霞関会特別企画
2011.11.25
2011年11月2日 弁護士ドットコム
インタビュー記事より転載

霞関会編集部から
今回特別企画として福田 博氏(元外務審議官、元最高裁判事)が弁護士ドットコムに掲載されましたインタビューを許可を得て転載させていただきました。 福田氏は3月31日に本、HPの論壇に投票価値の平等について寄稿されましたが、このインタビューでは、民主主義の位置づけ、欧米での投票価値の取り扱いなどにも触れ、若い読者にもわかりやすい内容となっております。
※このインタビューは弁護士ドットコムの特別インタービュー企画のひとつです
日本の民主主義が二流といわれた理由インタビュー1
2012-02-16
投票価値の平等の実現で日本の閉塞感を打破
『日本の民主主義が二流といわれた理由』
──福田先生が投票価値の平等に関心を持つようになられたのは、まだ外務省で勤務されていたときのこととお聞きしています。
福田いまから30年近く前の1980年代の初め、2回目の在米大使館勤務の際、ワシントンの連邦議会のある上院議員のオフィスに行ったときのことです。受付のところに「世界各国の民主化度」というタイトルのパンフレットが置いてあり、それを手にとって開くと米国が一番いい民主主義の国とありました。自国のことなのですから、当然でしょう。
驚いたのは、「日本の民主主義体制は2流だ」と評価されていたことです。日本は東アジアにおける唯一の民主主義国家であると自負し、外交官として誇りを持っていただけに、私は憤慨しました。その後、知人である米国の政治家や官僚に尋ねてみても、彼らは「日本の民主主義体制は2流だ」と口を揃えていいます。その理由を問うと、色々いうのですが、ほぼ共通していたのは、「日本の政治体制は実質的に一党独裁じゃないか」という発言でした。
当時の政権与党だった自由民主党は立派な政党であり、だから国民も一票を投じて長期政権が続いているのだと私は思っていました。しかし、その一方では彼らがそう断じた理由を、頭の片隅で考え続けていました。そして、1995年9月に最高裁判所の判事になって投票価値の問題と相対したとき、日本では投票価値が平等ではなくなっていて、最高裁判所もそれをそのまま容認し続けており、これでは真の民主主義国家とはいえないと思ったのです。
──なぜ投票価値が平等でないと、民主主義が成り立たないのですか。
福田代表民主制は、投票価値が平等な選挙によって多数決で選ばれた代表者たちによる国政のシステムです。フランス貴族で弁護士のトクヴィルは、米国を訪問した印象を1835年と1840年に『アメリカのデモクラシー』という2冊の著作にして出版し、その中で同国の民主主義を賞賛しました。この本は今でも、米国の民主主義について書かれた一番の名著という評判を得ています。しかし、当時は米国はまだ奴隷制をとっていました。また、女性の参政権も認められていませんでした。それにもかかわらず、彼が賛辞を惜しまなかったのは、平等の立場で物事を議論し、多数決で決めていたからです。
もし、有権者の投票価値が平等でなかったら、何が多数かわからなくなります。民主主義体制では投票価値の平等は全てのことに先立つ前提であり、それがあってこそ多数決が可能になります。国政にあって一部の有権者の投票価値を薄めるようなことをすれば、それは民主主義ではないのです。それで私は2005年8月に退官するまで、投票価値の平等はきわめて重要であるという意見を出し続けました。しかし、残念ながら当時は一顧だにされませんでした。
西村あさひ法律事務所顧問弁護士。東京海上ホールディングス監査役。1960年外務省入省。1990年9月より特命全権大使としてマレーシア駐在。1993年8月外務審議官。1995年9月~2005年8月最高裁判所判事。2007年5月旭日大綬章を受章。
主な著書に『世襲政治家がなぜ生まれるのか? - 元最高裁判事は考える-』
(日経BP社 2009年3月23日発行)等。 西村あさひ法律事務所
匙加減できめられている一票の格差 インタビュー2
2012-02-16
『匙加減できめられている一票の格差』
──福田先生のお話のなかには、私たちが普段よく使う「一票の格差」という言葉が出てきません。何か理由があるのでしょうか。
福田そもそも投票価値が平等でなければ、多数決制度のもつ良い点は殆どなくなります。
私は、他の国の選挙制度で、「統計上の誤差の範囲」といった言葉を聞くことはありますが、「一票の格差」という表現を聞いたことはありません。「投票の価値の平等」ではなく、「一票の格差」という言葉を口にしていると、ある程度の格差つまり投票価値の不平等の存在は当然といった意識が頭のなかで醸成されてしまいます。「2倍以上なら違憲、2倍未満なら合憲」という意見がありますが、人間を半分に切ることなどできません。それに「何倍なら合憲」などというのは、ラーメン屋の店主が塩加減をみて「これはラーメンのつゆ用」「こっちのは漬物の汁用」といっているのと同じではないでしょうか。理論的な根拠は何も無いのです。裁判官が匙加減で投票価値を歪めるようなことをしてはいけません。
──2009年8月の衆院選挙について「憲法に反している状態」とした3月23日の最高裁判所の判決を評価する声が高いのですが、手放しでは喜べない気がしてきました。
福田今回の判決の最大の問題点は、判決の主文を言い渡した後、最高裁判所の長官が読み上げた投票価値の平等に関する判決理由の骨子によく表れています。
「本件選挙当時において、いわゆる区画審設置法3条2項の1人別枠方式にかかわる部分は、憲法の投票価値の平等の要求に反する状態に至っており、この基準に従って改定された公職選挙法13条1項、別表第1の選挙区割りも、憲法の投票価値の平等に要求に反する状態に至っていた。
しかし、いずれも憲法上要求される合理的期間内における是正がされなかったとはいえないから、これらの規定が憲法14条1項などに違反するものということはできない」という部分がそれです。
第1段落では確かに憲法に反しているとはっきりと述べています。しかし、第2段落になると有権者の法の下の平等が害されているとまではいえないとしています。明らかに理論的に2つの違うことを述べています。憲法14条1項が、選挙制度にあって一番大きな意味を持つのは、有権者の範囲をどこまで認めるかという問題に関連するときです。憲法14条1項は、有権者の範囲を定めるとき、人種差別や男女差別などをしてはいけないということを決めているのです。有権者である以上、女性が男性と同等の選挙権を持つことは当然の前提です。男性の選挙権の価値が女性の選挙権の価値の2倍でも良いなどということは憲法14条1項からは出てこない。それ以前の問題です。同じことは住所がどこにあるかについても云えます。しかし、今回の判決の書き方を見ると、代表民主制は、投票価値の平等に基づく多数決による選挙制度であるという基本認識がはっきりしていません。言い換えると、今回の判決は、一人一票という「投票価値の平等」を求める内容にはなっていない。過去の諸判決を正当であったと主張しつつ、一人別枠制は違憲状態となったといっているだけです。つまり、代表民主制では、投票価値の平等が要(かなめ)であるという点には深入りしておらず、その意味で、今回の判決はきわめて限定的な意味しか持たないと思います。「2倍未満の格差なら合憲である」という従来の相対的平等論が今後も続いてしまうのではないかと危惧しています。
定数はあってなしの独の超過議員制度
──海外の事情に詳しい福田先生にぜひお伺いしたいのですが、各国ではどのように投票価値の平等を実現させているのでしょうか。
福田米国では投票価値の平等について、連邦最高裁判所の厳しい判決が数多く出ています。そして、現実問題として平均から4%の乖離があると、是正が行われているようです。平均を100とすると、その4%は4です。つまり、最大が「100+4=104」で、最小は「100-4=96」になります。わかりやすく「1票の格差」に計算し直すと「104÷96=1.08倍」です。日本の格差論で論じられている数字とは大きく違います。限りなく絶対的な平等に近づけように努力しているのです。
──しかし、選挙区割りの見直しを行う際、現職の有力議員が自分たちに有利なように線引きしないか懸念されます。
福田確にその通りです。選挙区割りは国勢調査を10年に1回行い、その結果を反映させています。昨年4月の国勢調査の結果を受けて今年1月から新しい区割りになっているのですが、有力議員に有利な区割りを行うことまでは防げていません。
実際にどうやるのかというと、ゲリマンダリングという方法で、投票価値の平等を守りながら、自分たちの支持者の多いところをつなぎ合わせます。ただし、飛び地は許されていないので、歪な形の選挙区が出来上がります。昨年までのイリノイ州第17選挙区は、その形から「スケートボードに乗るウサギ」と名づけられたほどです。しかし、米国の司法といえどもゲリマンダリングまでは手が届きません。
──欧州ではどうでなっていますか。
福田 たとえば独連邦議会選挙では、比例制を中心として、それに小選挙区制度が加味された制度になっています。そしてごく単純化して言うと、小選挙区の有権者の数のバラツキが大きくなり過ぎると、定数を超えて当選者が出る「超過議員制度」という仕組みがあります。その結果、議会の総定員数を超えても普通の議員として扱われる当選者が出て、この人たちは、議会での投票権もあれば、歳費をもらうこともできます。ちなみに、この制度についてドイツの憲法裁判所は合憲であるという判決を出しています。
そうした議員が増えると、当然世論の反発が強くなります。そこで議員は一生懸命に区割りを整理し直します。最近のことは良く知りませんが、この頃は、超過議員制度で当選する人はほとんど出なくなっているようです。それだけ区割りがきちんと修正されているということなのだと思います。
極端な意見かもしれませんが、日本でも超過議員制度のようなものを採用するのも一案でしょう。たとえば、最小の得票で当選者として扱われる候補よりも多い得票を他の選挙区で獲得した候補を、原則として皆当選者としてしまうのです。議員の数はうんと増えますが、投票価値の平等はすぐに相当程度まで実現します。「議員歳費が膨らむ」という批判の声があがりそうですが、あらかじめ歳費や庁費の総額を本来の総定員数に合わせて決めておき、実際に当選した議員の数で頭割りをして支給すればいいのです。議席は補助椅子を使えば済みます。名札は皆胸に付ければよい。そうすれば、投票価値の不平等是正に極めて不熱心な国会も今度は一生懸命に区割りの見直しをするかも知れません。
高裁判決で最高裁判事の意識が変化 インタビュー3
2012-02-16
『高裁判決で最高裁判事の意識が変化』
──最高裁判所のなかでは、どのようにして判決を書かれているのでしょうか。
福田判事はお互いの意見を尊重し、相手を縛ろうということを一切しません。そして、判事全員が集まった審議の場で自分の意見を表明し、多数意見に組みしないとなった段階から、判決理由を書くことに参加しなくなります。横で黙って聞いているだけで、別に少数意見を書きます。
また、全ての判事に共通していえるのは、先例はできるだけ重んじなければならないという信念を持っていることです。そうでないと、法の安定的な運用ができなくなるからです。しかし、投票価値の平等に関しては、最初の頃基本の部分を間違え、「国会の裁量の問題」という理屈を付けて投票価値の平等が失われていくのを長年に亘って放置し続けました。それが今日の状態を招いてしまっているのです。私は、このことは、我が国の民主主義制度の脆弱性を見事に表していると思っています。
──一人一票実現国民会議の活動については、どのように評価されていらっしゃいますか。
福田多大のエネルギーと私財を投じてこの運動をしている人たちに深い敬意を抱いています。大きくいって、2つの功績があると思います。1つ目は、投票価値の不平等という問題の存在を大規模な広報活動などを通じて国民の間に広く知らしめたことです。そして2つ目が、これまでのように東京だけではなくて、全国の高等裁判所に提訴したことです。全国の高等裁判所には良心的な判事が数多くいて、投票価値の平等の問題についても真正面から考えている。それで東京高裁などで合憲判決もあったものの、各地の高等裁判所で違憲状態判決が相次ぎ、なかには違憲と言い切った判決も出てきたのだと考えています。
実は、このことの持つ意味はとても大きいのです。先に最高裁判所の判事は共通して先例を重んじるといいましたが、下級審の高裁でこのように異なった判決が多く出てくると、それらを読んで「自分たちも納得のいく判決を書かなくてはならない」という意識が最高裁判所の中に芽生えてくる筈だからです。今後の話ですが、もし区割りなどの是正がされないまま衆議院解散、総選挙となれば、その投票価値の平等を問い直す裁判で最高裁判所が「選挙無効」の判決が下されることは十分に考えられると思います。
──投票価値の平等を認めない最高裁判所の判事に国民審査で不信任を投じようという活動にも一人一票実現会議は取り組んでいます。
福田国民審査の結果に対する、それぞれの判事の方々の思いは私にはわかりません。ただし、私自身はどの県で不信任が多く、何が理由で不信任が投じられたのかを知りたくて、各県の選挙管理委員会が取りまとめた数字を取り寄せて比較したことがあります。最高裁判所の長官は内閣の指名に基づいて天皇が任命し、14人の判事は内閣が任命して天皇が認証します。つまり、行政によって選ばれているわけです。国会は関与しません。国会が関与した「同意人事制度」がうまく機能していないことは近年の実例を見ても明らかです。その一方で、三権の一つとして重要な役割を果たすべき司法がきちんと機能するためにも、最高裁判事の国民審査制度は有用であり、充実していくことが望ましいと思います。
これまでの投票価値の平等に対する最高裁判所の判決を見ていると、違憲立法審査権を自ら放棄してしまったのと同然で、三権分立の利点がうまく生かされていません。もう、亡くなられた矢口洪一最高裁長官が、退官後、最高裁判所が違憲審査権を与えられていることについて質問された際、「2流官庁がいきなりそんな権限をもらってもできやしないです」と述べられたという記録も残っています。
選挙によって議員を選ぶ代表民主制は、「投票価値の平等」という中立的な座標軸を基礎に、多数決という選別方法により、一方で有能ではない政治家を淘汰し、他方で有権者が頼りに出来る能力のある政治家を選び出し育てていくシステムです。座標軸が歪んでしまうと、この淘汰ないし育成の仕組みがうまく機能しません。しかし現実には、座標軸は長年に亘り歪み続けました。その結果、世襲議員数の増大、評論家的言動に終始し結果責任を執ろうとしない議員の出現など、日本の代表民主制は著しく非効率になり、世界における地位も見る影もないほど低下しました。国民の多くが閉塞感や絶望感に襲われているのもこれが大きな一因のように思えてならないのです。「2流の民主主義国」、「2流官庁」と自嘲しているだけでは、済まされません。
かつて英国の首相であったチャーチルが「民主主義は最悪の政治体制ということができる。ただし、これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治体制よりはまだましである」といったように、民主主義は世界の長い歴史のなかで色々試され、いま現在まで発展してきたもので、世界中の国々の6割はこの体制にあるといわれています。有権者の投ずる投票価値の平等の下、多数決で選ばれた代表者たちによる国政であるならば、中長期的にみて国を正しい方向へ導いていくという信念がこの制度の根底にあるのではないでしょうか。投票価値の平等を実現することは、現状を打破していくためにも急務の課題なのです。
文/伊藤博之氏 写真/南雲一男氏

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