛に値することで、これからも続けるべきことと考えます。
ジャマイカ人としては私たちのジャマイカ・ブルーマウンテン・コーヒーが抜群に優れた質と味を持つコーヒー・ブランドとして世界から認められ名声を得ていることは大変な誇りです。ジャマイカはこのブランドを支援する日本からの変わらぬ関心と投資に深く感謝しています。ここで私の任期中大使館を大変よく支援してくださったジャマイカコーヒー輸入協議会(AJIJC)のことを特に申し上げます。

━━━在任中、特に印象に残ったことはなんですか

大使:日本での生活のいろいろな局面、そして多くの場所が印象に残っています。広島を初めて公式訪問し平和記念式典に参加した際深い感動を覚えました。平和記念式典は世界に平和の必要性を改めて強調するものでした。また広島平和記念資料館を訪問したことは長く記憶に残りました。ホテルから見た風景は生まれ故郷のモンテゴベイの山々や美しい海の景色を想わせました。興味深いことに原爆が投下された8月6日はジャマイカの独立記念日で、その意味でいつまでも忘れられないでしょう。
日本やその文化には大変多くの興味深いことがありますので、帰国したらこれらの体験を踏まえ日本について本を書くことが私の夢です。

━━━それは大変ありがたいことです。ジャマイカでは日本について
     一般の人々はどの程度のことを知っているのでしょうか。

大使:ジャマイカでは多くの人が日本のことを知っています。日本文化には強い関心を持っています。若者たちは日本人がジャマイカの音楽レゲエを愛していることを通して日本を身近に感じています。日本には大変活発にジャマイカの音楽家とコラボを組んでいる一流のレゲエ音楽家がいます。またジャマイカに渡航する日本人観光客もいます。このような交流が日本に対する大きな関心を引き出しています。2年前の震災を契機に日本についての関心は一層高まっています。JETプログラムで来日した多くのジャマイカ人外国語指導助手もジャマイカに戻って日本に関する知識を広めています。JETプログラムの他、多くのジャマイカ人が英語教師やレゲエ、ジャズシンガーとなって日本で活躍しています。日本にはすくなくとも二軒のジャマイカ人によるレストランがあります。

━━━大使は在京中南米カリブ諸国大使グループ
     (GRULAC:Ambassadors of The Group of The Latin American
      and Caribbean Countries) のメンバーとしても活躍されていましたね

大使: はい、ジャマイカはそのメンバーです。私は光栄なことに今年1月から7月までGRULACの代表を務めました。また常陸宮妃殿下を名誉総裁に戴く日本・ラテンアメリカ・カリブ婦人協会(The Japan-Latin American and Caribbean Ladies’ Association )のメンバーでもありました。この協会のメンバーは大変活溌で日本や中南米・カリブ諸国の女性と子供の生活に前向きなインパクトを継続して与える重要な慈善事業を行っています。毎年開催されるチャリティバザーはこの協会の主たる資金収集活動の一つとなっています。私はこの協会の会員になってネットワークを広げるという大きな機会を得ることができました、大使館もジャマイカにおける社会奉仕プログラム、特に幼少期教育の分野での関与を促進することができました。

“帰国後はジャマイカ外務・外国貿易省で政策企画の責任者になるとのことですがますますのご活躍を祈ります。
本日は本当にありがとうございました。“

(追記)ジャマイカは神戸に名誉領事館を持ち、ジャマイカ名誉領事は
     上島達司CD注氏。

注CD: The Order Distinction in the Rank of Commander

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