『ウクライナのG7』
2017-02-07

『ウクライナのG7』


松井 啓


駐ウクライナ大使 角 茂樹

ウクライナは欧州においてロシアに次ぐ面積を有する人口約4,500万人の国である。ウクライナは長い歴史において,絶えず周辺国からの介入を受け,国際政治の中で翻弄され続けた国ではあるが,1991年の独立以来25年経って,ようやくウクライナ国家としての自覚が生まれ,現在,その将来を欧州との統合に見出している国である。ウクライナに関しては,1922年以降,ソ連邦を構成する1つの共和国であったので,ロシアの影響が強いと見られているが,必ずしもそれは当たっていない。そもそもウクライナは,16世紀にモスクワ公国が勃興するまでは,むしろポーランド及びスウェーデンといった国々の影響が遙かに強かったし,モスクワ公国が勃興した後も,ウクライナ西部は西側の影響下にあった。キエフは全ての東スラブの母なる首都と言われるように,ウクライナは東スラブにおいて最も早くキリスト教を受け入れ,西欧化を目指した国でもある。まずこのようなウクライナと西欧との繋がりに関する理解がなければ,現在のウクライナ情勢の理解は難しい。

今を遡る988年,当時キエフを中心に大きな勢力を誇っていたキエフ・ルーシ大公国のウラジミール大公が,東ローマ帝国との関係を求め正教会に改宗したことが,東スラブのキリスト教化の始まりであった。その後,タタールの進入を経て,16世紀には東スラブの正教会の中心はモスクワに移っていくが,それ以降もキエフは正教会における主要な地位を保ち続けていた。現在もウクライナは東スラブにおける5大修道院の3つを有しており,中でもキエフにあるペチェルスク大修道院はその筆頭に挙げられる。歴代のロシア皇帝は必ずこの修道院への巡礼を怠らなかったし,その壮大な伽藍は現在でも5大修道院筆頭の地位に恥じない威容を誇っている。また,キエフは,キリストの一番弟子とされる聖ペトロの弟であった聖アンドレアが布教した地域とされ,当地正教会の歴史は使徒の時代に遡って語られている。ウクライナは,欧州の穀倉地帯(ブレッド・バスケット・オブ・ヨーロッパ)として豊かな土地に恵まれている。現在,ロシア料理と思われているボルシチをはじめとする料理は,ウクライナにおいてポーランド料理を基礎にして始まり,19世紀にロシアに伝わったものである。

このように宗教的にも文化的にもウクライナは東スラブにおいては西欧とのつながりが強かった地域である。2013年秋からはじまったマイダン革命(尊厳の革命)は,こうしたウクライナの西側志向を体現するものであったし,ウクライナの将来を考える人たちにとって,EU及び日本を含むG7といった経済先進国との繋がりを深めることは,経済的にも大きな恵みをもたらすものと考えられてきた。これは,前述の10世紀にウラジミール大公が当時最も繁栄していた東ローマ帝国との関係を強化したという歴史にも連なるものである。

2014年のマイダン革命において,汚職にまみれたヤヌコーヴィチ政権が崩壊し,その後,選挙を経てポロシェンコ大統領が誕生したが,その間,ロシアによるクリミアの不法占拠及びドンバス地域に対する軍事介入という事態が起こったことは記憶に新しい。これに対し,日本を含むG7とEUは毅然とした態度をとり,ロシアに対して制裁を科すとともに,ウクライナの改革支援に乗り出した。そうした中,2015年6月,ドイツ・エルマウにおいて行われたG7サミットにおいて,メルケル首相の提案により,キエフにおいて「G7大使ウクライナ・サポート・グループ」を結成することが決められた。

G7首脳声明を受けて,当時の議長国であったドイツの大使は,半年間,このサポート・グループの議長を務め,2016年1月に本使に議長職を引き継いだ。同グループは,ウクライナの民主化,汚職の追放,自由市場経済の確立等の改革を支援するためにG7大使が結束してあたることを目的としている。このような組織は世界中どこにも存在しないユニークなものであり,半年間務めたドイツ大使も,暗中模索でその役割の強化につき努力したが,昨年1年間,本使の議長の下,G7大使の存在はウクライナにおける最も有力な大使グループとして確立することができたと思う。そもそも日本は,マイダン革命以降,約18.6億ドルという巨大な支援をウクライナに行っているが,その支援にふさわしく,ウクライナの政策に関与していく上でも,ウクライナの国内改革を促進する上でも,このグループは極めて有益なものであった。米国及びドイツは,ウクライナにおいて,既に安全保障,ノルマンディ・フォーマットといった強力なテコを有していたが,これらの国にとっても,G7を利用し,発言できることは必ずしも悪いことではなかったことが成功の要因の一つであろう。

日本がG7議長国となって本使がまず行ったことは,G7大使の間でグループのマンデートを確認する文章を作成し,何をやるべきかにつき意見の統一を図ったことであった。折しも昨年2月以降,ヤツェニューク首相(当時)の辞任問題が浮上し,その過程においては,G7大使は大統領及び首相から度々招請を受け,何が起こっているかの実態につきブリーフを受けたが,これらの会合は,メディアにおいて大きく報道され,ウクライナにおけるG7大使の役割は注目を集めていった。本使は,昨年,G7としてだけでも,大統領とG7大使との会談を4度実現させ,また,ウクライナにおける数々の改革を支援するために,多くのG7大使声明を発出した。特に,司法改革における憲法改正,汚職追放のための公務員の個人資産電子申告制度改革,また,予算審議においてG7大使が予算成立のために与野党へ働きかけを行ったことは,ウクライナ国内において大きくマスコミに報道された。大統領との会談後には,G7議長国の大使として,本使が大統領官邸の外に待機しているプレスに対してブリーフを行うことも度々であり,それがまた,G7大使の権威を高めることになった。毎週のように日本大使館に集まるG7とEUを加えた8人の大使が,公私ともども仲良くなったのは言うまでもない。

日本としても,G7の議長国を務めたことから,経済改革のみならず,ドンバス問題の解決を目指すミンスク・プロセスの進捗につき,極めて詳細かつ高度な情報を得ることができたし,G7の議長国として,定期的にマスコミからのインタビューを受けたことは,ウクライナにおける日本の地位を極めて重要なものに押し上げることにも貢献できたと思う。今でも本使はキエフ市内でウクライナ人から感謝の言葉をかけられる事がある。

昨年4月にポロシェンコ大統領の日本への公式訪問が実施されたが,同年9月には,ポロシェンコ大統領夫妻が本使公邸を訪れたという栄誉にも浴することができた。ウクライナにおいて,それまで大統領が外国大使の公邸の夕食会を受けるという先例は全くなく,その意味で大統領が日本大使の公邸で3時間以上過ごしたことは大変なニュースであった。また同年11月に行われたマイダン3周年式典においては,G7議長国である本使の座席は,ウクライナにおける外交団長よりも上の,筆頭席次であったことは特筆に価すると思う。これについて,後日幾人かの大使より,いつから日本は外交団長になったのかという皮肉を言われたのも事実である。

本使は,また,定期的にウクライナ東部を訪れ,日本が復興支援を行っている学校,病院及び住宅を視察したが,戦争で家を失った老婦人が,日本の支援で家が修復されたことに泣きながら感謝したことは強く印象に残っている。ポロシェンコ大統領に言わせれば,いまや日本大使はウクライナ政府が最も信任している大使ということになる。もちろんG7の立場をとりまとめる声明発出には,文言調整で苦労があったし,その声明内容が必ずしも大統領府,首相府,NGO全てを満足させるものではない場合には,本使が大統領府に呼ばれ,声明の問題点を指摘されるということも何回か経験した。しかし,議長として誠意をもって対応した結果,各層の信頼を勝ち得ていったことは幸いであった。当国における有力閣僚であるアヴァコフ内務大臣からは,しばしば突然電話で警察関連行事への参加の誘いを受け,同相とヘリコプターで東部の警察関連式典に出張したのも日本大使だけであった。

日本が議長を務める中,安倍総理がロシアによるクリミア「併合」は認められないこと,ミンスク合意の履行に関し,ロシアが建設的な立場をとる必要性があることに関して繰り返し述べられたことは有り難かった。さらに,日本の支援は,ウクライナ東部において被害を受けた人々が直接に恩恵に浴するインフラ修復をはじめとした経済発展にも繋がる支援内容であったことがウクライナ側に大きく評価されたと思う。

 もう一つ付け加えるならば,外交において立派な公邸と料理人は現在においても極めて重要なツールであるということである。本使がキエフに着任した際,日本大使公邸は手狭であり,主要国大使公邸に比べても貧弱なものであった。本使は,G7議長国となる半年前から,本省の理解を得て公邸の拡張を開始し,本使とウクライナ人建築家が協議を重ね,大食堂,大サロン及び中サロンの増築を半年でやり遂げることができた。

ポロシェンコ大統領夫妻の公邸訪問を実現させるためにも,まず大統領の側近を新装なった公邸に何回も呼び,日本大使公邸が大統領を迎えるにふさわしい公邸であることを認めてもらう必要があった。また,料理人についても同様である。大統領が日本大使公邸に来られる以上,それにふさわしい料理を出せる良い料理人が必要である。そういえば,クリムキン外務大臣は料理が趣味であり,何回も本使公邸を訪れたが(ウクライナ外務大臣が何回も訪れた公邸は日本大使公邸のみ),そのうち1回は公邸の厨房で公邸料理人から寿司の作り方の指導を受け,大満足であった。おかげでクリムキン外務大臣との実質的な懇談時間は削減されてしまうというおまけはついてしまったが。

ウクライナは大きな国であり,東部のごく一部の地域を除けば,安全かつ平和な国である。キエフ・バレエ・オペラは水準が高く,コンサートも盛んである。キエフを初めて訪れる日本人は,あまりにキエフが平和であり壮麗な町並みであることにまず驚く。根深い汚職問題をはじめとし,解決すべき問題は多くあるが,ウクライナ国民は教育水準は高いが,人件費は安い。こうした中,本年は外交関係樹立25周年を祝し,「ウクライナにおける日本年」をはじめとした大きな行事が続くが,ウクライナを引き続き支援し,日本の存在をウクライナ国民にまで評価してもらうことは,日本の欧州外交においても大きなアセットとなるものと考えている。

※本稿は筆者の個人的見解です。

(了)

『「G7(8)/20 ユース・サミット・ジャパン(YSJ)」について』
2017-01-06

『「G7(8)/20 ユース・サミット・ジャパン(YSJ)」について』


松井 啓


元駐アゼルバイジャン大使、元アフガニスタン支援調整担当大使 安部 忠宏

平成20年秋、永年奉職した役所を退いて以来、八年余が経過。その間、国際社会でグローバリゼーションが進む中で、日本の大学・学生の国際化努力の緊要性が指摘される状況を背景に、慶應義塾大学と明治大学で教鞭をとる機会を得て今日に至っている。特に、慶應義塾大学では、その「国際センター」が、外国からの留学生、帰国子女、及び、留学に関心のある邦人学生等を対象とする授業を積極的に展開しており、その関連で、それら学生を対象として「国際関係論」、「日本外交論」を中心に、毎週、英語で講義を行ってきた訳であるが、授業の傍ら「G7(8)/G20 Youth Summit Japan」(GをYouth のY に読み替えて、Y7(8)/Y20 YSJと略称)と云う学生組織の活動に関わることになり、その各種プログラムの実施について、顧問として側面から助言・支援する活動も行ってきたところ、その概要、参考まで以下の通りである。(詳細は、http://www.y7japan.org 乞参照)。

1.本年「G7主要国首脳会議」日本開催(伊勢志摩サミット)の関連行事として

本年5月26~27日、政府間では「G7主要国首脳会議」が伊勢志摩に於いて成功裡に開催されたが、その関連で、同学生組織は、伊勢志摩サミット前に「Y7 Youth Summit会議」を東京で開催し、G7各国の学生達の議論を共同コミュニケとして取纏め、参考意見として首脳会議主催国である日本政府に提出する方針を決定。その旨を本省経済局政策課(大鶴課長他)はじめ関係部局に相談したところ、協力・支援に前向きな対応を頂き、同会議で「外務省後援」名儀を使用することに了解を得ることが出来た。また、会議運営所要資金については、主として民間企業・団体等に趣旨を説明し協力を仰ぎ、日本総研、サントリー、在京米大等からの資金提供で全経費を賄うことゝとし、4月30日~5月3日に亘るG7の学生版 Summit 会議(名称、Y7 Youth Summit Conference)開催に漕ぎつけた(会場;早稲田大学国際会議場)。同会議では、G7各国からの学生達代表団約70名を迎えて活発な討議が行われ、討議結果は共同コミュニケ(Joint Statements)として最終会議で取纏められた上で、当初想定通り、伊勢志摩サミット開催前に本省(山田政務官、経済局関係者)経由で日本政府に提出することが出来た。(内容詳細は、上記のHP乞参照)。

冒頭述べた通り、日本の国際化、そして、大学の国際化が注目を浴びている中、学生達の側にも彼らの主体的活動の下に、有意義な国際化努力がなされている一例として、この「G7(8)/20 Youth Summit Japan」につき、簡単にその関連概要をご紹介しておくことは意味があるかと考えた所以である。

2.Y7(8)/Y20 YSJの構成

平成17年(2006年)、G8諸国の主要大学生連携の下に「G8学生会議」(G8 Youth Summit Conference )の創設が試みられたことに呼応して、YSJは、同会議の日本開催(初回)を契機として、平成19年3月に慶應義塾大学を中心に、東京大学、横浜国立大学等からの学生参加の下に国内で設立されることゝなった非営利・学生有志団体で、国際問題に強い関心を持つ学生達が、若者の世代からの意見を発信していくことを主目的に、今日まで活動を続けている。

同組織への最近の参加大学生は、一部現在外国大学留学中の者を含む、東大、京大、一橋大、東医歯大、東工大、早・慶大、国際基督教大、上智大等からの学生等が中心であるが、前年度の代表団が主体になって次年度の代表団を選抜・構成することで引き継がれ、毎年度秋口から翌年初にかけて行われる筆記試験と討論、面接試験で、最終的に、日本代表5~10名が選考される仕組みになっている。試験は全て英語で行われ、毎年応募が多数に上るが、その内容・質のレベルは大変高く、選抜では論理性、スピーチ力などを中心に厳しい査定が行われ、困難を極める。そして、守備良く選ばれた学生が、日本のシェルパ、首相、外相、財務相、防衛相役等を各々与えられて、毎年持ち回りで開催される「G7(8)主要国首脳会議 / G20首脳会議」の開催国で並行して開催される「Y7(8)Youth Summit(YS)会議」、及び、「Y20(YS)会議」に日本代表団として派遣され、他のG7(8)/20関係各国の学生代表団と共に、G7(8)/20公式首脳会議の議題を参考としつゝ、諸々の国際問題につき討論し、コミュニケを纏め上げ、国際社会が直面する諸問題についての若い世代から意見として提言を行ってきている。

3.Youth Summitのこれまでの経緯

Y7(8)YSは、第一回会議が2006年にロシア・サンクトペテルブルクで開催された後、第2 回会議はドイツ・ベルリン(2007年)、第三回会議は日本・横浜(2008年3月)、第四回会議はイタリア・ミラノ(2009年)、第五回会議は、カナダ・バンクーバー(2010年)、第六回会議はフランス・パリ(2011年)、第七回会議は米国・ワシントン D.C.(2012年)、第八回会議はイギリス・ロンドン(2013年)、で各々開催。しかし、2014年には、一転して、折からのクリミア、ウクライナ情勢悪化を受け、政府レベルでのG8(ロシア(ソチ)開催予定)首脳会議がキャンセルされたのを受け、学生のY8YS も不開催となり、豪主催のY20 YSのみ開催。引続く2015年も、欧州が、ユーロ問題、難民等の問題に直面していたことから、ドイツがG7首脳会議(ロシアは除外)と共にY7 YSの開催をキャンセルし、トルコ(イスタンブール)でY20 YSのみが開催された。かような流れの中で、冒頭述べた通り、今年(2016年)は、G7 主要国首脳会議を日本政府が主催(於;伊勢志摩)するのに伴い、学生達のY7 Youth Summit 会議も再興させようとの考えから、東京会議開催方針を決定。本省の協力も得て、全日程行事を成功裡に執り行うことが出来た次第である。

具体的な討議内容、共同コミュニケの内容は、YSJ・HPの報告書に譲るが、(1)安全保障(2 ) 経済・雇用問題(3)持続的開発を主要議題として討議。G7各国の学生等代表者は、国際社会が、国際テロ、難民、経済低迷、雇用、高齢化社会等、直面する具体的な課題につき共通の認識を持ちつつも、その対応策については、それぞれ国情・事情を異にし、特に、安保・経済政策関連で、比較的楽観的な米国代表団と、EU、更には、ユーロ経済圏の先行きに確信の持てない欧州代表団には、難民・避難民問題等を含め各所で微妙な相違が見られ、コミュニケ文面に表れない所でも、種々の困難な意見調整が行われていたことは、例年にない程であった。政府間の公式のG7(8)/ G20サミット・共同コミュニケ取り纏め作業さながらで、それを彷彿とさせる今回の会議であったと云うことが出来る。纏められた共同コミュニケ文書は、5月9日に、日本代表団が山田政務官に面談の上、直接提出させて頂き、同政務官から「次世代を担う若者達の大変有意義な活動だと思います」との言葉を賜ると共に記念写真を撮影。この模様が、後刻、山田政務官のブログに掲載されているのを代表団一同が知って、大変感激させられていたのを見て、種々困難を乗り越え、今次東京会議を開催して本当に良かったと思った次第である。

なお、会議最中、「参加者の皆様が…国際社会の課題解決に向けた強い気持ちを持ち続け、大いに活躍されることを心より希望し…」との安倍首相からの温かいメッセージを頂戴した他、日程には、各界有識者の講演、日本伝統芸能・日本文化紹介行事等も組み込まれ、プログラム全体が極めて有意義なものとなった。

 4.終わり

最近の国際社会では、国際テロ、主要国一部の露骨な領域拡大、核・ミサイル開発等、従来の国際ルール・枠組みに挑戦する出来事が生起しているが、我が国として、官民でこれら直面する諸問題を正しく認識し、望ましい解決策を見出していく努力を行う必要性は益々高まっている。「G7(8)/20 Youth Summit Japan」(Y7(8)/20 YSJ)は、正に、この様な要請に対応すべく、優秀な学生達の参加の下に、積極的に活動していることを知って頂けたら幸甚と考える次第である。

『アメリカの離脱と日本外交』
2016-12-14

『アメリカの離脱と日本外交』


松井 啓


初代駐カザフスタン大使 松井 啓

 英国のEU離脱(Brexit)は国民投票により予想に反して可決され、それはEUの崩壊につながるとの懸念も表明されたが、「大山鳴動して鼠一匹」、いまだに離脱の条件闘争が続いている。両者間にはもともと距離感があったが、相互に必要としていることも認識しているからである。

 米国の大統領選挙では、クリントン候補の方に期待し、トランプ候補の勝利後も、マスコミや学者は彼の品位のない言動に幻惑されその結果分析を行っている。選挙に立候補した以上は勝つことが至上命令であり、キャンペーン中の発言がそのまま実行された例は少ない。米国がアメリカ第一主義(America First)のみを唱えて大国としての責務を放棄するのでは(Amexit:パリ協定やTPPの否定等)、孤立に陥り経済と軍事が複雑に絡み合った国際関係の中で、自国の国益すら維持できない事態となることは容易に理解できよう。不動産王として成り上り「金目」でしか利益を判断できず、安全保障、移民政策、人種差別的発言等で物議をかもしたトランプ氏も、学習と経験の過程で米国大統領としての品格と知識を身に着けていくであろうし、他方、米国議会の上院、下院共に共和党であるので、彼らは大統領の独断専行にブレーキをかけ軌道修正させることは可能であろう。

 第二次世界大戦以来の「アメリカによる平和-Pax Americana」は終わり、冷戦構造崩壊後のアメリカ一極状態も21世紀に入り終焉し、オバマ大統領は米国の「世界の警察官」の役割放棄を宣言した。外国からの移民でも能力と機会さえあればトップになれるという「アメリカンドリーム」を実現することはますますむつかしくなっている。

 しかしながら米国はいまだに世界第一の経済・軍事大国であることは否定できない。GDPで日本に代わり世界第2位となった中国は米国との大国関係構築(G2)を提案する一方、ロシアとの連携を深めている。また、ロシアはプーチン大統領の下で、ソ連崩壊による屈辱感を払拭し失地回復すべく着々とチェスゲームの駒を進めており、米国との対決姿勢を強めている。ウクライナや中東での折り合いが注目される。

 好むと好まないとにかかわらず、トランプ氏が今後4年間は米国の新大統領として君臨していくことを見据えて、米国の新政権がどのような陣容を組み、どのような国作りと総合的な国際関係を志向していくのかを予測しその対策を立てることが現在の重要課題である。安倍首相が率先して就任前に非公式にトランプ氏と会い、直接皮膚感覚を感じたのは非常に重要である。これを朝貢外交だと批判するのは何世紀も前の政治感覚である。日本はこのような三大強国(G3)に囲まれており、二国間のシーソーゲームではなく3極間の複雑なシーソーゲームを操れる枢要な地政学的位置にある。日本にとっては経済及び軍事「新興国」中国との安定的関係構築し、ロシアとの領土問題を解決して平和条約を締結することが喫緊の課題である。

 第二次世界大戦後71年、日ソ共同宣言から60年経過している現在、両国間の長期的国益から将来の協力関係構築の具体的第一歩を踏み出す時期にきているのは明白である。12月15日の16回目の首脳会談でのシンゾーとヴラディミールの英断に期待している。

(2016年11月20日記)       

『「沖縄県民の歴史認識を考える会」へのご案内』
2016-11-25

『「沖縄県民の歴史認識を考える会」へのご案内』


橋本 宏


元沖縄担当大使 元駐シンガポール大使 橋本 宏

去る10月20日、一橋大学OB会の一つである「新三木会」が開催している月例講演会(外部にオープン)において、私は「沖縄の米軍基地と歴史認識」と題する講演を行いました。

政府にとって沖縄県民の基地負担軽減は大きな課題となっています。日本国民全体にとって個々の米軍基地問題への適切な対処と並んで重要な意味を持つ課題は、沖縄県民の「歴史認識」問題です。これは、古くは明治時代の所謂琉球処分に始まり、第2次世界大戦時の沖縄戦、サンフランシスコ平和条約の締結とその後の米国政府による沖縄統治、沖縄の日本復帰とその後も続く大規模の米軍基地の存在という長期間にわたる厳しい状況の下で、県民の心に深く植え付けられたものです。

この認識は、普天間飛行場の辺野古移設問題を巡る翁長雄志沖縄県知事の「県民の魂の飢餓感を理解できなければ課題の解決は容易でない」という最近の発言の中にも端的に表されています。こうした発言に対し、政府は言わば腫物に触るような感じで接し、正面から向かい合うことは避けてきています。先に菅義偉官房長官が辺野古移設問題を「粛々」と進めるという政府の基本的立場を述べた際に、それ以上県知事の意識に踏み込もうとはしなかったのは、その典型的な例です。つまり「すれ違い」が浮彫という構図です。

私が2001年2月から2003年1月まで沖縄担当大使として外務省沖縄事務所で勤務していた時と現在とを比べてみても、米軍関係者による事件事故が生じるたびに県民側から「歴史問題」が提起され、政府はこれに直接答えずに事件・事故の事務的処理に専念するという「すれ違い」が延々と繰り返されてきています。この間当然のことながら政府及び県庁双方の間にも苛立ちの気持ちが蓄積されてきているでしょう。しかしそれ以上に重要なことは、沖縄県民の間に「歴史問題」に関わる鬱屈した「マグマ」が着実に高まっていることです。これを放置すれば、将来何か大きな事件・事故の発生を契機として「マグマ」が外に流れ出すことになるかもしれません。これは政府にとっても県にとっても不幸なことです。

「歴史認識」問題については、県民にも本土の人々にもいろいろ意見があると思います。先の大戦において我が国の多くの一般市民は国の内外で不条理な辛酸をなめた過去の経験を共有しています。他方、本土の人たちは多かれ少なかれこれを乗り越え、現在の富める日本国家の建設に邁進してきましたが、沖縄では米軍基地の集中とそこから生じる様々な問題の継続故に、いまだに過去を引きずっている人たちが多くいます。そこには県民の物理的な基地負担軽減問題のみならず、「歴史認識」状の負担軽減問題が続いていると考えます。

他方、民間レベルにおける話し合いの場もないまま、「歴史認識」について政府と県が直接的に話し合ってみても、余り生産的ではないように思います。むしろ問題なのは、「歴史認識」問題について県民側がこれを論じる適切な機会を与えられていないことにあると考えます。県民側は言わば暖簾に腕押しのような状況に放置され、政府や本土の人たちから見捨てられているとさえ感じていることです。

10月20日の講演で私は、那覇在勤時に得た経験を踏まえ、また、自戒の気持ちも込めて、いろいろな角度から在沖縄米軍基地問題に光を当てました。そして政府と県に対し、「歴史問題」の克服をテーマとし、本土と沖縄県から様々な分野の意見を代表し得る有識者に参加して貰う「賢人会議」のような場を設置することを提案しました。これによって個々の米軍基地問題の解決が促進されるという直接的な因果関係がある訳ではありません。しかし本土と沖縄県の民間有識者による率直かつ真剣な議論を通じて、政府と県の間に「適切な距離感」が醸成され、将来に向けて共に諸課題に取り組む環境が整っていくものと確信しております。狭い日本国の中で日本人同士が話し合うことによってこれが出来ない筈はないとの強い思いから、私は講演の最後に、「沖縄県民の歴史認識を考える会」を立ち上げ、政府及び県の双方に対し「賢人会議」設立提案を真剣に取り上げて貰うよう一緒に働きかけることを聴衆に訴えた次第です。

米国におけるトランプ政権の発足が沖縄米軍基地問題に与えるべき影響について、現時点で私たちが判断を加えることは極めて困難です。他方、こうした時にこそ、沖縄県境を越え日本ワイドの枠組みで、様々な角度から「歴史認識」という長年続く沖縄の課題について議論していくことが重要と考えます。

皆様にも以下の「考える会」への参加を広くご案内させていただきたいと思います。一緒に政府と沖縄県に働きかけませんか?

ご賛同者からの積極的なご連絡をお待ちしております。

「沖縄県民の歴史認識を考える会」〈仮称〉の立ち上げについて

                   橋本 宏 (Email:hiroshi-ha@wind.ocn.ne.jp)

私は賛同者の協力を得て、上記の会(以下「考える会」と略称)を立ち上げ、政府や沖縄県に対して「賢人会議」の設置を働きかけていきたいと考えています。

「考える会」立ち上げの趣旨、目的、活動方針等についての取り敢えずの私見を以下に列記します。「考える会」発足の際の第1回会合における資料の一つとの位置づけです。その詳細は総意で決定されることになります。ご関心のある方は上記私のメールアドレス宛に「考える会」への参加のご意志をお寄せ下さい。

1.「考える会」立ち上げの趣旨

米国海兵隊普天間飛行場の辺野古移設問題を巡って、翁長勇志沖縄県知事は「県民の魂の飢餓感」への理解を訴える一方、菅義偉内閣官房長官は「粛々と」事を進める政府の方針を明らかにするなど、在沖縄米軍基地問題に対する県と政府の間のやり取りは全くかみ合っていない。こうしたすれ違いは、最近始まったものではなく、遠くは1872年(明治5年)と1879年(明治12年)のいわゆる琉球処分に端を発し、沖縄戦、敗戦、1952年4月28日のサン・フランシスコ平和条約の発効とその後の米国政府による沖縄統治、1972年6月17日の沖縄返還協定調印、その後も続く大規模の米軍基地の存続といった厳しい状況下で、沖縄県民の心に植え付けられた「歴史認識」問題がいまだに克服されていないことを反映している結果と考える。同じ日本国民の間でこのような「歴史認識」問題を巡る状況を長く放置しておくべきではない。

歴史認識問題を取り上げることが、個々の在沖縄米軍基地問題の解決を容易にするという直接的な因果関係が存在する訳ではない。他方、歴史認識問題の克服の努力を通じて「沖縄県民の魂の飢餓感」が減少し、ウチナーンチュ(沖縄県民)とヤマトウンチュ(本土の日本人)の間で“合理的な距離感”が生まれて来ることが期待され、これを背景に結果として県と政府との間で「是々非々」の立場から基地問題への取り組みが行われるようになることが期待される。

2.「考える会」の性格

「考える会」は、「沖縄県民の歴史認識」問題克服のための一助として、政府と沖縄県に対し「賢人会議(仮称)」の設置を呼びかける時限的な私的会合とする(手弁当で運営)。インターネットを最大限活用することによって、物理的会合の回数はできる限り抑制する(インターネットの活用等知恵と労力を提供する用意のある中立的な組織、団体等からの支援を歓迎する)。

「考える会」は、沖縄の専門家に限らず、政治、外交、経済、歴史、文化、一般教養といった幅広い分野で沖縄県民の歴史認識問題に関心を有する人々に門戸を開放する。

「考える会」は、「賢人会議」において取り上げられると予想される論点を予め整理し、その参考に供することにあり、「歴史認識」問題そのものを議論するものではない。

「考える会」は、下記のような「賢人会議」設立要望の主意書を作成し、広く賛同者を募り、賛同者の署名(電子署名)を付けた上で、適切な時期に政府と沖縄県委に対して同要望書を提出し、その役割を終える(「賢人会議」の構成や運営等については、政府と沖縄県の決定に委ねる)。

「考える会」の存続期間は半年から1年間程度を念頭に置く。

3.「賢人会議」設立要望主意書に盛られるべき歴史認識問題の論点(例示)

ア) 先ず沖縄県民の歴史認識上代表的事例(例えば、沖縄戦以降今日に至るまでの期間を幾つかの時期に分け、住民の集団自決、未成年者の動員、南部戦線での住民の取り扱い、米軍基地周辺の騒擾事件、米軍関係者による悪質な事件・事故、米軍基地・沖縄振興予算の依存度等々)を列挙し、これまでに公表されている県内有識者の説明振りを整理する。

イ) 上記ア)に関し、沖縄県民に固有と考えられる歴史認識と県外の日本人にも共通する認識について論点を整理するとともに、戦後の我が国における民主主義の発展と定着がそれぞれの歴史認識に与えた影響について、論点を整理する。

ウ) 上記ア)に関し、政府として対応すべき課題と民間の努力に委ねるべき課題について論点を整理する。

『アスジャと対アセアン重視外交』
2016-11-04

『アスジャと対アセアン重視外交』


田島 高志


アスジャ理事 元駐カナダ大使 田島 高志

1、アスジャ設立の歴史的経緯

 「アスジャ(ASJA))」は「アスジャ・インターナショナル(ASJA International 、ないしAsia Japan Alumni International)」と呼ばれる国際組織の略称である。2000年4月に外務省が「アスジャ」を設立して以来、私は依頼を受け同組織の日本理事を務めて来た。「アスジャ」は、我が国の対アセアン重視外交の基幹の一部をなす重要な意義と歴史のある政策的制度であることを出来る限り多くの方々に理解して頂きたいと考え、あらためてここに解説致したい。

 実は、第二次大戦中に我が国は、東南アジア地域の最優秀学生を招き「南方特別留学生」制度を実施した。その卒業生は、大戦後に独立した母国で重要な地位につき、国家建設に大きく貢献した歴史がある。

また、戦後は賠償による日本への留学生及び1954年に開始された国費留学生制度により対日留学生数が徐々に増えた。これら元日本留学生の間で、日本を懐かしみ、元日本留学生会を設立する東南アジアの国が次第に増えた。その背景には、福田赳夫蔵相(当時)の働きかけで始められた外務省事業「東南アジア日本留学者の集い」に参加し、日本を再訪する機会を得た元日本留学生の動きが中心にあった。

1977年6月に、それら各国の元日本留学生会が「アセアン元日本留学生評議会」略称「アスコジャ(ASCOJA)」と称する連盟組織を結成し、元日本留学生会相互間及び日本との間の親睦関係を進める活動を始めた。同年8月には、福田赳夫総理が当時のアセアン5か国を歴訪され、マニラにおいて有名な「心と心(Heart to Heart)」を強調した福田ドクトリンと呼ばれる日本・アセアン諸国間の協力関係を促進させる基調演説を行った。

1978年に日本側はアセアン側の「アスコジャ」設立に呼応し、その日本側カウンターパートとして、政財界支援の下に「財団法人ジャスカー(JASCAA)」を設立し、外務省助成金によるアジア諸国からの留学生に対する支援活動を開始した。「ジャスカー」は一定の成果を上げたが、1999年には事情により解散となった。 外務省は後継組織として、2000年4月に「アスジャ」を設立し、日本及びアセアン各国を代表する理事による理事会と事業を実施する事務局により構成され、外務省の拠出金により運営される国際組織とした。

2、「アスジャ」の目的と意義

「アスジャ」は、将来親日家として日本とアセアン各国との懸け橋のリーダーとなり得る少数精鋭の人材を養成することを第1の目的とする。学力に優れると同時に、日本に強い関心を持つ私費留学生をアセアン各国から1名ずつ招き、奨学金を与えて一流大学の大学院へ自力で合格させ、同時に日本語を十分に習得し、日本文化や社会の理解を深め、日本人との交流に参加させる事業を実施して来た。

アスジャ留学生は、現地の元日本留学生会及び日本大使館からの推薦を経て選ばれ、優秀であるだけに日本語の習得も早く、1年で読み、書き、話すことが可能になる成績ぶりを示し、さらに一流大学の修士ないし博士課程へ合格し、卒業後は母国での日系企業ないし日本語学校の教師、あるいは日本ないし母国等での優良企業、大学、研究機関等に就職するなどに成長し、将来の活躍が期待されている。中には、現在IMFに採用され、日本経済情勢を説明している例もある。因みに、アセアン各国からのアスジャ理事は、理事長を含め年齢的にアスジャ時代以前の日本留学生出身者であるが、アスジャ理事会の審議は公用語を日本語として和気藹々行われている。

また、日本理解を深める交流事業は、(1)日本人の生活を体験するホームステイ、(2)日本の産業見学や伝統・現代文化を鑑賞、理解する研修旅行、(3)日本の小中高校生に対する自国文化の紹介(4)日本人大学生との意見交換会、(5)自国を日本人及び他のアセアン各国留学生に紹介する「アセアン祭り」等多岐にわたるものである。

 「アスジャ」には、第2の目的もある。それは、「アスコジャ」の日本側カウンターパートとして、「アスコジャ」の活動を支援し、関連事項に関する相互協力、連携等を行い、日本とアセアンとの協力関係促進に寄与することである。最近は、日本とアセアン双方に関心のある課題についてのシンポジウムを「アスジャ」と「アスコジャ」が共催して実施しており、成果を挙げている。

 以上のような目的を持って「アスジャ」が活動する意義は、第1に、長期的な外交 戦略として、日本の生命線ないし内堀ともいうべきアセアン地域における日本の友人を 拡大強化し、日本とアセアン諸国とが協力してアジア及び世界の平和と繁栄に貢献する 基盤を築くことである。第2には、各国に進出して活動する日本企業の激増に対応して、 日本企業に雇用され、登用され得る有能な現地人材の養成に貢献することである。

 このような多種多様な事業を円滑に効果的に実施が行われて来た背景には、独立行政 法人日本学生支援機構を初め多くの関係組織や団体の貴重な協力がある。同時に、熱意 ときめ細かい配慮を持って事業の企画立案、留学生の世話、事務局職員の指導、国内関 係先との交渉や連絡等を当初より努めて来られた佐藤次郎事務総長(元財団法人国際学 友会理事長)の大きな貢献がある。

3、民主党政権による「アスジャ」廃止措置

 「アスジャ」は、このように重要な戦略的目的と意義を持つ政策制度であるにも拘らず、2009年に民主党政権が成立するや、いわゆる「事業仕分け」により、文部科学省主管の国費留学生制度と重なるとの理由で「アスジャ」制度を4年後(2013年度)に廃止する措置が決定された。これに対して、アセアン諸国の元日本留学生会、「アスジャ」理事、「アスコジャ」役員等は、この制度を高く評価し重視していた観点より、強い反対の声を上げ、廃止反対書や復活嘆願書等をわが国の外務大臣宛に送るなど、国内のみならずアセアン側の関係者にも大きな衝撃と失望と不信の念を与えた。 外務省は、文部科学省とも協議し、国費留学生の中からアセアン各国1名の留学生を選び、「アスジャ国費留学生」とする措置を短期的に採ったが、日本語の習得及び日本理解を深める交流事業の予算は、年々縮小と削減に追い込まれた。

 この制度をこのまま廃止することは、日本及びアセアン各国の利益に反することでもあり、これまで成功裏に実施されて来たこの制度の価値を失うことになるとの関係者の声は強く、「アスジャ」の発展のため常に応援をして来て下さった福田康夫元総理大臣及び経済界の有力者等多数の方々により「アスジャ」存続のための検討会が何回も開かれ、民間資金も得る方法、その他の方法等が模索された。隔年ごとに開催される「アスコジャ」総会の際にも、アセアン側が日本外務省担当官、アスジャ理事及び事務総長等との懇談会を設け、「アスジャ」存続の意義を強調し、「アスジャ」復活の必要性を訴える真摯な発言が繰り返し述べられた。

2012年12月の衆議院選挙の結果、自公連立政権が復帰し、2013年には「アスジャ」の存続が決定され、2014年度には「アスジャ」の交流事業の完全継続予算が承認された。ただ、奨学金は引き続き文部科学省から支給される国費留学生としたので、「アスジャ国費留学生」と呼ぶことにした。しかし、採用枠は従来の大学院進学候補生の各国1名を2名に増やし、新たに学部候補生の各国1名を加えることが認められ、大きな改善が図られた。

課題は、日本語の学習時間の確保であり、国費留学生制度では、進学先が決められてから入国するため、入学先の大学側の理解と協力を得る必要がある。もう一つの課題は、

日本理解増進のための交流事業への全員参加の実現であり、東京から遠隔の地方大学への進学生には、時間と経費の点から参加に困難が生じる点である。そのため、2016年度から、現地の元日本留学生会及び日本大使館が「アスジャ国費留学生」候補を推薦する際には、出来る限り都内または近隣の大学希望者を選ぶように配慮している。

4、日本・アセアン協力関係の強化及び「アスジャ」事業の拡大

 福田康夫元総理は、当初から日・アセアン関係重視の観点より「アスジャ」を応援して下さり、「アスジャ」の留学卒業生送別レセプション、或いは現地の「アスコジャ」総会へ賓客として時には出席され、祝辞を述べられた。2007年に内閣総理大臣に就任されたため、翌年「アスジャ」理事会が東京で開催された機会に、同理事代表団は福田総理にお祝いを申し上げるために表敬訪問を行った。

2013年には、日・アセアン友好協力40周年に当たるため、安倍晋三内閣総理大臣は日本の対アセアン外交5原則を発表するとともに、アセアン10か国すべてを訪問された。続いて同年12月には東京で日・アセアン特別首脳会議が開催され、安倍総理が提唱された「平和と安定」、「繁栄」、「より良い暮らし」、「心と心」との4本柱から成るビジョン・ステートメントが採択された。

これらを背景に、翌2014年3月「アスジャ」理事会が東京で開かれた機会に、「アスジャ」理事及び「アスコジャ」理事代表団は、安倍総理を表敬訪問し、「アスジャ」存続の実現に対し御礼を申し上げた。安倍総理は、国と国との絆は人と人との交流が要素であり、「アスジャ」「アスコジャ」の意義は大きい旨述べられ、総理の御配慮で総理と理事全員との集合写真のみならず理事一人ずつとの写真の撮影が行われた。

また、国会議員の間でも「アスジャ」に対する関心が高まり、2015年3月元外務大臣政務官あべ俊子議員及び自民党国際局次長福田達夫議員のお声がかりで、12名の議員及び1名の議員代理が衆議院第一議員会館での「アスジャ・アスコジャ関係者と国会議員との懇談会」に出席され、「アスジャ」についての説明を聞いて下さった。

2016年3月には、衆議院議長公邸で「アスジャ・アスコジャ関係者と国会議員との懇談会」が開かれ、大島理森議長を初め河村建夫議院運営委員長、田中和徳国際局長ほか計13名の議員及び1名の議員代理が出席され、大島議長より激励の言葉を頂き、「アスジャ」理事側の説明に対する議員側の質問や提案など激励の発言を頂き、貴重な機会となった。

 最近のアスジャ事業は、政府予算全体の厳しい情況もあり、より効果的に交流事業を実施すべく外務省、アスジャ各国理事、及び事務総長の間で毎年綿密に協議し、見直しや合理化を行いつつ企画運営を計っている。特に、「アスジャ」と「アスコジャ」間の協力・連携については、日・アセアン関係の強化に一層貢献するため、例えば「オンライン・プラットフォーム」構築、「アスジャ・アスコジャ国際シンポジウム」開催等を実行し、アセアン各国から高い評価を得ている。

 「南方特別留学生制度」に始まり、「東南アジア留学生の集い」、「ジャスカー」を経て現在の「アスジャ」まで連綿と続く日本とアセアン各国留学生との間の濃く強く信頼に満ちた絆は、日本とアセアンとの間の掛け替えのない資産であると言えよう。それは、2015年に「アスジャ」事務局が編集発行した426頁に及ぶ「アスジャ・インターナショナル15年の歩み」に掲載されている各国元アスジャ留学生の感想文やメッセージにも明白に表明されており、それを読む者は皆大きな感動を覚えるであろう。

 日本とアセアン双方にとり、このように貴重な資産を今後とも一層有効に活用して、地域及び世界の繁栄に貢献して行くことが課題であると思われる。国際情勢がグローバル化により複雑混沌とした現在の情況下において、「アスジャ」の役割と価値は重要性を益々増大すると思われる。各界の幅広い方々の「アスジャ」に対する今後一層のご理解とご支援をお願い致したい。

(10月6日記)        

『ブラッセルから見たBREXIT(英国のEU離脱)問題』2016-10-14

『ブラッセルから見たBREXIT(英国のEU離脱)問題』


植田 隆子


植田 隆子  
国際基督教大学教授 EU代表部元次席大使

 英国の国民投票の直後の本年7月7-13日及び9月18-24日にブラッセルでBREXITについて、顔なじみのEU官僚、EU加盟国の代表部、NATO国際事務局、現地の大学やシンクタンクに勤務する研究者と意見を交換する機会があった。

 日本の識者の中には、離脱するとあまりに損失が大きいことが英国にわかり、考え直し、結局は留まるのではないかという見方もあるが、9月下旬のブラッセルでは、HARD EXIT論しか聞かれなかった。HARD EXITは、英国にとって厳しい離脱となる、とくにEUの共通市場から英国は完全に出てしまうことを意味する用語である。英国政府が何ら方針を定めていなかったにもかかわらず、ブラッセルではHARD EXIT論が先行していた。

 10月2日のバーミンガムでの保守党大会でメイ首相は来年3月末までにリスボン条約の離脱条項を発動するとし、HARD EXITでもSOFT EXIT(共通市場に留まる)でもなく、ノルウェーやスイス方式とも異なるEUとの新たな関係を求めるとした。

 ブラッセルでのHARD EXIT論の根拠は、英国の内政の視点から、向う5-6年間は保守党政権が続くとみられ、人の移動に関して英国側が折れる可能性がないとみなされることから、英国は共通市場から出ざるを得ないとする。「人、モノ、資本、サービス」の自由移動は共通市場の根幹であり、一つの国であるかのように機能させるための条件である。つまり、英国が共通市場にアクセスをはかるのであれば、人の自由移動を減じることは認められないという主張がなされ、たとえEUの27加盟国が英国のHARD EXITによって不利益を被っても、共通市場へのアクセスについては英国に有利にはならないとの観測がなされている。

 日本政府が9月2日に発出した「英国及びEUへの日本からのメッセージ」は、フィナンシャル・タイムス紙もいち早くコメントし、ブラッセルでも話題を呼んでいた。私はベルギーの国際政治学者の提案で、1998年からブラッセルで日本とEUの協力に関する年次日EU会議を共催しており、9月23日に19回目の会議を開催したが、その準備で登壇者などにもこのメッセージを配布した。日本はあまり直截的な表現を使わない国というイメージがあるため、驚きや共感が示された。この会議の基調講演者のベルギーのペーテルス副首相は、講演の中で、このメッセージの内容を高く評価した。(日白関係や欧州統合をめぐる講演原文は追って以下のサイトに掲載されている。http://www.eias.org/news/19th-japan-eu-conference/

日本企業は損失を防ぐために、即刻、英国を出るべきだと述べる学者もおり、ベルギーのみならず、フランスやドイツからも、日本企業の大陸への移転に対する期待が寄せられている。

 英国の離脱は英国に大きな打撃を与えることが予想されているが、これまで加盟国が拡大の一途をたどり、今もなお加盟希望国が並んでいるとはいえ、「EXCLUSIVEなCLUB」だったEUにとっても打撃であるとオーストリア出身のEU研究者は顔を曇らせる。筆者は1990-93年、冷戦が終わり、欧州統合が上り坂にあったときにベルギー大使館でNATOや当時は常設機構化されていなかったCSCEなど欧州安保を担当し、再び、ポスト冷戦期の国際秩序の崩壊の始まりだった2008-11年にEU代表部に勤務し、その後もブラッセルには仕事で立ち寄ってきたが、今回は、EU欧州委員会も欧州対外活動庁(EUの外務省組織)もこれまでになく沈んだ雰囲気に包まれていた。他方、ブラッセルはシンクタンクの数が飛躍的に増大しており、米国や独仏などの主要シンクタンクも支所を置いているが、シンクタンク関係者は、英国離脱のために「商売繁盛」と述べていた。

 英国のシンクタンカー、チャールズ・グラント氏の論稿 Theresa May and Her Six-Pack of Difficult Deals(Centre for European Reform, 2016年7月28日掲載、 http://www.cer.org.uk/insights/theresa-may-and-her-six-pack-difficult-deals) は、離脱交渉をめぐる議論で良く引用されている。同氏によれば、英国の離脱をめぐり、6種類の相互に連関する交渉を遂行しなければならない。①英国のEUからの法的な分離(離脱条項が発動されてから2年後にEU関連法規は英国に適用されなくなる。EU側は、2019年6月に予定される欧州議会選挙の前で且つ、2020年に7年間の予算サイクルが終わるため、次期予算交渉開始前の合意が必要とする)、②EUと英国のFTA、③英国が離脱し、FTAが発効するまでの間のEUと英国の間の暫定措置、④英国のWTOへの完全な加盟、⑤EUが域外53か国との間で締結している現行のFTAを英国は53ヵ国との間の2国間のFTAに組み替える、⑥EUと英国との外交安全保障協力(司法・警察協力を含む)の設定。まさに、遠大な交渉になることが予想される。

 ブラッセルからは、離脱によって衰退する英国像しか窺えない。しかし、NATO本部でおめにかかった20年以上も交流してきた英国出身の幹部は「ローマのくびきを切り、英国教会を創設したヘンリー8世の偉業に匹敵する歴史的な出来事」であるとEU離脱による「主権の回復」を評価している。EU以外の世界の国々との英国の結びつきも強調される。

離脱交渉は、英国とEU双方にとって困難な道のりになろう。欧州統合は歴史的には何度も危機にみまわれてきたが、その都度、乗り越えてきた。今回は、英国がEU内でブレーキをかけてきた安全保障面での協力を強化させる提案も出ている。この試練をEUがどのように乗り越えるのかは、国際秩序の変動期にあって、世界的にも影響を及ぼす事態である。(2016年10月2日記)

『広島演説を通して見たオバマとフランシスコ』2016-09-23

『広島演説を通して見たオバマとフランシスコ』


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上野 景文  
杏林大学特任教授 元駐バチカン大使


やや旧聞になるが、5月27日のオバマ広島演説を巡って、気づいたことがある。それは、同演説に滲み出ていたオバマ大統領の発想、思想に、ローマ法王フランシスコの発想、思想との近似性が認められたと言う点だ。以下、暫く拙見とお付きあい願いたい。

オバマ演説は、心の奥底に届く名演説であり、演説の推敲を重ねたであろうオバマ氏の「魂」に触れた思いであった。多くの重要な論点が込められた同演説に対しては、既に、日米関係の文脈、核廃絶の観点、文明論的観点、人類史的観点など様々な観点から論評が出されたが、冒頭の問題意識に立った論評は(私が知る限り)なかった。

この歴史的な演説の中で、オバマ氏は、(広島における)個々の犠牲者のことに十分に思いを馳せるべきだとして、こう述べた。

「なぜ私たちは広島を訪れるのか。・・・・・・死者を悼むために訪れる・・・・

彼らの魂が私たちに語りかけます。・・・・・・・私たちは・・・・・市の中心に立ち、原子爆弾が投下された瞬間を想像しようと努める・・・・・・混乱した子供たちの恐怖を感じようとします・・・・声なき叫びに耳を傾けます・・・それ以降の戦争で殺されたすべての罪なき人々を思い起こします。・・・71年前、(犠牲者にも)大切な時間がここにあったことを知ることが出来ます。亡くなった人たちは、私たちと変わらないのです。」

つまり、犠牲者の目線に立ち、犠牲者の顔や物語を踏まえた戦争の実態を直視せよと言っている訳だ。発言の行間を読めば、氏はこう言いたかったものと見る。「旧来、戦争と言えば、多くの犠牲者を出すものとの前提があった。これまで国家戦略や軍事作戦を策定した人達は、そうした犠牲者のことは度外視して来た。だが、多くの犠牲者に思いを馳せずに戦略や作戦を練ることは、非道徳的だ。作戦策定の際は、多くの犠牲者を出すことになるか見通すだけの想像力を持ち、非道徳的作戦は控えるべきだ」と。

大統領は、更に、「・・・私たちは、戦争そのものへの考え方を変えねばならない・・・・(国際社会は)道徳的に目覚める(べきだ)」と続けた。このように語りかけるオバマ氏からは、軍の最高指令官としての顔よりは、市民運動家として顔、或いは、「ポストモダニズムの思想家」としての顔の方が、表出しているように感じられた。明言こそしていないが、トルーマン的な軍事論から距離を置いていることは明らかと思えた。

ところで、オバマ氏と同旨の発言を続けているスーパー指導者がもう一人いる。他ならぬローマ法王フランシスコだ。法王はこう力説する。「政治家や官僚は、(紛争などに対処するに当たって)生身の子供たちや男女の命がかかっていることを肝に銘じなければならない」(昨年9月、国連総会での演説)、「(戦争やテロと言った)破壊行為は・・・抽象的・・・なことではなく…そこには、人の顔があり、実際の物語、名前がある」(昨年9月、NY市グラウンドゼロでの発言)と。

法王は、経済格差、貧困などとの関連でも、同様の主張を緩めない。「貧困には顔があります。子供の顔、家族の顔、・・・強制移住させられた・・・人々の顔・・・・その顔や物語が見えなければ、人の命は統計値になってしまい・・・・他人の苦しみを官僚的に眺める危険があります」(本年6月、WFP(世界食糧計画)理事会での演説)と。

2年半前、オバマ大統領は、「遺憾なことに、ホームレスが路頭で死んでも報道はないが、株価が2ポイント下がると報道される」との法王の指摘に共感し、自身の経済演説の中でこれを引用すると共に、「(法王は)平和と正義に関する特別の使者だ」と評した(2013年12月25日、LAタイムス)。

世俗社会の最高権力と精神世界の最高権威の「波長」が符合するとは。またとない組み合わせと言える。元来、生命・家族倫理の問題につき、保守的なカトリック教会とそりの合わない大統領ではあるが、社会経済問題については、法王と似た波長と言うことのようだ。それは偶然ではない。二人の経歴を見れば分かることだ。オバマ氏は市民運動家として「現場主義」の眼を有し、法王も「現場(修道会)育ち」ということで、共に弱者擁護、「現場」重視の姿勢が強い。

世界でも最も影響力がある二人のスーパー指導者が、共に「現場」育ちで、国家官僚が創る戦略や計画が「現場(弱者)」への配慮を欠く場合があることに警鐘を発し、「弱者・犠牲者に思いを馳せろ」との主張を続けている。期せずして両巨頭による「共演」が実現していると形容しても、あながち誇大表現にはならないだろう。

折しも、世界のメディアはもとより、国際社会の関心は、米国の大統領選挙に集中しており、法王とオバマの「共演」に目を向ける人はいない。が、「二人の共演」は、国際社会にとってひとつの大きな「資産」と言える。この点は、もっと注目されて良いし、国連をはじめとする国際社会は、これを活かすべきであろう。

なお、別件になるが、日本のカトリック教会は2013年秋にフランシスコ法王に訪日を招請している(日本政府も翌年招請)ところ、これに応え、法王来日が早期に実現することが期待される。

【参考】上野景文著「バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日」(かまくら春秋社)

『スコットランドはBrexitをどう受け止めたか』
2016-8-22

『スコットランドはBrexitをどう受け止めたか』


在エディンバラ総領事 松永 大介

対照的な投票結果

 6月23日に行われた英国における国民投票は、日本を含む全世界に大きな衝撃を与えた。大方の予想が僅差での残留勝利であったことも衝撃に輪をかけた。前代未聞の事態に直面して、為替や株価は大きく変動した。自分にとっては、5月10日に総領事としてエディンバラに赴任して1ヶ月半を経たタイミングであったが、スコットランドを含む英国社会に与えた衝撃は当然ながら大きく、多くの人が英国の行く末に不安を抱いたように自分は感じた。EU離脱派の勝利が分かった24日の早朝、タクシーで事務所に向かったが、運転手も「離脱という結果は残念だ」との感慨を洩らしていた。自分同様、徹夜で開票をフォローしていたのであろう。

 スコットランドには32の投票区があったが、それら全ての投票区で「残留」が「離脱」を上回った。これをイングランドと比較してみると、ロンドン、リヴァプール、ブリストルといった例外を除いて殆どの投票区で「離脱」が「残留」を上回っており、際立った対照を見せている。投票区ごとにどちらが過半数をとったかで色分けした英国の地図をみると、イングランドとスコットランドで明確に色が分かれており、1707年に両国が統合された以前の歴史地図を見るかのようである。

 こうした結果のもたらすインプリケーションは何であろうか。それは、スコットランド独立の機運が高まることであると思われる。スコットランドの票の割れ方を詳しくみると、「残留」が166万票で62%、「離脱」が100万票で38%という結果であった。したがって、スコットランド住民は民主的にEU残留の意思を表明したにもかかわらず、イングランド(及びウェールズ)に引きずられる形でEUを離脱せざるを得ない状況になってしまったのである。

スコットランドのEU支持の背景

 なぜスコットランドはEUに好感を持つのか。EUの資金供与によるインフラその他のプロジェクトが存在すること、農業補助金や大学の調査・研究などでEUの支援を受けているものが多いこと、移民問題がイングランドに比べて深刻に受け止められていないこと、歴史的にヨーロッパ大陸と深い関係にあったこと(14−5世紀の百年戦争でフランスと同盟してイングランドと闘ったことなど)がいまだに尾を引いていると説明する向きもある。

 与党スコットランド国民党(SNP)は、長年「欧州における独立(independence in Europe)」を党是に掲げてきている。もっとも、ロンドンの官僚制に服するのが嫌ならブリュッセルの官僚制に服するのはもっと嫌であってもおかしくないのではないかと皮肉る向きもある。しかし、ヨーロッパの小国として欧州諸国と一丸となって歩んでいくことに安定した将来像を見いだしているというのが大方のスコットランド人の感覚であろうと思われる。

国民投票を受けてのスコットランドの動き

 スコットランド政府を代表するのは、女性の首席大臣であるニコラ・スタージョンであるが、彼女は、「EUにおけるスコットランドの地位を守るため直接EU機関及びEU諸国と交渉する」と宣言し、そのための動議をスコットランド議会で可決させた。独立の住民投票については、EUとの交渉によって目的が達せられなかった場合の最後の手段として位置づけられた。

 ご記憶の方も多いと思うが、スコットランドは2014年9月に独立住民投票を行っている。そのときは、独立不支持が55%(200万票)、独立支持が45%(162万票)であった。もし、EU離脱を機に独立を目指そうとするなら、その際の独立不支持の結果をくつがえすために、再度の住民投票を行う必要がある。スタージョン首席大臣が前述のようにEU残留のための最後の手段と位置づけているのが、この再度の住民投票なのである。

 同首席大臣は、これを正当化するロジックとして、前回の投票の際は「独立不支持」即ち英国内にとどまることがEU残留を意味し、現にEUにとどまりたいのなら独立に反対すべしとのキャンペーンも行われたと言う。しかし、英国がEU離脱を決めてしまった現在、前提となる状況に「重大な事情の変更」が生じたのであり、再度の独立住民投票が正当化されると主張するのである。

独立住民再投票のため乗り越えるべき障害

 もっとも、再度の独立住民投票を行うためには乗り越えねばならない幾つかの障害がある。第1は、スコットランド住民の過半数が本当に独立を支持するかという根本問題がある。今回のEU離脱国民投票の結果、独立支持が過半数を越えたと言われるが、7月末の世論調査によれば独立支持の割合は、52%(Panelbase社)、54%(Survation社)、59%(Scot Pulse社)程度にとどまっている。安全マージンをみて首席大臣は6割に到達しなければ住民投票に踏み切らないと言われているが、それには達していないのが現状なのである。再度の住民投票でまた独立派が敗北を喫するならば、このさき少なくとも一世代はスコットランド独立の芽はなくなると言われており、事は慎重に運ぶ必要がある。

 第2は、住民投票を行う憲法上の権限である。前回は英国政府・議会が住民投票の実施を認めていた。(中央政府側は独立不支持が圧勝して結果独立論を封じ込められると踏んでいたのである。) ところが今回はこうした権限はまだ与えられていない。もっとも、この問題を回避すべく住民投票の質問を「スコットランド議会(政府)が独立へ向けた交渉を開始することを支持するか?」といった表現ぶりにすることを示唆する意見もある。

 第3は、仮にスコットランドが独立を達成したとして、EU側がすんなりとその加盟を受け入れるかどうかである。前述のEUとの直接交渉の動議がスコットランド議会で可決された翌 29日、スタージョン首席大臣はブリュッセルに飛びユンカーEU委員長を含む幾人かの要人と会談を行ったが、スペインやフランスの首脳は「EUが相手にすべきは主権国家たる連合王国であってスコットランドを相手にすべきでない」と一蹴した。スペインが国内にカタルニアの分離独立問題を抱えることを想起すれば予想された反応と言えなくはないが、新規加盟を含むEUの決定が加盟国のコンセンサスで行われることに思いを致すとき、仮に独立を果たしたとしても、スコットランドの加盟が円滑に進むかどうかは保証のかぎりではない。

誇りは即独立志向か

 エディンバラに赴任してスコットランド旗が至るところに掲揚されていることに気づいた。青地に斜めの白十字が交差した柄である。一方でユニオン・ジャックはあまり見かけない。6月24日、英国のEU離脱が決まった日の朝におけるスタージョン首席大臣の記者発表の会場にあったのは、スコットランド旗とEU旗であり、ユニオン・ジャックがなかったことは象徴的であった。英国が4つの構成地域から成り立っていることは頭では知っていたが、nationとしての意識がこれほどまでに高いとは思わなかった。冗談まじりの郷土意識・お国自慢程度のものかと思ったら大間違いと感じている。

 さはさりながら、スコットランド人としての誇りや郷土愛を持つ人が誰でも独立支持かと思いきや、必ずしもそうではなさそうだということにも気づいてきた。例えば、(イングランドを含むその他の英国地域を貿易相手として算入すれば)スコットランドの交易でEU諸国を相手とするものが15%であるのに対し、6割以上の交易がイングランドを中心とするその他の英国地域との間で行われている。歴史的にみれば、1707年の併合こそ苦渋の帰趨ではあったが、産業革命や海外進出については、スコットランドも大英帝国の一翼として大いに役割を果たし受益してきたのである。それどころか、産業革命の発端ともいうべき蒸気機関の発明はスコットランド人であるワットによるものであるし、製鉄や造船で栄えたのがグラスゴー市であることを想起すると、産業革命の中心的役割を果たしたとさえ言えよう。植民地への進出ということでは、たとえば自分がかつて勤務した香港において今日に至るまで有力なジャーディン・マセソン商会もスコットランド系の会社であった。

 他方、現代のスコットランドは政治的には社会民主主義の傾向が強い地域と言われ、伝統的には労働党の牙城であった。ところが、ブレア首相が右カーブを切って労働党を変質させ、さらには第2次湾岸戦争への参戦を決めたことが、スコットランド人の労働党離れを加速し、票の行き先として現在の与党であるスコットランド国民党(SNP)の力が強まったと言われている。裏をかえせば、SNPの党是こそ最終的なスコットランド独立ではあるが、SNP支持者がすべて独立支持とは限らないのである。スコットランド人としての誇りを持ちつつ、連合王国国民としての誇りも同時に持っている人々も多いのではないかと思われる。エリザベス女王陛下は毎夏を避暑のためスコットランドでお過ごしになるが、その際の歓迎ぶりをみても、大英帝国の一員としての誇りへの愛着は捨てがたいものがあると察せられる。

メイ新首相のアプローチ

 メイ首相は7月13日の就任スピーチにおいて、保守党の正式名称が「保守連合党」であることに注意を喚起し、連合王国を構成する4つの自治政府間の「大事な、大事な紐帯 (precious, precious bond)」の重要性を訴えた。明後15日、就任後48時間を経ずしてメイ首相はエディンバラを訪問し、スタージョン首席大臣と二者会談を行った。メイ首相の頭の中に占めるスコットランド問題の比重が大きいことを示した形になったが、Brexit によってスコットランドにおける独立支持が増えることを懸念し、SNP政権が今後反UK感情を煽らないよう先手を打ったとも解釈できよう。

メイ首相はスタージョン首席大臣との会談で、オール連合王国の立場(a UK-wide position)、言い換えれば各自治政府とUK政府との間でコンセンサスが出来ないうちはリスボン条約第50条を発動しない、即ちEUとの離脱交渉を始めない、と述べたとされる。その後、これをもってメイ首相がスコットランドにBrexitに対する事実上の拒否権を与えたと解釈する論説が現れたが、ここまで言うのは読み込みすぎであろう。

 とは言え、メイ首相は、スコットランドに対決姿勢で望むのでなく融和的な姿勢を示したことは確かである。スコットランドが連合王国にとどまりながらEU残留を目指すという立場を含め「あらゆる立場にオープンである」とも発言している。今後メイ首相がどのようなBrexit案をまとめようとしているのかはまだ分からないが、仮に英国への経済上の悪影響を最小化するために無限にEU残留に近い形(メディアはa soft Brexit なる造語を使っている )を目指そうとするなら、スコットランドの意見に耳を傾けるとの姿勢をそのための追い風として利用できる。離脱派が批判してくれば、連合を脅かすのかと開き直ることも出来よう。メイ首相が残留支持であったことを想起するとあながち牽強付会な見方とは言えないであろう。閣内の要職に離脱派を配したのもa soft Brexit への批判を事前に封じる布石とみるのは余りにマキャベリアンであろうか。

 スコットランドにも色々な考え方がある。独立、独立と騒ぐより、EUから返ってくると思われる諸権限とくに漁業・農業・高等教育などの分野における権限を、この際最大限英国政府からスコットランド政府に委譲させるよう動き始めるほうが余程実際的であり、スコットランドのためになると論じる向きもある。

 スタージョン首席大臣が好んで使う表現に「海図なき領域(unchartered territory)」がある。EUが発足したとき、離脱する国家が現れることなど誰も想定していなかった。それが実際起こってしまったのだから、そこはもう前例のない(海図なき)領域なのである。「海図なき領域の時代だからこそ、スコットランドも海図なき領域を進むのだ。スコットランドが独自にEUに残留しようと交渉するのも一概に無茶な試みとは言えない。」と主張するのである。(デンマーク本国がEUにとどまりつつ、デンマーク領であるグリーンランドが離脱した例を挙げ「逆グリーンランド方式」などという造語も使われ始めている。)  英国全体もスコットランドも、今後しばらくは海図なき航海を続けざるを得ない。それを間近に観察する機会を与えられたことを多として、引き続きこれらの航海を注意深く見守っていくことにしたい。

(なお、本稿に表明された見解は、筆者個人のものである。)
7月26日記

『日本とシンガポール―外交関係樹立50周年に寄せて』2016-06-18

『日本とシンガポール―外交関係樹立50周年に寄せて』


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竹内 春久  
前駐シンガポール大使


1966年4月26日、日本とシンガポールは外交関係を樹立した。2016年は外交関係50周年に当たる。これを記念して、4月26日には安倍総理とリー・シェンロン首相の間でメッセージが交わされた。また、4月24日から27日まで、シンガポールのバラクリシュナン外務大臣が訪日し、岸田外務大臣と会談したほか、安倍総理表敬、第11回日本・シンガポール・フォーラムへの出席など精力的に日程をこなした。本年9月には、リー・シェンロン首相の訪日が予定されている。これらの概要については外務省のホームページに掲載されている(1)。

 本年は、一年を通じ、日本、シンガポール両国で外交関係50周年にちなんで各種の行事が行われている。日本では、現在、福岡市美術館でシンガポールのプラナカン文化を紹介する「サロンクバヤ:シンガポール 麗しのスタイル つながりあう世界のプラナカン・ファッション」展が開催されている(4月17日から6月12日まで)(2)。同展は、その後、7月26日から9月25日まで、東京の松濤美術館でも開催される。  

 シンガポールでは、4月には、裏千家千玄室大宗匠が来訪され、大統領官邸でトニー・タン・ケン・ヤム大統領夫妻に呈茶、アジア文明博物館では平和のための献茶式を行い、多くの人々に感銘を与えた。また、本年10月29・30日には、シンガポールの目抜き通りであるオーチャードストリートのニーアンシティ・シビックプラザで「SJ50 Matsuri」が開催される予定である。シンガポールにおける交流行事の詳細については、2007年の安倍総理とリー首相の合意の基づき、シンガポールにおける日本文化発信と両国間の交流促進のために設けられた日本大使館ジャパン・クリエイティブ・センター(JCC)のウェブサイトを参照願いたい(2)。

(1) http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003250.html
(2) http://www.fukuoka-art-museum.jp/
(3) http://www.sg.emb-japan.go.jp/JCC/

現在の日本とシンガポールとの関係は良好である。両国が二国間関係の文脈においてのみならず、急速に動いている国際情勢の中で幅広い課題について連携する関係にあることは両首脳のメッセージにも述べられている通りである。

 今日、シンガポールを訪れる日本人は年間80万人前後、日本を訪れるシンガポール人はここ数年大幅に増え、2015年には30万人近くに達している。シンガポール国民・永住者の人口が約340万人であることを思えば、驚くべき数字といってよい。シンガポール在勤中、私より日本のことをよく知っているのではないかと思わせるシンガポール人に巡り合うこともしばしばであった。

 シンガポールの在留邦人も2013年の2万8千人から2015年には3万7千人と、ここ数年大幅に増加している。地理的な要衝であることに加え、国を開き、ビジネスのしやすい環境を提供することを一貫して国の政策としてきたシンガポールには、早い時期から多くの日本企業が拠点を設けてきた。最近ではこれらの拠点に東南アジア、さらにはインド、オーストラリアを含めた地域の統括機能を持たせる企業も多い。また、シンガポールは治安が良く、家族とともに生活しやすいとの事情もあるものと思われる。

 経済面では、近年、シンガポールから日本への直接投資が増えていることも注目される。2014年末時点で、日本への海外からの直接投資累積額でシンガポールは国別で第5位、累積額は140億米ドルに上る。さらに、2015年単年のフローで見ると、日本への海外からの直接投資額でシンガポールは国別で第2位、19億米ドルに上る。シンガポールの地元紙に東京の都心にある不動産物件の広告が出ることも珍しくない。

 シンガポールにおける日本食レストランは1100軒を超えた。民間企業が主催して開催されるアニメフェスティバルにはコスプレ姿の若者を含め、毎年、3日間で8万人とも9万人ともいわれる来場者がある。日本のライフスタイルの対する関心も高い。シンガポールでも少子高齢化への対応が課題となっているが、ここでも課題先進国としての日本の対応が注目されている。中国の台頭、韓国の発展により日本の存在感が相対的なものになっていることは事実であるが、ソフトパワーとしての日本は依然として健在であるといえる。

 東日本大震災に際してシンガポールの人々から示された厚情も忘れてはならない。地震発生直後にはシンガポール官民からの緊急援助が行われたが、これに加え、シンガポール赤十字社には約30億円に上る義捐金が寄せられた。この資金の一部は、福島、宮城、岩手3県の4か所に多目的ホールなどを建設する費用に充てられ、完成した施設はいずれも地域の復興に寄与している。これに加え、シンガポール赤十字では本年から地域のニーズを踏まえた新たなプログラムの実施にも着手している。本年の熊本地震の際にもシンガポールから数多くの厚意が寄せられている。

 しかし、関係が良好だからといって日本とシンガポールがお互いのことを当然視してよいというものではない。急速に動く国際情勢の中で、絶えることなく意思疎通を図り、相互に学びあう努力を重ねなければならない。また、外交関係樹立当時のシンガポールの対日感情には戦争の記憶から厳しいものがあったこと、その後、日本、シンガポール双方の先達の努力の積み重ねにより、長い道のりを経て、今日の二国間関係の隆盛があることにも改めて思いを致したい。

 シンガポールはいつもよい意味で爪先立っている。常に一歩先、二歩先を見通して、そこから逆算して、今、何をしなければならないかを考え、実行するという手法は各界に行き渡っているように思われる。さもなければシンガポールはより大きい国々の間で埋没してしまうしかないとの危機感があるのであろう。国情の違う日本にそのまま適用できることではないが、少なくともその姿勢には学ぶべきものがあると思う。

 シンガポールに暮らしてみると、今日の日本とシンガポールの関係は、もはや政府対政府、ビジネス対ビジネスという関係を超えて、社会と社会が相互に幅広く作用しあう関係にまで至っていると感じる。日本・シンガポール外交関係樹立50周年が両国間の幅広い交流、特に若い世代の交流をさらに活発なものとするきっかけとなることを期待したい。(5月18日記)

(以上)

『安倍首相もアリゾナ記念館訪問を』2016-4-15

『安倍首相もアリゾナ記念館訪問を』


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小川 郷太郎  
元駐デンマーク大使


日米首脳による「相互献花外交」

4月11日、G7外相会議が行われ、ケリー米国務長官を含む先進7か国の外相がそろって原爆慰霊碑に献花した。原爆を投下した米国の現職の国務長官が慰霊碑を訪れるのは初めてである。ケリー長官も広島訪問について肯定的感想を述べた。4月13日付夕刊は、米大統領報道官が5月の伊勢志摩サミットに参加するオバマ大統領の広島訪問を前向きに検討していることを明らかにしたと伝えている。ただ、米メディアはオバマ氏の広島訪問には米国内に根強い反発があることも指摘している。

ジャーナリストの松尾文夫氏がかねてよりアメリカ大統領による広島・長崎訪問と日本の首相による真珠湾のアリゾナ・メモリアル(記念館)訪問による「相互献花外交」を提唱している(例えば、2009年「中央公論」12月号参照)が、筆者もこれを強く支持している。日米開戦の端緒になった場所と終戦を決定づけた出来事の舞台を日米両首脳が相互に訪問することは、戦争に関連する両国国民の和解の気持ちを高めるうえで大きな効果があると考えるからである。安倍総理が早期にアリゾナ・メモリアル訪問を決意することは、オバマ大統領の広島訪問に関する米国内での抵抗感を和らげる効果も期待される。

被害者と加害者の間の巨大な認識ギャップ

筆者が相互訪問を強く望むのは個人的体験にも根ざしてる。1961年の夏からAFS交換留学制度で1年間アメリカの高校に留学し、その間ホストファミリーのローズ家の一員として迎えられた。その年の秋ごろ、いつものように家族と夕食の食卓を囲んでいるなかで、私は日本の日常的な話はある程度してきたのでそろそろ何か別の話題を取り上げようと考えた。アメリカ人の原爆に対する考え方を承知はしていたが、渡米前に修学旅行で見た原爆記念館の展示が強く脳裏にも残っていたことや、アメリカの家族とも親密になってきていたこともあり、原爆による被害がいかに凄まじく悲惨なものであったかを、まだ不十分な英語で訥々と話し始めた。

するとどうだろう、始まったばかりのところでアメリカの母は私の話を遮って、「ゴウタロウ、ちょっと待って。あなたは何を言うの」と大声をあげた。その声の大きさに思わず見上げると母の顔は紅潮し目も吊り上っていた。「宣戦布告なしのあの卑怯な戦争を仕掛けたのは日本でしょう。原爆は長引いた戦争を早期に終わらせるために必要だったのよ」と語気を強めた。地元の大学に通う姉のベティーも興奮して「そうよ、アメリカ人は決してパールハーバーを忘れないのよ。日本が卑怯だったのよ」と母を加勢した。普段は和やかだった食卓が一挙に熱を帯びた論争の場と化した。父も弟のビルも、もう一人の姉のサリーもじっと私の反応を待つかのように食い入るように私を見ていた。次に私がどう答えたかはよく覚えていないが、それでも兵器としての原爆の非人道性には凄まじいものあることを言いたかったなどとを呟いて、また反論を浴びたような記憶がある。

思うに、私の方には原爆については何となく被害者意識があって持ち出したのだが、迂闊に原爆のことを持ち出した時のアメリカ人の「パールハーバー」に対する被害者意識の激しさを期せずして記憶に叩き込む結果となった。その後、学校のアメリカ史の授業では日本による真珠湾攻撃に多くのページが割かれ、12月7日はアメリカにとって「屈辱の日」であることが強調されていた。原爆投下が日本との戦争の終焉を早めたとして肯定的に教えられていることも改めて知らされた。この日の出来事によって、歴史における被害者と加害者の認識の巨大なギャップについて胸に深く刻み込むようになった。

アリゾナ記念館で見たもの

私は1998年4月に在ホノルル総領事に任命された。前任者の助言を受けて、着任後最初にとった行動として、アリゾナ・メモリアル(記念館)に出向き、献花をした。日本帝国海軍の奇襲攻撃によって沈んだままの状態にある戦艦「アリゾナ」は静かな碧い半透明の海の底にあり、僅かにそこから気泡が水面に浮かび上がっていた。艦の中にはまだ海軍兵士1177人の大多数の遺体が眠っているという。海上に浮かぶ記念館に向かう船上で案内役の米海軍士官は真珠湾を囲む山を指しながら、「あの方角から日本の攻撃機が多数飛来して爆撃して行った」と冷静に説明してくれた。臨場感溢れる雰囲気の中で、私は当時の模様を静かに心に描いてみた。実際、後年になって当時の状況を記録したアメリカ側作成の実写フィルムを見ると、攻撃の凄まじさとその規模を知ることができた。祖国のためにとこの攻撃に参加した若い日本兵たち、そして多大な犠牲を被った米海軍と傷つけられた米国の威信。日本軍の攻撃によって、地元をはじめとする全米の日系人が多大な苦難を経験した。私は心を込めて海の上に花束を手向けてじっと祈られずにはいられなかった。

献花は死者を悼む行為

アメリカ国内には、オバマ大統領の広島訪問が原爆投下に対するアメリカの謝罪と受け止められるので反対する世論がある。終戦後70年余りが過ぎ、相互の国民の感情にも変化がみられ、最近の若い世代のアメリカ人にも原爆投下について批判的な立場の人もいると聞く。 前述の松尾文夫氏は、相互訪問は「謝罪ではなく死者を悼む献花」であるとして実現すべきだと主張している。日米間に相互に相手に対し被害者意識があるので、両国双方の機微な感情問題から生ずるであろう摩擦を回避するうえで相互訪問は極めて賢明な行為である。1970年、後にノーベル平和賞を受けることになったドイツのアデナウアー首相が、ワルシャワのユダヤ人ゲットーの跡地に赴きナチスによって犠牲になったポーランド人の記念碑に跪いて献花したことが、多くの人の心を打ったことが想起される。オバマ大統領が広島訪問を検討しているのであればなおさら、安倍総理が速やかにアリゾナ・メモリアル訪問を決意し意思表示することが、日米両国民の心理的距離を縮めることになる。総理の早期の決断を期待したい。

『ローマとモスクワ、教会間の「デタント」実現』2016-3-23

『ローマとモスクワ、教会間の「デタント」実現』


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上野 景文  
杏林大学客員教授


1.はじめに ―― 会談の実現

先月ついにローマ法王とモスクワ総主教の会談が実現した。国際社会は、(カトリック教会と正教会間の)「千年の別離」に終止符を打つべく行われたこの会談を好感した。それは、世界各地で「反目」や「分断」を伝えるニュースが氾濫する中で、法王と総主教が今回示した「融和」の姿勢に、ほっとさせるものがあったからだ。

国際メディアからは、「歴史的快挙だ」、「サプライズだ」などのコメントが聞かれたが、両首脳の出会いがいつ実現するかは、私がまだバチカンにいた6~10年前、既に各国大使の関心事であり、誰もがやがて二人の出会いは実現すると見ていた。漸く実現したことは感慨深いが、私は、会談実現に向けての「流れ」はつとに出来ており、今回の出会いは「起きるべくして起きた」もので、意外性は低かったと見る。

2.既に関係修復は進行

どう言うことか。ローマ法王と(14ある正教会中序列1位の)コンスタンチノープルの総主教とが、950年続いたカトリック教会(西方教会)と正教会(東方教会)の「別離」に終止符を打つべく会見した1964年に、東西両教会関係の修復は始まった。以降半世紀の間に、ロシアを除く正教会(ギリシャ正教会、ルーマニア正教会、セルビア正教会など)は、トップレベルの会見実施を含め、ローマとの関係を概ね修復済みだ。加えて、モスクワも、トップの会談こそ避けて来たものの、ローマとの交流を密に行っている。つまり、東西の教会関係修復は、既に99%以上達成されていると言って差支えない。

加えて、カトリック教会と正教会は、保守的思想を共有する「似た者」同士だ。思想的には「同志的」間柄と言って良かろう。この10年を振り返ると、生命家族倫理や政教分離の問題で、西側の進歩的メディアがバチカンを叩くたびに、モスクワは、バチカン擁護の声明を発出している。強力な両教会が、キリスト教世俗派やイスラム 過激派に対抗するべく共同戦線を組めれば、インパクトは大きい筈だ。

従って、法王とモスクワの総主教の会談はやがては実現すると目されていた。だが、歴史は一直線には進まなかった。それは、特にモスクワにカトリック教会への警戒感があったからだ。換言すれば、歴史問題の「壁」があったことが、モスクワとローマの間の教会レベルでのフルデタントの実現を阻んでいた。

3.歴史認識面の折り合い

すなわち、ロシア正教会内部では、数世紀前「自分達の縄張り」に手を突っ込んで来たローマへの怨念が今日なお強く、「嫌西欧感情」が根深い。この被害者意識は、ポスト冷戦期に東欧への拡大を通じて「自分達の縄張り」に手を突っ込んで来た欧州連合(EU)に対しプーチンが抱く怨念にも繋ながる。つまり、正教会もプーチンも、欧州にある東西二つの文明圏を分断する「ビロードのカーテン」と呼ばれる境界線より東は「自分達の縄張り」と見做し、西側に手を突っ込まれることをいたく嫌う。特に正教会は、数世紀昔にローマがウクライナに手を突っ込み、正教会信徒をカトリックに改宗させたことを決して忘れていない。

因みに、「ビロードのカーテン」より西は、ラテン系(ないしゲルマン系)言語、ローマ字、カトリック教会を核とする西欧文明圏、東は、ギリシャ語ないしスラブ系言語、ギリシャ文字(ないしキリル文字)、正教会を核とする東欧文明圏だ。この「ビロードのカーテン」を挟んで1,600~1,800年に亘り睨みあって来た両文明は、夫々、西ローマ帝国、東ローマ帝国を源流としており、両文明の異質性は、帝国の東西分裂に遡る根の深さを有する。

今回発表された共同宣言では、この正教会の怨念に配慮して、カトリックによる「反省」が謳われた。この点に私は、今回の出会いが有する最大の意義があると見る。すなわち、14の正教会(東方教会)の中で最大勢力を誇るロシア正教会(モスクワ)とカトリック教会(西方教会、ローマ)が、「歴史認識」を巡り折り合いをつけたことは、高く評価して良い。

中南米出身のフランシスコ法王は、開発途上国や東欧の人々が抱きがちな西側先進国への被害者意識を肌で知っており、今回法王は、モスクワの被害者意識に特に配慮した形で、歴史認識を示した訳だ。欧州出身の歴代法王に比べ、この面で、フランシスコ法王はより高い感度の持ち主と思われる。

4.展望

両教会間のデタント実現により、今後、両教会間の「同志的」連携は容易となろう。ただ、要注意事項が一つある。それは、「文明の壁」の存在だ。確かに、今回東側の怨念は緩和された。が、「ビロードのカーテン」そのものがなくなった訳ではない。否、欧州の西と東の二つの異質な文明圏が「カーテン」を挟んで対峙する「構造」そのものは健在だ。 かつて、カーテンの「東」側を象徴する人物はビザンチン皇帝であった。後年、その役割は、ロシア皇帝が引き継いだ。ロシア皇帝は、ビザンチン皇帝の「継承者」として、「第三のローマ」たるモスクワを拠点に正教の守護者を演じた。この意識は今日、モスクワ総主教(とプーチン)に引き継がれている。つまり、ロシア正教会は、「自分達は『東』の代表だ」との自負心や「西への対抗心」が強い。今後、教会レベルで東西のデタントは更に進むと目されるが、この「文明の壁」を看過してはなるまい。

5.むすび

「第一のローマ」と「第三のローマ」の「代表」による今回の会談は、ローマ帝国分裂を源流とする「東西二つの文明」の対峙というスケールの大きな構図、1,800年の歴史の流れを想起させてくれる刺激的ニュースであった。文明・歴史マニアにはたまらなく魅力的な出来事であった。両教会間の雪解けが更にどう進むかは、今後の欧州の姿を占う上からも、着目したい項目だ。

なお、ロシアに於いては、冷戦終結(1991年)頃を境に、国家のアイデンティティーの核が共産主義からロシア正教に交代し、その結果、国民を纏めるために、或いは、統治を円滑にする上で、教会が果たす役割は重みを増し、その存在感も高まっている。ローマとモスクワの教会間の連携が進めば、正教会内部の「嫌西感」が緩和され、やがては、ロシア社会全般の「嫌西感」の改善に繋がることが期待される。

『海洋法から見た南シナ海問題』2016-3-1

『海洋法から見た南シナ海問題』


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堀口松城  
日本大学客員教授  


はじめに

 中国が「九段線」によって主権ないし主権的権利を主張する海域は、南シナ海の約80%に相当するとされ、漁業などの影響を受ける周辺国や、海洋の自由および海洋における法の支配を主張するわが国などとの間で紛争となっている。中国の主張に対し、フィリピンは国連海洋法条約(以下、「海洋法条約」)に従い仲裁裁判所にその無効宣言を求めて提訴したが、中国は本問題について仲裁裁判所は管轄権を持たず、裁判に参加しないとの立場を通告した。しかし、2015年10月仲裁裁判所はフィリピンの申し立ての一部については管轄権を認め、その他の申し立てについては本案と合わせて管轄権の有無を検討する旨の判断を公表した。以下、本問題の背景と仲裁裁判所の判断の内容および今後の見通しについて述べてみたい。

1.本問題の背景、とくに中国の主張について

(1)南シナ海ではフィリピン、ベトナム、マレーシアが周辺海域における岩礁の占拠で先行していたが、中国はベトナムとの数次にわたる軍事的衝突を経て、1970年代にはパラセル(西沙)諸島、1980年代にはスプラトリー(南沙)諸島海域の岩礁を支配し、1990年代にはフィリピン周辺海域のミスチーフ礁を占拠して南シナ海の島嶼への支配を強めた。その過程で、南シナ海の島嶼に対する領有権および海洋境界画定をめぐる紛争が中国および周辺国との間で生じているが、この紛争の背景にあるのが中国による南シナ海における「九段線」の主張である。

  この南シナ海における「九段線」の起源は、1930年代に南シナ海における中国の島嶼名の一覧として中華民国が作成した地図にあり、その後1947年に「九段線」が掲載された初めての南シナ海の地図が中華民国の公式な地図として刊行され、1949年に成立した中華人民共和国作成の地図にそのまま踏襲された。ただ、この「九段線」は南シナ海の殆どの島嶼を包摂しているが、その範囲内の領土に限った主張なのか海域をも含むものであるかを含め、中国政府はその具体的内容についてこれまで公式な説明を行っていない。

  一方、海洋法条約は条約の一体性を確保するため、条約の解釈、適用について義務的な紛争解決手続きを定め、一定の適用除外の場合を除いて司法的解決を用意している。今回のフィリピンの提訴はこの規定に基づくものであるが、他方、中国は2006年の海洋法条約批准時に、拘束力を有する決定を伴う義務的調停手続きの適用からの選択的除外として、島に対する主権その他の権利に係る未解決の紛争、境界画定に係る紛争、軍事的活動に関する紛争は、調停に付さないとの適用除外宣言を行っている。 (2)2009年5月マレーシアとベトナム両政府が、海洋法条約の定めに従い南シナ海における両国の200カイリ以遠の大陸棚延長に関する共同申請を大陸棚限界委員会に提出した。これに対し、中国は2009年5月国連事務総長あて口上書において、大陸棚限界委員会手続規則に基づき同申請を取り上げないよう求めた。中国はその理由として、両国の共同申請が「中国の南シナ海における主権、主権的権利および管轄権を深刻に侵害するものである」としつつ、「中国は南シナ海および隣接海域における諸島に対し争う余地のない主権を有しており、関連海域およびその海底とその下部について主権的権利および管轄権を有している」と主張し、「九段線」を描いた地図を添付した。

 中国がここで言及している「関連海域」の範囲や添付した地図の法的意味など不明なままであったが、フィリピンなど一部の周辺諸国は、中国の主張が島を起点とする海域に限定されない限り海洋法条約と整合しないとして異議申し立てを行った。中国はこれに対し2011年4月フィリピン宛ての口上書において、中国政府は1930年代から中国の南沙諸島の地理的範囲およびその構成要素の名前を何度か公にしており、中国の南沙諸島は明確に定義されているとしつつ、海洋法条約の関連規定、中国の領海および接続水域に関する法律(1992年)や中国の排他的経済水域(EEZ)、および大陸棚に関する法律(1998年)によって、中国の南沙諸島は領海、排他的経済水域および大陸棚を完全に有することができると反論した。中国はその主張が歴史的権利に基づくとしつつも、ここでも「九段線」への具体的言及はないままであった。

2.海洋法条約から見た中国の主張、とくに「歴史的権利」の主張の問題点

(1)中国は1992年に領海法を制定し、その領土として中国大陸ならびにその沿海の島嶼、台湾および釣魚島(尖閣諸島)を含む付属の各島、澎湖、東沙、西沙、中沙、南沙各諸島および中国に属するその他すべての島嶼が含まれると規定した。そして、この領海法を受けて1996年には領海基線に関する宣言を行ったが、この宣言では中国本土沿岸の直線基線と西沙(パラセル)諸島の周囲の直線基線のみを設定した。次いで2012年には尖閣諸島の基線を設定したものの、南沙諸島など南シナ海の他の海域の基線は未だ公表されていない。西沙諸島については中国のほかベトナム、台湾の間で帰属が争われているが、中国の宣言した西沙諸島を取り囲む直線基線は、海洋法条約上、直線基線は海岸線が著しく曲折しているかまたは至近距離に一連の島がある場所に設定できるとの規定に照らし問題がある。

  さらに、南シナ海で中国が占拠している対象のうち低潮高地について、海洋法条約では基本的に領海は持てず、これを埋め立てた人工島は500メートルの安全水域を持てるにとどまるが、ただ、これら複数の低潮高地が高潮時に水中に没するか否か事実関係が明らかでないものがある。

(2)中国が「九段線」は海洋法条約成立以前に既に存在していたとする歴史的権利の主張について、海洋法条約には湾に適用する場合および沿岸に適用する場合についての規定はあるが、その定義や制度に関する規定はない。しかも、歴史的権利はこれまで湾と沿岸についてのみ存在し,EEZや公海、大陸棚に適用された例はない。

 さらに一般国際法上、歴史的権利の存在を証明する義務はその主張国にあり、3要件、すなわち(イ)その国家が当該水域に対し、公開、周知、実効的な権限を行使し、(ロ)その権限を継続的に行使し、(ハ)同権限の行使が外国から黙認されていることを立証する必要があるが、「九段線」について中国はこのいずれの条件も満たしていない。

3.仲裁裁判所の判断

(1)2013年1月フィリピンは海洋法条約に基づく仲裁手続きを開始し、同年6月にはガーナ(裁判長)、仏、ポーランド、蘭、独の5名の仲裁人からなる仲裁裁判所(以下、「裁判所」)が設置された。

  フィリピンは2014年3月に裁判所に申述書を提出し、(イ)中国の「九段線」に基づく主張は海洋法条約に違反し無効である、(ロ)南シナ海のいくつかの地形はEEGおよび大陸棚を有しない岩である、(ハ)中国は南シナ海におけるフィリピンの権利侵害をやめるべきである、との3点を宣言するよう求めた。このフィリピンの提訴は海洋法条約の解釈と適用に関する裁判所の判断を求めることに絞られ、中国側が宣言した海洋法条約の強制的仲裁の適用除外事項に触れぬよう主権の問題及び境界画定問題には言及を避けている。

  これに対し、中国は同年12月自国の「ポジション・ペーパー」を対外発表し、中国は仲裁裁判所の管轄権を受け入れない、また、仲裁手続きに参加しないとしつつ、(イ)フィリピンの一方的な仲裁手続き開始は、事前の意見交換を必要とする海洋法条約違反である、(ロ)フィリピンの申し立ての本質は領土主権に関する問題であり、同条約の適用の問題を超えている、(ハ)本紛争の実態は境界画定問題であるが、中国は同問題が紛争解決手続きの適用除外である旨宣言済みであるとする3点を述べた。

(2)2015年10月29日仲裁裁判所は本件に関し、上記のフィリピンおよび中国の主張について以下の判断を示した。先ず予備的事項として以下を指摘した。

(イ)海洋法条約の紛争解決に関する規定は同条約の不可分の一体であり、一定の例外を認めてはいるが、同条約の紛争解決制度からの全般的な適用除外は認めていない。

(ロ)中国は本仲裁裁判に参加していないが、裁判所は、一方の当事者の欠席によって手続きの進行を妨げないとする同条約の関連規定に基づき、本件に関する管轄権を有する。

(ハ)中国は、2002年に採択された中国・ASEANの「行動宣言」によって、南シナ海における紛争解決はもっぱら交渉によるべき旨合意があったと主張しているが、同合意は政治的合意であって法的拘束力は有しておらず、海洋法条約とは無関係である。また、中国がフィリピンの一方的提訴は本条約の紛争解決規定の乱用としている点について、一方的訴訟の開始自体は条約の乱用ではない。また、海洋法条約の解釈と適用に関する紛争の有無について、裁判所はかかる紛争の有無を判断するうえで中国の立場のあいまいさに触れざるを得ず、また、海洋法条約と歴史的権利の関係の問題も同条約の解釈に関する紛争そのものである。

  さらに、フィリピンが提訴に当たって、海洋法条約が求める紛争解決の方法に関する当事者間の事前の意見交換義務を果たしたか否かについて、一方の当事者が交渉の可能性を尽くしたとの結論を下したときには、それ以上の努力を求められないことは一般国際法上十分確立している。

(3)そのうえで裁判所は、フィリピンの15の申し立てに関する管轄権の有無について以下3つのカテゴリーに分けてその判断を明らかにした。

(イ)管轄権ありとした7つの申し立ては、(a)スカボロー礁がEEZ、大陸棚を有するか、(b)~(c)ミスチーフ礁など5つの礁は低潮高地であるか、(d)ジョンソン礁など3つの礁はEEZ、大陸棚を有するか、(e)~(g)中国はスカボロー礁などにおいて海洋法条約の義務に違反していないか、に関するものであった。

(ロ)次に、裁判所が管轄権の有無を本案段階で検討するとした7つの申し立ては、(a)南シナ海における中国の海洋の権限は、海洋法条約で認められたものを超えることはできないか、(b)「九段線」、「歴史的権利」の主張は海洋法条約に違反し法的効果を持たないか、(c)ミスチーフ礁など2つの礁はフィリピンのEEZ、大陸棚の一部か、(d)中国は、フィリピンのEEZ、大陸棚における権利を侵害したか、(e)~(f)中国のミスチーフ礁の占領と建設活動は海洋法条約に違反するか、(g)本件仲裁手続き開始以来、中国のセカンド・トーマス礁周辺海域の行動は紛争を悪化させたか、についてであった。

(ハ)さらに、管轄権の有無を本案段階で検討するとしつつ、フィリピンに対しその内容を明確にするよう求めた残り1つの申し立ては、中国はさらなる違法な主張および行動を控えなければならないか、とするものであった。

 本仲裁裁判所は上記判断を踏まえ、2016年中ごろにフィリピンによる提訴に関する残された管轄権の有無および本案に関する判断を下すものと予想されている。

4.今後の見通し

 海洋法条約は、条約の解釈、適用をめぐる国家実行の集積を通じて実質的に画定されるという力学性を持つ部分が少なくなく、海洋法秩序の展開には沿岸国の海域に対する管轄権の拡大あるいは領有化を目的とする「忍び寄る管轄」が大きな役割を果たしており、その点で海洋における一国による利益の獲得、侵害を拒否し、制裁する力(軍事力)が重要な要素となる。

 「九段線」に関し、中国は同海域における島々に対し争う余地のない主権を有するとし、いくつかの礁を埋め立て滑走路を築くなど既成事実をつみ重ねているが、依然として具体的内容は明らかにしておらず、その間、米国の懸念表明を受けて「南シナ海における航行および上空飛行の自由を保障する国際法上の義務は果たす」旨の声明を出しており、具体的内容をさらに検討している可能性も考えられる。

 一方、習近平主席は先般の第70回国連総会演説において、「中国は国連憲章の最初の調印国であり、国連憲章に掲げられた主旨と原則を核心とした国際秩序と国際体系を引き続き守っていく」と述べていることからも、わが国としては米国などと緊密に協議しつつ、できるだけ多くの関係国とともに、中国に対し10年の交渉の末にようやく採択され発効した海洋法条約を核心とする海洋秩序を守ることが、責任ある大国としての中国の真の評価につながる点をねばり強く働きかけていくことが肝要と思われる。

『シリア内戦の終わりの始まり、「イスラム国」打倒へ』2016-2-11

『シリア内戦の終わりの始まり、「イスラム国」打倒へ』


国枝 昌樹.jpg  


国枝 昌樹  
元シリア駐在大使  


シリア内戦の潮目の変化

1枚の写真がシリア内戦の潮目を変えた。

 2015年9月3日、トルコの海岸の浜辺に打ち寄せるさざ波に洗われながら昼寝をしているような3歳の幼児の写真が世界を駆け巡った。前日、家族と一緒にトルコからギリシャの小島を目指して海に乗り出したが高波に襲われて溺死し、浜辺に打ち上げられたシリア人幼児の死体だった。母親と兄も溺死し、父親だけが助かった。極端な保守イスラム過激主義グループの「イスラム国」(IS)が奪取を目論んで攻撃を繰り返したトルコ国境に隣接するコバニの町を逃れてドイツを目指したシリアのクルド人家庭だった。

 余りにもいたましい写真に欧米諸国の世論が反応し、欧州連合(EU)では大量のシリア人難民を受け入れる方向に舵を切った。その結果は、2015年だけでドイツは109万人の難民申請を受け付けることになり、その半数がシリアからの難民とみられる。

 難民を救援したい。しかし、これほど大量の難民を吸収し続けることはできない。問題の所在は明らかだ。シリアの内戦をできる限り早期に解決すること。さもなければ、これからも難民は出続ける。その為に立場を異にする関係諸国であっても、現実を受け入れた解決策を作って、それをシリア政府と反政府武装組織に呑ませ、その上でISの打倒を目指す。

 そんな空気が生じて来たところに、9月30日ロシアがシリア政府側に立って軍事介入に乗り出した。それは怒涛の空爆といってよかった。それまで過去1年間余り米軍が主導する有志諸国軍がイラクとシリア領内のISを空爆してきていたが、ロシアの空爆はその4倍あるいはそれ以上の頻度の出撃数で爆弾の破壊力もすさまじいものだった。

紆余曲折を辿る国際協力の構築

 ロシアの行動は解決策を模索する欧米諸国の動きを加速させた。初めてイランが正式に招待され、17カ国3国際機関が参加して10月30日にウィーン会議が開催された。日本は呼ばれない。引き続き11月14日に2回目の会議が開催され、2回の会議の成果は12月18日国連安全保障理事会で承認された。

 その間の11月13日、IS関係者によるパリ同時多発テロが発生し130人が殺される事件が発生すると、フランス政府はロシアも加えてIS包囲網を作り、IS空爆の強化を目指した。そんなときの11月24日、トルコ軍機がトルコ領を侵犯したとしてロシアの戦闘爆撃機を撃墜する。トルコ側は撃墜前に侵犯警告を10回繰り返したが無視されたので撃墜したとして、その警告音声を公表したが、トルコ人管制官による早口の聞き取りにくい英語で、しかも雑音が激しい。それを騒音に包まれるジェット戦闘爆撃機のコックピットで、しかもロシ人が聞いてどこまで理解ができたのだろう。それは兎も角、それ以来両国の関係は非常に緊張し、効果的なIS包囲網の構築が危ぶまれた。しかし、別の見方をすれば、これまで兎角ISとの関係が取りざたされてきているトルコとしては今までのような微温的な対IS姿勢はもはや取り得なくなって、却ってISに対する包囲網が強まることが期待できよう。そもそも米国が主導するIS空爆がこれまで期待ほどの成果を上げられなかった大きな理由にトルコ政府によるインジェリック空港の使用不同意があった。トルコはNATO加盟国であり、米軍はトルコ国内の同空港を自由に使用できる筈で、同空港からIS支配地域までは30分からせいぜい1時間の飛行距離にある。従って、迅速で臨機応変の爆撃ができるのだが、トルコ政府は15年7月まで1年間同意しなかった。その為に米軍機は遥か彼方のサウジアラビアやカタールの空港あるいはペルシャ湾を遊弋する航空母艦から地上攻撃機を飛ばさざるを得ない。これでは運用機種が限られるほかに、爆弾を搭載した機体は1時間半から2時間飛行して初めて爆撃地点にたどり着き、基地に帰投するまでに各機は3回ないし6回の空中給油を必要としていた。パイロットたちは過重な負担を強いられていた。そして、爆撃実施までの時間がかかりすぎてその間に標的が姿を消してしまうことが少なくない。やっとトルコ政府の同意が得られた結果、米空軍は強力な地上爆撃機を運用することができることになり、迅速な対応が可能になった。

 年が明けた正月2日、また火種が燃え上がった。15年に死刑囚153人を斬首したサウジアラビア政府は、死刑判決を受けていた騒擾関係者47名の処刑に踏み切った。その中に著名なシーア派サウジアラビア人の導師が含まれたので、イラン政府は猛烈に反発した。国民も反応してテヘランのサウジアラビア大使館を襲撃した。するとサウジアラビア政府は直ちにイランとの断交を発表し、他の湾岸諸国もほぼ同調した。イラン側ではロウハニ大統領が事態の鎮静化に動いているが、1年前に就任したサルマン国王のサウジアラビア政府は強硬姿勢を強めるばかりだ。米国が早速動き、ロシアも仲裁に乗り出す構えを示し、フランスや国連も事態の正常化に向けて呼びかけた。サウジアラビアとイランの対立が、ようやっと動きそうに見えるシリア内戦停止への取り組みとIS掃討に向けた国際社会の努力を無にしないように超大国とその周辺諸国が懸命に外交努力を進めている。それはちょうど競争相手同士の組織の親分衆が共通の目標を掲げて手打ちをしているときに、有力な子分衆同士で突っ張って衝突し、慌てた親分衆が右往左往する構図に重なる。

シリア国内の新しい動き

このような国際社会の動きがある一方で、シリア国内の情勢には一つの動きが明確になってきている。

 去年夏ごろまではシリア政府軍が戦闘現場で受け身に立たされじりじりと後退を重ねて来て秋になると政府軍と反政府武装組織との間で膠着状態が見られた。その後ロシアの軍事介入で政府軍側が反転攻勢に出て北部と南部でやや優位を回復してきた。そんな中で、政府側と反政府武装組織側との間で地域限定的な停戦合意が実施されてきたのだ。14年2月にはダマスカス近郊のバビーラ地区に立て籠もっていた反体制派武装グループと周辺を封鎖して兵糧攻めをしてきていた政府軍との間で停戦合意ができて反政府派戦闘員は恩赦を受け、同地区は平静さを取り戻して住民が戻り始めた。この他の地区でもいくつか同様の動きがあり、いくつかの成功例が続いた。15年秋になるとその動きが大規模化した。レバノンとの国境に近く、首都ダマスカスから50キロのザバダーニ市全体を占拠していた反体制派武装グループは次第に政府軍とレバノンのシーア派民兵組織であるヒズボッラの合同軍に追い詰められていたが、15年9月に両者間で停戦と反体制派戦闘員の安全な退去、さらにイドリブ州で反体制派武装組織から攻勢を受けて苦しんでいたシーア派住民が住む2カ村からの住民の安全な退去について合意ができて、その合意はその後発生したロシアの軍事介入にもかかわらず着実に実施されてきている。さらに、12月になるとホムス市のワエル地区で長らく立て籠もっていた反政府武装グル―プと兵糧攻めを行って来ていた政府軍側との間で合意が成立し、戦闘員とその家族たちは反体制派武装グループが今も占拠する他地域に小銃などを保持したまま政府側提供の車両で退去した。実は前年の14年5月に反体制派戦闘員とその家族たちはグループの一つの本拠地だった同市の旧市街を政府軍側との戦闘休止期間中に合意に基づいて退去し、旧市街を明け渡していたので、これで反体制派によって革命運動揺籃の地と呼びなわされたホムス市から反体制派武装組織はすべて去った。

 そんな中で、数多い反政府武装グループでも規模が大きく、アサド政権の中枢部であり、大統領の弟マーヘル・アサド少将とその軍隊が死守するダマスカスを継続的に脅かして来た中心的な存在である「イスラム軍」の創設者であるザハラン・アルーシュ司令官が12月25日に政府軍爆撃機の空襲により殺された。

 アルーシュ司令官の父はサウジアラビアでイスラム教ワッハーブ派の導師としてつとに知られ、アルーシュ司令官自身ダマスカス大学でイスラム法を学んだ後サウジアラビアのメディーナ・イスラム大学で修士号を取得して、サウジアラビアと強い関係を維持していた。09年以来シリアのサイドナーヤ刑務所に収容されていたが、民衆蜂起が起きた後の11年6月22日に他の被収容者たちとともに大統領恩赦により釈放されると直ちに反政府武装グループを組織し、13年にはそれがイスラム軍に発展した。同日に釈放された被収容者たちの中にはその後同じようにいくつもの反政府武装グループの創設に携わったものが多い。

 イスラム軍はダマスカス東部のドゥーマ市を本拠にして豊富な資金力を持ち、戦闘員は1万7千人を数えた。アルーシュ司令官はアサド大統領が属するイスラム教アラウィ派(シーア派に属するといわれる)を敵視し、民主主義制度を否定し、イスラム法の支配の実現を公言した。この姿勢は反政府武装グループであるアルカーイダ系ヌスラ戦線と近いとの指摘があり、保守復古主義的イスラム主義者とみなされていた。15年半ばからは発言ぶりを軟化させていたが、その頃は戦況が有利に展開しておりアサド政権打倒の見通しが出てきたので国際社会に受け入れられ易い妥協的姿勢を示したものと理解された。

 同司令官の死後直ちにブワイダニ副司令官が昇格した。だが、新司令官がアルーシュ前司令官ほどのカリスマ性を発揮してイスラム軍を統率できるのか、またサウジアラビアと従前の関係を維持できるのか、但しイスラム軍構成員の大半がシリア人といわれる中、過度にサウジアラビアに傾斜することは非常に微妙で、この点をうまく管理できるかなど今のところすべて未知数である。

 イスラム軍の在り方はダマスカス周辺の軍事情勢に影響を与えるだけではなく、IS打倒を目指して先ずシリア内戦の終結を実現させようとする国際社会の今後の取り組みに大きな影響を与える。 (2016年1月9日記)

『「国連気候変動枠組条約」締約国会議COP21「パリ協定」の成立』2016-1-21

「国連気候変動枠組条約」締約国会議COP21「パリ協定」の成立
〜締約国会議(COP15〜COP21)の歴史と展望〜


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SE4All諮問理事会メンバー  
明治大学特任教授  
外務省参与(地球環境問題担当大使)  
堀江 正彦  


 コペンハーゲンCOP15で一度は「死に体」となった国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の締約国会議は、カンクンCOP16とダーバンCOP17で蘇生し、今回のパリCOP21で「京都議定書」に代わる新しい枠組みとなる「パリ協定」に合意した。これまで5回のCOPに出席して来た筆者が、COP15からの歴史を振り返り、パリCOP21での合意内容と今後の展望について、個人的見解を述べる。

<コペンハーゲンCOP15の失敗とそれを蘇生させたカンクンCOP16>

 2009年12月にコペンハーゲンで開催されたCOP15では、2050年までに世界全体の排出量を50%削減、先進国全体の排出量は80%削減することを目指し、2013年以降の温室効果ガスの排出削減目標をどのように決めるかが最大の焦点であった。参加190カ国のうち、98カ国からオバマ大統領、温家宝首相、鳩山首相を含む首脳が出席して、地球全体の気温上昇を19世紀末の工業化前に比較して摂氏2度以下に抑えるべきとの認識の下、熱を帯びた議論が繰り広げられた。最終的には、2020年時点での数量化された排出目標の実現に関する「コペンハーゲン合意」文書が作成されたにも拘らず採択に至らず、単に「コペンハーゲン合意」を「留意する」に止まり、完全な失敗に終わった。

 この失敗の翌年、メキシコのカンクンCOP16における徹夜の交渉により、「コペンハーゲン合意」に基づいて提出する先進国と途上国の双方の排出削減目標を「正式なもの」にすることができたのである。地に堕ちた感のあった気候変動交渉に対する信頼は、「カンクン合意」でようやくのこと繋ぎとめられたと言ってよい。

<京都議定書に関する日本の立場表明>

 このCOP16において大きな焦点になったのは、わが国が京都議定書の第2約束期間の設定に賛同できないことを明確にしたことであった。松本環境大臣は、日本は京都議定書のスピリットは守り続けるが、世界全体のCO2排出量の27%しかカバーしていない京都議定書では気候変動に対処することは出来ないこと、新たな枠組みは世界全体のCO2排出量の80%以上を占める国をカバーする「コペンハーゲン合意」に基づき構築されるべきことを主張した。

 日本はこれにより、不名誉な化石賞の1位を獲得しただけでなく、「日本は自分の子供である京都議定書を葬り去るのか」と各方面から集中砲火を浴びる結果となった。

<ダーバン・プラットフォーム>

 しかしながら、このCOP16における日本の考え方がベースとなり、翌年の南アのダーバンCOP17において、米国、中国、インド、EUそして日本などが、擦った揉んだの挙句に、ギリギリのところで「全ての締約国に適用される議定書、法的文書または法的効力を有する合意成果を2015年のCOP21で採択する」ためのダーバン・プラットフォームの設置を含む「ダーバン合意」に漕ぎ着けたのである。

 その後のドーハCOP18では「ダーバン合意」が言及する緩和、適応、資金、技術開発・移転、行動と支援の透明性、キャパシティ・ビルディングなどの要素を含む、新しい国際枠組みに関する交渉テキスト案を2015年5月までに作成することが決まり、ワルシャワCOP19では、先進国と途上国の双方が、それぞれ自国が達成可能と考える温室効果ガスの削減目標を含む「約束草案」(INDC)を可能ならば2015年3月末までに提出することが決まり、そして昨年のリマCOP20までの歩みの焦点は、ダーバン・プラットフォームに基づいて、新しい国際枠組みをどう構築するかの交渉であった。

<行動を呼びかけるリマ気候行動声明>

 リマCOP20で採択された「リマ気候行動声明」により、「約束草案」(INDC)の情報内容が確定し、新しい国際枠組みに関する交渉テキスト案の要素を決定するとともに、2015年5月の交渉テキスト案作成に向けて更なる検討を行うことが決定された。

<アジア太平洋経済協力会議(APEC)の際の米中合意>

 昨年11月に北京でAPECが開催された際に、オバマ大統領と習近平主席が気候変動に対処するため、米国は2025年までに温室効果ガスの排出量を2005年比で26~28 %削減し、中国は2030年頃までに総排出量をピークとして削減(ピークアウト)していくことを発表した。

 オバマ大統領が、コペンハーゲンCOP15に乗り込んで合意を目指したときは、各国の顰蹙を買うまでの中国の執拗な反対のために合意することが出来なかったことを思うと、隔世の感ありと言わざるを得ない。

 オバマ大統領としては、コペンハーゲンでの苦い経験を克服したいとの気持ちがあり、足元では、猛威を振るうハリケーンがニューヨークまで直撃し800万世帯が停電し8兆円にのぼる被害を及ぼし、カリフォルニアでは数十年で最悪といわれる高温と干ばつによる山火事で6000人を超す消防隊員が必死に消火作業に当たることになった。

 また、習近平主席としても、PM2.5をはじめ深刻な健康被害を及ぼしている大気汚染は焦眉の急であり、一時的にでも晴天の「APECブルー」を維持するためには、北京より200km圏内の製鉄所やセメント工場の操業を完全に停止させ、乗用車のナンバープレートをベースに市中心部の通行量を半減させるなどの7つの措置を徹底的に実施しなければならないという、切羽詰まった状況にある。

 いずれにしても、世界のCO2総排出量の1位と2位の大口排出国である中国(26.9%)と米国(16.6%)が共に気候変動に対して真剣に取り組むことは、京都議定書の法的義務を受け入れていない両国が、新しい国際枠組みに参画する観点からも極めて喜ばしいことである。

<日本の対応>

 わが国のCOP21に向けた対応のうち、2020年以降の温室効果ガスの排出削減目標については、7月17日第30回地球温暖化対策推進本部において、温室効果ガス排出量を2030年度に2013年度比で26.0%(2005年度比で25.4%)削減する「約束草案」を決定し、国連気候変動枠組条約事務局へ提出した。

 この26%削減をどう見るかは、種々の意見があろうが、1970年代に2度の石油危機を経て、化石燃料から脱却するために多くのイノベーションを編み出し、エネルギー効率を改善する多くの制度を導入することにより、世界に冠たるエネルギー高効率経済を構築したこと、東日本大震災により原子力政策を大きく見直さなければならなくなったことなどを勘案すると、最善のものを打ち出したと言える。

 また、この排出削減目標は、2030年において、再生可能エネルギーを22%〜24%、原子力を22%〜20%、石炭を26%、LNGを27%、石油を3%とするエネルギー・ミックスをベースに、産業部門、業務部門、家庭部門、運輸部門などにおける80を超す対策・施策の積み上げをベースにしており、今後2030年に向けて真剣な努力をしなければ実現できない極めて野心的な目標である。

<パリCOP21>

 フランスは、「全ての締約国に適用される議定書、法的文書または法的効力を有する合意成果を2015年のCOP21で採択する」という「ダーバン合意」を前提に、脚光をあびることとなるCOP21のホスト国になった訳であるが、COP21ではコペンハーゲンの失敗を繰り返さないことを絶対的な目標としたが故に、外交的知恵を最大限に働かせ、至る所で工夫した舞台作りを行った。

 通常2週間にわたるCOPでは、最終段階で登場する締約国の首脳を、COP21では、パリ史上最悪のテロ事件直後の厳戒態勢の中で、初日にオバマ大統領、習近平主席、安倍首相を始めとする150人の首脳を集結させ、高邁な弁舌を奮わせるという奇想天外な仕掛けに出た。そして首脳のいなくなった段階で、ファビウス外務大臣がCOP21議長としてリーダーシップを発揮し、第2週目の予定を土曜日まで1日延長した上で、閣僚レベルで最終的に交渉を妥結させることに成功したのである。

 また、最終日に至るまで、交渉テキストに対する各締約国の修正要求はドラフティング・セッションを設けることなく文書での提出を求め、これを集約させながら3回にわたり議長テキストの修正版を作成するプロセスをとった。そして3番目の議長テキストについては、前日にそれが最終版であるとの触れ込みで配布した上で、最終日となった土曜日の午前に全体会合を招集し、ファビウス議長、オランド大統領、潘基文UN事務総長、フィゲーレスUNFCCC事務局長などが、COP21が成功裡に終了することになったことを喜ばしく思う旨のスピーチを行うセレモニーを開催した。

 特に、ファビウス議長のスピーチは感動的なものであり、COP21に至るまでとCOP21における厳しい交渉にも言及するものであり、会場を埋め尽くした各国政府代表の喝采を浴びた。ただし「パリ協定」を含むCOP決定の成立は、COP21において協定案を含む決定文書の交渉のために設けられた「パリ委員会」における合意,及びCOPにおける採択行為を必要とするものであった。すなわち、恰も合意が成立したかのごとき「最終的な感動セレモニー」を演出した上で、最終的な「パリ委員会」を開催し、誰も文句をつけられない雰囲気を醸成した上で、最終採択の場に臨んだのである。

 勿論、午前の全体会議でのセレモニーの開催と、午後に予定され開始時間が2度までも延長された最後の採択のための締約国会議までの間は、最終テキストに対する途上国を始めとする不満や、2番目の交渉テキストでshouldとなっていたものがshallに置き換わっている問題などに関して、舞台裏で各国の了承を取る議長国の努力が継続された訳であり、議長国フランス交渉チームの外交力が大いに発揮され、最終的に関係国の合意を取り付けることに成功した。

<パリ協定の合意概要>

 「パリ協定」の有する意義の中で最も重要な点は、これまで先進国しか排出削減義務を負っていなかった京都議定書と違い、途上国を含む全ての締約国の排出削減目標の提出を義務としたことであり、「パリ協定」でダーバン・プラットフォームに言う「全ての締約国に適用される」新しい枠組み協定が成立したことであり、これは真に画期的なことである。

 これまでの論争点であった「共通に有しているが差異のある責任」(CBDR)については、厳しい交渉を経て、先進国と途上国との間に若干の差異を設けつつも、協定全体として、京都議定書に規定されている先進国と途上国の区別とは決別した条文となった。

 また、産業革命前からの気温上昇幅の抑制目標については、従来からの摂氏2度以下に抑えることの再確認のみならず、その国土が水面下に沈みつつある島嶼国が強く主張していた摂氏1.5度に抑えることについても努力目標として明記することになった。

 温室効果ガスの排出に関しては、その世界全体の排出量を可能な限り早期に減少に転換(ピークアウト)させ、その後も急速な削減をさせ、今世紀後半には温室効果ガスの排出量と吸収量のバランスをとることを目指すこととし、各締約国はそれぞれの排出削減目標(Nationally Determined Contributions)を提出し、その実現のために必要となる国内措置をとることに合意した。

 これまで約束草案(INDC)と呼ばれてきた排出削減目標(NDC)の扱いについては、長い間の交渉の懸案の一つであった。その定期的な見直しと野心レベルの向上を迫る島嶼国などの途上国とこれを支持するEUに対して、中国、インドなどの新興国は、自国の決めた排出削減目標について他の締約国の容喙を許すことに強く反対したが、最終的には、各締約国はその排出削減目標を5年ごとに見直して提出することと、各締約国の排出削減目標の実施に関する個別レビューを実施することを受け入れた。

 途上国にとっての最大の関心は、排出削減義務を受け入れる見返りとしての資金問題であった。途上国は、2020年以降の資金規模について、「コペンハーゲン合意」で目標額として言及され、カンクンで確認された2020年までに1000億ドルという資金額を下限として、2020年以降も先進国は公的資金にて積み上げるべきことを要求するとともに、資金数値目標を決定しレビューすることを求めた。

 これに対して、先進国側も強く抵抗した結果、先進国は条約上の義務として資金供与することは継続するが、途上国も自主的に資金供与することが奨励される旨を協定に規定するとともに、資金動員については、先進国が、公的資金の果たす重要な役割に留意しつつも、様々な資金源からの資金動員について主導的役割を果たすべきことを協定上で受け入れた。

 他方、資金額1000億ドルを下限とする規定については、これを協定上ではなくCOP決定として、2025年までの間に1000億ドルを下限とする新たな数量目標を設ける旨の規定とすることが、議長最終テキストの案文として認められることになった。

<日本の貢献>

 このように、全ての締約国が気候変動に対処していく必要性からは、気候変動に対処しようと努力する途上国に対して技術や資金の両面からの協力を実施することが極めて重要となる。わが国は、コペンハーゲンで決まった「短期資金協力」(Fast-start finance)を受けて、2010年から2012年までの3年間で、世界118カ国で1023ものプロジェクトを実施し、官民併せて176億ドルの協力を行い、最大の援助供与国となっている。

 その内容は、途上国の温室効果ガス削減を目指す「緩和事業」としての、太陽光発電、地熱発電、風力発電、送電網の整備などのプロジェクト、途上国の気候変動の影響に対処するための「適応事業」としての、自然災害対処能力の向上計画策定支援、旱魃や砂漠化に対処するための安全な水供給などのプロジェクト、更には途上国の森林保全に関するプロジェクトなどである。

 日本は、「短期資金協力」に続く2013年から2015年の3年間も、160億ドル以上の約束をするだけでなく、2014年半ばにはその目標額を超える協力を実施して、途上国より大いに感謝されている。今回は、COP21の初日に安倍総理より、我が国の途上国支援を2020年に官民合わせて現在の1.3倍の約1.3兆円にすることを表明された。

 また、併せて記録に残すべきことは、カンクンCOP16で 設立することが合意された「緑の気候基金」に対しては、安倍総理より昨年11月にブリスベンで開催されたG20サミットにおいて、国会の承認を条件に最大15億ドルまでの拠出を行うことを表明された。米国による30億ドルの拠出表明などと併せ、リマCOP20では目標額の100億ドルを達成し、先進国と途上国との信頼を繋げることに貢献している。

 さらに、温室効果ガスの排出削減に寄与するプロジェクトを途上国と共に実現していくため、新しい市場メカニズムである「二国間クレジット制度」(Joint Crediting Mechanism)を構築して、既にインドネシア、モンゴルなど16カ国と合意し、具体的な事業実現の段階に入っている。

<終わりに>

 気候変動は、まさに人類の生存がかかる重要かつ喫緊の地球的課題であり、先進国も途上国も、全ての国と全ての国民、全てのステークホールダーが協力して対処していく必要がある。

 そうした観点からは、「パリ協定」は、我が国がダーバンで主張したとおり、先進国だけでなく、途上国も含む全ての締約国に適用されるものとなったことは、極めて喜ばしいことである。すなわち、米国議会が受け入れなかった京都議定書において削減義務を持つ締約国が、僅か38カ国程度で世界全体のCO2排出量の27%しかカバーしていなかったのに対して、現時点で約束草案を提出したのが186カ国で世界全体のCO2排出量の95%以上をカバーしていることを考えると、「パリ協定」の枠組みは大いに意味のあることが理解できる。

 つまり、「パリ協定」の枠組みにおいては、途上国を含む全ての締約国が、それぞれの温室効果ガス排出削減目標に向かって、努力して行かざるを得なくなったのである。

 しかしながら、国連における気候変動交渉の大きな問題は、今後すべての締約国が2030年に向けて温室効果ガス削減目標達成のため最大限の努力をするとしても、2030年の世界全体の排出量は55ギガトン程度になると見込まれており、摂氏2度目標を最小コストで達成する経路には乗っていないことが判明している点である。人類は、正に、この「野心ギャップ」をどのようにして埋めるのかという問題に対処しなければならない。

 COP21の舞台回しにおいて、ファビウス議長がその外交手腕を持って最終議長テキストを受け入れるよう関係者を説得した際に垣間見られた途上国の不満も、今後噴出してくる可能性もあることなどを勘案すると、人類の生存がかかる気候変動問題を克服するための国連での努力の前途には、極めて厳しいものがあると言わざるを得ない。

 そうした中にあって、この「野心ギャップ」を埋めることのできる一つの可能性は技術革新であるが、COP21で発表された「ミッション・イノベーション」と「ブレークスルー・エネルギー同盟」は、地球温暖化に対処するための技術革新を実現するに画期的な試みと言えよう。

 「ミッション・イノベーション」とは、オバマ大統領のイニシアティブで誕生したものであるが、世界の研究開発予算の80%を占める20カ国が、5年間でそれぞれの研究開発予算を倍増させる試みである。当然、日本も参加しているが、総額100億ドルとも言われる世界の公的研究開発予算の5年倍増ということは、もの凄い数字である。

 また、これと同時に発表された「ブレークスルー・エネルギー同盟」は、ビル・ゲイツの肝いりで、世界10ケ国からの28人の投資家から構成され、例えば「ミッション・イノベーション」を通じて生まれた初期段階の技術を活用して、市場参入を図りたいと考える企業の商業リスクをカバーする民間投資家の世界的グループである。

 アマゾンのジェフ・ベゾフ、タタのラタン・タタ、アリババのジャック・マ、サウジのアルワリード・タラル、ソフトバンクの孫正義などが名前を連ねているが、これまでビジネスリスクが故に折角の初期技術が商品化に至らなかったボトルネックを解消する試みとしてスタートしたものであり、ビル・ゲイツは総額20億ドルの半分を出資すると報道されている。

 地球温暖化の問題を解決するために必要となる技術革新のためには、巨額の資金が必要であるだけでなく、生まれた技術が商品化しなければ宝の持ち腐れになるわけで、今回の発表は官民が連携した協力体制を築くものとして、大いに将来に期待をもたせてくれる試みである。

 気候変動に対処するための新しい国際的枠組みの構築を提案した日本、そして東日本大震災の惨禍からの復興に力を入れ、エネルギー政策の観点から最適な電源構成を実現していかなければならない日本としては、正にお家芸ともいうべき技術革新に一層の力を入れることにより、地球温暖化抑制のため世界に貢献していくことが望まれるところである。

 また同時に、その日本が、温暖化に対処する途上国支援を弛まず継続し続け、世界のエネルギー効率の改善にも貢献することにより、すべての締約国とともに世界的レベルで、地球温暖化を抑制していくことも、引き続き期待されている。

 (2015年12月25日)

『「日本・ブラジル外交関係樹立120周年」を迎えて』2015-7-31

『「日本・ブラジル外交関係樹立120周年」を迎えて』


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梅田 邦夫  
駐ブラジル連邦共和国大使  


 1895年11月5日、パリにおいて「日伯修好通商航海条約」が署名され、外交関係が樹立されてから今年で120周年を迎えます。この機会に、①伯の現状、②日伯二国間関係、③外交関係樹立120周年行事についてご紹介します。

1.伯の現状

(1)厳しさを増す政治・経済情勢

(イ)2015年元旦、ルセーフ大統領の第二期政権が発足しました。それから6か月が経過し、伯は「厳しい試練の時」を迎えています。

(ロ)ルセーフ大統領は、僅差(決選投票時の対立候補との差は3%)で再選されましたが、昨年12月に42%あった支持率は10%(6月)に低下しています。その要因は、選挙公約と現実に行っている政策の乖離(嘘つきとの批判)、経済低迷と政治の混迷、最大国有企業であるペトロブラス社汚職事件(幹部が受注企業から賄賂を得て政界に配布)に対する「国民の強い怒り」があります。

(ハ)経済分野では、昨年の成長率は0.1%、今年はマイナス1.1%と予測されています。その背景には、一次産品(鉄鉱石、大豆等)価格の低迷、バラマキ政策による財政赤字悪化と市場の信頼低下、複雑な税制や過剰な労働者保護など所謂「ブラジル・コスト」に起因する工業製品の競争力低下、インフラ不足等があります。

(ニ)このような状況下、ルセーフ大統領は、選挙運動時には一切触れなかった財政健全化策(補助金カット、優遇税の廃止等)を最優先課題に掲げ、年初から強力に推進しています。失業保険等の受給要件の厳格化など過去に例のない構造改革にも取り組んでいます。これらの政策に関し、市場関係者や有識者は、経済を持続的な成長軌道に復帰させるために不可欠なものとして評価しています。その一方で、これらの政策は、更なる成長率の低下、電気料金やガソリン価格等の公共料金の値上がり、失業率の悪化をもたらしており、これまでルセーフ大統領を応援してきた貧しい層の支持を失うだけでなく、与党内からの批判も生んでいます。ルセーフ大統領自身は、ブラジルの将来のために、批判を甘受するとの強い覚悟をもって臨んでいると考えられますが、公の場でスピーチすらできない厳しい状況が続いています(ブーイングの嵐となる)。

(ホ)ペトロブラス汚職事件は、状況を一層複雑化させています。政財界を巻き込んだ捜査が昨年3月から継続していますが、未だに全容は不明です。既に経済人・元議員など延べ70名以上が逮捕されており、両院議長を含む現職議員40名以上の捜査が進行中です。この事件は、国民の間に強い政治不信を生んでいるだけでなく、関連企業の倒産や投資減など実体経済に深刻な悪影響をもたらしています。造船分野に投資している日本企業3社も昨年11月以降、発注企業からの代金未払いが続いており、大使館は国土交通省および3社と緊密に連携して、伯側への働きかけをおこなっています。

(へ)対外関係では、近年、特にBRICS(特に中露)との関係が緊密化しています。一昨年までの中国の高成長と一次産品価格の高騰は、伯経済に大きな恩恵をもたらしました。鉄鉱石や大豆などの対中輸出が急増し、2009年以降、中国はブラジルにとって最大の貿易相手国になっています。伯経済の中国経済への依存度は非常に高く、世銀の試算では、中国の成長率1%(年率)の低下は、伯の成長率を2年間で0.8%押し下げるといわれています。

 昨年以降、中国の対伯アプローチは一段と強化されています。習近平国家主席の来伯(昨年7月)、李源朝国家副主席の大統領就任式出席(元旦)、李克強総理の来伯(5月)と一年間足らずの間に中国のナンバー1からナンバー3が伯を訪問しました。そして、BRICS開発銀行の創設、大陸横断鉄道フィージビリテイ・スタデイ実施、伯のアジア・インフラ開発銀行(AIIB)への参加、ペトロブラスへの百億ドル強の融資等を合意し、伯における存在感を急激に増しています。伯国内には、一部に根強い対中警戒感は存在しているものの、厳しい経済状況下、中国からの投資や融資は「救世主」のように受け入れられています。

 対照的に、米との関係は、NSAによるルセーフ大統領の携帯電話盗聴が発覚後(2013年9月)、冷却化していました。しかしながら、昨年6月のワールドカップ以降米側からの度重なる働きかけを受け、6月末から4日間、ルセーフ大統領は10名の閣僚を同行して、ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコを訪問し、伯米関係は正常化されました。伯側には、米との経済関係を強化する必要性(特に米企業の投資)に加え、中露との関係緊密化とのバランスをとるためにも伯米関係の正常化は必要でした。なお、政治レベルのギクシャクとは異なり、伯一般国民の対米感情は良好です。

(ト)伯の国際社会での立ち位置は非常に曖昧です。一方に新興国の一員として中露との関係を強化し、既存の国際秩序を変革しようとする伯がいます。その一方で、伯国内には自由、民主主義、法の支配等の基本的価値観を共有する米、EU,日本との関係強化を重視すべきとの意見を有する人も沢山います。

(2)伯の恵まれた自然環境と強固な政治基盤等

 伯は上記(1)のように試練の時を迎えているものの、非常に恵まれた自然を有し、強固な政治基盤と世界第7位の経済力があります。

(イ)伯は人口・国土が世界5位、鉄鉱石、石油等の多様な天然資源に恵まれていることに加え、地球上の利用可能な水資源の5分の1、世界の熱帯雨林の3分の1を有しています。気候変動の影響と思われる干ばつや集中豪雨は発生していますが、地震、台風、火山噴火は殆どなく、自然災害の非常に少ない国です。

(ロ)政治面では、1985年に民主化されて以降、30年の間に民主主義は定着・成熟しつつあり、報道・表現の自由、「法の支配」は確立されています。10か国と国境を接していますが、国境紛争はなく、安全保障上の脅威はありません。また、60の民族が存在するといわれていますが、各民族がそれぞれの特徴を活かしつつ、国造りに貢献しています。多様性を尊重する社会であり、民族や宗教を理由とした差別や排外主義は、世界で一番少ない国といえます。

(ハ)経済面では、伯のGDPは世界第7位でアセアン10か国の合計に匹敵する規模です。自動車の販売台数は世界4位、化粧品は世界3位の市場です。国内市場規模が大きいことから、輸入障壁に守られた経済もこれまではそれなりに成り立ってきました。航空機製造、海底油田開発、熱帯農業などは世界有数の技術力を有しています。

(ニ)伯が更に飛躍し、先進国入りするためには、財政健全化のみならず、インフラ整備、産業競争力の強化、労働生産性の向上が不可欠であり、そのために、教育、税制、労働者優遇政策等の改革が必要です。また、治安の改善、汚職根絶、格差是正も大きな課題です。

2.二国間関係の現状と課題

(1)世界でも有数の親日国。

 伯に勤務する日本人が例外なく感じることですが、伯は「世界有数の親日国」です。また、日本文化の一部が伯文化になっています。

(イ)親日の要因は二つあります。

 第一の要因は、約190万人の日系社会の存在です。日系社会は、日本と伯をつなぐ「大切な外交資産」です。日本人のブラジル移住は、1908年に始まりました。一世は、主に農業でブラジルの発展に貢献されました。二世以降の日系人は、農業のみならず、政治、行政、医学、ビジネス、法曹、芸術、スポーツ等あらゆる分野で活躍されており、日系人・日本人に対し「勤勉、誠実、信頼に値する」といった高い評価が確立されています。

 第二の要因は、これまで日本と伯が共同で幾つかの大型プロジェクトを実現してきたことです。鉄鋼のウジミナス、造船のイシブラス、アルミのアルブラス、パルプのセニブラ、農業のプロデセール等です。特に、日伯の農業技術者と日系人農業従事者の協力で、不毛の地「セハード」と呼ばれる広大な内陸地域を大豆やトウモロコシの一大生産地に転換できたことを、多くのブラジル人が今も感謝しています。80年代初めにこのプロジェクトに心血を注ぎ、任期半ばで他界された小林正人氏を偲んで、首都ブラジリア郊外の「セハード研究所内」にお墓と公園が設けられており、現在も大切に維持・管理されています。

(ロ)日本文化の一部が伯文化になっている要因は、日本文化の継承・普及のために日系社会が長年にわたり行ってきた努力の賜物。

 伯には5百以上の「日系文化体育協会」が存在し、百年前の入植当初から日本語や柔道、野球などが教えられてきました。また、盆踊りや日本祭り等が伯各地で地域社会を巻き込んで開催されてきており、そこで販売される焼きそば、巻きずし等は、太鼓とともに伯文化の一部になっています。非日系ブラジル人と話をしていると、幼い頃から友人に日系人がいること、日本食が彼らの身近にあったことが度々話題になります。百年にわたる伯各地の日系社会の地道な努力が、多くのブラジル人にとって日本を身近なものにしています。

(ハ)6月18日(日本移民の日)、日伯外交関係樹立120周年を記念して、日伯関係強化のための公聴会が連邦議会の下院議場で3時間近く開催されました。23名の下院議員から発言がありました。日系人による伯発展への貢献やこれまでの日伯協力に対する感謝が述べられ、伯の親日感を改めて認識する場となりました。

 なお、今年は終戦70年を迎え、世界中で中国、韓国による反日キャンペーンが懸念されますが、これまでのところ、伯に於ける中国の存在感増大にかかわらず、伯では公に反日キャンペーンが行われたことはありません。

(2)昨年の安倍総理夫妻の訪伯とフォローアップ。

 昨年8月、安倍総理ご夫妻が、現役総理としては10年ぶりに訪伯されました。成果は大きく分けて二つありました。第一に「日伯関係の強化」、第二に「日系社会との連携強化」です。

(イ) 日伯関係の強化

 外相の定期協議に加え、防衛当局間の戦略対話・人的交流が初めて合意されました。経済分野では、人材育成(3年間7分野で9百名の研修生受け入れ)、農業インフラ、医療・保険分野での新たな協力、交番制度の全国展開、一般旅券の数次ビザ化、リオ及び東京オリンピック・パラリンピック成功に向けての協力強化などが合意されました。ジャパン・ハウスが、ロンドン、ロスとともに、サンパウロに設置されることも総理訪伯の大きな成果です。

 今年の日伯間の最重要行事は、ルセーフ大統領の訪日と皇族の訪伯です。双方の訪問を充実したものにできるよう準備を開始しています。

(ロ) 日系社会との連携強化

 安倍総理がブラジル訪問時に強調された日系社会との連携強化については、今年度予算で、日本祭り・日本語教育・日系病院に対する支援強化、日系ボランティア倍増(50名を百名)など様々な措置が強化されました。

 特に、これまで日系社会の活動は、日本へのコミットメントの強い1世、2世が中心になって行われてきましたが、世代交代が進む中、日系社会の日本への協力を当然視できない時代になりつつあります。出来るだけ多くの若い日系人に直接日本を見てもらい、日本の血が流れていることに誇りを感じてもらえるよう働きかけることが重要です。その観点から、若い日系人の招聘者数倍増(50名を百名)、日系指導者候補の招聘者数大幅増(8名を28名)、JICA日系人研修(約190名)を維持できたことは、10年後、20年後の日系社会と日本との関係にとり、非常に重要と考えます。なお、日系人との連携強化について、官邸(世耕官房副長官)主導で関係省庁局長レベルが参加するフォローアップ会議が何度か開催されたことも画期的でした。

3.外交関係樹立120周年記念事業の概要。

(1)実施体制

 昨年、120周年事業を企画するにあたり、第一に考える必要のあったことは実施体制でした。2008年の移住百周年、1995年の日伯外交関係樹立百周年では、東京に大々的な「記念事業組織委員会」が設立され、東京主導で行事が企画・実施されました。今回は、東京の協力は得つつも、ほぼすべて現地主導で行っています。昨年のワールドカップでは、日本代表チームの試合が行われた各地で日系社会の全面的協力を得ることが鍵でした。今年も伯各地の日系社会との連携・協力が不可欠です。

 伯には26州と一連邦区があります。また、日本のプレゼンスは、大使館、4総領事館、3領事事務所、JICA、国際交流基金、JBIC、JETROに加え、主要都市に商工会、日系団体が存在します。120周年を伯全体で盛り上げるためには、「オール・ジャパン・イン・ブラジルの体制」を作ることが必要と考え、これらすべてを包含する「全国レベルの実行委員会」を昨年8月に立ち上げました。そして、同実行委員会を通じて寄付金を集め、特別事業を企画・実施するために、これまでサンパウロで7回会合を開いています。また、クリチバ、ポルトアレグレ、ベレン、ブラジリア、リオデジャネイロ、マナウスの6都市では、「地域の実行委員会」が設立されています。

(2)特別事業・親善大使

(イ)寄付を集めて実施する特別事業は、①花火祭り(9月、サンパウロ)、②日伯共同プロジェクト展示会(ブラジル国内7-8か所)、③日本館の改修(11月、イブラプエラ公園)の3事業とし、必要経費約200万レアル(約8千万円)の寄付を募っています。120周年関連文化事業数は伯全土で5百を超えています。なお、NHKは120周年記念番組を日・ポルトガル語で作成し、日伯両国で11月頃放映予定です。

(ロ)親善大使としてジーコ氏(元日本代表チーム監督)とマルシア女史(日系2世、歌手)が、外務大臣から任命されています。

(3)日系企業との協力

 各地で120周年記念式典が開催される際、私自身、出来るだけ各州を公式訪問し、式典への出席、知事との会談に加え、各地の日系人入植地をできるだけ訪問するようにしています。

 また、北京勤務時代に宮本大使(当時)から学んだことですが、各州訪問の機会を活用し、日本企業関係者と州幹部との懇談機会を設けるようにしています。これまでパラナ州(3月)、リオ・グランデ・スル州(4月)、パラ州(5月)、バイヤ州(6月)、サンタ・カタリーナ州(7月)を訪問し、今後トカンチンス州(8月)等を訪問予定です。(了)

『「日韓国交正常化50周年」に思う - 日韓新時代を若者に託す - 』2015-7-2

『「日韓国交正常化50周年」に思う - 日韓新時代を若者に託す - 』


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小野正昭 (日韓文化交流基金理事長・元駐メキシコ大使)  

 締結までに14年余を要した日韓基本条約から50年の今日、思い出すのは交渉に当たった外務省の先輩の次の言葉である。「交渉の当初、韓国側は36年の恨みは36年経たなければ晴らせないと言い、交渉の後半になると、否36年の倍かかると言いだした」と。
 朴槿恵大統領は就任の1週間後に「加害者と被害者という歴史的立場は1,000年の歴史が流れても変わることはない」と述べ、今や韓国は、日本に対し「恨」(その象徴である「慰安婦問題」)を御旗に、最高指導者が海外まで遠征して陣頭指揮を執る日韓歴史戦の様相を呈している。両国内ではネット右翼やヘイトスピーチにみられるように相手国に対する不満が一気に噴出し、日韓関係は戦後最悪とも言われている。
 しかし、日頃、草の根レベルでの交流に携わる者として、筆者は日韓の現状に関し異なる感想を有している。以下、国民レベルの相互理解の進展と日本人としての課題につき、個人的な見解を述べることとしたい。
 
日韓基本条約は平和と繁栄に貢献

 50年前の日韓基本条約の締結が、その後の両国の平和と繁栄に貢献したことはまぎれもない事実である。しかし、マスコミを含め、過去50年間両国が様々な分野で協力し、実を挙げてきたことを評価する記事は少ない。
 たしかに、当時の日本の資金供与5億ドルが、韓国経済の発展にいかに貢献したか、韓国民は知らされていないし(当時の韓国の国家予算は三・五億ドルであり、日本の資金の大きさが分かる)大方の日本人も忘れている。
 実は、韓国政府は日本からの5億ドルがいかに自国の発展に貢献したかについて、条約締結後11年目の1976年12月に500頁近い「請求権資金白書」を公表し、その冒頭部分で次のように高く評価している。「緊迫した安保危機、オイルショックによる世界経済の混乱を韓国が克服できたのも経済協力を含む韓日間の国交正常化による国力増進が大きな力となった」と。さらに付言すれば同書55~60頁にかけ日本による朝鮮人徴用者への分配金が一覧表になって発表されている。この節目の年に改めて日韓両国民の50年に亘る協力を振り返り、正しい評価をしたいものだ。
 
積み残された課題

 50年前の交渉で議論の対象とはならなかった問題 - 植民地支配に対する「謝罪」とその背後にある歴史認識問題 - がその後今日まで、両国の和解達成の足かせとなってきた。しかし、今なお韓国政府が提起している「反省と謝罪」は、既に日本政府により、十分になされたではないか。すなわち「村山談話」に、そして「小渕・金大中共同宣言」という公式文書に「反省と謝罪」の言葉が明記されているからである。
 ところで、筆者は、問題は謝罪の言葉で解決出来るものではないと考えている。韓国の歴代大統領も次のような「耳に心地よい言葉」を発言してきた。

 朴正煕大統領(補償は韓国が代わりに行う)

 全斗煥大統領(植民地遺産問題は終わった)

 金泳三大統領(金は必要ない)

 金大中大統領(過去は問うまい)

 盧武鉉大統領(未来を志向しよう)

 しかし、指導者の言葉が直ちに国民的和解にはつながらないことを両国民は知っている。「謝れば謝るほどに悪くなる日韓関係」と言われて久しい。和解には国民レベルで相手の立場の理解と尊重、そしてより良い繋がりを持ちたいという継続した意志の存在が前提とされるからだ。もう謝るのは止めにしたい。
 残された課題は、歴史認識であるが、両国の学者が「歴史共同研究委員会」を立ち上げ6年間にわたり議論した。とりあえずの結論は当然のことながら「共通の歴史認識をもつことは困難」ということであった。更に息の長い作業を通じて、せめてお互いの見解の違いを併記した共通の教科書が出来上がることを期待したい。
 慰安婦問題は法的には終わっていると考えるが、仮に主体的に追加措置を取る場合でも「女性のためのアジア平和国民基金」の努力を忘れないでほしいものだ。詳細は省くが、慰安婦問題について世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授が最近出版した「帝国の慰安婦」に対し、ソウル地裁が出版差し止めを言い渡した。朴教授は、生命を賭して「歴史の真実」を追究し、韓国社会から四面楚歌に遭っている。同女史の勇気ある行動に敬意を表したい。
 
日本人として知らなくてはならないこと

 筆者は、在韓国大とKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)に計六年勤務したが、韓国北朝鮮の人たちと日々交流する中で自問し続けたことは、被害者の痛みとはどういうことなのか、何でいつまでも恨んでいるのかということであった。
 日本統治36年間、朝鮮人がどのように暮らし、何を喜び、何を悲しんだか、何に価値を見出していたかを承知したく古書店等を歩き回った。日本人が統治時代を回顧した資料の中で総督府財務局に10年勤務した水野氏による「反日感情の原因」と題する口述は参考になった。もとより水野氏の見解に対する異論もあろうし、更なる検証が必要であるが、一つの参考として以下紹介する。
 
反日感情の原因 -

遠因:
土地を取り上げ、農民を泣かせた
朝鮮人を日本人にしてやった(善意の悪政)
警察が弾圧した朝鮮人留学生は反日となって帰国
朝鮮の伝統を無視 - 白衣は汚れるから着るな、白衣着用者は村役場に来るべからず
民族感情に無理解で性急な日本化 - 朝鮮神宮へ参拝させる - 自由の拘束・圧迫
近因 - 戦争:
朝鮮人として戦争などしたくなかった、物資は不足するし、食器(真鍮)も取り上げられる - 出さねば戦争に負けると言われ、表面は愛国に燃えて供出したというが、内情は巡査が来て取り上げた。
最悪なのは、コメと人間の供出だ - 昭和12年支那事変の時、食料は内鮮ともに大丈夫と言っていたが、内地の干ばつで朝鮮が米を供出しないと戦争に負けると言ってコメを取り上げ、満州から粟を入れた - もっと悪いことは人間を取り上げ、石炭を掘る者、南洋で軍港を造る者 - 機密でやるので生死が分からなくなる - 一部の朝鮮人は短波受信機で日本が負けることを内々承知していたが、人間と食糧を無理やり供出させられた
 出典「朝鮮経済とその終局」総督府最後の財務局長、水田直昌(戦後は東京銀行協会専務理事)
 資料を読んでいて、被支配者にとって抑圧された記憶はまず消えることはないであろうと考えた。また、苦労した先人たちの加害経験について語った記録が少ないのも印象に残った。例えば歴史の教科書に「戦時労働動員」と記載されていても、その実態がどのようなもので朝鮮人の心にいかなる感情を残したか、まず学校で教わることはなかった。日本自身の問題として朝鮮統治の総括を行い子供たちに伝えていきたいと思う。

朝鮮民族の主体性を見る

 韓国人の反日感情の背景には近世に於いて多くの日本人が朝鮮民族を独自の主体性をもつ対象とは考えなかったことがある。戦前の日本人の考えが戦後の日本社会の根底に差別意識として今でも存在しているように思えてならない。しかし、戦前の日本人のすべてが朝鮮人に偏見を持っていたわけではないことも付言したい。当時、一部の政治家や文化人は朝鮮民族の優秀性や主体性を評価していたのも事実だ。
 その一人は初代朝鮮統監伊藤博文である。伊藤統監は、ある日、朝鮮への日本人の入植の必要性を力説する新渡戸稲造に反論して、「君、朝鮮人は偉いよ、この国の歴史を見てもその進歩したことは日本よりはるか上であった時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない。才能に於いてお互い決して劣ることはない。然るに今日の有様になったのは人民が悪いのではなくて、政治が悪かったのだ。国さえ治まれば人民の量においても質においても不足はない」と「朝鮮は朝鮮人の為」という持論を展開した。
 (出典:新渡戸稲造著「偉人の群像」)
 朝鮮民族の理解者である伊藤博文がその後間もなく侵略の象徴として暗殺され、併合が加速されたのは誠に皮肉なことであった。
 独立後、韓国の教育には、軍事政権下で国民意識形成のため民族主義史観が導入され、「日本の統治が無ければ朝鮮は自立し発展していたはずだ」との見方が主流となった。
 
韓国の若者の対日観に変化の兆し

 筆者が在韓大に勤務していた頃(1990年~1993年)韓国の中・高等学校では民族の誇りと愛国心を養成するため、唯一の正しい歴史、いわゆる反日教育が徹底して行われていた。当時、国史の先生は、日本の事をしばしば蔑称(倭奴・ウエノㇺ)で呼び感情をこめて辛い歴史を語った。生徒は自然と反日・嫌日になっていった。当時はソウルオリンピックの後で海外旅行の自由化もあって多くの韓国の学生が日本を訪問し、中には学校で教わった日本とは違うことに驚く学生もいた。しかし多くの学生は日本の発展ぶりを率直に受け入れられず、逆に日本の発展は韓半島から学んだお蔭であるなどと考え、「韓国世界一」「なんでも韓国起源」がもてはやされた。しかし、それから20年の間に徐々に教育の現場にも変化が見られるようになり、日本を蔑称で呼ぶことを控えるようになっている由。
 
民族主義史観からの脱却の動き

 金大中大統領就任に伴い日本の大衆文化が韓国にも開放され、日韓間の渡航者数が飛躍的に増大し(正常化の年が1万人、FIFAワールドカップの2002年に130万人、2014年には500万人)、国民同士の相互理解が促進された。金大中氏はIT情報化政策を進め、インターネットの普及により韓国社会の国際化が進んだ。近年、韓国の専門家の中には世界史的視座に立って、外国の歴史家と交流する機会も増えており、「歴史は一つ」ではないと理解し、日本をより客観的に捉える学者が増えつつある。このように民族主義史観にも変化が出始めている。
 韓国の高校生・大学生の多くが、就職に有利だからではなく、日本人や日本文化が好きだからという理由で日本語を学んでいることには勇気づけられる。もちろん、歴史の清算は終わっていないというマスコミや反日団体の活動は相変わらずで、依然「日本が好きだ」と韓国社会で堂々と言えないのが現実だ。
 
韓国人と日本人は似て非なる者である
- 日韓異文化交流を促進しよう -

 日本人にとって異文化とはもっぱら米欧を指し、韓国を異文化の国とは理解してこなかったのではないか。韓国を正しく理解するためには何よりもまず異文化として正面からとらえることにより相互理解を促進する必要がある。
 様々な形の青少年交流、学生間交流、姉妹都市交流拡大が最も効果的である。より具体的には相互の学校訪問やホームステイを通じて相手と直に話し、生活し、肌で感じることが何よりも大切である。 
 日韓の和解に独仏の経験がそのまま適用できるとは思わないが、52年前のエリゼ条約に基づき既に800万人の若者が隣の国を知り、独仏180の大学が参加する「独仏大学」が設立されている。中でも2003年にベルリンに集まった独仏の高校生たちが共通歴史教科書の作成を提案したことが契機となり両国の学生たちは共通の歴史教科書を使って現代史を学んでいる。独仏和解に若者が決定的な役割を果たしたことは学ぶべきだ。
 筆者は日韓が官民挙げて、様々な形で、若い世代の交流に最大限の努力をすれば、いずれ「過去の清算」ではなく「過去の克服」という次元で新しい日韓協力時代を始めることが出来るのではないかと考えている。
 
外交青書に韓国人高校生の作文が掲載

 今年の外交青書に、日韓文化交流基金で交流した日韓の高校生の作文が掲載される(予定)。ここに韓国の高校生の作文を紹介して結びに代えたい。
 「幼い頃から日本に関心を持ち、高校で日本語を学んでいる私は、一年生の時、香港で世界から参加している高校生との交流で日本の学生と出会った。私は嬉しくて自分から声をかけたが、彼らは韓国人が日本人を嫌っていると思ってか緊張していた。しかし、互いに相手国の文化を話題にするうちに、打ち解けて親しく交流することが出来た。その後、彼等とはメールをやり取りしており、今や日本というと真っ先に彼らの事が思い浮かぶ。
 両国には、過去の歴史や外交問題のために相手に反感を持っている人が多い。政治と外交は、切れやすくもつれやすい細い糸のようだ。もつれた糸は、解きほぐすのも大変だ。だが、糸にはつなぎ直すことが出来るという長所もある。
 国同士の関係も同様に、安定した関係が危うくなることもあり、その関係を解きほぐすのに多くの労力が必要だ。韓日関係の安定は、政府の努力だけでは難しいかも知れない。何よりも民間交流を拡大し、両国の国民の意識を変えていくことが大切だと思う。」

(龍仁外国語高等学校2年 白賀媛)

『北方領土はクリミヤ半島とは別物』2015-7-28

『北方領土はクリミヤ半島とは別物』


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初代駐カザブスタン大使 松井 啓  

 2014年2月のロシアによるクリミヤ半島併合に異を唱え米欧は対ロ制裁を科し日本も同調し、ロシアはG8から外された。G7の結束を示すため日本が制裁に加わることは当然としても、ロシアの制裁反攻勢もありEU諸国中でもロシアとはそれぞれ歴史的経済的関係が異なり足並みが乱れ、またアメリカとEUも一枚岩ではなくなってきている。

 日本にとってのウクライナの重要性は地政学的にもNATO等の軍事的観点、また天然ガス等のエネルギー事情、貿易の観点からも欧州諸国とは異なる。クリミヤ半島は1953年にフルシチョフの意向により当時ソ連邦の共和国であったウクライナに譲渡されたが、ロシアの重要な軍事基地があり、住民の80%はロシア人である。他方、日本がポツダム宣言受諾後にソ連により不法に占拠されている北方4島は1956年の日ソ共同宣言第9条で、ソ連(露)は平和条約締結後に歯舞及び色丹の2島を日本に引き渡すと明記されている(国後、択捉の2島については言及なし)。このように北方領土はクリミヤ半島とは歴史的背景が異なるので、この二つを結びつけて同列に論ずることは日本自身の首を絞めロシアの手を縛ることになる。

 戦後70年を経ても両国間に平和条約が締結されていないのは「異常なこと」(プーチン大統領)であり、日本がロシアと平和条約締結交渉を始めることは何ら欧米の結束を乱すことにはならず、表立って異を唱える国はないであろう。国際政治では領土問題は法律論ではなく政治的決断で解決される。国際司法裁判所や国連の場に持ち出して円満に解決された例は少ない。日本の北方領土返還交渉で欧米諸国が日本を積極的に支持することは期待できない。最近でも東西ドイツの統一、ソ連邦の崩壊と15か国への分裂、ユーゴスラビアの崩壊と7カ国へ分裂、東チモールの独立、南オセチア、アブハジア、南スーダンの独立等は各々異なった歴史的背景と国際環境があり同列には論じられない。

 クリミヤ半島のロシア併合により国民のプーチン大統領の支持率は高まり、経済制裁や石油価格の下落による経済低迷にもかかわらず、80~90%を維持している。プーチンは先週ロシア中部のウファでBRICSサミットを主催し新銀行設立を提唱し、ユーラシア経済連合構想を打ち出し、中国の一帯一路(ニューシルクロード)構想、アジアインフラ投資銀行(AIIB)、上海協力機構(SCO)では密接に連携しているやに見えるが、ロシアが中国の「妹」に成り下がることだけは避けたく、ロシア経済の近代化(技術・経営ノウハウ)、資源開発、エネルギー安保(石油ガスの安定的販路確保)、環境対策等で期待できるのは中国ではなく日本であることは認識していよう。

 来年は日ソ共同宣言60周年であり、EUやNATOのメンバーではない日本がG7サミットの議長国である。プーチンにとっては日本への領土返還に応ずることは支持率にマイナスとなり大きなリスクを伴うので、大国化する中国とのバランスを見据えた政治的決断を要する。他方、日本にとっても長期的大局的視野と国益を見すえた政治的決断が必要である。安倍・プーチンの両者が信頼関係を深めて何らかの解決の糸口を見出し、来年のサミットにはロシアも参加して国際的諸問題を討議できるようになることを期待する。

『「日韓国交正常化50周年」に思う - 日韓新時代を若者に託す - 』2015-7-2

『「日韓国交正常化50周年」に思う - 日韓新時代を若者に託す - 』


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小野正昭 (日韓文化交流基金理事長・元駐メキシコ大使)  

 締結までに14年余を要した日韓基本条約から50年の今日、思い出すのは交渉に当たった外務省の先輩の次の言葉である。「交渉の当初、韓国側は36年の恨みは36年経たなければ晴らせないと言い、交渉の後半になると、否36年の倍かかると言いだした」と。
 朴槿恵大統領は就任の1週間後に「加害者と被害者という歴史的立場は1,000年の歴史が流れても変わることはない」と述べ、今や韓国は、日本に対し「恨」(その象徴である「慰安婦問題」)を御旗に、最高指導者が海外まで遠征して陣頭指揮を執る日韓歴史戦の様相を呈している。両国内ではネット右翼やヘイトスピーチにみられるように相手国に対する不満が一気に噴出し、日韓関係は戦後最悪とも言われている。
 しかし、日頃、草の根レベルでの交流に携わる者として、筆者は日韓の現状に関し異なる感想を有している。以下、国民レベルの相互理解の進展と日本人としての課題につき、個人的な見解を述べることとしたい。
 
日韓基本条約は平和と繁栄に貢献

 50年前の日韓基本条約の締結が、その後の両国の平和と繁栄に貢献したことはまぎれもない事実である。しかし、マスコミを含め、過去50年間両国が様々な分野で協力し、実を挙げてきたことを評価する記事は少ない。
 たしかに、当時の日本の資金供与5億ドルが、韓国経済の発展にいかに貢献したか、韓国民は知らされていないし(当時の韓国の国家予算は三・五億ドルであり、日本の資金の大きさが分かる)大方の日本人も忘れている。
 実は、韓国政府は日本からの5億ドルがいかに自国の発展に貢献したかについて、条約締結後11年目の1976年12月に500頁近い「請求権資金白書」を公表し、その冒頭部分で次のように高く評価している。「緊迫した安保危機、オイルショックによる世界経済の混乱を韓国が克服できたのも経済協力を含む韓日間の国交正常化による国力増進が大きな力となった」と。さらに付言すれば同書55~60頁にかけ日本による朝鮮人徴用者への分配金が一覧表になって発表されている。この節目の年に改めて日韓両国民の50年に亘る協力を振り返り、正しい評価をしたいものだ。
 
積み残された課題

 50年前の交渉で議論の対象とはならなかった問題 - 植民地支配に対する「謝罪」とその背後にある歴史認識問題 - がその後今日まで、両国の和解達成の足かせとなってきた。しかし、今なお韓国政府が提起している「反省と謝罪」は、既に日本政府により、十分になされたではないか。すなわち「村山談話」に、そして「小渕・金大中共同宣言」という公式文書に「反省と謝罪」の言葉が明記されているからである。
 ところで、筆者は、問題は謝罪の言葉で解決出来るものではないと考えている。韓国の歴代大統領も次のような「耳に心地よい言葉」を発言してきた。

 朴正煕大統領(補償は韓国が代わりに行う)

 全斗煥大統領(植民地遺産問題は終わった)

 金泳三大統領(金は必要ない)

 金大中大統領(過去は問うまい)

 盧武鉉大統領(未来を志向しよう)

 しかし、指導者の言葉が直ちに国民的和解にはつながらないことを両国民は知っている。「謝れば謝るほどに悪くなる日韓関係」と言われて久しい。和解には国民レベルで相手の立場の理解と尊重、そしてより良い繋がりを持ちたいという継続した意志の存在が前提とされるからだ。もう謝るのは止めにしたい。
 残された課題は、歴史認識であるが、両国の学者が「歴史共同研究委員会」を立ち上げ6年間にわたり議論した。とりあえずの結論は当然のことながら「共通の歴史認識をもつことは困難」ということであった。更に息の長い作業を通じて、せめてお互いの見解の違いを併記した共通の教科書が出来上がることを期待したい。
 慰安婦問題は法的には終わっていると考えるが、仮に主体的に追加措置を取る場合でも「女性のためのアジア平和国民基金」の努力を忘れないでほしいものだ。詳細は省くが、慰安婦問題について世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授が最近出版した「帝国の慰安婦」に対し、ソウル地裁が出版差し止めを言い渡した。朴教授は、生命を賭して「歴史の真実」を追究し、韓国社会から四面楚歌に遭っている。同女史の勇気ある行動に敬意を表したい。
 
日本人として知らなくてはならないこと

 筆者は、在韓国大とKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)に計六年勤務したが、韓国北朝鮮の人たちと日々交流する中で自問し続けたことは、被害者の痛みとはどういうことなのか、何でいつまでも恨んでいるのかということであった。
 日本統治36年間、朝鮮人がどのように暮らし、何を喜び、何を悲しんだか、何に価値を見出していたかを承知したく古書店等を歩き回った。日本人が統治時代を回顧した資料の中で総督府財務局に10年勤務した水野氏による「反日感情の原因」と題する口述は参考になった。もとより水野氏の見解に対する異論もあろうし、更なる検証が必要であるが、一つの参考として以下紹介する。
 
反日感情の原因 -

遠因:
土地を取り上げ、農民を泣かせた
朝鮮人を日本人にしてやった(善意の悪政)
警察が弾圧した朝鮮人留学生は反日となって帰国
朝鮮の伝統を無視 - 白衣は汚れるから着るな、白衣着用者は村役場に来るべからず
民族感情に無理解で性急な日本化 - 朝鮮神宮へ参拝させる - 自由の拘束・圧迫
近因 - 戦争:
朝鮮人として戦争などしたくなかった、物資は不足するし、食器(真鍮)も取り上げられる - 出さねば戦争に負けると言われ、表面は愛国に燃えて供出したというが、内情は巡査が来て取り上げた。
最悪なのは、コメと人間の供出だ - 昭和12年支那事変の時、食料は内鮮ともに大丈夫と言っていたが、内地の干ばつで朝鮮が米を供出しないと戦争に負けると言ってコメを取り上げ、満州から粟を入れた - もっと悪いことは人間を取り上げ、石炭を掘る者、南洋で軍港を造る者 - 機密でやるので生死が分からなくなる - 一部の朝鮮人は短波受信機で日本が負けることを内々承知していたが、人間と食糧を無理やり供出させられた
 出典「朝鮮経済とその終局」総督府最後の財務局長、水田直昌(戦後は東京銀行協会専務理事)
 資料を読んでいて、被支配者にとって抑圧された記憶はまず消えることはないであろうと考えた。また、苦労した先人たちの加害経験について語った記録が少ないのも印象に残った。例えば歴史の教科書に「戦時労働動員」と記載されていても、その実態がどのようなもので朝鮮人の心にいかなる感情を残したか、まず学校で教わることはなかった。日本自身の問題として朝鮮統治の総括を行い子供たちに伝えていきたいと思う。

朝鮮民族の主体性を見る

 韓国人の反日感情の背景には近世に於いて多くの日本人が朝鮮民族を独自の主体性をもつ対象とは考えなかったことがある。戦前の日本人の考えが戦後の日本社会の根底に差別意識として今でも存在しているように思えてならない。しかし、戦前の日本人のすべてが朝鮮人に偏見を持っていたわけではないことも付言したい。当時、一部の政治家や文化人は朝鮮民族の優秀性や主体性を評価していたのも事実だ。
 その一人は初代朝鮮統監伊藤博文である。伊藤統監は、ある日、朝鮮への日本人の入植の必要性を力説する新渡戸稲造に反論して、「君、朝鮮人は偉いよ、この国の歴史を見てもその進歩したことは日本よりはるか上であった時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない。才能に於いてお互い決して劣ることはない。然るに今日の有様になったのは人民が悪いのではなくて、政治が悪かったのだ。国さえ治まれば人民の量においても質においても不足はない」と「朝鮮は朝鮮人の為」という持論を展開した。
 (出典:新渡戸稲造著「偉人の群像」)
 朝鮮民族の理解者である伊藤博文がその後間もなく侵略の象徴として暗殺され、併合が加速されたのは誠に皮肉なことであった。
 独立後、韓国の教育には、軍事政権下で国民意識形成のため民族主義史観が導入され、「日本の統治が無ければ朝鮮は自立し発展していたはずだ」との見方が主流となった。
 
韓国の若者の対日観に変化の兆し

 筆者が在韓大に勤務していた頃(1990年~1993年)韓国の中・高等学校では民族の誇りと愛国心を養成するため、唯一の正しい歴史、いわゆる反日教育が徹底して行われていた。当時、国史の先生は、日本の事をしばしば蔑称(倭奴・ウエノㇺ)で呼び感情をこめて辛い歴史を語った。生徒は自然と反日・嫌日になっていった。当時はソウルオリンピックの後で海外旅行の自由化もあって多くの韓国の学生が日本を訪問し、中には学校で教わった日本とは違うことに驚く学生もいた。しかし多くの学生は日本の発展ぶりを率直に受け入れられず、逆に日本の発展は韓半島から学んだお蔭であるなどと考え、「韓国世界一」「なんでも韓国起源」がもてはやされた。しかし、それから20年の間に徐々に教育の現場にも変化が見られるようになり、日本を蔑称で呼ぶことを控えるようになっている由。
 
民族主義史観からの脱却の動き

 金大中大統領就任に伴い日本の大衆文化が韓国にも開放され、日韓間の渡航者数が飛躍的に増大し(正常化の年が1万人、FIFAワールドカップの2002年に130万人、2014年には500万人)、国民同士の相互理解が促進された。金大中氏はIT情報化政策を進め、インターネットの普及により韓国社会の国際化が進んだ。近年、韓国の専門家の中には世界史的視座に立って、外国の歴史家と交流する機会も増えており、「歴史は一つ」ではないと理解し、日本をより客観的に捉える学者が増えつつある。このように民族主義史観にも変化が出始めている。
 韓国の高校生・大学生の多くが、就職に有利だからではなく、日本人や日本文化が好きだからという理由で日本語を学んでいることには勇気づけられる。もちろん、歴史の清算は終わっていないというマスコミや反日団体の活動は相変わらずで、依然「日本が好きだ」と韓国社会で堂々と言えないのが現実だ。
 
韓国人と日本人は似て非なる者である
- 日韓異文化交流を促進しよう -

 日本人にとって異文化とはもっぱら米欧を指し、韓国を異文化の国とは理解してこなかったのではないか。韓国を正しく理解するためには何よりもまず異文化として正面からとらえることにより相互理解を促進する必要がある。
 様々な形の青少年交流、学生間交流、姉妹都市交流拡大が最も効果的である。より具体的には相互の学校訪問やホームステイを通じて相手と直に話し、生活し、肌で感じることが何よりも大切である。 
 日韓の和解に独仏の経験がそのまま適用できるとは思わないが、52年前のエリゼ条約に基づき既に800万人の若者が隣の国を知り、独仏180の大学が参加する「独仏大学」が設立されている。中でも2003年にベルリンに集まった独仏の高校生たちが共通歴史教科書の作成を提案したことが契機となり両国の学生たちは共通の歴史教科書を使って現代史を学んでいる。独仏和解に若者が決定的な役割を果たしたことは学ぶべきだ。
 筆者は日韓が官民挙げて、様々な形で、若い世代の交流に最大限の努力をすれば、いずれ「過去の清算」ではなく「過去の克服」という次元で新しい日韓協力時代を始めることが出来るのではないかと考えている。
 
外交青書に韓国人高校生の作文が掲載

 今年の外交青書に、日韓文化交流基金で交流した日韓の高校生の作文が掲載される(予定)。ここに韓国の高校生の作文を紹介して結びに代えたい。
 「幼い頃から日本に関心を持ち、高校で日本語を学んでいる私は、一年生の時、香港で世界から参加している高校生との交流で日本の学生と出会った。私は嬉しくて自分から声をかけたが、彼らは韓国人が日本人を嫌っていると思ってか緊張していた。しかし、互いに相手国の文化を話題にするうちに、打ち解けて親しく交流することが出来た。その後、彼等とはメールをやり取りしており、今や日本というと真っ先に彼らの事が思い浮かぶ。
 両国には、過去の歴史や外交問題のために相手に反感を持っている人が多い。政治と外交は、切れやすくもつれやすい細い糸のようだ。もつれた糸は、解きほぐすのも大変だ。だが、糸にはつなぎ直すことが出来るという長所もある。
 国同士の関係も同様に、安定した関係が危うくなることもあり、その関係を解きほぐすのに多くの労力が必要だ。韓日関係の安定は、政府の努力だけでは難しいかも知れない。何よりも民間交流を拡大し、両国の国民の意識を変えていくことが大切だと思う。」

(龍仁外国語高等学校2年 白賀媛)

『邦人保護と渡航の自由』2015-6-1

『邦人保護と渡航の自由』


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三好 真理(領事局長)  

邦人を取り巻く国際環境の変化
 2015年は、年初のパリ等でのイスラム過激派によるとみられる連続テロ事件で幕を開けました。仏にとっては過去50年間で最悪の17名の死者を出して、世界を震撼させました。
 続いて、1月20日には、昨年8月、11月に相次いでシリアで行方不明になった湯川遥菜氏、後藤健二氏と見られる人物の映像がISILによって流され、72時間以内に日本政府から2億ドルの支払いがなければ殺害するとメッセージが配信されました。その後、2月1日までに計4回にわたってメッセージや動画が配信され、お二人の邦人は無残な最期を遂げました。最後の動画では、「……このナイフは……おまえらの国民がいるところではどこでも殺戮を続けるだろう。では日本の悪夢を始めよう。」とのメッセージが流され、有言実行で、卑劣なISILの不気味さがうかがえ警戒が必要な状況となりました。
 3月18日には、チュニジアの首都チュニス市郊外にあるバルドー国立博物館において、武装集団によるテロ攻撃が発生し、残念ながら邦人3名を含む22名が犠牲となる惨事となりました。イスラム過激派による犯行とみられ、チュニジア政府による捜査が続いていますが、今や世界のどこにいてもテロの脅威に晒される時代となったということが言えると思います。
 
わが国を含む主要国の渡航情報
 シリアにおける邦人殺害テロ事件を受けて岸田大臣のご指示により、中根大臣政務官の下、在外邦人の安全対策強化策の検討が始まりました。就中、我々の念頭にあったのは、ISILの活動地域のような地域へ渡航を企図する邦人の保護を念頭に置いた、危険地域への渡航制限のあり方について検討です。
 ご案内の通り、日本の外務省は海外安全ホームページを通じて、海外に関する様々な情報を提供しています。とりわけ重視しているのは、渡航・滞在にあたって特に注意の必要な国・地域の現地情勢や安全対策の目安を四つのカテゴリーに分けてお知らせする「危険情報」です。下から順に、「十分注意してください」(黄色)「渡航の是非を検討してください」(濃い黄色)「渡航の延期をお勧めします」(オレンジ)「退避を勧告します。渡航は延期してください」(赤)となっています。(「渡航情報」「注意喚起」)あるいは「渡航自粛(勧告)」といった言葉は1975年頃から使われ始める一方、在留邦人に向けては、1968年当時、在南ベトナム大使館が「引き揚げ、又は疎開勧告」を行ったのが記録上一番古い例のようです。その後、1997年に採用した「海外危険情報」では、危険度に応じた数字表記(危険度1~5)を行うようになりました。やがて、危険度数が旅行業界等からあたかも許認可であるかのようにとらえるようになり、かかる数字の一人歩きを回避すると共に、情報全体をユーザーが参考情報として利用し、自ら渡航について判断すべきとの趣旨で2002年改正が行われ、現在に至っています)。
 主要国では、米国がカテゴリー分けにかかる特段の定型文言のない Travel Warning / Travel Alert を出しているほか、英国、仏、独、カナダ、豪州等がわが国同様色分け付きないし定型文言の段階別渡航情報を発出しています。
 
邦人保護の要請と渡航の自由の制限
 今回のシリアのおける事案の後、「どうして邦人があのような危険な地域へ行くことを許容したのか」「止めることはできなかったのか」「自己責任で行ったのだからかかった経費は請求したらどうか」等の声が聞かれました。日本の国内であればたとえば、「災害対策基本法」の中で「災害が発生し、又はさらに発生しようとしている場合において、人の生命又は身体に対する危険を防止するため特に必要があると認めるときは、市長村長は、警戒区域を設定し、緊急事態応急対策に従事する者以外の者に対して当該区域への立入りを制限し、若しくは禁止し、又は当該区域からの退去を命ずることができる。」(第63条)という規定があります。他方で、日本の主権が及ばない海外において「警戒区域」を設定することは困難ですし、仮に設定できたとしても在外領事が当該地域へ近づくことはきわめて難しいことから実効的とは言えないでしょう。
 そこで、主要国の例を調べたところ、G7のメンバー国で、自国民保護のための法的拘束力を有する渡航禁止措置をとっている国はありませんでした。移動の自由等の基本的人権を重んじての結果と思われます。唯一、お隣の韓国では、自国民保護のため、旅券法による制限があり、2015年3月時点で6カ国(イラク、ソマリア、アフガニスタン、シリア、イエメン、リビア)への渡航が禁止され、禁固1年以下または1千万ウォン以下の罰金刑があることがわかりました。韓国の危険情報には、「赤」の上に「黒」(渡航禁止)があって、渡航禁止国へ渡航しようとする者(取材・報道・緊急な人道的事由等)は別途外務省の許可がいることになっているようです。2008年には同国の憲法裁判所において、渡航禁止国を設定することは可能である(韓国の場合、大韓民国憲法第二条に「国は、法律が定めるところにより、在外国民を保護する義務を負う」との規定があります。)との判決が出されています。
 危険地域に渡航した自国民の救出費用の負担についても各国の例を調べてみました。わが国においては、在外邦人輸送にあたり、チャーター機を利用する場合には、当該区間のノーマルエコノミー片道料金を撤収しています(外務省内規定による)が、ドイツにおいても、2000年のフィリピンにおけるドイツ人拘束事件以降、危険地域に立入って被害に遭ったドイツ人の救出については、輸送方法によらず、ビジネスクラス片道料金を請求しているようです。唯一、法定しているのは、仏で2010年制定された、「クシュネール法」であり仏国民が危険地域への渡航を希望し、注意を無視して同地域に渡航したために救出オペレーションが必要になった場合、その救出に要した費用は、すべて当該人物に支払いを求めることができると規定されています。但し、実際には、「救出対象者が特に職業上の任務を遂行しなければならない、又は緊急を要する状況にあった等の正当な理由がある場合」に解釈される事例が多く、現在まで適用前例はない由です。
 日本国内においても山岳遭難救助やドクターヘリで、民間会社や民間の救助隊員による救助活動の場合は、費用がかかりますが、警察・消防・自衛隊は、通常業務の範囲内との位置づけで無償で救助活動を行っています。
 
今後の展望
 以上見てきたとおり、危険地域へ渡航を企図する邦人に対して渡航を制限することについてはかなり高いハードルがあると思われますが、今後類似のケースが相次いだり、情勢に変化が見られれば、状況は変わり得、不断の検討が必要と考えられます。また、今回の議論を通じて、危険情報は一カ国のみではなく周辺国と併せて見る必要があることや、どこも「無色の安全地帯」ではなく、一定の注意は絶えず必要であることを改めて広報すべし、といったことが同僚の領事たちから指摘されました。さらに、渡航情報を見やすく、わかりやすくすることについても今後一層の改善を図っていく所存です。
 最後に、今回初めて旅券法第19条第1項第4号(「…旅券の名義人の身体、生命又は財産の保護のために…」)に基づく旅券の返納命令を出したことに言及したいと思います。欧米諸国においてこのような法制を有する国は珍しいのですが、今回はISILが活動する地域の特殊事情、すなわちISILが邦人2名を拘束・殺害し、さらに今後日本人を対象として殺害する旨予告しているという特異な事情があること、そして今回返納命令の対象となったご本人はシリアに入国することを明言されており、度重なる説得にも応じて頂けなかったこと等から苦渋の決断をして返納命令の執行に踏み切ったものです(その後ご本人からの申請に基づき、渡航先からシリアとイラクを除いた限定旅券を発給)。もちろん、憲法に認められている渡航の自由や表現・報道の自由にも関わる問題ですので、個別具体的な事案により慎重な検討が必要ですがその一方で、海外に渡航・在留する邦人の安全を確保することも政府の極めて重要な役割であることから、邦人の危険地域への渡航をいかに抑制するか、という観点からは、旅券の返納命令も、注意喚起や要請と並んで重要な選択肢となり得ると考えています。

(平成27年5月27日記)
(本稿は筆者の個人的見解に基づくものです)

『グローバル社会の異文化体験』2015-3-16

  『グローバル社会の異文化体験:
    ホストファミリーから始めてみよう』


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           元駐デンマーク大使 小川郷太郎

 グローバル人材の育成がようやく日本社会の重要な課題として認識され始めた。いまや企業がそのような人材を求めるようになったし、親たちが幼児からの英語教育に関心を持ち始めて子供の英語教育塾のようなものも出てきた。通常は腰の重い政府だが、文部科学省は一昨年から「トビタテ!留学JAPAN」のキャッチフレーズで日本人の留学を支援するキャンペーンに力を入れ始めている。
 
 グローバル化が速いテンポで進展して久しい。日本を含め、これからの世界は日常的に外国人と付き合わなければ生きていけない時代に入りつつある。海外からの観光客が増えて街で道を聞かれることもあろうが、グローバル化に伴ってとくに経済面での国家間の相互依存関係がとても幅広くかつ深くなっている。東日本大震災でも明らかになったサプライチェーンの現実のように、物ひとつを造るためには多くの国との間で部品を売ったり買ったりしなくてはならない。最近の少し前まで円高傾向が続いたため、日本の中小企業も海外に出て製造せざるを得なくなった。外国人と交渉したり付き合ったりしないと仕事の上でも困ることになる。国際会議や商談や文化交流もますます多くなっている。
 このような時代の中で、日本はその「内向きな」志向のため世界の中で相当遅れをとってきた。例えば、東南アジア諸国や韓国、中国などの近隣国でも海外に留学する若者の数は多く、英語などの外国語で発信し、説得力のある議論を展開できる人材は豊富である。日本は「遅きに失した」と考えるのではなく、今からでも大いに世界の流れに追いつく努力が必要だ。それは個々の若者の将来にとっても有益であるし、日本全体にとっても極めて必要なことである。
 
 言うまでもなく、世界は非常に異なる歴史や文化を持つ国々で構成されていて、グローバル化した国際社会では、異なる文化を持った国民同士が直接に向き合っていかなければならい状況にある。グローバル人材に求められる資質は外国語の能力はもちろんだが、それだけでは不十分である。それに加えて、外国人と自然体で自由に話す姿勢とその際に必要な異なる文化に対する関心や理解力、さらには国際情勢を知ってバランスをとった見方をすることも不可欠である。換言すれば、異文化理解の能力とも言ってよい。だから、これからの若者には異文化理解能力を高めて行くことが求められている。
 この能力を育成するのに最も効果的な手段はやはり海外留学であろう。日本と違う生活環境の中で自分を処して対応していかざるを得ないからである。驚きや戸惑いが多いが、その過程を進むことが異文化理解力を育て、視野を拡げ、人間の幅を大きくするとても良い効果をもたらすのである。
 
 ひとくちに留学といっても、様々な目的、形態、行き先があるので一概には言えないが、異文化体験という見地からは高校時代の留学が大学・大学院レベルでの留学より遥かに目的に適う。大学や大学院レベルの留学は通常学問の習得や学位の取得が主目的であろう。勉学や研究に多くの時間を割くので、多様な生活体験をする機会はそれだけ限られる。これに比べて高校時代の留学は、現地の家庭にお世話になって生活をする場合が多く、学校や地域での様々な行事に参加する機会にも恵まれ、異文化体験の幅は格段に拡がる。感受性の高い時代であり、異文化体験の吸収力も極めて大きい。
 筆者も高校時代にアメリカに1年留学したが、実際、この体験は私の人生に革命的ともいえる効果をもたらした。日本と世界が相当違うという事実の発見、国々によって文化が違うことの意義、そういったことに伴う自分の将来の道の選択に決定的影響をもたらした。高校留学体験をした多くの仲間が同じように感じている。
 高校時代にイタリアに留学した娘を持つ父親が私に嬉しそうにこう語ったことがある。「ウチの娘はイタリアにおける日常生活が日本と凄く違うことに驚いたが、あちこちで目にするデザインの斬新さに心を奪われ、自分は将来デザイナーになろうと決心して帰ってきた。そして大学でデザインを勉強し、今は国際デザイナーとして活躍している」。全く異なる環境におかれて、今まで気が付かなかった自分の好きなことや能力を発見してそれを開花させた例である。日本にいて受験勉強に邁進していたら得られなかったであろうチャンスをものにしたのだ。
 
 高校留学であれ、大学留学であれ、いざやろうとするといろいろ超えるべきハードルがある。外国語の習熟度もさることながら、留学費用のことや、目の前の受験勉強や就活をどうするかなどの問題もあるだろう。しかし、それは留学によって得られる将来への大きな可能性との比較で考えるべき問題であろう。
 
 留学するのではないが、もう少し気軽に異文化体験することも可能である。それは海外から来る留学生を家庭の一員として迎える(ホストファミリーになる)ことである。筆者は、現在世界の国々との間で高校生の交換留学を推進するAFS日本協会の役員をしている。この協会では、日本の高校に留学に来る年間400名ぐらいの世界各国の高校生を日本各地の家庭や学校で受け入れる活動をしている。国情や文化の違う海外の生徒を家族の一員として受け入れて一緒に生活することはけして容易ではないこともある一方、とても楽しく、意義深い新しい発見や喜びも多い。その意味合いを考えてみよう。
 まず、家庭の中に新しい息子または娘が「出現」して家族が一人増えることになる。実の子供を育てる場合にも苦労はあるが、子供を持つ喜びは何ものにも勝る場合が多い。日本全国には繰り返しホストファミリーをされる方々がいるが、そういう人たちは、「私たちには世界に何人もの息子と娘がいて、ときどき日本に戻ってきてくれるし、私たちが向こうに行くこともある」と言って嬉しそうに笑顔を見せてくれる。最近聞いた話だが、1979年に宮崎県の高鍋高校に留学したラースというデンマーク人はその後もお世話になった獣医さんのご家庭(ホストファミリー)と交流を続けていたが、日本のお母さんが92歳で亡くなったため葬儀に飛んできた。デンマークに戻ってから、日本のお母さんへの思い、日本の素晴らしさなどについて心を込めて綴り、それがデンマークの有力紙に掲載されたそうだ。末永く海外の「子供」と日本の家庭との絆が続く場合が多い。
 違う文化の国から来た青年と一緒に日常生活することによって、ホストファミリーの家族一人一人が異文化体験をして思いがけない貴重な発見をすることができる。イスラム文化圏の国から来る生徒と起居を共にするホストファミリーの方々は食事や祈りなどで気を遣う面はあるが、馴染みの薄かったイスラム教のことについて多くを学んだり、良いところを知ったりすることができる。ニュースなどで形成されるイスラムのイメージとは違うことを発見する。中国、韓国、その他のアジア諸国からの生徒たちも日本に留学に来ている。最近は近隣国との関係がうまくゆかない状況にあるが、これらの国からの素晴らしい生徒が家族の一員になることによって、相手国に対して随分認識を改めたりすることも多い。どの国にも良い人たち、良い子供たちがいるのだという当然のことが分かってハッとしたりもする。ホストファミリーは、国籍を超えた人間としての付き合いともいえ、学ぶことは多い。
 日本に来る生徒たちは、日本が好きだったり憧れてくる場合が多い。日本語をすでに勉強してくる子も多いし、そうでなくても来日してからの日本語の上達は目覚ましいほど早い。日本の学校や家庭での生活を通じて一層親日的になる。日本で勉強した青年が将来も日本との関係の仕事に就く例も多い。先ほどご紹介したデンマークのラース君は、脚本家山田太一さんの小説「遠くの声を探して」の映画化の権利を取得して、舞台をデンマークに移して映画化するそうだ。現在日本で活躍中の外国人の中に元留学生もいる。ホストファミリーをすることが国際関係の改善に貢献することにもなる。
 家庭の中に同世代の子供がいれば、その子にとって海外への興味が深まり自ら留学を志す例も多く見てきた。家庭の中に小さなお子さんがいれば、その子にとって普通に外国人と付き合うことに慣れ、海外に関心も持つようになる。つまり、将来の異文化理解力を持つ若者を育成することでもある。
 ホストファミリーをしてみようかと思っても、自分は英語ができないとか、家に個室がないとか、異文化の人と付き合って喜んでもらう自信がないなどの理由で躊躇する人もいる。しかし、実際には英語の能力は必要ではない。個室がなくても構わない。両親が揃っていなくてもいいことになっている。海外からの高校生も日本で異文化体験をしにやってくる。その中で日本語を学ぶことも大きな目標であるので、ホストファミリーが日本語で通しても留学生の勉強になる。完全に意思が通じないとしても、家族として付き合っていけば気持ちも通じる。だから、留学生に特別に気を遣って遠慮する必要はない。自分の子供に教えたりするようにすればいいし、必要なときは叱ることも大事だ。ふたたびラース君のことだが、彼は日本のお母さんから教えられたことが今でもすごく役に立っていると新聞での寄稿のなかで述べている。私も高校時代に1年間アメリカ人の家庭にお世話になったが、アメリカ人父母、姉弟からアメリカについて実に多くのことを学んだ。叱られたことも異文化理解に大いに役立つ。特別扱いは不要なのだ。
 こういうことから見ると、ホストファミリーは、こちらにとっても向こうのためにもたいへん良い異文化経験であり、将来にわたり思い出深いものにもなる。ホストファミリーを体験した多くの人々も、ホストファミリーのお世話に預かった筆者も、皆そのように思うことが多い。
 
 文化や国籍が違っても、一緒に住んでみると「人間同士は皆同じだ」ということが実感できる。ホストファミリーをやってみてはいかがですか。どんなことか、ちょっとイメージを持つために、次のホームページを覗いてみてください。
 http://www.afs.or.jp/hosting/


『太平洋同盟とチリ・バチェレ外交』2015-1-19

  『太平洋同盟とチリ・バチェレ外交』


           前駐チリ大使 村上秀德

 2014年11月24日月曜日、チリ・サンチャゴのガブリエル・ミストラル・センターで「地域統合に関する対話;太平洋同盟とメルコスール」(Dialogo sobre Integracion Regional: Alianza del Pacifico y Mercosur)と題するセミナーが開催されました。これは、チリ政府が主催したもので、太平洋同盟、メルコスール双方の外務大臣、貿易担当大臣等が出席し、中南米における地域統合の2つのイニシアティヴの間の融合、協力の在り方について議論されました。
 主催国であるチリのバチェレ大統領が冒頭あいさつし、「この地域全体の関心事項について双方の地域統合のプロセスが融合を開始する歴史的な日である」とこのセミナーの意義を強調しています。

 このセミナーはバチェレ政権がその当初から太平洋同盟の中で主張してきた太平洋同盟と他の地域統合との対話、特にメルコスールとの対話の一環であり、6月20日のメキシコにおける首脳会議で他の首脳の合意を取り付けた具体的行動プログラムの一つでした。

 チリのバチェレ政権はどうして太平洋同盟とメルコスールの対話を推進しようとしているのでしょうか。
 太平洋同盟は前向きで自由主義的な取り組みとして世界の注目を集める一方、メルコスールは保護主義的で後ろ向きな関税同盟とみられ、2つは南米における対照的な地域統合であるというのが一般的なとらえ方です。その2つが対話をし融合の試みをしようというのは一見、困難なことを主張しているかに見えます。このバチェレ政権の狙いはどういうところにあるのでしょうか。

 太平洋同盟は、ペルーのガルシア大統領の提案からスタートし、2012年6月のチリ・パラナルにおける首脳会議での基本条約採択で事実上発足しました。その首脳会議には、当時日本大使をしていた私も招待され出席しました。(その意味で、私には太平洋同盟に対して個人的な特別の思い入れがあります。)その首脳会議に招待されたのは日本のほかにカナダとオーストラリアのみでした。その招待国の顔ぶれからも、当初から太平洋同盟がアジア太平洋との関係強化を目指した取り組みであるということがうかがえます。

 その当時のチリのピニェラ政権は、太平洋同盟の立ち上げ、その基本的な枠組み作りの過程で非常に強いリーダーシップを発揮したと思います。採択された時はコロンビアが議長国でしたが、太平洋同盟の補足議定書の作成の交渉をチリ政府は2012年の議長国のときから引っ張ってきたという印象を持っています。太平洋同盟のホームページを覗かれると300頁近くに及ぶ補足議定書を見ることができますが、砂糖等のごく一部の品目を除き最終的に関税撤廃を目指すマーケットアクセスのみでなく、投資、競争、金融、人の移動等多くの分野がカバーされ、私の印象では、太平洋同盟の基本的枠組み作業はこの補足議定書の採択でほぼ終了し、後はこれにどれだけ中身を積み上げていくかではないかと思われます。
 中南米にはいくつも地域統合の動きがありますが、ご案内のとおり、実質を伴い、早いスピードで実績をあげているのは太平洋同盟のみです。パラナルの首脳会議に出席して目の当たりにしたのですが、作業の各分野を加盟国の外務大臣ないし貿易大臣が取りまとめ責任者になり、首脳の前でその担当分野の進捗状況を発表させられておりました。首脳のメンツもありますし、各大臣に恥をかかせられないという力学が働き、競争して成果をあげているという印象でした。
 この太平洋同盟は、ご存じのとおり、世界各国の注目を集め、現在約30の国がオブザーバーとなっています。コスタ・リカとパナマが加盟の予定です。
 2013年1月にチリで開催されたCELAC(ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体)の首脳会議の際、メルコスールは太平洋同盟へのオブザーバー参加を打診したが、当時の議長国チリのピニェラ大統領はオブザーバーは個々の国のみに参加資格があり、関税同盟としては参加できないと、その申し出を断ったといわれています。ちなみに、日本はこのCELAC首脳会議の際併せて開催された太平洋同盟の首脳会議でアジアの中で最初にオブザーバーとして認められました。

 メルコスールでは、ウルグアイとパラグアイがオブザーバーとなっています。これは、身動きがとれなくなっているメルコスールのなかで、各国政府が太平洋同盟との関係に期待を示す動きとして注目されます。
 そのころから、ブラジルのルセフ大統領などは太平洋同盟に対しあまり快く思っていなかったふしがあります。太平洋同盟側としては、その統合の取り組みはメルコスールに対抗するものではなく他国に開かれたものであり、政治的意図はないと再三言っているにもかかわらず、世の中では、西側(太平洋同盟)と東側(メルコスール)を対立的にとらえる論調が増えました。

 ピニェラ大統領は、この太平洋同盟のほかにもTPPやタイ、インドネシア、インドなどとの自由貿易協定を推進しました。その一方で、ブラジルやアルゼンチンといったら米の東側の国の首脳とは、どうもそりが合わない感じもありました。昨年、ペルーとブラジルの首脳会談が開催された際、チリの有力な新聞エル・メルクリオの論説で、チリとブルジルの関係がとりあげられ、ペルーのウマラ大統領とブラジルのルセフ大統領との間では4回の首脳会談が開かれたが、チリとは1度しかなかった、しかし、両国は双方に多額の投資をするなど経済関係は順調で、両首脳が会わなくても特段問題は生じていない、と論じていました。

 そのようなピニェラ政権の次に登場したバチェレ政権は、近隣諸国、特にブラジルやアルゼンチンとの関係再構築をその外交政策の大きな柱にしています。前政権に対するアンチテーゼということもあるでしょうが、ピニェラ政権が、経済外交に偏していて、近隣諸国との関係が必ずしもうまくいっていなかったとみなしたためです。(これについては、ピニェラ大統領の責任ではなく相手が悪いんだという意見も当然あります。)ムニョス・チリ外相は、事あるごとにチリ外交の南米への回帰と言っています。バチェレ大統領は、就任後最初にアルゼンチンを訪問しました。引き続き、ワールドカップの開催式の際にブラジルを訪問し、ルセフ大統領と会談しました。ブラジルやアルゼンチンという大国を隣に抱えるチリとしては、これらの諸国との関係を良好に維持する必要があるのは当然で、東アジアで日本が近隣諸国との関係改善に努力していることと重なって見えます。
 しかし、このバチェレ政権の外交方針は、単に近隣諸国との関係改善ということだけではないという感じがします。政権の政治的イデオロギーというと言い過ぎかもしれませんが、政権同士の、特に首脳間のイデオロギー的親和性というのが少なからず影響していると思います。中南米の外交関係を観察していると、素人の私でも、イデオロギーの影響というものを感ぜざるをえません。バチェレ政権もその発足後最初に首脳会談をしたのが、エクアドルのコレア大統領でした。ベネズエラの国内の混乱に対しUNASURでベネズエラ政権と反対派の対話メカニズム構築を主導したのもバチェレ政権でした。前大統領のピニェラがベネズエラ・Maduro政権の人権侵害を激しく非難したのとは対照的でした。 
 このようなパチェレ政権の外交姿勢が、太平洋同盟とメルコスールの対話促進、融合の取り組みというチリ現政権の主張の背景にあると思います。

 冒頭触れたセミナーだけでなく、太平洋同盟とメルコスールの間では、外相会合等いろいろな取り組みがなされると思います。バチェレ大統領は、今回のセミナー冒頭のあいさつの中で、2つの地域統合の双方で協力可能な分野として、人の移動、貿易円滑化、両岸をつなぐインフラ整備などをあげています。
 これから、この試みがどのように実を結んでいくか見守る必要があります。
 保護主義的な傾向を見せてきたメルコスールが再選されたルセフブラジル大統領のもとで開放的な政策に舵を切れるのか、注目されます。メルコスールの政策にではなく太平洋同盟の政策にハーモナイズしていく必要があるからです。


2012年6月、チリ・パラナルでの第4回太平洋同盟首脳会合記念写真

 そして、単なる対話の域を脱し、交渉というステージに入れるのか、が重要なポイントでしょう。

 さらに、チリは太平洋同盟とメルコスールの融合を推進する中で、ラ米の東と西の架け橋になる、ラ米のアジア太平洋に対する玄関口になると言っています。この目標が、アンデス山脈を越える東と西をつなぐ大動脈が整備されることと相まって、本当に達成されてくる日を楽しみにしています。そうなるとチリという国は日本にとってますます重要になってくると思います。

 太平洋同盟とメルコスールの融合という壮大な構想の実現には、チリ政府のみならず、太平洋同盟とメルコスール各国の継続的な努力が求められます。そして、そのためには、関係国の政治的安定という難しい要件が満たされる必要があります。 仮に融合という段階に至らなくても、両地域統合の相互作用が好ましいシナジーをもたらすことを期待します。 UNASURの先の首脳会合で人の移動等の統合の作業を再開すると決定しましたが、これは多分に太平洋同盟の動きのスピン・オフ効果ではないかとみています。

(この原稿を事務局に送付したのち、中南米で2つの注目すべき動きがありました。ひとつは、昨年の12月17日に米国のオバマ大統領とキューバのカストロ国家評議会議長が両国の国交正常化に向けた交渉を開始するとの発表を行ったことであり、もうひとつは同じく昨年暮れの12月23日にチリ、アルゼンチンの両国間でマイプ条約の付属議定書が署名され、その中でチリのコキンボとアルゼンチンのサンフアンをつなぐアグア・ネグラトンネルの事業実施が合意されたことである。前者は、言うまでもなく、今後の中南米における政治外交地図を大きく変えることが予想され、地域統合の動きに少なからざるポジティブな影響を与えると思われ、また、後者は南米東西の連結性を強化する具体的動きとして注目される。)


『試行錯誤を続ける中国外交』2014-12-22

  『試行錯誤を続ける中国外交』


              元駐中国大使  宮本 雄二

中国の改革は、トップへの権力の集中を必要とする
1978年末に改革開放政策を始めて以来、中国経済はその規模、スピード、期間において人類史上、空前の成長を今も続けている。経済の巨大な変化は、社会を激変させ、人々の考え方を大きく変えている。その急激な変化に、統治の仕組みと人々のものの考え方が追い付いていない。かくして中国共産党の統治は、あらゆる面で大きな挑戦に直面している。習近平が抱えこんだ中国の現実の課題は実にすさまじいほど多数かつ深刻なのだ。
この中国の変化が、2012年の第18回党大会以来、党の基本方針として“改革”が最重要視されてきた根本的な理由である。そして13年秋の三中全会における『改革の全面的深化に関する決定』となり、それこそあらゆる分野の改革を“全面的”に深化させることにしたのだ。「改革」であり、事実を重んじ、結果を出すことを重視する「実事求是」であり、「思想解放」の堅持なのだ。これらのやり方を続ける限り、中国はこれからも変わると見ておいて方が良い。中国共産党の“変わる力”を軽視すると判断を誤る。
改革は、既得権益層との全面戦争となる。江沢民と胡錦濤の時代を経て、既得権益層は肥大した。それ故に総書記就任直後の12年暮れ、習近平は「トラ(大物)でもハエ(小物)でも叩く」と宣言し、反腐敗闘争を鳴り物入りで始めたのだ。王岐山を中央規律検査委員会のトップに据えての覚悟の船出であった。既得権益層は大体腐敗している。そこをたたき、改革に対する抵抗を抑えこむとともに、自派の勢力を拡大しようとした。習近平への権力の集中の始まりである。
4年6月、人民解放軍の大物であった徐才厚が党籍を剥奪され、司法プロセスにかけられた。7月、政治局常務委員までつとめた周永康が中央規律検査委員会の審査にかけられ、12月、党籍剥奪と司法への移管が決定された。習近平の勝利であり、既得権益層の後ろに見え隠れしていた江沢民の敗北でもある。総書記就任からわずか2年でこれだけのことを成し遂げた習近平の力量は、やはり相当のものだ。だが、短期間で物事を処理しようとすると反作用も強くなる。これから揺り戻しが来る可能性は排除できない。

中国の改革の道程は厳しい
私は、かねてより一つの方程式を提起している。それは「経済の発展」+「社会の安定」=「中国共産党の統治に維持」というものだ。経済の持続的成長がなければ、社会の安定もなく、共産党の統治も終わるのだ(もはや高度成長の必要はないが、社会の不安定化を回避するために必要な成長は不可欠)。
中国経済は大転換期にある。経済の構造を転換し、経済の質を向上させないと持続的な経済発展は不可能なのだ。だから今回の『決定』において、資源配分の“決定的”役割を市場に与え、政府の役割を限定することを決める等、多くの改革を盛り込んだ。そしてこれらの改革を成し遂げないと、共産党の中期目標である共産党創立百年の2020年に2010年のGDPと一人当たりの所得を倍増するという公約(一つ目の「百年」)も果たせない。
しかもルイスの転換点を過ぎ、高齢化社会の到来も間もなく来るという条件下で、それをやる必要があるのだ。つまり「人口ボーナス」により達成された高度成長の後、「中進国の罠」に陥ることなく、いかに「先進国経済」に移行するかという巨大な課題をかかえている。しかしそれを実現しないと、建国百年の2050年ごろ先進国の仲間入りをするという、二つ目の「百年」の目標の実現はできないのだ。
ところが今回の『決定』を全部こなしても、中国の真の課題を解決するにはまだ不十分なのだ。中国社会は多様化し複雑になり、高学歴化社会と情報化社会が一気に成立した。それを一党支配で乗り切るのは至難の業だ。今回の『決定』もこの問題に対する本質的な回答を提示できてはいない。
そして最後に政治が来る。国民との関係が緊張し、力関係も国民有利で進む中で、政治改革の足取りは遅い。鄧小平は、「“中国の特色ある”社会主義の堅持」と「共産党の指導」という大きな枠を中国の政治改革にかぶせた。果たしてそのような政治改革で事態を乗りこえることができるのか、という本質的な問題をかかえている。
このように習近平体制には、たとえ今回の改革をある程度実現しても、その後にさらなる厳しい試練が待っているのである。残された時間はあまりないのに、挑戦は実に巨大だ。だがそれに打ち勝つしか共産党の生き残る道はない。
ただわれわれが留意しておくべきことは、『決定』の諸改革がたとえ半分でも実現されれば、そのときの中国はさらに大きく変化しているだろうという点である。中国が今やろうとしているのは、それほどの大改革なのだ。
そして外交は内政の延長であり、特に中国においてはそうである。中国外交は、このような中国という国の大きな変化の中で形成され、実施されているのである。

中国外交は内政そのものである
中国の対外強硬姿勢は、09年から目立ってきた。「核心的利益」という言葉は、それまで台湾、チベット、新疆の問題を指すと理解されてきた。09年に南シナ海も中国の「核心的利益」であるという主張を外交部がしたとき、胡錦濤は「“核心的利益”の範囲を広げることには慎重であるべし」との意見を付したという“街の噂”も耳にした。それと同じころ、鄧小平の「韜光養晦、有所作為」という政策が、「韜光養晦、積極有所作為」に修正され、だから中国は自己主張を強めるのだという“街の噂”もあった。
やはり外交は混乱し始めていたのだ。私自身、最近、外交はかなりの程度、内政の不満の表明や指導部への揺さぶりに使われて来たのではないかとの感を強くしている。もちろん、そのような動きを助長する社会の不満や民族主義的傾向が社会の底流としてある。それは党、軍、政府においても同様だ。だからますます外交の「大義名分」を掲げ、指導部を揺さぶることができるのだ。
いま振り返ると、薄煕来事件は実に重大な出来事であった。薄煕来は党中央、つまり胡錦濤・温家宝と異なる路線を公然と打ちだした。これは重大な紀律違反である。にもかかわらず、それが禁じられるどころか半ば公認された(例えば人民日報系の「人民網」で「薄煕来コーナー」が設けられた)。習近平への政権交代を阻止し、あるいは習近平政権下での影響力を増す動きであった可能性は高い。政治局常務委員会の誰かが、またその後ろにいる長老の誰かが支持するからできたと判じるしかない。その人物が周永康であり、江沢民だったという後知恵も、かなりの信ぴょう性を持つ。
このように党が割れている最中の2010年に尖閣の中国漁船衝突問題が起こり、12年に所謂尖閣「国有化」問題が起きた。とりわけ12年は、第18回党大会の年であり、後継者について、これまでのような政界のドンのお墨付きのない初めての政権交代の年であった。だから党を割りかねないような動きも出てくるのだが、こういう時には指導部は外に対しては強い姿勢をとるしかない。妥協的な姿勢を示すと国内で足をすくわれるからだ。ましてや主権や領土という「核心的利益」にかかわる問題について妥協的な姿勢をとることはできない。
10年、あの温家宝がニューヨークで華僑を相手に厳しい顔で日本を批判し、12年には胡錦濤をはじめ政治局常務委員会の全メンバーが公の場で日本を批判した。そして狂ったような反日キャンペーンが繰り返され、尖閣に公船を何度も送り込み領海侵犯を繰り返した。日中開戦間近の論調が躍った。フィリピンにもベトナムにも、仮借のない批判と行動をとった。
12年11月に党の総書記に就任した習近平は、当面は胡錦濤政権末期の対外強硬路線を踏襲する以外に選択肢はなかった。習近平は地方勤務の長い国内派であり、あの当時、対外路線を修正する知見も力もなかったからだ。まず自分の足場を固めないと何ごとも進まない。そこでほぼすべての精力を党の掌握と国内対策においた。その間、対外強硬姿勢は続いた。これが私の解釈だ。

習近平の対外路線の形成
中国共産党のような統治システムを持つ国では、指導部の政策決定に対する影響力は大きい(もちろん国民の指導部への影響力も急増しているが、他の国との比較において中国指導部の影響力は依然として大きい)。習近平の立場に立てば、対外政策は習近平をトップとする共産党の国内統治をうまくやるために存在する。鄧小平も「外交の任務は『発展』という国内の最重要任務を達成するための外的条件を整えるためにある」という趣旨のことを言っている。
国内の権力基盤を確保した後の習近平にとり、最大の仕事は国内の運営であり、そのカギは経済の持続的発展と社会の安定にある。中国経済が完全にグローバル経済に取り込まれた今日、国際協調なくして中国の経済発展もない。中国が「改革の全面的深化」に取り組むのも、そうしないと持続的な経済発展ができないからだ。それ故に私は、国内改革派は国際協調派であり、日本は中国の改革派と手を組むべしという主張をした(「中国の『真の改革派』と連携を」:2013年12月26日付日本経済新聞「経済教室」)。
この政権運営上の必要からくる対外協調路線に着目すれば、13年の春ごろからその兆候はあった。そして13年10月、周辺外交活動座談会で重要講話を行い、「親(蜜)」、「誠(実)」、「(互)惠」、「(寛)容」の理念を打ちだした。この座談会は、李克強が主宰し、政治局常務委員会の7名の全メンバーがそろい踏みをする格式の高いものであった。だがその後続いた東シナ海や南シナ海における中国の自己中心的な強硬姿勢を前に、色あせて映った。
私は、それでもこれまでの中国共産党のやり方から、これは習近平の外交方針の表明であると判断した。14年11月の外事工作会議における習近平の重要講話において国際協調路線が再度、前面に打ち出された。「協力とウィン・ウィン」を核心とする新しい形の国際関係をつくる「中国の特色ある大国外交」とない、「義利観外交」(『大学』:国は、利を以って利と為さず、義を以って利と為す也)となった。周辺外交の基本方針も、当然堅持された。
同時に中国指導部にとり国をまとめる、つまり「社会の安定」を保つためのナショナリズムの魅力も捨て難い。したがって外事工作会議における習近平の重要講話においても、領土主権、海洋権益、国家の統一はしっかりと守ると言っているし、そもそもこの外交方針自体が、中国を豊かな強国とするためのものである。
したがって、社会の安定のために対外強硬姿勢に転ずる可能性は常にある。現に過去数年間の中国の対外強硬姿勢は、中国社会の幅広い支持を得ている。また現時点での方針が、中国が真の世界大国になったときの姿勢までを保証するものではない。中国は、あらゆる意味で生成途上であり、かなりの部分がこれから決まると見ておいた方がいい。
それにしても習近平政権が、今日の時点で国際協調の方向にかじを切った意味は大きい。とりわけ中国外交に中国の伝統的価値観を導入しようとしている点は、中国をより建設的な責任ある大国に導く一つのきっかけにはなりうる。なぜなら中国の伝統的価値観では「覇道」は強いマイナスイメージの言葉であり、徳の力を重視する「王道」が中国の知識人たちの思考をしばってきたからである。

習近平の対外政策の転換はどうして可能となったのか
習近平の対外政策の転換が可能となったのは、それをやれる国内基盤が整ったからだ。それは再び反腐敗闘争と密接な関係を持つ。大トラをきっちりと処分したことで習近平への求心力は高まった。それを踏まえて習近平の方針が末端まで実行される態勢となってきたのだ。
13年10月の周辺外交座談会で国際協調の路線が打ちだされたにもかかわらず、南シナ海や東シナ海での攻撃的な行動は続いた。11月には防空識別圏を設定した。14年5月と6月には、中国軍戦闘機が自衛隊機に異常接近した。8月には、今度は米軍機に異常接近をした。10月に習近平はインドを公式訪問したが、習近平がインドの地に足を下ろしたころ、インド北西部の中印国境で中国軍部隊が越境して数日間、インド軍とのにらみ合いが続いた。習近平の面子が大きく損なわれる出来事であった。
与えられた権限を利用しながら指導部が困惑するやり方で、指導部の方針に対する不満の気持ちを表そうとするのだ。08年12月の温家宝総理訪日直前に、国家海洋局の公船が初めて公然と尖閣諸島の日本領海を侵犯したのも同じことだ。習近平の場合は、間違いなく反腐敗のきびしい取り締まりに対する不満であり、それを通じる勢力削減に対する抵抗であろう。
だがそれも14年12月の周永康に対する党籍はく奪と司法プロセスへの移管の決定を以って徐々に収束に向かうであろう。習近平独自の対外政策の始まりと言っても良い。もしそれとは異なるおかしな動きが出てくれば、それは習近平の権力の掌握がまだ不十分であることを示唆する。

習近平外交と日中関係
14年11月の対外工作会議における習近平重要講話において、国際協調路線が確認された。もちろん軍事費の増大は続くし、人民解放軍も間断なく増強される。豊かで強い大国をつくる夢も続く。中国が覇権的な動きをしないという保証は何もないが、少なくとも習近平の時代は、「協力とウィン・ウィン」を核心とする新しい形の国際関係の構築を基本とするということだ。
これは当然、日本との関係にも適用される。来年から日中関係を改善することは可能だということになる。だが来年は第二次世界大戦が終わって70年の節目の年である。歴史がもっとも敏感な問題となるであろう。
日本でも新たな談話を出すべきだという意見もある。しかしその内容が少しでも歴史修正主義と見られるようなものを含んでいれば、中国や韓国だけではなく、旧連合国の世界の主要国との関係が大きく傷つく。村山談話と河野談話を堅持し、靖国参拝は控えることが必要にして不可欠だ。歴史問題についてはくれぐれも慎重に行動し、しっかりと脇を固めないと対中外交だけではなく、日本外交全体の基礎が崩されてしまう。
中国も70周年の行事を大々的に取り行う意向を表明している。韓国やロシアとも協同する姿勢を示している。日本の動きが、それをさらに華々しく行う口実を与えてはならない。しかし日本側が慎重に対応しているのに、中国側が敢えて大規模なキャンペーンを行えば、世界の見方も変わるし、日本国民も中国側が本気で対日関係の改善を計るつもりはないと判断する。中国が大キャンペーンを張り、またもやステレオタイプの日本と日本人のイメージを登場させれば、中国人の対日イメージが一層、現実離れをしたゆがんだものとなってしまう。そして日中両国民の相互理解もまた遠のく。この意味で中国側も歴史問題について厳しく自制すべきなのである。(2014年12月18日記)


『国家戦略として「国際協力費」の創設を』2014-09-18

  『国家戦略として「国際協力費」の創設を』


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              元駐デンマーク大使、柔道家  小川郷太郎

「積極的平和主義」の補強を
「失われた20年」は経済が低迷した時代であるが、政治はいつも選挙を念頭に置いた党利党略に堕し、内外の重要な政策課題への取組みをずっと先送りして国力の衰退を放置してきた点で責任が大きい。第2次安倍政権になって状況は変わり、日本にようやく政治のリーダシップが見られるようになったのは喜ばしい。安倍総理が昨年の就任以来打ち出している戦略の方向性や政策推進への強い意志と行動を大いに称賛したい。こうした戦略の中で「積極的平和主義」を唱えていることにも敬意を表するものであるが、これまでに知られたその具体的内容を見ると、途上国援助などにも触れられているものの、全体として(狭義の)安全保障への対応に重点が置かれている印象を拭いきれない。

私はこの関連で、大きな国家戦略の一環として、「積極的平和主義」を補強するための「国際協力費(仮称)」創設を提唱したい。これは、従来の政府開発援助(ODA)の概念を拡大し、世界に誇る日本の「ソフトパワー」を発揮させるとともに、文化的・人的交流を抜本的に拡充することによって、対外依存度の高い我が国が世界との繋がりを一層強めるとともに平和にも貢献するための予算である。

ODA削減でオウンゴール
この提案の背景にある考えを述べてみたい。
まずODAについてであるが、冷戦終了以降、民族紛争に伴う地域的不安定化や地球温暖化、国際テロの拡散など地球的規模の問題が顕在化したことなどから主要国がODA予算を増やし、資源獲得を目指す中国も急速に対外援助を拡大してきた。我が国はこの世界の動きに逆行し、ODA予算は1997年をピークに15年間で半減してしまった。これは国家戦略の大きな誤りであった。援助を通じた日本の対外影響力は相対的に減少し、中国などのそれが高まってきたからである。ODAは対象国の安定と発展に貢献し、それが貿易や投資を通じて日本経済にも資する。我が国は貴重な資源を保有し輸出市場にもなる途上国への援助だけを目指すのではなく、グローバルパワーとして途上国援助を拡充する必要がある。ときどき、「ODAはムダが多いから削減すべき」との声がある。確かに、個別のODA案件でうまくいかない場合もあるが、是正措置をとって改善すべきで、実際にはそのようにしてきた。重要なことは、援助は必要であり国益にも資するということを認識することである。業務に無駄や失敗があるからと言って社会保障を削減することができないのと同様だ。大きな軍事力を持たない我が国として、途上国援助は極めて有効で重要な外交手段であったし、これからもあり続ける。この基本認識をしっかり胸に刻むべきである。

筆者は40年間にわたる外交官としての経験から、世界は無知や誤解や偏見に満ちており、それが国家間の紛争や国民感情の対立を助長していることを感じてきた。メディアの報道は、しばしば事件や問題点に焦点を当てすぎるあまり、結果としてある国の真の状況や国際関係の実態の全体像を歪めてしまう。現地に行って実情を観察し、その国の人々と話してみると、自分の先入観や報道で形成されたそれまでの認識がすごく違っていたことに気付くことが多い。従って、人的交流は真に不可欠で重要であると強く確信するようになった。

同時に、国民一般はあまり認識していないようだが、日本や日本人は世界の殆どの国々から好感と敬意をもたれていることを常に感じ、誇りに思ってきた。尊敬される要素には、戦後世界的に展開されたODAや平和外交、日本独自の文化力と科学技術力、そしてさらには日本人の人間的資質がある。援助については、特別の政治的意図を持たずにグローバルに実施され、また、相手国のニーズを考えながら対話を通じて行う日本的アプローチが感謝され高く評価されている。また、日本が平和憲法のもとで国連を中心に核兵器の廃絶をはじめ軍縮や不拡散などの分野で様々な活動を主導してきたことは世界から広く認知されている。安保理常任理事国がすべて核保有国で占められる中で平和外交を推進する日本がさらに影響力のある立場に立つことが必要である。文化については、能、歌舞伎、茶の湯、生け花、浮世絵などの伝統芸術の優れた独創性、ち密で洗練度の高い工芸品、今日世界中の人気を博している寿司や和食の食文化、さらには世界中にくまなく浸透している我が国発祥の柔道、世界の若者を引き付けるポップ音楽や漫画、コスプレ等々。これだけ多岐にわたるジャンルで世界から注目され愛される文化を有している国は他に類を見ない。因みに、高校生の交換留学推進の仕事に携わっている経験から言うと、日本は世界の高校生の中での人気国である。その背景に彼らが日本の若者文化に強く惹かれていることもある。より能動的に日本文化を通じて交流すれば、世界各国から一層の親近感と信頼感を得ることができる。国民レベルでの親近感は領土問題を含めた政治的な関係改善にも役立つ。中国や韓国との現在の難しい国民感情も、政治家、メディア、有識者、学生・青少年、草の根などの様々なレベルで大規模で継続的に人的交流を積み上げていくことにより改善することが可能である。さらに、我が国の持つハイテクや環境技術、先端医療技術等を通じて世界に貢献することができる。

日本人の資質も世界中の称賛の的だ。2011年の大震災における日本人の冷静で秩序ある行動や忍耐力は世界中から驚きをもって称賛された。他にもまだ例がある。震災よりずっと以前の1980年代に中東で活躍した日本人ビジネスマンの誠実さや責任感などの資質は、今でもアラブ諸国民の語り草となっており、これはイラク等が自国の復興のために是非とも日本の企業と提携したいと強く求めてくる理由である。これらは米国や中国などの大国も真似のできない日本独特のソフトパワーであり、偉大な資産である。こうした日本の力を発揮し様々な貢献をすれば国際社会での日本の役割や立場を高め、今まで以上に諸外国との協力関係を強めることができるであろう。

活かせ、日本のソフトパワーを
新しい「国際協力費」はこれらの諸要素を活用するための予算で、その主な使途は①従来の途上国援助の拡充に加え、②平和のための人的交流(例えば、ジャーナリストや海外有識者の広島招聘を含めた平和・軍縮に関する啓蒙・対話、核廃絶運動支援、中国や韓国を中心にした有識者、メディア、学生、政治家等の人的交流の大幅拡充)③様々な文化交流(草の根文化交流、留学、教員の異文化体験、スポーツ交流、日本文化紹介事業などの支援の抜本的拡充、日本の考えや主張を広める積極的な対外広報活動等)、④科学技術協力(医療や環境分野等)があろう。これらの活動はいずれも国際間の平和に資するもので、積極的平和主義の重要な要素とするにふさわしい。

GDP比で0.5%を目指せ
そして、「国際協力費」の予算規模は当面GDP の0.5%を目標とすべきである。これは、防衛費の約半分であるが、国際社会における我が国の安全と諸外国との政治・経済・文化面での協力関係を増強するうえで高額と考えるべきではない。因みに、ODA の規模に関し国際的に合意された目標は、GDP比0.7%である。膨大な財政赤字があるので到底無理だという発想に陥るのではなく、国際社会における我が国の立場を強化し広義の安全保障を高める一つの有力な手段として、国家戦略全体の予算配分の中で調整すべき重要性を持っている。

日本が持つ貴重な資産であるソフトパワーを活用して世界と交流することは、国際的な文化の発展や平和に必ずや貢献する。現在具体策が練られている積極的平和主義の重要な構成要素として重視すべきである。そして、その予算規模も明確に目標化すべきである。(2014年9月16日寄稿)






『ポスト・ワールドカップのブラジルと安倍総理の訪問』2014-08-26

  『ポスト・ワールドカップのブラジルと安倍総理の訪問』


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            元駐ブラジル大使 島内 憲

1.はじめに
2014年FIFAワールドカップでホスト国ブラジルの優勝はならなかった。それどころか、準決勝でドイツに7対1というサッカー史に残る惨敗を喫し、ブラジル人サポーターが涙を流す姿が世界中に流れるという、想定外の結果になってしまった。一部マスコミで、「これでブラジルは大混乱に陥る」とか、「10月の大統領選挙にも影響が出る」とかいった短絡的な報道も見られた。実際はどうだったのか。最近、率直な物言いで知られるブラジル政府高官は、筆者に「ブラジルはW杯の不本意な結果で悲嘆に暮れていると思われているが、実はそうではない。大部分の国民は大会の運営が上手く行ったことを喜んでいる。」と語った。筆者は、同人の発言は、単なる政府の公式説明ではなく、おそらく実態に近いのではないかと思っている。

ブラジルは、実際に住んでみないとよくわからないことが沢山ある国である。例えば、政治と経済が不安定で治安も悪い開発途上国の代表選手といったステレオタイプが今もなお残っているが、現実はだいぶ違う。先進的な部分を持つ文明国であり、意識の上でも先進国に近い。ブラジル政府は政治的思惑から、開発途上国グループのリーダーを標榜するが、他の新興国と一緒にされたくないというのがブラジル人の本音である。従って、ブラジル人の大多数はW杯の結果について、「サッカーの試合で負けた程度のことで、国全体がおかしくなってしまってはたまらない。ブラジルはそんなお粗末な国ではない。」と考えているに違いない。

2.ブラジルの現状
それでは、ブラジルの経済は、今どうなっているのか。ルセーフ現大統領が就任した2011年以来、低成長が続き、精彩を欠いている。新たな経済成長の起爆剤になるはずだったW杯効果も期待外れだった。逆にW杯開催期間中、国全体がお祭り気分になり、その分経済活動が低下した(6月の工業生産は前年同月比でマイナス6.9%)。14年の成長率は、1%或はそれ以下との予想が出始めている。一方、インフレは政府目標(4.5%±2%)の上限値(6.5%)すれすれで推移しており、改めて懸念材料となっている。

ブラジル人は消費意欲が高い人々である。自動車や冷蔵庫、洗濯機などの家電製品の普及率はまだ伸びる余地が大きい。これまで、低成長の下でも、減税等様々なインセンティブにより、消費は堅調に推移してきた。また、事実上の完全雇用の状態が続き、一部分野ではむしろ労働力不足が深刻な問題になっていた。その結果、生産性向上を伴わない賃金上昇が続いていた。低成長が政権にとって致命傷にならなかったのは、こういった賃金上昇と消費拡大のサイクルを何とか維持できていたからである。

しかし、現在、この前提が崩れつつある。消費は頭打ちになっており(14年第14半期の自動車販売は前年同期比で7.6%減少、家電も落ち込んでいる)、新規雇用の創出も鈍化している。雇用に関しては、完全雇用に近づいているので、増加率が鈍化するのは当たり前だとする意見もあるが、W杯の終了により、建設業やサービス業で需要が減るであろうとの悲観論もあり、後者の見方の方が説得力を持っているように思う。
10月の大統領選挙はどうなるのか。結果を予測するのは時期尚早であるが、W杯準決勝での敗退が選挙結果を大きく左右する要因になると見るべきではない。現にルセーフ大統領の支持率は大会後も大きく変わっていない。しかし、昨年までは、再選確実との見方が支配的であったのに対し、本年に入ってから野党候補が追い上げており、接戦になるとの観測も一部で出はじめている。10月5日の選挙から目が離せなくなっている。

3.ブラジルで政権交代があっても変わらないこと
 選挙結果如何にかかわらず、現在のブラジルの安定成長の基礎をなす次の3つのことは変わらない。
1つは、ブラジルでは、民主主義が完全に定着しており、政権党の交代があってもこれが民主体制そのものに影響を及ぼすことはないという点である。一部中南米の国では、民主的手続きのより選ばれた政権が強権政治に傾斜し、民主主義が形骸化している例が見られるが、ブラジルがこのような道を歩むことは考えられない。三権分立が確立しており、元気のよいマスコミの監視も極めて厳しい。行政権が暴走できない仕組みができている。次の政権も、その次の政権も公正な民主的選挙で選ばれるであろう、と確信できる国である。それでは、昨年6月の全国規模の抗議デモをどのように見るべきか。市民的権利に目覚めた中産階級が民主主義のルールの下で、都市交通インフラ、医療、教育等劣悪な公共サービスの改善や政治家の腐敗防止等を求めて立ち上がったものである。民主主義の欠如ではなく、むしろ、その成熟の表れである。

2番目は、健全経済運営である。ブラジルの政治家にとって最も怖いのはインフレである。ブラジル国民の間では、同じ商品の値段が午前より午後の方が高くなっていた時代の記憶が今もなお鮮明に残っており、インフレが再燃すれば、最大級の政治問題になることは必至である。何れの党が政権をとっても、インフレの回避を最優先する健全経済運営路線を堅持することは至上命題である。ブラジル政府はこの数年間、成長率低下の中でインフレ再燃すれすれの景気刺激策を打ってきたが、インフレ抑止か経済成長かの二者択一を迫られた場合、確実に前者を選ぶであろう。

 3番目は、格差の是正を目指す所得再分配政策である。ブラジルはかつて、世界で最も貧富に差が大きい国の一つであった。今でも、格差解消は大きな課題として残っている。しかし、現在はBRICSの中で唯一、格差が縮小(ジニ係数が低下)傾向にある国となっている。貧困家庭に対する給付金支給、最低賃金引き上げ等からなる社会政策が中間層を育成し、経済社会を安定化させ、更には内需を拡大する上で大きな役割を果たした。「ブラジル・モデル」ともいうべきこの基本路線の直接の受益者は全人口の4分の1に相当する5千万人と言われ、仮に政権党が交替しても大きく変わることはないであろう。かつて、貧困家庭給付金をばら撒き政策として目の敵にしていた保守層の間でも、長期的には国民の教育水準向上につながるものとして積極的に評価する意見が出はじめている。

4.次期政権が変えなければならないこと 
 しかし、現在ブラジル経済が、低迷していることは、先に述べたとおり紛れもない事実である。特に、消費の冷え込みが目立ってきており、耐久消費財の税率引き下げなどの消費刺激策だけでは、成長率を押し上げることが難しくなっている。最早、構造問題を覆い隠すことができなくなっている。政治家が支持率低下を覚悟の上で、長年解決を先送りにしてきた諸課題に取り組まなければ、ブラジルの経済成長が巡航速度を大きく下回る状況が続くことは避けられないであろう。

それでは、具体的に何が問題なのか。一言で言えば、経済の国際競争力の低さである。国産の工業製品の多くは、高額の輸入関税を支払って入ってくる輸入品より値段が高い。日本の自動車メーカーの現地生産車の価格は、日本国内で販売されている同じグレードのモデルの約2倍である。工業生産の20%を占め、基幹産業である自動車ついては、輸入車に対する差別的課税により何とか国内生産を守っているのが実情である。

競争力不足の原因としては、ブラジル特有の高コスト要因が指摘されている。内外の有識者の間では、常識になっていることばかりであり(詳細は後述)、問題は、為政者に改革を実施する意思と能力があるかどうかである。筆者の在任中(2006年~2010年)は専ら、為替レート(レアル通貨高)が国内製造業苦戦の元凶とされた。政府は、時には劇薬や禁じ手まで使ってレアル安誘導をしようとした(資本の流入規制など)。ところが、ギリシャ危機を契機とする欧州経済の悪化により、あっという間にレアル高がレアル安に転じ、輸入インフレが懸念される状況になった。

ブラジルとして苦しいところは、国際競争力を回復するために必要な為替レート(1ドル=2.6~2.8レアルとされる)がインフレ防止の観点から許容限度を大きく超えていることである。この矛盾を解決するには、先延ばしにされてきた改革を断行する必要がある。具体的には、道路、鉄道、港湾等インフラ整備の立ち遅れ、高くて複雑な税金・税制、前近代的で硬直的な労働制度、複雑で不合理な官僚手続きなど(いわゆる「ブラジル・コスト」と呼ばれるもの)の改善が急務となっている。また、エネルギーをはじめ一部分野における政府の過剰介入が民間の投資意欲を削いでいるとの指摘が内外からなされているほか、メルコスール(南米南部共同市場)中心の保護主義的な通商政策の見直しを求める声も強まっている。これまで、インフラ整備に関しては一定の進展があったが、それ以外の課題はほとんど手つかずのままである。次の大統領は、これらの課題にスピード感をもって取り組まなければならない。

5.それでも、ブラジルは自然条件に恵まれた正真正銘の大国である
 現在のブラジルは多くに課題を抱えているが、昔のブラジルではないことを忘れてはならない。かつての軍政下のブラジルは、国内で政治的正統性を欠き、国際社会でも孤立気味であった。経済面では、慢性インフレと借金漬けがトレードマークであった。しかし、85年に民政復帰を果たし、95年に発足したカルドーゾ政権が健全財政政策を定着させてから、安定成長路線を歩んでいる。今や、約3700億ドルの外貨準備を保有する純債権国であり、80年代の危機の原因となった石油の輸入依存も解消している。石油の自給を達成しているのみならず、そう遠くない将来、主要産油国入りすることが確実視されている。現在のブラジルは、正真正銘の大国である。経済規模は単独でASEAN10の合計を上回り、GDP世界ランキングで英国と第6位を争っている。

 ブラジルは、もともと自然条件・環境に恵まれた国である。程よい人口規模(2億人)、広大で山岳地帯が少ない国土(日本の23倍)、温暖な気候、豊富な鉱物資源・エネルギー源など人間の経済社会活動に必要な手段と条件をすべて備えている。農牧業の潜在力は世界一である。電力の90%は水力発電であり、自動車用燃料の約半分をバイオ燃料で賄うクリーン・エネルギー大国でもある。風力発電、太陽光発電のポテンシャルも世界でトップクラスである。もう一つ特筆に値するのは、ブラジルが地球上の利用可能な淡水の20%を保有することである。

 いずれにせよ、2016年にリオ夏季五輪開催や深海底油田開発(現在同分野で世界最大のプロジェクト)その他のメガプロジェクトの実施、豊富な鉱物資、世界最大の農業生産ポテンシャルなどにより、今後も世界から熱い視線を集め続けるであろう。このような有利な条件がどの程度実際の経済成長につながるかは、前述のインフラ整備と構造改革の進展次第であるが、ブラジルに丸4年在勤してわかったことは、ブラジルという国は、殆ど気づかないほど緩やかなペースではあるが、着実に前に進んでいることである。在勤中、交通インフラ改善から汚職対策まで、様々な面で一定の進展があった。今後も民主的な手続きの下、「ブラジル時間」で政治経済改革やインフラ整備が進むであろう。現在のブラジルは、20年前に比べれば、見違えるほど豊かで良い国になっている。10年には今より良い国になり、その10年後は、更に良い国になっているであろうと筆者は確信している。

6.日本・ブラジル二国間関係と安倍総理のブラジル訪問
 7月31日から8月2日まで安倍総理が50人のCEOクラスを含む大型財界ミッションとともにブラジルを訪問した。日本の総理の訪問として実に10年振りのことであった。遅きに失したとは言わないが、あまりにも長い空白であった。しかし、今回の訪問が多大の成果を上げたことにより、10年間の失われた時間をある程度取り戻すことができたと考える。訪問の概要や評価については外務省ホームページで詳しく紹介されているので、ここでは立ち入らないが、筆者はとりわけ次の点に注目している。

  • ①我が国としては、長年の経済低迷により国としての存在感が低下してしまっていたが、最近の経済回復により、再び国際社会の注目を浴びるようになっている。こうした中で、今回の訪問により、無類の親日国であり、新興国で第二位の経済力(インドの1.3倍、ASEANの1.1倍)を持つブラジルとの協力関係を戦略的グローバルパートナーシップと新たに定義したことの意味は大きい。今後は、しっかりとした中身を持つようハイレベルでの不断のアテンションが不可欠である。この点両国外相間の定期会合が合意されたことは画期的なことであった。
  • ②一方、ブラジルから見れば、今回の総理訪問は我々が考える以上に実り多く、時宜に適ったものであったのではないか。現在ブラジル経済は袋小路に入り込んでしまっており、現状を打開するために、構造改革とともに、様々な分野での技術力向上と人材育成が喫緊の課題となっている。今回、首脳間で造船、インフラ整備、石油ガス開発、医療等の具体的分野の経済関係の拡大深化について話し合われ、また、日本側から人材育成面の協力が表明されたことは、ブラジルの最優先分野と日本の得意分野のマッチングをトップレベルで行ったことを意味し、中長期的に大きなインパクトが期待される。
  • ③このほか、日本に入国するブラジル人の一般査証が数次化されたことの意義は非常に大きい。ブラジルは日本に対する関心が高いのみならず、親日家の層が厚いのが特徴である。また、2億の人口を擁し、富裕層人口も世界有数である。これまで、就労目的で我が国にやってくるブラジル人は多かったが、今回の数次査証の導入は、2020年の東京夏季五輪に向けて、観光目的等で日本を訪れるブラジル人の数を飛躍的に拡大させる上で重要な一歩となることは間違いないであろう。

日本とブラジルの間には、160万人の日系社会の存在と長年の協力実績にしっかり裏打ちされた絶大なる信頼関係が存在するが、日ブラジル二国間関係は、新興国の台頭、欧州の停滞等などにより国際社会の力学が大きく変化する中で、以前にも増して、双方にとって重要なものとなっている。「相互補完関係」を卒業し、いよいよ「相乗効果ある関係」の段階に入った。今回の総理訪問により、新しい動きに弾みがつき、両国関係は本来あるべき姿に近づいたといえよう。これからが楽しみである。 (2014年8月21日寄稿)



『アジアとの新しい文化交流事業「文化のWAプロジェクト」』2014-06-13

  『アジアとの新しい文化交流事業「文化のWAプロジェクト」』


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            国際交流基金理事長  安藤裕康

国際交流基金の新しい対アジア文化交流事業「文化のWAプロジェクト」の発足式が、4月15日、高円宮妃殿下と安倍総理ご夫妻のご臨席を得て国際文化会館で開催された。この新事業は、国際交流基金の中に「アジアセンター」を設置し、東京オリンピック・パラリンピックまでの7年間に300億円という大規模事業を実施するものである。そのうちの230億円はいわゆる真水の新規予算であり、この結果国際交流基金の年間予算は約3割増加する。ここにいう「アジア」の対象地域としては、当面、東南アジアが念頭に置かれている。

 そもそも東南アジアとの関係では、1977年の有名な福田ドクトリンがある。そこでは経済協力と並んで心と心の関係、即ち文化を通じる相互理解の重要性が強調されていたが、ODAが順調に伸びる一方で、文化交流が遅れをとってきた感は否めない。近年は中国、韓国が言語やコンテンツ産業の分野で非常に積極的な活動を続けているため、日本の存在感が相対的に低下しており問題視されてきた。このような状況を打破しようという認識が背景にあったのである。


昨年の経緯
 安倍総理は昨年のアセアン10カ国歴訪の過程で、1月インドネシアにおいて対アジア外交5原則を発表され、その第4原則には文化交流の強化がうたわれた。この政策を具体化するため総理の下に有識者懇談会が設置され、何回かの会合と現地視察を通じて9月に提言が総理に提出された。また10月には東南アジアの文化人を招いてシンポジウムが開催され、現地側からも意見が開陳された。その後、外務・財務両省による厳しい予算折衝を経て、12月の日・アセアン特別首脳会議の場で、総理より新政策「文化のWAプロジェクト」が発表されたのである。アセアン首脳もこれに全面的賛意と支持を表明した。この新政策の実現に当たって、総理は終始強いリーダーシップを発揮された。

 この「WAプロジェクト」の根底にある考え方は、単に日本の文化を一方的に発信する従来型の政策だけではなく、アジアの国々と対等の立場に立って、相手国のアイデンテイテイーを尊重しつつ、真に双方向の交流を行っていこうというものである。アジア文明の多様性を前提として、その調和と融合を目指している。「WA」とは、平和、調和の和であり、またネットワークの輪、環でもある。


日本語教育の強化
 本事業は2本の柱から成る。1つは文化の根幹ともいうべき言語である。近年、東南アジアにおける日本語学習者の増加は著しい。過去10年余りで10倍近くに増えている。とりわけ中等教育レベルの伸びが顕著であり、全体学習者の9割近くを占める。これは、日本のアニメ・漫画などへの関心と、邦人企業への就職願望に加えて、現地政府による日本語学習奨励政策が大きく影響している。問題は教師、特に日本人の教師が大幅に不足していることだ。113万人の学習者に対し、国際交流基金が日本から派遣する教師数は53名にすぎず、JICAの協力隊員を含めても百名に満たない。かたや中国人の中国語教師はタイだけで約2千名、アセアン全体では数千名に上ると推定される。現地政府や日本大使館からも日本人教師の増強を求める声が強かった。

 この状況を改善するため、我々は今後7年間で3千人(年間約5百人弱)の日本人を送り込む計画だ。特に、学習人口が多いにも拘らず教師が質量ともに不足している高校レベルを主な対象とする。これだけの数となると専門の語学教師だけでは対応できないので、シニア層や学生などのボランテイア人材を活用し、現地人日本語教師のアシスタントとして活躍してもらうこととした。日本では、企業を定年退職後も公的な活動に従事したいと希望する方々、また、休学して海外での経験を積んで視野を広めたいという学生が増えているからだ。彼らが言語教育だけではなく日本の文化や社会の紹介にも意を用い、合わせて現地の言語や文化も学んで頂ければ、ここでも双方向の交流が成り立つ。いわば一種の逆JETである。去る3月よりこの「日本語パートナーズ」派遣事業第一陣の公募を開始したところ、まだ知名度が低いにも拘わらず、60名の採用予定に対し3百名以上の応募があり、関心の高さが伺えた。

 このほかにも、日本語教育てこ入れ策として、現地人教師の教授能力向上のための訪日研修や、相手国教育行政関係者のオリエンテーション目的の訪日も実施する。東南アジアではスマートフォンやSNSが大幅に普及しつつある現状に鑑み、IT技術を活用したインターネット上の日本語学習にも力を入れる。

芸術文化交流 
 「WAプロジェクト」の第2の柱は、芸術・文化の交流強化である。この分野でも、日本からアセアンへの流れだけではなく、双方向の交流を目指す。即ち、わが国が中心となってアーテイスト同士のネットワークを強化し、芸術作品の共同制作を奨励する。或いは芸術分野の人材を育成し、有形・無形の文化遺産の保存・継承のために協力する。また学術・知的交流の領域でも、高齢化社会、地球温暖化、防災などの共通課題に関する対話のニーズが増大しているので、その機会を増やしていきたい。
 具体的な事業例としては、東京国際映画祭の枠内でのアセアンとの映画人・作品の交流、日・東南アジア美術展の開催、映画や演劇の共同制作、日・アセアン・ジャーナリスト会議、サッカーを初めとするスポーツ人材の育成など様々なアイデイアが寄せられ、実現に向けた検討が既に始められている。

アジア以外も重要
 以上がアジア向けの新事業の説明であるが、世界の他地域との文化交流も一層強化すべきことは言うまでもない。近年日本の経済力の低下に伴い、日本への関心が減少していると言われてきた。しかし、こと日本の文化に関する限り、関心は逆に高まっている。日本の文化、広い意味での生きざまや価値観への評価と尊敬は、衰えるどころかむしろ高まりつつあると言っていい。わが国としては、国際社会に対し文化国家日本を前面に押し出し、その認知度を高め、諸外国との交流を深めていくことが国益に合致すると考える。
 ここ1-2年、クールジャパンという言葉が盛んに喧伝される。クールジャパンの厳密な定義は定まっていないと思うが、それが単に文化ビジネスの輸出振興という面に限られるのであれば、それだけでは十分と言えない。文化ビジネスの振興それ自体が重要であることは論を待たない。しかし、ビジネスが成立しない地域との交流、或いはビジネスを超えた相互の信頼醸成のための交流にも大いに力を入れて行きたい。(2014年5月12日 寄稿)

『日本はウクライナ危機収束の仲介役となれ』
  2014-04-10

  『日本はウクライナ危機収束の仲介役となれ』






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        初代駐カザフスタン大使  松井 啓

 3月24日ハーグでのG7サミットでロシアの追放を宣言したことは拙速であったが、恒久的な追放でないことはせめてもの幸いであった。もともと自由、民主主義、人権、法の支配、市場経済が整っていなかったロシアを先進国サミットに参加させることには日本は消極的であったが、表だって反対できず米欧に押し切られた。しかし今回はロシアをG8内に止めてピア・レヴュー(グループ内評価)の対象とすべきであった。

 クリミヤ半島を廻る動きは帝国主義時代のパワーポリティックを髣髴とさせたが、米欧もロシアも軍事力を行使せずに制裁合戦を開始している。冷戦崩壊後は経済の相互依存関係が深化しているので、首の絞め合いを続ければ世界経済全体が台無しになり、リーマン・ショックの二の舞いの「クリミヤ・ショック」を招くことは目に見えている。ロシア人は窮乏に耐える国民性があるが、西側民主主義諸国では市民の制裁支持は続かないであろう。世界規模の経済危機に陥るならばまたしても中国の一人勝ちになる可能性は大きい。 

 「懲罰し孤立化」させるためにロシアを共産独裁の中国と同列に追いやることは止めるべきであろう。既に米は軍事力は行使しないと声明しているので、ロシア人の大多数が「強くなったロシア」の高揚感に浸っている時にクリミヤ半島のウクライナ返還に応ずることはプーチンにとっては自殺行為であるので決して応ずることはないであろう。とことん追い詰めると暴発する可能性があることは国際政治の常識である。他方、自由も民主主義も人権も無視し、チベットやウイグルの自由化運動を圧殺している中国は、今のところ旗色を鮮明にせずに米欧・露の仲介の機会をうかがっているが、中国に漁夫の利を与えることだけは是非とも避けるべきである。

 米欧とロシアの双方の面子を救い「引き分け」に持ち込ませる役割は、G7メンバー中では特異な存在である日本のみができることである。日本は既にウクライナ暫定政権に対して15億ドル(1500億円)の金融支援を表明したが、これまで遠方のアフガニスタン支援のために東京で支援会合を何回か開いたように、東京でウクライナ支援の国際会議を主催することは、安倍首相の地球儀外交(アベプロマシー:Abeplomacy)の一層の展開を示す良い機会となろう。

 ロシアは外国監視団のクリミヤ派遣やOSCE(欧州安保協力機構)監視団ウクライナ派遣交渉で時間稼ぎをする傍ら、クリミアの水道や電気等のライフライン整備、クリミヤ市民に対するロシア旅券の発給、ルーブルやモスクワ時間の導入、クリミヤ兵士の露軍編入等の既成事実を着々と積み上げてきている。ウクライナ危機終息の最終的な落ちは、歴史的経緯、住民の意思等を勘案し、クリミヤ半島のロシア合併、ウクライナへの経済的支援、一体性の保障(ウクライナのシリア化防止)であろう。プーチン大統領の信任厚い老獪なラブロフ外相は、G8の枠組み無しでも国連安保理事会やG20等での活動の場があるとうそぶいているが、このような合意に至ればロシアもG8復帰は望むところとなろう。

 因みに、戦後これまでも北キプロスの独立、ユーゴスラビアの崩壊とコソボを含む7カ国の独立、南オセチア、アブハジア、南スーダンの独立等は夫々同列には論じられないように、北方領土返還問題も新しい方法と論理が必要であることは論をまたない。

  •        (2014年4月1日寄稿)



『日本柔道界の再生に期待する』2013-10-26

  『日本柔道界の再生に期待する』





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              元駐デンマーク大使、柔道家  小川郷太郎


全日本柔道連盟が宗岡正二氏を新しい会長とする新体制を発足させて1か月半が過ぎた。宗岡新体制の明確な方向はまだ見えないが、この時点で、今回の柔道界の変化を分析し、今後のあるべき方向を提示したい。

新体制の「画期的な」開放性は機能を発揮できるか
上村春樹氏を会長とする前体制は、柔道の強かったごく一部の者だけで運営されてきたために閉鎖的で視野狭窄に陥り、一連の不祥事への対応においても世間の常識と乖離し行き詰った。これに比較すると、新しい体制は画期的な開放性を持っている。初めて柔道界外部の人が全柔連会長に就任し、専務理事、事務局長も一新され、理事会のメンバーも刷新されたからである。

柔道が世界中に浸透し、全国各地に多数の柔道修習者や地方組織を抱える全日本柔道連盟の運営には世界的視野と大きな組織の運営能力が不可欠であるが、宗岡氏は、新日鉄住金という世界的企業を導く経営者であり、また、学生時代は東大柔道部の主将を務めた経歴から柔道についての知見も有している。就任の記者会見で宗岡会長は、連盟のガバナンスを改善し、透明性と説明責任のある組織に変えていく強い意欲を表明した。上村氏が率いた前体制では執行部に入っていなかった山下泰裕氏が今回新たに副会長に任命された。柔道界をよく知る山下氏が、外部から来た宗岡会長を支える態勢ができた。理事会には、これまで皆無であった女性理事が4名(橋本聖子、谷亮子、田辺陽子、北田典子各氏)任命され、さらに改革派の山口香氏が監事に就任した。新体制の陣容は、とかく閉鎖的であった組織に合理性を導入し、これまでの全柔連を変えてくれることを大いに期待せしめるものである。筆者は宗岡会長、山下副会長、近石専務理事、宇野事務局長の新執行部幹部に個別に会ったが、改革への意欲が強く感じられる。

しかしながら、前途がこれで一挙に明るくなったわけではない。組織の各部署に知識や経験のある人材が不足する脆弱さ、外部から任命された新執行部首脳と既存の全柔連内部組織との融和・協調の必要性、評議員会を中心とする公益財団法人としてのガバナンス体制の再構成、全国の地方組織との協調、国際柔道連盟との関係やルール造りをはじめとする国際柔道運営への関与強化など重要な課題が山のように積もっているのが現実である。高齢な指導者の多い柔道界の保守的体質も厳然として残っている。現時点では全柔連はこれらの課題に対応する青写真が描けているわけではなく、これから迅速・果敢に取り組んでいけるか懸念も残る。組織として本来の機能を発揮できるだろうか。

柔道界の置かれた現状
全柔連が直面する状況はどのようなものか。
ロンドン五輪における日本柔道は不本意な結果に終わり、その後の国際大会でも日本柔道が復活する兆しはまだ明確ではない。国内では、昨年末から全日本柔道連盟にかかる一連の不祥事が相次いで露見し、柔道関係者のみならず多くの国民が心を痛めている。柔道を学ぶ者の礼節の欠如についても耳にする。柔道を学んでいる青少年の一部に柔道離れの動きもみられ、状況は危機的である。すなわち、選手の強化や一般的な柔道人口の育成の双方で問題を抱えている。

世界の柔道の動きにも目を向ける必要がある。嘉納治五郎師範が創始し普及した柔道は、いまや主要な五輪競技のひとつとなっているだけでなく、約200の世界中の国や地域の草の根レベルでも熱心に学ばれている。その背景には、柔道が持つ体育・知育の手段としての特性、とりわけ忍耐力、自制心、礼節等の精神性の涵養、自他共栄の実現という目的があるからと考えることができる。我が国発祥の武道がこのように世界で普遍性を持つようになった事実は、柔道が世界の無形文化財ともいうべき価値を示すもので、日本人として誇りに思うものである。フランスが世界の中でも最大の柔道人口を有するのは、フランス人が体育・知育の手段として柔道の価値を信奉しているからでもある。しかるに、我が国柔道界指導部はこれまで自国選手の金メダル獲得に力を集中するあまり、世界的視野から柔道の価値を発展させるためにさほど意を用いてこなかった。

日本柔道界がおかれたこのような状況を乗り越えるためには、単に現在問題になっている暴力根絶、財務管理の適正化、指導方法の改善などを超えた、さらに幅広い改革が必要である。

何をなすべきか
日本柔道界が抱える課題はきわめて複雑で多岐にわたる。その主要なものを列挙してみよう。

1.柔道界内外の見識の高い多様な男女の人材を幅広く登用すること:幅広い課題に対応するためには様々な社会的知見を持つ人材が必要であるが、現状は人材不足である。主要な大会などで実績をもつ「強い」柔道経験者以外からも人材を登用する必要がある。女子柔道も男子に劣らぬ重要性がある今日、柔道界の運営には女性の視点は不可欠で、さらに大幅な女性登用を考えるべきである。

2.全柔連のガバナンス改善:最近の一連の不祥事への対応に見られたように、これまでの組織は適切なガバナンス機能を欠いていた。理事会の構成は再編されたが、評議員会の構成や機能の見直しはこれからである。ここで重要なことは、各機関の構成員が年次・性別・出身母体等にとらわれないで自由に発言し、非は非として公正な議論が展開できる組織文化を作ることである。

3.組織の強化:1年を通じて柔道関連の行事や事業の数は極めて多く、全柔連はボランティアを動員しながら「これまでどおり」の事業の実施に懸命に対応してきた。組織全体の運営を視野に入れた企画・財務・国際・広報などの部門の活動は脆弱である。これらの分野で相当な陣容増強が必要で、それを実現するための財政基盤の強化や公益財団法人にふさわしい経理的能力、監査制度の強化も図らなければならない。

4.全柔連と講道館との関係の見直し:これまで同一人物が全柔連会長と講道館長を兼務したきたこともあり、両者の機能区分が不分明であった。今回両組織の長を別々の者が担うことになったのを機に、双方間の機能を明確化するべきである。それに関連して、時間はかかるが、議論の多い段位制度の在り方も併せて見直すべきである。

5.柔道の教育的価値の周知強化:昨年度から中学校での武道必修化が始まったものの、柔道が危険なものと喧伝される傾向があり、指導者不足も指摘されている。この間柔道家による暴力事件や不正が相次ぎ、柔道人口の減少に拍車がかかっている。礼節や忍耐力の涵養など、柔道を学ぶ意義や価値に関する教育・指導・発信の強化・徹底が急務である。

6.世界における柔道の運営への積極的関与:柔道に関しては我が国は宗主国であり知見を有しており他国も日本の考えに強い関心を持っているが、これまで我が国は積極的に発言してこなかった。ルール造りや国際試合のあり方などについて、国際柔道連盟(IJF)及び他国との協議や連携を積極的に推進することにより、主導的役割を果たすことが極めて重要である。

東京オリンピックに向けて
上に掲げた課題はどれも一朝一夕で解決できるものでもない。しっかりした戦略と計画を立てて取り組むべきもので、宗岡会長の指導力を期待したい。この観点から、2020年の東京オリンピック開催決定は好個な時間的枠組みを提供してくれる。今から選手強化も含めた日本柔道の再生を目標に5か年計画を作成し、オリンピック前にその達成を目指すことが強く望まれる。

その過程で考えるべき重要な視点として、柔道をより広い国民ベースに乗せることも必要だ。前述の通り、柔道は体育・知育のための格好な教育手段である。さらに、世界に浸透し普遍性を備えたものになっていることから、柔道は国際交流の重要な手段として日本と世界を繋ぐことができる。オリンピックの観点でも柔道はメダル獲得への貢献度の高い種目である。こうした柔道の持つ積極的側面を国民に周知徹底させていくことが望ましい。それが、柔道の再生に向けた国民の支持基盤の拡大に繋がろう。

先般の柔道界の不祥事もあって国民の柔道に対する問題意識は高まった。筆者は、柔道専門家でない多くの有識者とも意見交換をする機会があったが、これらの方々のご意見を踏まえ、柔道再生への提言を取りまとめた経緯がある(注)。

東京オリンピックを視野に、柔道刷新のための改革を進めるとともに、柔道に対する国民の関心や若者の柔道修習者数を高める努力が必要である。柔道の様々な側面について発信するシンクタンクのようなものがあっても良い。メディアによる論説も期待したい。(2013年10月10日寄稿)

(注)(http://www.judo-voj.com/Japanese/yushikisha.html参照。なお、参加された有識者は、明石 康(国連元事務次長)、有森裕子(NPOハート・オブ・ゴールド代表)
小倉和夫(国際交流基金前理事長)、近藤誠一(文化庁前長官)、杉山芙沙子(パーム・インターナショナル・テニス・アカデミー校長)、中川正輝(パリ日本文化会館前館長)、永瀬義規(ジャパンスポーツコミッション代表取締役)、原田義昭(衆議院議員)、古田英毅(eJudo 編集長)、松浦晃一郎(ユネスコ前事務局長)、三原朝彦(衆議院議員)、吉井 栄(日本国際ローンテニスクラブ事務局長)の各氏である。

『第5回アフリカ開発会議(TICADⅤ)の概要(報告)』 2013-6-25

  『第5回アフリカ開発会議(TICADⅤ)の概要(報告)』





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      特命全権大使(第5回アフリカ開発会議(TICAD Ⅴ)担当)  伊藤 誠
 6月1日~3日、横浜で第5回アフリカ開発会議(TICADV)が開催された。TICADは、Tokyo International Conference on African Development の略だが、第4回から東京ではなく横浜で開催されている。
今回のTICADVには、アフリカから39名の国家元首・首脳級を含む51ヵ国の首席代表が、また共催者である国連、アフリカ連合委員会、世界銀行、国連開発計画(UNDP)からそれぞれの長が参加した他、ドナー諸国やアジア諸国、国際機関や地域機関の代表、それに民間セクターやNGO等市民社会の代表等も参加した。 日本からは、安倍総理が議長として、また岸田外相それに議長代理として森元総理が参加した。私は、昨年10月からTICADV担当大使として、内外プレスへの働きかけ等の対外発信、アフリカ各国首脳の参加招請、NGO等との対話等を中心に事前準備から携わり、本会議にも参加した。ここに簡単に今回の会議の概要を記すこととしたい。
8907959588_5eeb1327f2_z.jpgTICAD V 1/6/2013 開会式全体会合
今回のTICADVの基本テーマは、「躍動するアフリカと手を携えて(Hand in Hand with a More Dynamic Africa)」であった。 アフリカをめぐる状況は、日本主導で国連等に呼びかけ第1回TICADが開かれた1993年とは大きく変化している。特に開発が遅れていたサブサハラ・アフリカでも、2000年代を通じて年平均で6%近い着実な経済成長を遂げ、昨年のアフリカ全体での成長率は6.6%であった。今回の会議では、こうした経済成長をさらに力強く持続可能なものとするとともに、万人がその成長の恩恵を受けられるようにするというアフリカ開発の方向性を打ち出すことができた。会議の成果文書として採択された「横浜宣言2013」では、重点分野として次の6項目が挙げられた。

①民間セクター主導で成長を促進し、そのための投資環境の改善に努める。
②インフラ整備を促進する。ハードインフラだけでなく、産業人材を育成する。
③農業従事者を成長の主人公にする。特に小農の生活向上が不可欠であり生産
 ・保管・流通を一貫して整備する。
④気候変動等に適応した強靱な成長を実現する。
⑤教育、保健、水・衛生等で万人が成長の恩恵を受ける社会を構築する。
⑥平和と安定、グッドガバナンスを定着させる。同時に採択された
「横浜行動計画2013-2017」では、宣言に基づいて日本を含めてTICAD参加者
による今後5年間の具体的行動について合意した内容が記載された。

その中で日本は、引き続きアフリカを支援するとともに、アフリカが求める民間の貿易投資を促進することにより、アフリカの成長を後押しする姿勢を表明した。具体的には安倍総理がTICADVの開会式スピーチの中で、日本として今後5年間でODA140億ドルを含む最大320億ドルの官民の取組でアフリカの成長を支援すると発表した。すなわち、インフラ整備への公的資金65億ドルの投入、3万人の産業人材の育成、アフリカの若者1000人を日本の大学留学と日本企業でのインターン経験をするため日本に招聘する安倍イニシアティブの他、民間セクター支援策として、最大20億ドルのNEXI貿易保険枠の設定などの措置である。また、農業では、前回TICADで表明したコメ生産の倍増の取組を継続する他、儲かる農業への転換をはかることにより農家の所得増加を支援する取組を展開する。 教育では「みんなの学校」プロジェクトをさらに拡充し、保健では全ての人々が基礎的保健医療サービスを受けることが可能な状況を実現するユニバーサル・ヘルス・カバレッジを推進し、水・衛生では新たに1000万人への安全な水へのアクセスを実現することを目指す。さらに平和と安定では、テロ対処能力向上のための人材育成や、サヘル地域向け開発・人道支援として10億ドルの貢献が表明された。ここに記したのは日本の支援策の一部で、その詳細は「横浜行動計画2013-2017」の別表に全て記載されており、今後5年間にわたってフォローアップ閣僚会議で実施状況がモニターされることとなる。

実は、この行動計画の実施状況をモニターする仕組みは、2008年のTICADIVから採用されたものである。前回日本は、2012年までに対アフリカODAを18億ドルに倍増し、また対アフリカ投資が34億ドルに倍増するよう支援するとの支援策を発表した。2009年から毎年アフリカで開催することとなった閣僚級フォローアップ会合で、その実施状況がレビューされた。そして日本は2012年までにその約束を実現した。今回も同様なフォローアップメカニズムが取られることが予定されており、日本はその約束の実現に向けて努力していくこととなる。

 今回のTICADVは、前述の通りアフリカから多くの首脳が参加し、今後のアフリカ開発の方向性を示す横浜宣言2013と、アフリカと日本を含む国際社会の取組をまとめた横浜行動計画2013-2017が採択される等成功裏に行われた。

また、この機会に、天皇皇后両陛下のご臨席をいただいての第2回野口英世アフリカ賞授賞式と記念晩餐会の他、ソマリアの社会・経済問題を話し合うソマリア特別会合、「人間の安全保障シンポジウム」、それに国連安保理改革に関する会合も開かれた。さらに、安倍総理は会議に参加した全てのアフリカ各国首脳と、また岸田外務大臣、松山外務副大臣、それに阿部外務大臣政務官が各国閣僚や国際機関代表とそれぞれバイ会談を行う等、日本の対アフリカ外交を進める上でも極めて有意義なものであった。外務省は会議の事務局として共催者とともに会議の準備にあたってきたが、そうした観点から今回の会議の特徴や気づいた点について触れてみたい。
8911480734_dbe0e9f4b7.jpgTICAD V 1/6/2013第2回野口英世アフリカ賞授賞式と記念晩餐会 8899172694_9dff60fea7_z.jpgTICADⅤ31/5/2013 ソマリア特別会合   8921192017_dd1bf124b4_z.jpgTICADⅤ 2/6/2013人間の安全保障シンポジウム8920154253_4cdb3829d1_z.jpgTICADV 2/6/2013 テーマ別会合  テーマ別会議

(1)近年アフリカ側は日本企業のアフリカ進出を歓迎し、また日本の民間企業もアフリカの潜在性に注目して進出意欲を示している。今回のTICADVでは第一日目の議題に「民間との対話」を加えるとともに、経団連が主催し、昼食をとりながら民間企業と交流する場を設けた。これはアフリカ各国首脳と日本の民間企業代表者が一同に会して意見交換をするとともに、個別に交流を深める機会となり双方から高く評価された。

(2)今回からアフリカ連合委員会(AUC)が新たにTICADの共催者に加わった。これはアフリカのオーナーシップを高めるという意味で歓迎すべきことである。他方、AUCは2000年以降、EU、中国、韓国、インド等と個別にアフリカ開発フォーラムを開始している。TICADはこれら各国別のフォーラムとは異なり、国連等を共催者として他の国際機関、民間セクターやNGO等も参加するマルチの政策フォーラムであり、次回以降会議の運営等についてAUCとの調整が出てくるものと思われる。

(3)今回AUCの要望で、会議で共同議長制を取ることとなり、日本の安倍総理とAU議長国のエチオピアのハイレマリアム首相が共同議長となった。これはうまく機能して、例えば5分間のスピーチ時間を守らないアフリカ首脳に対し、議長代理のアフリカ首脳がストップをかけ、スピーチを途中で終わらせていたが、このような荒技は議長席のアフリカ首脳だからこそできたのではないかと思われた。

(4)日本側議長代理を務めた森元総理の提案で、議題ごとに2名の基調講演者以外は自由討論としてフロアの自席から発言するように事前に参加者に知らせていた。もっともどの議題で発言したいか事前に希望を聴取したが、当日も必ず手を挙げて登録して発言することとした。これも結果的にうまくいき、お互いの議論がかみ合う場面が多くなり生き生きとした議論が行われた。

(5)TICADはこれまで5回とも日本で行われてきたが、今回初めて行動計画の中で開催場所についてローテーションが適用される可能性に言及された。今後共催者間で議論されることになるが、次回TICADが日本ではなくアフリカのどこかの国で開催される可能性が出てきたといえよう。

(6)会議と平行して、横浜の国際会議場に隣接する展示ホールやアネックスホールを中心に、アフリカに関連するテーマでセミナーやシンポジウム等多くのTICAD関連イベントが行われたことも今回の特徴の一つであった。JETRO主催のアフリカン・フェアでは各国の産品が展示・販売された他、政府機関、国際機関やNGO等が主催する公式サイドイベントとして46のセミナー・シンポジウムが開催され、127の展示ブースが設けられた。この他JICAも19のシンポジウムを開催した。等が行われこれらのいくつかには安倍総理や各国代表者等も出席してスピーチを行った。週末をはさんだこともあり、これらのイベントには約6万人以上の人々が集まり、参加者のアフリカに対する理解や関心を高める上で大きな成果をあげた。

今回のTICADVには、アフリカを中心に世界各国から過去最大となる4500名以上が参加し、日本で開催された最大規模の国際会議となった。これだけ大規模な国際会議ともなるとロジ的には大変なオペレーションであった。しかしホスト市となった横浜市の他、万全の警備体制を取っていただいた神奈川県の全面的な協力で大きなトラブルもなく終えることができたのは幸いであった。私がたまたま遭遇したことであるが、あるアフリカ首脳を成田空港に出迎えたとき、翌日到着予定の別のアフリカ首脳が同じ飛行機に搭乗していることがわかった。急遽、空港ロジ担当者の機転で、車を用意し警察にも連絡して車列を組み東京にホテルを1泊分用意したが、関係者が一瞬青ざめたことは言うまでもなかった。もちろん在京大使も来ておらず、私は空港貴賓室でその首脳に待っていただく間、急遽話の相手をすることとなった。また、会議2日目に安倍総理主催TICAD公式晩餐会があった。参加各国代表者に厳選された日本料理を味わっていただく機会でその席次作りは非常に気を遣うものであった。
しかし、中には急に日程を変更してその日の夜に出発する首脳が出て、プロトコール順が変わりなかなか席次が決まらないこととなった。外務省の経験豊富な職員が直前まで頭を悩まして席次を確定することができ、何とか事なきを得たのであった。

 TICADは、これまで20年の歴史を有し、国際社会のアフリカ開発フォーラムの先駆的役割を果たしてきた。今回もアフリカ側から、こうしたTICADプロセスへの日本の貢献と新たな取組を評価する声が多く寄せられた。安倍総理は開会式スピーチや記者会見の場で、アフリカへの早期訪問の意向を表明された。日本としては、今回TICADVで約束したアフリカ支援策を確実に実施していくとともに、アフリカ側のさらなる関係緊密化への期待に応えていくことが必要である。TICADが5年に1度開催されることについて、アフリカをめぐる状況の変化が激しいこともあり、もっと短い間隔で開催すべきとの意見も出た。次回のTICADをいつどこで開催するかは、今後共催者間で協議して決められていくことになると思われるが、TICADプロセスの有用性は多くの関係者が認めており、今後ともさらにより良いものをめざして実施していくことが期待される。 (2013年6月22日寄稿)







『新ローマ法王フランシスコの船出』 2013-5-9

  『新ローマ法王フランシスコの船出』




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      杏林大学外国語学部客員教授・前駐バチカン大使 
                上野 景文


 史上初の中南米出身者として、3月に第266代ローマ法王に就任したフランシスコは、既にして、従来の常識を打ち破る形で、バチカンに新風を吹き込みつつあり、カトリック世界の潮流が大きく変わると予感させるところがある。世界の総人口の1/5にあたる12億人の信徒を擁するカトリック教会の頂点に立つ新法王が、スキャンダル続きのバチカンの体力と信用の回復に成功するか否かは、少なからざる国際的インパクトを有するため、今後の新法王の動きから目を離す訳にはゆかない。以下本稿では、新法王の治世を5つの視点から展望する。

先ず指摘したいことは、カトリック世界は3月のコンクラーベで「最も非バチカン的な人物」に将来を託した、と言うことだ。ローマで勤務していた頃、さる消息筋が私にこう述懐した。「カトリックには、ヒエラルキーと華美を体現したバチカン的文化と、清貧、謙虚、無私の精神で献身的奉仕活動に従事する修道士、修道女の文化との二つがある。カトリック教会が全体として今日まで尊敬を繋なぎとめているのは、ひとえに後者のおかげだ」と。イエズス会出身、ブエノスアイレス出身の新法王フランシスコはまさに後者の文化、「前線の文化」を体現し、「バチカン文化」の対極にいる人物だ。

ブエノスアイレスの時代から、貧しい人達の側につき、かれらに寄り添うべく、質素に生活することを重視、実践して来たベルゴリオ枢機卿は、法王としてバチカンに移ってからもこれまでの質素、謙虚の姿勢を貫き、就任ミサ、法衣、指輪、住居、秘書、公用車などを大幅に質素化、簡素化することで、バチカンに「前線の文化」を持ち込んだ。すなわち、「質素な教会(a poor church for the poor)」を実現するためであれば、先例や華美を廃することも厭わずとの気構えだ。この新風、前法王が苦手とした大衆への直接的語りかけを好むオープンな人柄(注1)とも相俟って、多くのカトリック教徒の共感を呼んでいる。ローマからの来訪者の話によれば、これまでのところバチカン官僚の間で大っぴらな不満の声は聞かれない模様だ(戸惑いはあるようだが)。ただ、法王の新風が吹き続けた場合、やがてバチカン官僚の既得権を侵害することになり、かれらの抵抗が顕在化する可能性がある点、要注意だ。

(注1)ブエノスアイレスで学生時代ベルゴリオ司教(当時)から直接薫陶を得たことの
 あるさる日本在住の神父の話によれば、新法王は、孤高の人であった前法王とは
 対照的に、常に「人と交わり」、「人と語らう」ことを好み、バスで隣り合わせた老婆と
 でも簡単に打ち解ける人柄の由。加えて、同神父は、学生時代に司教から、「書斎に
 こもって、勉強しているだけでは駄目だ。週2日はスラムに分け入って、人々と交われ。
 奉仕・実践を重視せよ。」と説かれたとも述べている。   

第2に、バチカンを揺るがしている性的虐待問題はじめ、山積する「組織の疾患」に関しても、新法王は改革に前向きに取り組むものと見る。それらの疾患の多くは、巨大組織特有の隠ぺい体質、自浄能力の欠如などに起因するが、管理能力を欠いた前政権(バチカンのインサイダー)の対応が後手に廻ったことが、カトリックの信用をいたずらに失墜させた。この反省に立ち、今回カトリック世界は、「バチカンのアウトサイダー」に舵取りを任せるほかないと判断し、バチカンでの経験を持たないベルゴリオ枢機卿を選んだ訳だ。

果たせるかな、新法王は早速に改革のための準備に向け手を打ち始めた。すなわち、新法王は就任から1か月目に当たる4月13日、「バチカン改革のための諮問委員会」の8名の委員(枢機卿)を発表した。内訳を見ると、バチカン官僚の指名は1名にとどめたこと、欧州からの指名は1名にすぎないのに対し、南北米州からは3名も指名したこと、バチカン改革に前向きと言われている英語圏、独語圏から3名指名したこと(注2)、全体の調整役は中米からの枢機卿を当てることにしたことなどに、新法王の意欲とバチカン官僚、欧州出身者の関与を薄めようとの姿勢が看取される。なお、改革の成否は、No.2に当たる「首相」の人選にかかっていることから、今後の人事には特に注目したい。

(注2) 大雑把に言えば、英語圏、独語圏のカトリック教会の方が、ラテン系の国の教会より
 危機意識が強く、改革を求める声が強い趣だ。


第3に、従来欧州中心主義が強固だったバチカンの「脱欧州化」が今後本格化するか否か、就中、これまでバチカン、カトリック世界で実権を握って来たイタリアを中心とする欧州勢に代わって、中南米を含む非欧州勢の発言力が高まることになるか、注視したい。換言すれば、カトリック世界の「重心」が、欧州から「南」、ひいては、「世界」にシフトすることになるか、と言う問題だ。

3月のコンクラーベは、1300年ぶりに欧州人を外し、非欧州人を選んだ。将来アジア、アフリカから法王が選出される素地が創られたと言うことである。とは言え、米州、アジア、アフリカは、世界のカトリック教徒の3/4を占めながら、これまで法王を輩出出来なかった。それは、世界カトリック人口の2割4分を占めるに過ぎない欧州が(法王を選出する)コンクラーベ参加枢機卿の5割強を出し、過大な投票権を与えられているためだ。この欧州偏重の構造を改め、各大陸の実勢、実情を正確に反映したより多元的なバチカンを構築することにより、カトリック教会を真に「グローバルな存在」に脱皮させることは新法王に課せられた使命と言える。ただ、非欧州出身の枢機卿の比率を高め、欧州偏重の現状を是正せんとすれば、欧州勢の抵抗に会うことは必至であり、予断を許さぬものがある。

更に先を見通すなら、こう言えよう。アジア、アフリカなどの発言力が高まるにつれ、バチカンに集中していた権限を各大陸に分散させ、もって、各大陸の独自性容認を強めるべしとの声が、次第に有力になるだろう、と(「集権から分権へ」)。

なお、欧州中心主義を体現していると目された前法王ベネディクト16世は8年の治世の間アジア訪問を果たさず、また、日本ではこの3年間枢機卿不在の状態が放置されて来ている。青年時代に日本に赴任することを志願したことがある新法王(健康上の理由から実現しなかったが)には、日本を含むアジアを重視した取り組みを期待したい。同時に、日本のカトリック教会には、新法王訪日を期しての働きかけを期待したい。

第4に、宗教プロパーの領域につき一言。避妊、中絶の問題から、司祭の独身制、司祭への女性登用の問題に至るまで、これまでカトリック教会が守って来た原理原則の中には、一般社会の常識から大きく乖離しているものが少なくない。避妊、中絶などの問題について言えば、既に「教会離れ」の進んだ西欧諸国ではカトリック教会とは相反する思想が定着している。また、司祭の独身制や女性登用について言えば、米国を中心にカトリック教会の一部で、改革を求める声が出て来ている。

まだある。ラテンアメリカ、アジア、アフリカの教会の発言力が高まるにつれ、カトリック教会が、その教えの中に各大陸固有の文化を取り込むと言う「多元化の問題」が、何れは浮上すると見通される(先に述べた「集権から分権へ」のひとつの事例)。この「ローカル文化の取り込み」ないし「インカルチュレーション」の問題については、バチカンは前法王の時代まではこれを厳しく制限して来た。が、各大陸は力を蓄えており、バチカンは、やがては、各大陸の文化に一目置き、夫々の大陸、地域ごとに固有の文化で「味付け」した教えを容認せざるを得なくなるものと想われる。つまり、大陸、地域ごとの「多元化」が進むことは、長い目で見れば不可避と見る。なお、「ローカル文化の取り込み」と言う観点からは、新法王の出身母体であるイエズス会の中には、かねてより積極派が少なくない点(そのためにバチカンから制裁を受けた会士がいた程だ)、付け加えておく。

このように、新法王を待ち受ける問題は多様だ。法王はこれら諸問題については概して保守的な立場と言われているが、他方、法王は、カトリック教会の「近代化」、「自由化」を推進した第2バチカン公会議を召集したヨハネ23世を尊敬しているものの如くであり、新法王はその胸中では第3バチカン公会議召集を思案しているとの観測すらある。この点を占う材料はまだ乏しいが、公会議を招集するか否かに関わらず、新法王の時代に、何らかの大きな決断、新しい方向付けがなされることは、ありそうだ。

第5に、新法王は、2つの観点から世界全体へのアプローチを強めるものと予感される。
ひとつは、諸宗教との関係。新法王は、ブエノスアイレスの時代からユダヤ教、イスラム教等との対話、交流を実践、重視しており、また法王就任後には、外交団を前に、特にイスラムとの対話を重視する旨言明したことから、今後、宗教間対話を強化するものと見る。
ふたつ目は、実社会の諸問題に関するメッセージ発出。歴代法王は、貧困、環境、人権などのグローバルイシューや国際情勢についての見解表明を重視して来ている。新法王は、師と仰ぐアッシジの聖フランチェスコに倣い、貧困、環境、平和、軍縮などのテーマを特に重視し、活発な意見表明をするものと目される。
つまり、新法王の治世には、外部世界へのアプローチは総じて従前より活発化、可視化するものと目され、それにつれ、国際社会におけるローマ法王、カトリック教会の存在感は高まるものと見る。

   *      *      *     *      *      *

以上整理しよう。新法王は、既にして前法王とは異なる持ち味を醸し出し、バチカンに新風を吹かせ、カトリック世界内外で好感されている。その新法王が、バチカン改革を本格化させる過程で、バチカンとカトリックの前線、バチカンと各大陸との距離を縮め、もって、カトリック教会の歴史的転換を進めることになるかどうか、興味は尽きない。したたかな欧州勢やバチカン官僚による抵抗は手ごわいであろうが、権威と絶対的権力が備わった「専制君主」として、ローマ法王は歴史を動かし得る地位にある。(2013.4.29記)

【参考】上野景文著「バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日」
     (かまくら春秋社)





『安倍総理のモンゴル訪問を終えて』 2013-4-15

  『安倍総理のモンゴル訪問を終えて』



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             駐モンゴル大使 清水武則
3月最後の週末を利用し、安倍総理がモンゴルを電撃訪問されました。 エルベグドルジ大統領、アルタンホヤグ首相、エンフボルド国家大会議議長等指導者と精力的な会談を行い、両国が、自由・民主、平和、助け合い、と言った3つの精神を共有する友邦であることを確認する一方で、戦略的パートナーシップ構築に向けた具体的な取り組みについて合意しました。特に経済面では、安倍総理は、「エルチ・イニシアティブ」という、モンゴル語のエルチ(活力)という言葉からとった、「活力ある経済のための日・モンゴル協力イニシアティブ」を発表し、モンゴル側から高い評価を得ました。

モンゴルでは、英豪系メジャーのリオ・ティント社が投資した世界でも屈指の銅・金鉱山のオユー・トルゴイ鉱山が昨年末に操業を始めたり、65億トンの埋蔵量を有するタバントルゴイ炭田(コークス炭田)の開発が検討されているなど鉱山を中心に経済が急速に発展しています。経済成長率は、一昨年は17%、昨年は12%の増でした。国家予算も今年は一昨年の倍です。一人当たりGDPも4000ドルになり、2016年には1万ドルを越えるという国際機関の予測もあります。しかし、昨年の5月に外国投資規制法が採択されて以降、急速な資源ナショナリズムが台頭し、外国投資の撤退、停止が相次ぎ、本年は投資が40%減という深刻な状況にあります。きっかけはChalcoという中国の国営企業が、ある戦略鉱床炭田の過半の支配権を握ったことでした。しかし、投資を締め付けた結果として、中国以外の外国投資も大幅に減ったわけです。今年の経済は相当の落ち込みが予想されます。皮肉にも中国以外の第三国諸国からの投資が大幅に減少し、モンゴル経済は、更なる中国経済への依存度を高めることになります。こうした紆余曲折を経ながらも、中期的にはモンゴルは世界でも有数の資源大国に成長すると考えています。

日本は1990年のモンゴルの民主化以来、モンゴルの最大ドナー国としてこの国の発展を支えてきました。そのことをモンゴル人は忘れてはいません。 東日本大震災の時には何十万人という国民から300万ドルの寄付をいただきました。280万人の人口ですから一人当たり1ドル以上の義援金をいただいたことになります。日本のODAは鉄道、発電所、通信、食料、医療等あらゆる分野に及んでいます。しかし、私が最も誇りに思っているのは日本の教育分野の支援です。 日本が建設した55校の学校で6万人の子供が学んでいます。加えて、草の根無償で実施した地方の学校の修復は200件を超えます。モンゴルの首都では人口増加に学校建設がついて行けず、未だに二部制が当たり前です。 ですから、日本の支援は高く評価されています。

私は、1977年に初めてモンゴル勤務をして以来今回が4回目のモンゴル勤務です。1989年の第2回目の時に、夢見ていたことがようやく具体化しつつあることをうれしく思っています。それは、日本の留学組の中から、この国を背負う人材が出てほしいという夢でした。最後のモンゴル勤務をすることになった今回、昨年の新政権発足で、2人の大臣が誕生しました。その内の1人は、教育大臣です。

また、次官は2人、副大臣も1人でました。モンゴルの最高学府のモンゴル国立大学の学長代行も日本留学組です。今、大学の学長選挙が行われていますが、この他に、健康医科大学、農牧業大学の学長に日本留学組が立候補しています。また、経済分野でもトップ10の企業の中に2人も留学組がいます。このように、日本がモンゴル国の人材育成を通じて、この国の発展に大きな貢献をしていることを知ってもらえれば幸甚です。 モンゴルは7月末から8月初めは、少し郊外に出ると高山植物の宝庫です。 読者の皆さん、是非モンゴルにお越しください。
(2013年4月10日寄稿)






温暖化を食い止める世界制度とは何か? 2013-3-7

   『 温暖化を食い止める世界制度とは何か?』

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            元地球環境問題担当大使  西村 六善

2006年、温暖化問題をめぐる国際交渉で格闘していたある日、突然知らない或る方の訪問を受けた。現在日本機械工業連合会の副会長をしている安本皓信氏だった。同氏は藪から棒に「温暖化の防止には所有権の設定と市場ですよ」と云った。その時は何を論じているのか分からなかったが、これが我々の全球炭素市場提案の始まりだった。経産省OBの同氏の議論は「環境に財産権がついていれば環境の悪化は防止できる」と云うものであった。環境財に所有権を付し、それを市場で売却し、対価を払わなければ環境財を消費できないようにすると価格がコストになって自ずと環境破壊は減少するという訳だ。

当時(そして今も)、この交渉が各国の利害対立で全く進捗しない現実を見て、京都議定書的な作業に内心大きな疑問を感じていた時だったので「これだ」と思った。時恰も、将来世代の為に世界の平均気温の上昇を産業革命以前より2℃以内に抑えようと云う議論が出始めた時であった。何とかしてそれを確実に実現する世界制度を作ろうと二人で研究が始まった。

2℃以内に収めようとすると全球で排出できるCO2の分量(炭素予算と呼ばれる)は科学的に決まる。炭素予算に政府間会議が所有権を設定し、それを排出権として世界中の排出企業に売り出す。 企業は化石燃料を燃焼する時には排出権を購入しなければならない制度にすると2℃は実現する。単純なハナシだ。CO2排出に市場価格がつくのでCO2を出さない技術への投資も合理的に惹起される。更に所有権を持っている政府間会議には新規収入が大量に入ってくるので市場弱者である途上国支援も可能になる。要するに2℃を達成し、同時に貧困国も助ける。世界が一体となって低炭素持続成長を実現できる…

我々はこの考えをあらゆる所に持ち回っている。ハーバード、ケンブリッジ、豪州国立大学等の教授陣と議論し、論文欄に掲載して貰い、ブロンバーグ、ロイター、FTなどに投書し、交渉官、学者、研究者、オピニオン・リーダー、政治家、メディア、NGOなどに呼びかけてきた。途上国の専門家とも論争している。大多数は正しい提案だと評価してくれるが、「今日、これだけの対立がある中でどうやって実現するのか」と疑問も呈されている…

…勿論、問題はそこだ。長年国際交渉を観察してきた日本の学者の一人はこれこそ最良の提案だと云ってくれる。しかし、事は簡単でない。92年の気候変動枠組条約以来、この問題は政府が責任を持って削減するものだと云う観念が根深く浸透している。実はこれが問題の根源だ。国の責任でなく市場で裁く等と云う提案が簡単に受け入れられる素地は今のところ無い。

元々国の責任制度は必然性があって生まれた。抑々、この問題が議論され始めた途端に途上国の先進国糾弾が始まった。「…これは先進国の歴史的で勝手気ままな工業化と生活水準の向上に起因する問題だ…途上国は被害者だ」と。 こうして気候変動問題は南北対立の最も先鋭的な戦場と化した。温暖化問題を解決するのは先進国政府の責任だ…これが政府責任論の始まりだった。そして京都では大議論の結果、この政府責任制度の下で1990年の水準より先進国全体で5%削減すると云うことになった。 

しかし、その後どうなったか? その後時は流れ、事態は一層深刻化し、今や5%どころの小さな話ではなくなった。 膨大なCO2量を何とかしなければならないと云う問題になった。 このまま古い仕組みで行くのか? 当時の制度設計者の意図は真実高邁であったが、政府責任と云う仕組みの問題点も明らかになった。周知のとおり政府と云う代物は困難な負担を引き受けない。どの国もそうだから大抵縮小均衡に向かう。しかもその過程で大喧嘩が起きる。「お前はもっとやれ…」と。当初の理念は兎も角、実際には国家対立と縮小均衡を生んできた。更に国家対立を避けようとして複雑な妥協が生まれ、仕掛けは矢鱈と複雑で重厚で非生産的になった。こんな状態で2℃等はとても実現出来ないだろう。

昨年末のドーハのCOP18では2015年まで新条約を交渉することになった。2020年以降の新しいレジームをどうするかと云う問題だ。問題の深刻さからすると、どう考えても1960年代に由来する南北対立を超克するべきだ。本来なら「最貧国救済の世界連帯」と云う新しい価値観で裁くべき問題だ。いつまでも先進国の過去を論難し、21世紀に至っても「19世紀以降の責任を取れ」等云う糾弾的で否定的な観念で行けば世界は共倒れになる。温度目標も達成できない。寧ろ発想を変えて市場で裁いた方が途上国自身にとって有利だ。

それに、政府が何時までも舞台の中央にいて企業のCO2削減を差配し、国庫から補助金を出し、規制立法をして行くのも非常におかしい。今日の世界では大抵のことは市場に任されている。政府は制度を作るが、あとは市場に任せて退場している。監視役に回っている。この21世紀の現代にCO2についてだけ政府による不経済な管理経済を続けるのか?これも政府責任制に起因する問題だ。

もっと根源的な問題がある。CO2を吐き出して温暖化を惹起しているのは企業とその製品を使って便益を得ている消費者だ。いずれも地球を汚して利益や効用を受益している。この彼らが痛みを覚えるようなコストを何ら払わないでいる。一方、政府責任制度の下で政府がコストを負担している。全く不合理だ。受益者がコストを負担するようになって初めて受益者は行動パターンを高炭素集約型から低炭素型へと転換する。世界中の経済学者が一致してこれが最強の低炭素化への政策だと論じている。

あれやこれやで、敢えて極端に簡略化すると地球環境の将来は政府責任制度を止揚できるかどうかにかかっている。それにしてもこの世界最大の環境問題を振り返って感ずることは方向転換の難しさだ。南北対立をその当時乗り越えられなかったのは仕方ない。誰がやってもあの怒涛のイデオロギーを押しとどめることは出来なかったであろう。しかし、今日、時代は変わった。たったの5%の話ではない。次元が丸っきり違うのだ。全く革新的なことをやらねばとても地球の良好な環境を守ることは出来ない…

そう云う議論をすると「温暖化が人為によると云う話は嘘だ」と云う反論が来る。本当でないから何もしなくても良いと云う議論なら世界を説得しきれないだろう。本当だが、やれることだけをやればよいと云うならこれまた世界を説得しきれないだろう。何故なら、努力はしたが、遂に5℃になってしまった…「100年後、200年後の人類よ、許してくれ」とは言えないだろう。仮に万一、本当でないにしても化石燃料からの脱却は人類社会の新しい文明を開くと云う決定的な価値がある。

方向転換をしないで、このまま政府の責任にして行けば結局、温暖化阻止の戦いに負けるだろう。世界中の政府が突然寛大になって率先して大幅に削減する等と云うことは起きないだろう。政府間会議は全球で排出限度を決め、受益者の責任に帰せしめる市場を作る。そして舞台から退場する。これが最も費用効果的にこの問題を解決し新文明を作る殆ど唯一の戦略だ。最低でも従来型ではダメだと云う点でコンセンサスが出来ればと思い、二人三脚で説得は続く。  (了) (2月28日寄稿)




日本柔道界、どうあるべきか 2013-2-14

   『 日本柔道界、どうあるべきか』

柔道着写真(2012年3月).jpg

            元駐デンマーク大使、柔道家  小川郷太郎


今般、やや遅まきながらも明るみに出た女子柔道日本代表チームの園田監督による暴力・パワハラ事件はそれ自体が根深い深刻な問題であるが、日本柔道界が抱える様々な問題の一部にすぎないことも忘れてはならない。この事件に間接的に影響を与えている他の問題も含めて全体的に考える必要がある。今回の事件を契機に日本柔道界の積年の状況に変化が生じ、大きな改革の機会となることを切に望みたい。

この問題を考える前に、認識すべき2つの重要な点に触れたい。まず柔道は、本来身体を鍛えると同時に強い精神や倫理感・徳育を身に着ける教育手段であって、危険で荒々しいスポーツとしてみる世間の一部に見られる否定的な姿勢は改められなければならない。柔道が最も盛んなフランスでは、武士道の精神に基づく相手への敬意、礼儀、勇気、謙虚など8つの項目が指導原理として多くの道場に掲げられている。柔道の創始者嘉納治五郎師範の教えにも通じるこうした柔道の価値を知って親たちが子供に柔道を学ばせることがこの国の柔道人口を世界最大級にさせている。第二に、200の国・地域が国際柔道連盟に加盟していることにみられるように、柔道はいまや真に普遍性を持っているが、それは世界中の人々が柔道の持つこの教育的価値を信奉しているからである。そうした柔道について、創始国である日本は率先垂範してその価値を高め、世界の中で柔道をどう経営するかの視点を持つべきである。

日本柔道界にはどんな問題があるのか。暴力事件の直接的な原因は二つあると思う。ひとつは、「金メダル至上主義」という病弊、もうひとつは体罰も含む厳しい指導こそが選手を強くするという指導者自身の体験に基づく古い信念である。園田監督を含め指導陣には選手自身も望んでいる金メダルへの執着が強くあって、悪意はないがそれを目指す熱意のあまり、選手に手を上げたり厳しい言葉を投げつけることになっていたと推測できる。「日本のお家芸」とされる柔道で金メダルをとるのは国民の願いでもあるが、あまりにそれに執着すると他の大事なことを忘れてしまう。多くのスポーツを見ても発祥地の国が常に強いわけではない。日本国民も一生懸命とったら柔道の銅メダルでも大いに感激する。金メダルをとることはあくまでも目指すが、指導陣は肩の力を抜いて「金メダル」の束縛から抜け出てはどうか。暴力はいけないことは普遍の原則だ。今の指導者が体罰も受けながら自ら発奮して強くなったとしても、それは今日の若い人には通じないし、国際社会では全く通用しない。精神主義も1つの要素として大事だが、科学的で合理的な強化方法も取り入れるべきである。日本のスポーツ界全体で体罰などを用いる指導者の認識を改める必要がある。

次に、日本柔道界の閉鎖性や古い体質が今回の事件に影響を与えていると思われる。今日の日本柔道界は柔道が強くて大きな実績を残した人が中心となって運営されていて、指導層は限られた範囲の大学出身者が多数を占めている。指導層における年功序列や男女格差も歴然とあるし、また、優秀な人材が充分に活用されていないようにも見える。こうした状態が柔道界全体の視野を狭くし、今回の事件のように、女子選手や若い選手たちの気持ちを掴めないことにも繋がってしまった可能性もある。

では、日本柔道界は今回の事件を契機にどういう方向に改革を進めていくべきだろうか。まず、嘉納師範が標榜した柔道の原点に返ることが重要だと思う。柔道は自己を磨き社会に貢献することを目指す教育的手段である。指導者自身が柔道の原点を常に念頭に置きながら指導を行うよう、改めて研修を重ねる必要がある。

次に、柔道界を開かれたものに変えていくことが不可欠である。様々の手段が考えられるが、まず柔道の運営体制の中に思い切った形で女性を組み込んでいくべきである。今や柔道は国際的に男子も女子も同等のレベルで実践されている。女子チームの監督に女性の指導者が付くのは自然であるし、上部組織の理事会を含め役員にも複数の女性登用が実現すれば様々な問題解決に女性の立場からの視点が得られ有益であろう。柔道界には今日多くの課題がある。中学での武道必修化が始まったが課題も多く、教育現場との連携も必要だ。公益財団法人としての財務を含めた適切な組織運営なども重要だ。国際柔道連盟(IJF)が主導するルール作りや試合運営の在り方には問題も含まれており、日本が広い視野で柔道の国際的経営にも注力し主導性を発揮することが不可欠である。そのためにも日本柔道界首脳部などによる内外への発信力強化も重要だが、現在英語のホームページすら整備されていない。

今の全柔連の体制や陣容でこれらの課題に対応するのは到底不可能であるように見える。複雑な内外の課題に対処しうる体制や財政基盤を作ることが急務であるが、柔道の強かった者中心の運営では限界がある。柔道界内外の人を幅広く活用することこそ日本柔道界の視野を広げ、複雑な内外の課題に適切に対応するうえで必須でもある。

どの世界にも複雑な要素があり、変革は容易ではない。日本柔道界の課題解決にも相当の年月はかかろうが、大事なことは新しい発想をもって第一歩を踏み出すことだ。そして、新しい発想を持って実践するためには、責任者の一部交代も含め人心を一新してオールジャパンで臨まなければならない。
                     (2013年2月8日記)




スー・チー女史と議会政治:アウン・サンの悲願達成に向けて2012-9-10

『スー・チー女史と議会政治:アウン・サンの悲願達成に向けて』



           元在ミャンマー大使館参事官  熊田 徹

2221328.jpgミャンマー シュエダゴン・パヤー
1988年のクーデター以来24年、昨年1月に発足したミャンマーの新議会は、今年4月の補欠選挙で圧勝したスー・チー女史以下42名のNLD議員を迎えて、新たな局面に入った。半世紀にわたったミャンマーの軍事政権に対して24年間、国際社会の支援を受けながら、いわば「外から」体制批判を続けてきた同女史達が、今度は体制側とともに議会という「同じ土俵」で、国政への参加を始めた。この新たな展開にミャンマー国民と国際社会の期待が向けられている。

議員就任宣誓式での躓き
4月23日の登院の直前、スー・チー女史と新議員達は憲法で定められた議員宣誓文の修正を求めて宣誓を拒んだ。この予想外の行動に同国政府国民はもちろん、国際社会も大いに気をもんだ。議会はすでに政治改革・経済開放推進のための法案を数千本も抱えていた。
報道によれば、宣誓文にある「憲法を順守」との文言を「憲法を尊重し」に変えなければ宣誓できないというのが拒否の理由だった。憲法に基づいて選ばれた議員が憲法規定を拒むのは明らかに矛盾である。 だが、現行憲法の非民主性を批判し、その改正を主張してきた立場からすれば、この宣誓が憲法改正を封じるものと解されたのかもしれない。しかし、改正には議員総数の4分の1を占める軍人票を含む75%の賛成を要し、重要事項はさらにその後の国民投票で過半数の賛成が必要だから容易ではないとしても、改正そのものは可能だから、理由はそれだけではなかったようである。

日本のほとんどの新聞は報道しなかったが、もう一つ問題があった。宣誓文は憲法遵守の文言に続けて、「ミャンマー連邦国家とその市民たる地位に忠誠を尽くし、連邦国家の分裂排除(non-disintegration of the Union)と国民的連帯の分裂排除・・のため常に献身する」と記している。過去24年間政権批判を続けてき、つい最近まで現政権を「圧政的軍事政権」と同一視してきた野党の立場からすれば、この「分裂排除」とのもって回った用語法が反対党弾圧の口実とみなされても、不思議ではない。いずれにせよ、種々やり取りの後5月2日にようやく宣誓が行われて一件落着した。

実は、この「国家の分裂排除」という特異な表現で示されている概念は現行憲法の中心命題であり、前文でも本文でも強調されている。そして、その達成こそが現政治体制の「正統性」の根拠となっている。それは植民地制の遺産ともいうべき「複合社会」ゆえの、ビルマ族と少数民族との間の不和抗争の歴史を反映したもので、第二次大戦中には日本が「ビルマ族」の独立を約束したのに対し連合国側は少数民族を味方につけ、国内が二分された。東西冷戦期にはこの分裂が「体制と反体制」間のイデオロギー的対立構造として引き継がれて、ミャンマーは東西双方からの公然、非公然の介入工作を受け、その際の心理工作や秘密性が史実の解釈や正統性判断をめぐる混乱をもたらした。体制側と反体制側との間のこの種の混乱は、現行憲法前文も触れているように、ミャンマー現代史上大小何度も生じて秩序の混乱や危機を助長し、あるいは改革の機会を妨げてきた。

たとえば、1962年のクーデターは、当時のミャンマー国軍の認識では、シャン族反乱分子の独立運動が当時のヴェトナム・ラオス問題と連動し、厳正中立国ミャンマーの「国家が分裂する危険」を「排除」するためだった。ニューヨーク・タイムズ紙は、ミャンマー国民も米国の世論と政府もこの無血クーデターを、中立を維持し、連邦の崩壊を防ぐだけでなく、麻のごとく乱れていた議会政治を封じ国家秩序を回複したとして歓迎している、と好意的に報道した。その2年後米国政府は、クーデターの指導者ネー・ウィンを国家元首として初めて公式に招待した。ところが、その後、一部のミャンマー現代史家達が全く異なる解釈を広めたため、世間はいつの間にかこのクーデターを権力欲に駆られた軍部の暴挙とみなすようになった。

1988年9月18日のクーデターについても、米国政府内部では軍事政権に対する人道的制裁の是非をめぐって、ミャンマーの歴史や人権遵守問題に関する見方が混乱したための政策的対立があったし、研究者の間でも類似の食い違いや混乱が見受けられる。一方、ミャンマー国内の体制側と反体制側の双方ともが、一党独裁制から複数政党制への切り替え意思という方向性においては一致していたことも事実である。しかし、いくつかの致命的な誤解や食い違いが重なって双方が対決し、軍の発砲で多くの血が流された。

このクーデター事件に関して忘れてならないのは、9月12日にスー・チー女史が学生達の主張する「外国からの援助や武装闘争」には断固反対との声明を出したことで、この彼女の非暴力主義が、ミャンマーが現在のシリアのような悲惨な内戦状態に陥るのを防いだのだといえる。

24年ぶりのスー・チー女史外遊
 スー・チー女史は、議員就任後まもなく、5月末から6日間のタイへの旅行と6月13日から17日間の欧州歴訪に出かけ、国際社会は24年ぶりとなる彼女のこの国外旅行を祝福し、その一部始終が報道された。同女史がこの外遊から大きな収穫を得たことは、同女史発言のはしはしからうかがえる。ヤンゴンからバンコクへの機上から初めて目にして衝撃を受けたと語った、両首都の夜景での灯りの輝きの違いや、国境地帯難民キャンプとミャンマー人出稼ぎ労働者達の生活ぶりの視察などを通じて、タイとの間の大きな経済格差を具体的に認識したことは、そのひとつといえよう。

6月1日にバンコクで開かれた世界経済フォーラム(WEF)東アジア会合に招かれた同女史は、その演説の中で、司法制度の改善不備などを挙げて改革の方向に不満の意を示した。また、経済特区の開発計画が国民の知らぬところで進められているのは国民和解の妨げになるなどと、手厳しい政権批判を行って、居並ぶ各国経済人達にミャンマーの経済開放についての安易な楽観主義を戒めた。だが一方、6日ヤンゴン空港での記者会見では、「政治、経済、社会のすべての面でタイと並ばなければ難民の帰国は実現しない」とも述べている。
欧州歴訪の皮切りとなった6月14日のILOでの演説では、「民主化を促す経済成長」への支援や「失業救済のための投資」を求めるなど、それまでの国際制裁一点張りともいえる硬直した立場から、開発重視の判断に切り替わっている。翌々日のオスロでのノーベル賞受賞演説では、「民族間和解」の必要を訴えて「国民(ネイション)としての精神」にも触れ、「ミャンマーでの平和の概念は、調和と全体性とを妨げる諸要因からの脱却にある」と説いた。この理念的表現は、あの議員誓約文の論理としっかり重なっている。軍人達の長い苦衷の時代からの脱却決意と、別の立場から将来に向けて抱き続けてきた希望とが融合したこの言葉が、平和賞受賞の21年後に発せられたことは、きわめて意義深い。

 一方で、今後に向けて気にかかることも多い。欧州歴訪の予定は事前に公表されていたが、タイへの旅行は政府との事前打ち合わせなしに女史周辺が独自に決めた日程を、タイ側が急な連絡であったにもかかわらず、何とか取りまとめたものらしく、ミャンマー、タイ両政府はだいぶ戸惑った様子が報道された。当初の予定ではWEF会合にはテイン・セイン大統領も出席し、その際タイ首相との間で経済特区協力協定に署名する予定だったが、急遽取りやめになった。
このことは、昨年8月のテイン・セイン大統領とスー・チー女史との「和解」後も、まだまだ両者間の意思疎通や調整のためのチャネルが整っていないことを示している。昔からミャンマー政治の特徴の一つは「パーソナリティー・ポリティックス」にあるとされ、今後のミャンマー政治の行方もひとえにこの二人の良好な信頼・協調関係如何にかかっていると見られているだけに、くれぐれも注意すべき点である。
与等と野党の関係にあるとはいえ、それぞれの周辺がよほど気を配って改善しないと、せっかく民主化改革への決意で結ばれた二人の間の「同志的信頼関係」が強化されるどころか、足の引っ張りあいで悪化する危険さえあるように思えてならない。

アウン・サンの悲願
スー・チー女史の父君で、ミャンマー国民から今でも建国の父と仰がれている故アウン・サンは、憲法制定会議を2週間後に控えていた1947年5月末、独立ビルマの国家像について演説し、ビルマ的民主主義、国家の統一と少数民族問題などに触れ、切々と国民の理解と努力を訴えた。暗殺される2ヶ月前だった。
彼は、当時の「経済的真実」からすれば、「資本家の民主主義」とは異なる「我々の民主主義」が求められるが、政治も経済も状況と共に変化するゆえ、それは「真の民主主義」の追求ということでもあると説明した。そして、少数民族問題の解決などを含め新しい主権国家への移行のための課題を8つ挙げた最後の項目として司法制度の改革に触れ、これらを満たさねば「真の民主主義」は達成できないと説いた。植民地時代の法制は三権分立でないだけでなく、親族関係に関するビルマ伝統法を別として、インド統治法制を機械的に移稙したものだった。とくに司法制度はミャンマーの伝統的社会秩序を完膚なきまで崩壊せしめた最大原因のひとつだった。

今年6月にスー・チー女史が、WEFバンコク会合で、「司法制度の改善不備」として現状批判を行ったのは、このアウン・サンの遺訓を踏まえてのことなのかもしれない。独立獲得以来今日までのミャンマーの政治体制にはその余裕がなかったのだろうが、やっと新議会でこのような法制不備の改善や「真の民主主義」に向けての努力を開始し得るようになった。

アウン・サンが演説の4分の1を費やした少数民族問題は、植民地時代からの分離政策による平野部「行政地区」の「ビルマ族」と(行政外の)山岳辺境部「後進地区」の多数の「非ビルマ少数民族」との間の敵対意識や「文明度格差」が、その後の外部介入で武力抗争化されたものであった。現行憲法はこれを「国民的連帯の分裂」と表現している。
大小20をこえる武装反乱組織との「内戦」が70年以上も続いたが、大方はすでに和解が進んで議会に代表を送っている。まだ解決していないのは、中国との国境地帯の麻薬がらみのカチン族とシャン州の複数の小支族、英国との特殊関係に固執して今日にいたったカレン族キリスト教徒、西部国境地域ラカイン州のモスレム(かつて分離独立運動を行っていた旧ムジャヒッヅを含む)などである。国軍は、これら武装組織との停戦合意とその国軍編入(国境警備隊など)を目指している。

いまだに中央政府への不信感を解いていないこれらの武装組織が調停役として日本の関与を求めたのに対し、今年6月、日本政府は笹川陽平氏を「少数民族大使」に委嘱してこれに応えた。1988年以降もずっと少数民族地域で業務を続けてきた国際協力機構(JICA)の地道な協力や、これから本格化するアジア開発銀行、世界銀行、「日本・メコン地域協力」などのプロジェクトによる道路その他の社会インフラ開発が、「文明度格差」是正を通じて、この調停プロセスを側面から支えることも大いに期待される。

昨年9月、当時の米国対ミャンマー特別代表兼政策調整官だったD.ミッチェル現駐ミャンマー大使は、テイン・セイン大統領と同大使が「民主主義、人権、開発、和解の4目標」を共有している旨を強調し、その際同大使は「制裁派の誤り」についても触れた。このことは、過去20数年間ミャンマーを国際社会から孤立させてきた制裁政策の是非、つまり事実解釈や正統性判断をめぐって米国内に長年存在してきた政策対立の問題がようやく解消しつつあることを意味する。わが国はもちろんだが、国際社会の大勢もやっとこの「4目標共有路線」に沿って動き始めている。そして、長年続いた国際マスコミからの圧力を警戒して対策が遅れていた、ミャンマー政府のマスコミ自由化も最近ようやく着手された。マスコミの健全化は、国民間の和解促進と新議会の効率的運営をより確かなものとするだろう。

現政権とスー・チー女史とが共有する、「調和と全体性とを妨げる諸要因からの脱却」への希望の実現、すなわちアウン・サンの悲願だった「真の民主主義」に向けての歩みは、ようやくその緒についたようである。
                       (2012年9月10日寄稿)



『欧州債務危機と欧州統合の現状』 2012-7-26

『欧州債務危機と欧州統合の現状』


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   元駐スロバキア大使  副島豊次郎

欧州の債務危機・ユーロ危機は3年たっても収まるところを知らず、危機の深刻さを思えば、そもそもの欧州統合というものについても改めて少し考えをめぐらさざるをえない。 長年、欧州情勢を見守ってきた者として、現時点での感想を以下に述べてみたい。

1. 危機の現状
そもそも現在のユーロ/債務危機は3年前の2009年、ギリシャの新政権がユーロ圏加盟に必要な経済収斂条件、特に財政赤字のGDP3%以内という条件を誤魔化していたと暴露してから表面化し、それ以来、何回ものEU・ユーロ圏首脳会議が開かれては救済策が次々と打ち出されてきたものの一向に事態の改善には至らず、その間に同じく債務問題を抱えるに至ったポルトガル、アイルランドにも救済が行われる一方、危機は昨年夏イタリア、スペインにも飛び火した。

それでも危機は今年3月のサミットのあと小康状態を保っていたが、5月のギリシャ総選挙における反緊縮陣営の躍進と、同月のフランス大統領選挙で緊縮財政より成長をと唱えたオランド社会党党首が勝利して以降、再び緊張状態に戻った観がある。6月のギリシャ再選挙では緊縮財政派が僅差で何とか勝利しサマラス連立政権が成立したものの、同政権は選挙で反緊縮派が数パーセントの僅差に迫った事実に鑑み、EU側との以前の金融支援合意を緩和してもらうべく再交渉するとの方針を表明している。さらに、スペインでは国債の利回りが7%前後の危険水準まで上昇して資金調達が事実上困難になる一方、同国の銀行も不動産バブルの崩壊により資金調達が困難な状態に陥っている。このような状況下、6月28日/29日ユーロ圏・EUサミットが開かれ、駐日欧州連合代表部ホームページ掲載のユーロ圏首脳会議声明によれば、ユーロ圏サミットでは、①圏内の各銀行を単一に監督するメカニズムを今年中に設置するよう検討すること、②同メカニズムにはECB(欧州中央銀行)を関与させ、メカニズムが設立されたあと、ESM(欧州安定メカニズム)がユーロ圏内の銀行に対し当該国政府を経由せず直接資本注入できることを可能にすること、③スペインの銀行へ金融支援を行うため早期にMOUが締結されるよう求めること、④ユーロ圏の金融安定を確保するため、EFSF(欧州金融安定ファシリティ)及びESMを柔軟かつ効率的に活用する等が合意された。また、EUサミットでは、1200億ユーロに上る成長・雇用戦略を導入することで合意した。

これら各国への救済策を資金的に最も負担しているのはドイツである。そのドイツでは自分たち納税者の税金が身の丈以上の生活をして借金を重ねてきた(と思われている)ギリシャ等南欧諸国への救済に移転されるのは承服できないと多くの有権者が考えている。かかる国内ムードを背景にしたメルケル首相は累次首脳会議では、南欧諸国の債務を共同で背負うことになる「ユーロ共同債」には一貫して反対し、南欧諸国は先ず緊縮策により財政の無駄を排除し、財政の建直しに尽力すべきとの態度をとった。 

結果として、ユーロ圏はいわば小出しの対応で何とか事態を乗り切ろうと努めてきたことになる。そういうこともあり、事態は一向に改善せず、ユーロの対円、対ドル相場もズルズルと低下し、この状態が続けばギリシャほか南欧諸国の債務不履行及びユーロ圏からの離脱もあり得ると危惧されるに至った。このような状況下で開かれた首脳会議の上記結果について内外各紙は、ESMによるユーロ圏内銀行への直接金融に、ドイツほか欧州北部諸国もついに同意したのであり、これは予想外の成果であると報じ、そのような内外各紙の評価を受けて確かにスペインやイタリアの国債利回りは一旦低下し、ユーロの対円相場やそれを受けて日経平均株価も一時的に持ち直した。

6月30日の日経紙は、成果の背景として、ドイツのメルケル首相が首脳会議においてイタリアのモンティ首相、スペインのラホイ首相、更にはフランスのオランド新大統領らの攻勢を受け、ついに銀行への直接支援との要求に対し、銀行監督体制の構築という見返りと引き換えに妥協に応じるに至ったと報じたが、7月11日FAZ/フランクフルターアルゲマイネ紙によれば、背景はもっと複雑でありむしろ各国関係者の思惑と行き違いにより結果としてメルケルの譲歩と言う形で報道されてしまったようでもあり、真相は不明である。確かに、これまでの政府を通じた支援では政府の債務が拡大してしまうので、これを避けてESMが疲弊銀行へ直接資本注入することになれば、その疲弊銀行の種々の債務をESMを通じてユーロ各国納税者が共同して負担する、すなわち一種の「銀行同盟」という形となり、ひいては「ユーロ共同債」の創設、つまりユーロ各国がすべての債務を共同で負担することにつながり(うる)道であると考えられることから、ESMによる銀行への直接融資は大いに意味があるし、だからこそ反対論があることも頷ける。

(「銀行同盟」の考え方については、6月30日付ロンドン・エコノミスト誌が、ヴァン・ロンプイ 欧州理事会常任議長の提案であるが、大いに問題のある考え方であると論評。)上記首脳会議決定を実施に移すため、7月10日ユーロ圏財務相会議が開かれたが、会議声明文によれば、スペイン銀行に対する金融支援の第一弾支援について政治的了解に達し、支援計画の最終承認は各国の国内承認が7月20日までに終了することを想定すると合意されたものの、ESMによる銀行への直接資本注入については、銀行監督の一元化実現が前提であるとドイツ等欧州北部諸国が主張して具体的な議論は持ち越された由である。

2. ドイツにおける賛否両論
そのドイツにおいては、6月28日/29日の上記首脳会議決定に対し、172人の経済専門家がメルケル政権に対し譲歩し過ぎであるとの批判文を公に発表し、7月5日/6日付けFAZ紙によればヴァイトマン・ドイツ連邦銀行総裁も右批判の一部に間接的に同調している由である。
さらに上記経済学者の批判に加えて、ESM(及び今年3月の首脳会議で署名された財政協定)そのものの合憲性に反対して、連邦憲法裁判所に対し提訴が行われている。提訴を行った人々は、連立与党の一部であるCSU(キリスト教社会同盟)のガウヴァイラー議員ら保守グループとこれを支持する憲法学者連及び中道左派のSPD(社会民主党)から分派した左派党などである。つまり、国内政治勢力の左右両派が与野党の枠を超えて一緒になってメルケル政権の対ユーロ支援政策に反対する構図となっている。このため現地報道によれば、憲法裁判所は極めて難しい判断に迫られており、7月10日、フォスクーレ裁判所長官が会見で、慎重な審議と相応の時間が必要であると述べ、このため従来7月中に判断が示されると思われていたものが数ヵ月後になる可能性もあると見られている由である。

このため、ESM設立条約自体は連邦議会及び連邦参議院で既に6月29日可決承認された(メルケル首相の属するCDU/CSUから16人、連立与党のFDPからも10人が反対)ものの、大統領による批准はまだ行われていない。ユーロ圏としてはESMを元々2013年に設立する(それまで現行の臨時的措置であるEFSFを続ける)との合意であったが、事態の切迫を受け今年7月1日に前倒しして発足させることとなったものであるが、最大の拠出国であるドイツの批准が遅れて7月13日現在いまだ発足していない状態である。

3. ヨーロッパ統合の現段階
このようなユーロ問題、欧州債務問題の現状をみれば、1999年共通通貨ユーロ発足時に政治的考慮から問題点を無視したこと、更には欧州統合そのものについて、やはり考えを致さざるをえない。確かに、戦後の欧州統合は紆余曲折はあったものの、何と言っても今日のレベルにまで進展してきている。2004年には筆者が在勤していたスロバキアなど10ヶ国がまとめてEU加盟を認められ、戦後欧州の東西分断を最終的に克服して25カ国の大所帯に膨らみ、その後2カ国が加盟して27カ国になり、更に数カ国が加盟希望を表明している。

ただ、思うに、2000年台前半の欧州統合推進ユーフォリズムは2005年の欧州憲法条約の否決により、萎んだということではなかったのかという点である。フランス及びオランダでの国民投票により憲法条約が葬られた背景には種々の要因があったが、根本的には両国を含む欧州各国の国民の意識が、統合を進めてきた欧州各国の統合推進派政治家やブリュッセルの共同体官僚達の思うようには付いてこなかったとみるべきではなかろうか。

確かに、憲法条約の主要な部分は、2007年改正条約という形で引き継がれ、2009年にはリスボン条約として発効して現在に至っている。その条約の成立に指導力を発揮したのは、フランスのサルコジ大統領の賛同を得た、ほかでもないドイツのメルケル首相であった。しかし、同首相としては、条約によって欧州統合を更に進めようとしたわけではなく、従前のニース条約(2003年発効)では15カ国から一挙に25カ国に膨れあがったEUを円滑に運営するには困難があるし、何よりもドイツが1990年の再統一によってEU最大の人口を有する加盟国になったにも拘らずEU理事会の持票増加がフランス等の反対によって認められなかったものが改正条約により実現できるようになった点に最大の理由があったのではなかろうか。

そうだとすれば、現在の欧州ユーロ/債務危機において、メルケル政権が一貫して更なる欧州統合の推進を意味する「ユーロ共同債」構想に反対し続けてきた(何とか現状程度の欧州統合の枠内で問題を短期的ではなく中長期的に解決しようと考えた)のも頷けよう。ただし今回の首脳会議において、統合進展の一歩になりうるESMによる各国銀行への直接支援に条件付きとはいえ同意したことをどう解釈すべきか。メルケル政権の重鎮、ショイブレ蔵相は172人の経済専門家に対し、ドイツは決してユーロ圏の債務を共同で担う方向に転換した訳でないと反論した由であるが(7月6日付FAZ紙)、さしものメルケル首相もやはり緊縮重視の対応策では危機の克服が実現し難いと最終的に悟り、ついに方針転換に踏切ったのかどうか。

いずれにせよ、欧州統合の現段階はこのようなものであり、EUは引続き27の主権国家が運営する一種の機構ないし統合体であって、当たり前のことであるがEUという一つの連邦国家になっているわけではなく、従って、「EU大統領」などというものも存在しない。にも拘らずヴァン・ロンプイ「欧州理事会常任議長」のことを本邦の日経ほか各紙、NHKほか全テレビ局が(我が外務省や駐日欧州連合代表部はもちろんのこと、欧米各紙も正確に表記しているにも拘らず)「EU大統領」とあたかもEUが「大統領」を有するひとつの連邦国家であるかのごとく報じているのは、一般の読者に誤解を与えかねず困ったものである。
(2012年7月13日寄稿)

『プーチン新政権の行方』 2012-5-31

『プーチン新政権の行方』


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  元在ロシア大使館公使 河東哲夫

プーチン「新」大統領は5月7日、不測の事態を恐れて人払いされ、無人になったモスクワの通りを車列で突っ切ると、中世さながらクレムリンの鐘が鳴り響く中、金で輝くゲオルギー大広間で就任式を行った。そして直ちにメドベジェフ前大統領を首相に指名したのはいいのだが、それから約2週間、鳴かず飛ばずとなってしまった。石油依存のロシア経済を改革し、12月の反政府集会で示された市民の閉塞感を吹っ切るためには、就任早々、政権の新陣容を示し、仕事にとりかからなくてはならなかったのだが。

舞台回しのいない新政権

 20日、やっとのことで明らかにされた内閣の顔ぶれを見ると、約75%は「新顔」である。だが、多くの者は同じ省で次官から繰り上がったか、大統領府から内閣への横滑りであり、まったくの新顔は僅か3名である。21日明らかになった大統領府人事も似たりよったりで、閣僚が横滑りした例が多い。何と言ってもプーチン・メドベジェフ二人三脚政権が続いているのだから、顔ぶれに変化がないのも仕方ないが、問題はキリエンコ原子力公社総裁(元首相で改革派)、大実業家のプロホロフ(3月4日大統領選では3位)を入閣させて新風を演出しようとしたのが、両名に断られ、それが組閣難航の原因になったという報道があることだ。

 これだけではまだ十分の判断材料ではないが、東京から見ていると、KGB出身者が要所を固めて舞台回しを務めたプーチン大統領第1期、第2期と比べて、今回はその舞台回しの役割を担う者がまだ固まっていないのではないかと感じられる。本来ならば、イヴァノフ大統領府長官、ヴォロージン大統領府第一副長官が国内の舞台回しをするところなのだが。そして経済政策においても、強力な核が見当たらない。このままでは、内部の調整者不在のままに、プーチン大統領やメドベジェフ首相が前面に出過ぎ、その一言一句に下僚やマスコミが振り回されることになりかねない。

大統領は裸だ

 モスクワでは、反プーチンの集会(と言っても、正式の集会ではなく、ピクニックを装ったテント村など。そして改革派だけではなく、右翼青年や共産党員まで種々の勢力が参加している)が続いており、警官隊も手を下すでもなく見守っているだけだ。そして問題は、プーチンのカリスマがこの「ピクニック」参加者の間だけではなく、社会全体で次第に剥げ落ちてきたと見られることだろう。中立系世論調査機関レヴァダの調査によると、プーチンに個人的魅力を感ずる者は7%、知的・教育水準が高いと思う者は18%、強くて勇気があると思う者は18%、彼が職権乱用で私腹を肥やしていないと思う者は11%に「上っている」。プーチン大統領はこれまで、筋骨隆々の上半身をテレビ・カメラにさらすことで、女性票を取ろうとしてきたが、今回は多くの者が「大統領は裸だ」ということに気が付き始めたのかもしれない。

 プーチン大統領第2期(2004~08年)の経済急成長を支えた原油価格の高騰も、EU、中国の経済下降、シェール・オイルの急増等で曲がり角を迎えている。原油価格は5月初めからだけでも7%強下がったが、こうした状況が続くとプーチンは、「軍人の給料を2倍にする」等の公約を守れない羽目に陥るだろう。


当面、「ユーラシア」重視の外交路線

 就任早々のプーチン大統領が、組閣での多忙を理由にG8首脳会議への出席をボイコットしたことは、彼の当面の外交路線を示す。大統領選挙運動中の発言からもうかがえるように、彼は別に反米ではない。経済近代化のためには米国の支援も必要とする。アフガニスタンの安定はロシアの南翼の安定にとっても重要なので、レーニンの故地、ヴォルガ川のほとりのウリヤノフスク空港を空輸のためのハブとして提供してでも、米軍、NATO軍のアフガン作戦・撤退作戦を助けようともしている。だがプーチンは、米国がロシアの内政に干渉したり、ロシアを侮ったりすることには断固として抵抗するのだ。それに、11月の大統領選挙までは、米国との関係は進めにくいだろう。そしてユーロ危機の欧州も、当面対ロ外交どころではない。

 こうして欧米方面は当面手詰まりなのだが、さりとて華やかな外交舞台も他に見つかりはしない、というのが今のロシアの状況だろう。今年1月にはロシア・ベラルーシ・カザフスタン三国が、関税同盟を人・資金の移動にも広げた「単一経済空間」を発足させたが、プーチン新大統領はそのベラルーシを最初の外遊先に選んだ。これからウクライナをもこれに加えて、2015年までには「ユーラシア連合」を作り上げたい、エリツィンが葬ったソ連を経済面だけでも復活させたい――これがプーチン新政権の外交重点事項だ。

世界の中で最も経験と能力のある大統領になれるはずだったプーチンは、こうして当面は乱気流の中を飛ぶことになるだろう。失速する恐れもないわけではない。難しい立場にあるし、9月初旬のAPEC首脳会議(ウラジオストックで開催)は成功させたいので(オバマ大統領は大統領選に忙しいので来られない)、日本にも微笑を見せるだろうが、北方領土問題解決を真剣に進めるどころではあるまい。そんなことをすれば、反対勢力から足をすくわれてしまう。 (2012年5月28日寄稿)


『在沖米海兵隊基地の日米共同用』 2012-2-23

『在沖米海兵隊基地の日米共同使用』


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元沖縄担当大使 橋本宏

今般明らかにされた2006年のロードマップの見直しとパッケージの切り離しを巡って、政府に是非とも理解して貰いたいことがある。それは、好意的に見たとしても、多くの国民がこれを「米国の都合に日本が乗った」結果と受け取っていることである。政府としては、これに反論することに時間を使うのではなく、これからの日本の進むべき道について、即ちグローバル規模における米軍編成の見直しが行われる中で、自衛隊がどのような役割を担っていくべきかについて、具体的方向性を出していくことに精力を注いで貰いたい。さもなければ、「アメリカの言いなり」ではないかとして、国民の政府不信は深まるだけであろう。

パッケージ方式は、確かに、基地負担軽減と普天間飛行場の辺野古移設の二つを結びつけることで沖縄県民に「圧力」を与える効果があった。沖縄県民はこれを嫌った。他方、パッケージの切り離しが明らかになった途端に普天間飛行場の「固定化」懸念が持ち上がった。これは、基地負担軽減が個々の基地と周辺住民との問題に変質し、普天間飛行場返還問題が全体として次第に風化して行ってしまうことへの懸念である。政府は普天間の固定化は許さないと強調しているが、パッケージの切り離しで、普天間問題が進展する見込みはない。
先日の衆議院予算委員会の集中審議以降自民党が展開している自衛隊の役割強化の議論は傾聴に値する。政府としては、こうした議論の方向性の中で普天間飛行場の問題を捉えることが重要と考える。

即ち、政府としては、今回の米軍再編成問題の中で、自衛隊が米軍の抑止力の一翼を担う在沖米海兵隊の役割をどこまで担うことが出来るかについてよく議論し、その為の整備計画を今後進めていくとの方向性を打ち出すべきである。その上で在沖米海兵隊基地を順次自衛隊との共同使用に持って行き、自衛隊の実力向上に応じて、自衛隊専用の基地へと転換していくべきである。こうしたことを実現するには極めて大きな政治力と長期間にわたる種々の努力が必要になるが、これは努力に値するものと考える。

政府は、普天間飛行場の「固定化の回避」というアプローチではなく、代替施設の建設を前提とする普天間飛行場の「返還」を明確にすべきである。かつて稲嶺知事は普天間代替施設に15年の使用制限を突きつけた。これは現実的な案ではなかったが、基地の固定化に反対する県民感情を踏まえ、新たな恒久的米軍基地の建設を求めるものではないとする主張であり、ここから学ぶべき教訓は大きい。政府としては、普天間代替施設は米海兵隊と自衛隊の共同使用を前提とし、将来的には自衛隊専用の基地にしていくことを明確にすべきである。

政府にとっての喫緊の課題は、沖縄県民の持つ政府不信の念を直視するとともに、米軍再編成の下での日本安全保障政策の在り方、その中での沖縄の占める役割について基本方針をまとめ、県民及び日本国民すべてに対して率直に理解を求めていくべきである。
良しにつけ、悪しきにつけ、2006年のロードマップは老朽化してしまった。普天間飛行場問題解決のための奇策はない。正面からぶつかるしかない。野田総理大臣にはこうした気構えを示して頂きたい。
(2012年2月20寄稿)


『アラブの春」とイラク情勢』2011-11-10

『アラブの春」とイラク情勢』


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       前駐イラク大使 小川 正二

イラクの現状と将来」2011-4-11 論壇も合わせてお読みください。(霞関会編集部)

1. 「アラブの春」の歴史的意味
  昨年末にチュニジアにおいて政府への抗議行動により始まった中東における民主化要求運動、所謂「アラブの春」はその後エジプト、リビア、シリア、イエーメン、バハレーン、ヨルダン等の諸国へと次々に広まっていったが、今回の政治的な運動は従来の中東には見られなかった歴史的な意味を持つものと言えよう。中東諸国の伝統的統治形態、即ち独裁体制(個人的独裁か王制による独裁)かイスラム宗教支配かという2つの選択肢しかなかった政治体制に初めて非宗教的な民主体制への明確な要求が具体的な政治運動として中東の政治舞台に現れてきたわけである。

  この動きの歴史的な意味については現時点で明確な判断を下すことは尚早かも知れず、また専門家の間でも意見が分かれているが、筆者は中東の政治形態、地域情勢に大きな影響を与える出来事であると考えている。今回の運動の背景には情報のグローバル化とアラブ諸国の青年層、それも一定以上の教育レベルを持った青年層のフラストレーションという社会、政治、経済分野での基本的な変動が背景にあり、この流れはアラブ諸国の政治形態に大きな変動をもたらす可能性がある出来事と考えている。

  現在のところ変化はチュニジア、リビア、エジプト、シリア、イエーメン等の個人独裁の諸国において最も激しく起こっており、バハレーンを除いては(これもサウジの介入により鎮静化)王制の湾岸諸国では激しい騒乱は今のところ起きていない。然しながらこれら諸国においても早晩変革への動きが出て来るのは避けられず、王制側かこれに如何に対応するかで、これら諸国の運命は大きく変わっていく可能性があると考える。

  何れにせよ、今回の動きは未だ進行中であり、各国において最終的にどのような結果(どのような政治体制になり、どのような政権が生まれるのか)になるのかは現時点では明確ではない。各国において反政府運動の主体となった青年、無党派層は組織化されておらず、今後行われるであろう選挙において政党(乃至政治グループ)を結成し、議会において多数を占めるのは容易ではなく、組織化に優れるイスラム主義政党が有力な政治勢力として発言力を持ってくるのは明らかである。このようなイスラム主義政党がどれだけの力を持ち、またどのような政治路線(国内においては宗教色の強さ、対外的には反米、反西欧的姿勢の強さ)を取ってくるのかによって情勢は大きく異なっていくことになり、今後の情勢を見通すのは極めて困難である。何れにせよ、今後はこれらイスラム主義勢力をどのように関与させていくのかが、米国の対中東政策の大きなチャレンジとなろう。

2. 中東情勢全体への影響
  今回の中東民主化への動きは各国の国内政治における変革、影響と共に地域全体の地政学的なバランスにも大きな影響を与えつつあり、今後中東地域の政治的バランスがどうなっていくのか注目する必要があろう。


その際にポイントとなるのは、次のような点てある。
 (1)イスラム勢力と世俗的勢力とのバランス
 (2)スンニー派とシーア派との勢カバランス
 (3)反イスラエル色の濃淡
 (4)対米姿勢
 (5)イランとアラブとのバランス
 (6)パレスチナ・イスラエル和平への影響

  主要なものは以上であるが、何れにせよ、イスラエルにとっては極めてやりにくい地域情勢になることは確実。米及び西側諸国にとっては、議会及び新しい政権において存在感を増すイスラム主義政党とどういう関係を構築していくかいくか(これまでのような無視の姿勢は取れない、取れば政策が進まない)が最大の課題となろう。今後の中東政策は政治的プレーヤーの増加によりこれまで以上に複雑なものとなり、実効ある政策遂行のためには極めてニュアンスに富んだ政策とその実効が要求されよう。

3. イラクの現状と将来:民主主義は根付くのか?
  上記のような変化しつつある中東にあって、イラクは一応民主化の路線を少しずつではあるが前に進みつつある。イラク戦争後の政治の主導権を握ったシーア派のみならず少数派たるスンニー派、ケルトも一応現在の政治体制にコミットし閣僚を参加させ、政権運営に参加している。一時は政治路線をボイコットしていたシーア派の反米強硬派のサドル派も昨年末に発足した第2次マリ牛政権には多数の閣僚を出して参加している。問題は大連立による政権運営が必ずしも効率的に運営されず、経済・社会開発の遅れにより国民のフラストレーションが溜まりつつあることである。但し、大多数の国民は現在の政治路線を基本的に支持し、漸く民主主義が根付き、中東においてはある意味で最も民主化が進んでいる国と言えよう。

  但し、新しい国造りのための課題は山積している。大きな問題として政府組織の非効率と腐敗がある。中東諸国或いは途上国においての共通の問題であるが、これは一朝一タに克服することは不可能であろう。しかし、希望は民主体制の中で国民或いは自由なメディアの監視が強まっており、問題の深刻さは認識されつつあり、徐々にではあるが改善への動きは進みつつある。イラク戦争後はシーア派の政治グループ主体の連立政権であるが、イラクのシーア派の政治家の多数は宗教的には比較的穏健な人々であり、原理主義、イスラム主義の色彩は薄い統治体制となっている。また、イラク国民は比較的教育水準が高く優秀な国民であり、また、石油を始めとする資源にも恵まれていることから、今後の国家の運営次第では、経済的に豊かな、穏健なそこそこの民主国家として再生する可能性は十分あるように思われる。

  但し、イラク・米間の駐留延長に関する交渉がうまく行かず、米軍は予定通り本年末までに全面撤退することにより、治安、国防について若干の懸念が残る。国内治安については既にイラク軍、警察が全面的に担っており、米軍の完全撤退が直ちに国内治安の不安定化を引き起こすことはないであろうが、イラクの国境警備、防空体制等は未だ脆弱であり、国外からのテロリスト等の不安定分子の流入が不安要因である。イラク治安部隊の能力向上が必要である。

4. 「アラブの春」とイラク情勢
  最後に、今回の中東民主化の動きとイラク情勢について若干触れたい。イラクは多国籍軍の侵攻により上からの体制変換と民主化が行われ、その過程で宗派間の血で血を洗う激しい内部闘争が起こった。現在進行中の中東における民主化の過程で、中東諸国がイラ
クのような状況に陥らないかどうかはその国の状況や外部勢力の関与等様々な要因にも依るが、中東の国は何れも程度の差はあれ、複数の宗派、民族、部族など複雑な社会構造を抱えていること、容易に武器の入手が可能であり、一種の「暴力の文化」、「力の文化」が
存在することから、体制の変換が平和裏に円滑に行われることは極めて困難であるが、この点て今回チュニジア、エジプトにおいて選挙が円滑に行われ、その結果が尊重されて新政権が樹立されれば、平和的な体制変換の例となり、中東の政治に新しい風を吹き込むこととなり、注目される。

  また、このような状況下にあって、強権政治ではなく、合意形成や政策の実施に時間や一定のルールの下での行動が要求される民主政治を根付かせていくのは時間を要し、大多数の国民の強い支持が無ければ実現が難しいことも事実である。イラクにおいては米軍(多国籍軍)という圧倒的な抑制的軍事力があったにも拘わらず一時は内戦に近い状況に陥ったが、そのような力の存在しない国において自主的な体制変革が如何に進むのかは予断を許さないであろう。

  イラクにおいては、4、5年に亘る混乱と暴力の期間を経たが、ここに来て漸く民主政治がそれなりに機能し始めた訳であり、他の諸国においても程度の差はあれ同様な混乱を体験することは確実ではあるが、そのような時期を乗り切り、国民が新しい体制への基本的な支持を維持すれば民主政治が定着していく可能性は、希望は十分にあると思われる。わが国や米国等、中東地域の安定に大きな関心を有する国としては、民主化のプロセスには時間がかかり、必ずしも西欧的な民主政治がそのまま実現することはなくても各国の方式に適合した形での民主政治の定着は可能であるとの認識の下に忍耐を持ってこれら諸国の努力を支援していくことが重要である。
                                    以 上
 (2011年11月7日寄稿)


『普天間飛行場問題に真剣な対応を』2011-9-12

『普天間飛行場問題に真剣な対応を』



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       元沖縄担当大使 橋本 宏

在沖縄米軍基地の負担軽減が野田内閣にとって最優先の政治課題になる見通しであるとの報道が、この2,3日の間、主要紙を賑わせている。野田総理大臣は、先ずは政府部内の早期の意思統一が重要である、との基本的立場を取っている由。歓迎である。今度こそ政府と沖縄県との間で、パフォーマンスではない、実質的な対話が行われることを期待したい。
他方、普天間基地移設問題を巡る政府と沖縄側との意見の隔たりは非常に大きく、その溝を埋めることは容易ではない。元沖縄担当大使の経験を踏まえ、政府と沖縄県に対し次の要望を行いたい。

先ず政府に対しては、

  • (1)沖縄側に最後通牒を突きつけるような態度は絶対に避けるべし。
  •   “それでは普天間飛行場の固定化が進むだけ”云々といった「恫喝」は
  •    無用である。
  • (2)基本的立場の維持と応用問題への柔軟な対応を軸にし、首尾一貫した
  •    対応をしめすべし。腰砕けは最悪である。  
  • (3)鳩山内閣発足直後から2011年5月の日米合意に至るまでの間、如何なる
  •    理由で自民党連立時代の普天間問題への対応ぶりの変更を希求し、また、
  •    如何なる理由で最終的には自民党時代とほぼ同様の対応ぶりに戻った
  •    かについて、その「混迷と変遷」の経緯を沖縄側にきちんと説明すべし。
  •    沖縄はこれまで「蚊帳の外」に置かれていたことを忘れてはならない。 
  • (4)同様の説明を自民党にも行い、その上で、日本の国益の観点から年5月の
  •    日米合意の尊重につき、同党の賛同を求めるべし。
  • (5)上記(3)及び(4)を経た後に、沖縄側との間で正式かつ真剣な対話を
  •    開始すべし。  

沖縄県知事に対しては、上記に関して政府の真摯な対応ぶりが理解出来る場合には、前提条件を設けることなく、政府との間の正式な対話に応じることを、私は要望したい。

安全保障といった日本の基本的国益に係る課題に対する総理大臣の役割は、日本全国民の立場を踏まえた上で、また、沖縄県知事の役割は、沖縄県民全体の立場を踏まえた上で、これ以上の譲歩を相手側から勝ち取ることは困難であるとの共通認識を形成するまで真剣な対話を行い、その結果を国民及び県民に訴えることにある。両者共に、決して政府及び県内部の個々の利害に囚われた対応をしてはならない。普天間問題は、政府にとっても沖縄県にとっても、それぞれの最高責任者が力を出し尽くすところまで詰めて行かなければ解決は見えて来ないことを、心に銘記すべきである。

(9月10日寄稿)

『EUと日本』2011-9-01

『EUと日本』



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       前EU日本政府代表部特命全権大使 小田野 展丈

「嵐去り 後に残るは 優しき心」

絆サミットと名付けられた第20回日・EU定期首脳協議が5月28日にブリュッセルで開催されました。冒頭の句は、その首脳協議後の共同記者会見の際に俳句愛好家のファン=ロンパイ欧州大統領が詠んだと日本の新聞が報じたものです。大統領は東日本大震災の直後に日本政府代表部・大使館へ弔問の記帳に訪れました。

欧州大統領というのは俗称で、正式には欧州理事会常任議長です。欧州連合(EU)の強化と効率化を目指して加盟27カ国がリスボン条約を批准し、2009年末に発効したことで創設された新ポストです。対外的にEUを代表するという意味では大統領の俗称も的外れではないでしょう。儀礼上の順位はブゼク欧州議会議長、ファン=ロンパイ欧州理事会常任議長、バローゾ欧州委員会委員長となっています。

ファン=ロンパイ常任議長とは色々な折にお会いして親しく言葉を交わす機会がありました。「EUトップ3人の肩書きはみんなプレジデントだ」、「ブリュッセルで式典に出席し、プレジデントと声を掛けられると3人が振り向く」、「自分の肩書きには常任と付くが任期は2年半(再選は1回に限り可能)、欧州委員会委員長は単なるプレジデントだが任期は5年、再選されれば10年だ、欧州では表現に微妙なニュアンスが込められている」などと静かな声で笑いながら語っていました。

このEUはギリシャ危機に代表されるように経済・財政危機に直面しています。3,4年前までは安定的に経済が拡大し、強いユーロを誇っていた状況は様変わりしました。リーマン・ショックの後遺症が複雑に増幅し表面化しています。現在は債務不履行に陥らないように国家財政の立て直しをはかるべく緊縮政策を実施し、経済全体が縮小均衡へ向かいつつある諸国(PIIGS,ポルトガル、アイルランド、伊、ギリシャ、スペインの頭文字)もあれば、ユーロ安で恩恵を受ける強い輸出産業を擁するドイツのような例もあります。経済力の格差が拡大し、これが加盟国間の利害を複雑にし、共通の対応策を迅速に構築するのを難しくしている面があります。また、緊縮政策の実施や経済の停滞は社会問題を顕在化させており、国内でも加盟国間でも政治的な軋轢を招来しています。共通通貨ユーロの信認を維持することも大きな課題です。ちなみに、世界の外貨準備に占めるユーロの比率は約26%と推定され、米ドル(約61%)に次ぐ地位を占めています(日本円は4%弱)。

EUは米国を凌駕する経済的存在です。また政治面でも次第に大きな役割を演じつつあります。EUは5億の人口で民主的な市民社会を構築し、豊かな欧州文化と伝統を体現しています。世界経済では約26%を占め(米国は約23%)、世界貿易の33%(米国は11%)を占めます。重要なEU市場に注目して3000社以上の日本企業が活動し、約40万人の雇用機会を提供していると推定されます。その日本は経済の開放度を向上させないと厳しさを増す国際競争に伍してゆくのが難しくなるでしょう。貿易依存度、外国投資の受け入れなどの尺度で国際比較をすると日本は低位に止まっています。日・EU経済連携協定の交渉を開始することは、日本市場を開き日欧の経済交流を更に活性化させる良い契機になります。

日本とEUは、共に少子高齢化社会へ急速に変貌しつつあります。教育に力を入れて科学技術や研究開発を振興し、競争力を保持して繁栄を維持する必要性が高いのです。規模の大きい欧州経済と発展著しいアジア経済を結ぶ通商ルートを脅かすソマリア沖の海賊に対する対応策でも日本とEUは互いに協力しています。このように双方が協力関係を強化することで得られる利益は大きく、お互いに真剣に向き合って交流する時期に至っています。

EUと欧州諸国は東日本大震災に際して多大の緊急援助や復興協力を迅速に展開しました。日本に対する真摯な気持ちを表現したものに他なりません。政治や経済から目を移せば日本人は西洋のクラッシック音楽や文学などに永く親しみ、本場仕込みの料理人が調理するイタリア料理やフランス料理を楽しんでいます。欧州市民は浮世絵や俳句、囲碁、そして漫画やアニメに親しみ、最近では寿司や天婦羅など日本食を身近に堪能しています。相互交流の底流は存在しています。これを奔流にすることが日本の将来の展望を開くものと考えています。  (8月22日寄稿)



『建党90周年胡錦濤講話に見る中国の現状』2011-8-18

『建党90周年胡錦濤講話に見る中国の現状』



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                     前駐中国大使 宮本 雄二

中国共産党建党90周年と胡錦涛
 建党90周年の行事は、胡錦濤にとって大変重要な意味を持つものであった。江沢民が10年前の建党80周年のときにやったように、自分が去った後、中国共産党そして中国を指導し続ける何らかの「受け継がれるもの(レガシー)」を残す絶好の機会であったからである。
江沢民の時代から、中国のナンバーワンの任期は2期10年ということになってきた。党の総書記については党規約に任期の規定はないが、国家機関である国家主席については憲法で10年の任期が決められているからでもある。これに従えば胡錦濤は来年秋の第18回党大会で総書記の座を去り、再来年春の全国人民代表大会で国家主席を辞することになる。

 思えば胡錦濤もよくやってきたものである。
1989年の天安門事件で趙紫陽が失脚し、鄧小平は江沢民を抜擢し、「第三世代指導者」として中国のナンバーワンに据えた。さらに鄧小平は、1992年の第14回党大会において当時チベットの書記をしていた胡錦濤を中央委員から2段階アップの政治局常務委員に抜擢した。江沢民の後継者たる「第四世代指導者」の誕生である。胡錦濤が、50歳になる直前のことであった。 翌1993年の全国人民代表大会で国家副主席に任命され、それから10年、江沢民にしっぽをつかませず、無能呼ばわりもさせず、無事ナンバー・ツーを勤め上げ、禅譲を実現させた。そして来年で中国のナンバーワンをつとめて10年を迎える。その間、失政らしいものもなかったが、同時に成果も見えにくい胡錦濤時代であった。しかし、20年間、この微妙なポストを無事こなしてきたことは、やはり大した政治家だと私は思う。
その胡錦濤が、ついに任期の最終コースを迎えようとしている。江沢民は、建党80周年の講話において「三つの代表」理論を打ちだした。中国の先進性と多数の利益を代表するのが中国共産党であるという理屈で、企業家、つまり資本家も共産党員になれるようにした。
この理論は、何が社会主義であり、共産主義なのかをますます分かりにくくしたという意味で、事態を深刻化させた面はある。“みんなの党”ですよといえばいうほど、利益の調整は難しくなる。だが、実力をつけてきた企業家を取り込まず外で自由にさせておくことの方が、党にとっての危険とデメリットは大きい。この意味で、江沢民の誇る成果ではある。現にその後、この理論は党規約にはっきりと書き込まれ、今や中国共産党の“重要理論”にまで昇進している。 胡錦濤も江沢民にならって、建党90周年の華々しい場で何か新しいものを打ちだしたかったであろう。しかし一読した限りでは新理論は打ちだされていない。そして毛沢東、鄧小平、そして江沢民は使うことのできた「△△を中心とした指導グループ」という言い方も、胡錦濤はまだ使えないでいる。

胡錦濤は何を伝えようとしたのであろうか
 このレポートを書く機会に江沢民の10年前の建党80周年講話を再読してみた。そして今回の胡錦濤講話とのトーンの違いに驚かされた。 胡の講話は江に比べて、中国共産党の現状と将来に対する厳しい見方と切迫感に満ちている。10年前の報道を読んでいると、江の講話でさえ現状に対する悲観が目立つと書いているものがあった。胡の講話は、それよりもさらに悲観的になっている。
 胡は、党をめぐる現状と党のもつべき心構えについて、次のように述べる。長々と中国共産党の成果を誇り、羅列した江講話とは大きな違いである。

 「世界、中国、中国共産党をめぐる情況は大きく変化している。この新しい情勢下において、党の指導と執政(注:政務をとる、政権を握るの意)のレベルを高め、腐敗を防止し変質を防ぎ、危険を制御する能力を高め、党の執政能力と先進性をつくりあげ(なければならない。そうす)ることは、これまでに遭遇したこともない多くの新しい状況、新しい問題、新しい挑戦に直面するということであり、(そのことから生じる)執政の試練、改革開放の試練、市場経済の試練、外部環境の試練は、長期にわたる、複雑かつ厳しいものであることを、全党は、冷静に見て取らなければならない。精神懈怠の危険、能力不足の危険、大衆から離れることの危険、腐敗に受け身であることの危険は、さらに鋭く全党に及んでおり、党が党をしっかりと管理し、厳しく党を治めるという(われわれの)任務は、これまでのいかなる時期よりも重く、さらに切迫したものとなっている。」

 ここからは中国のバラ色の将来は見えてこない。経済的にはGDPで日本を超え、世界の奇跡と讃えられているにもかかわらず、また「世界の大国」の地位を回復したにもかかわらず、楽観論はどこにも見られない。胡錦濤は、講話において新たな「理論」を打ち出すというよりは、むしろ党としてどのように考え、何をなすべきかについて、党の総書記としての考えを述べているように見受けられる。おそらく「新しい理論」に向けて党内の議論を集約できなかったのではないだろうか。
ここに胡錦濤が「新しい理論」を打ちだすことができなかった、根本的な理由があるように感じられる。議論は集約されず、党内が割れているのである。時代が変わり、情勢が変わり、これまでのやり方は大きな壁に直面しているのに、それを突破するコンセンサスは、まだ生まれていないのである。

中国の現状
 党内が割れ、コンセンサスが浮上しにくい一つの理由は、“鄧小平路線”をどう解釈するか、どこに重点を置くか、について議論が収束していないからである。胡は、鄧の言葉を大きなよりどころにして政権運営を行っている。権威は依然として鄧にあるのである。逆にいうと、鄧小平路線を超克できていないところに、現政権の課題と限界がある。
例えば、その一つが、成長と分配の問題である。結論としては両方を同時にやれ、ということになるのだが、政策あるいは現場の施策の段階になると、そう簡単ではない。とりわけ中国共産党自体が既得権益化している現状においては難しい。今のやり方で経済成長から利益を得る仕組みができており、それが既得権益化しているのである。どうしても「成長」派が優位に立つ。 そういう中で、いくら税収増が続いているとはいえ原資は限られている。それを成長部分に回すのか、それとも分配部分に回すのか、あるいは環境に回すのかという問題を現場はかかえている。今の仕組みでは、力の弱い「大衆向け」に資金は自動的には向かわないということになる。

胡錦濤も成長なくして何物も達成できないことはよく分かっている。そのことを強調してもいる。しかし民、つまり大衆の不満も高じていることもよく分かっている。大衆の不満が高じれば社会の安定を保つこともできない。それは結局、経済の成長に響く。
この大衆の不満への警戒感は、江沢民をはるかに超える。江講話を読むと、ときおり、とってつけたように大衆路線の重要性がふれられているだけだ。しかし胡講話では、これがマインテーマである。やはり大きな時代の変化といわざるを得ない。
その結果として、人民大衆との関係の強化が繰り返し強調されている。とりわけ大衆の不満が大きい基層幹部の質の向上が焦眉の急となっている。「大衆への奉仕を基層党組織の核心的任務及び基層幹部の基本的職責とし、(そのことを通じ)基層党組織を、発展させ、大衆に奉仕し、人心を凝集させ、和諧を促進する強力な砦とする」と述べている。しかし実現のハードルは高い。

二つ目の党を割りかねない対立点が、鄧小平理論をいかに超克するかというところに出てくる。つまり鄧小平路線を推進しながら、結局それを越えざるを得ないという現実の課題にどう直面するか、という難題である。中国の現状が、今や鄧小平の語った言葉だけでは対応不可能となってきたことの表れでもある。その最たるものが反腐敗の問題がある(鄧自身、反腐敗の重要性を何度も強調している。しかし有効な処方箋は出していない)。
胡の言葉を借りれば「人心の動向と党の存否に係わる、党がしっかりと取り組まなければならない重大な政治任務」なのであり、「腐敗を有効に処罰できなければ、党は直ちに人民の信任と支持を失う」のである。 胡は、制度改革で対応しようとしている。「制度を用いて権利を管理し、物事を管理し、人を管理する」ということであり、「党建設を制度化し、規範化し、手続化する」という発想になる。“人治”からの離脱だが、制度をつくっただけでは不十分なのは明白なので、共産党員は立派な人間にならなければならないと強調する。その結果、胡講話には「徳」という字が無数に出てくる。ここで再び“人治”に戻ってしまうのである。 結局、鄧小平を越えないと解決は難しいといわざるを得ない。つまり私がよく使う譬えのように、中国共産党は癌にかかっており、自分で手術はできないのである。どうしても政治制度を改革しなければならないことになる。しかし“政治改革”と聞くと、そこで思考停止に陥るのが、1989年の天安門事件以来の、これまでの中国共産党であった。

中国共産党は、「自覚して憲法と法律の範囲内で活動する」というが、憲法や法律は、党がOKしないと党員には及ばない。中国共産党が憲法を超える存在であることが諸悪の根源ともいえるが、そこに言及することはない。そこで「積極的ではあるが穏当に政治体制改革を進める」ということになる。
結論は「社会主義民主」であり、「社会主義法治国家」である。つまり「中国の特色ある」仕組みということになる。胡講話の中に「民主」が嫌になるほど出てくるが、そういう意味である。しかしそれが何であるかかについて、まだ結論は出ていない。次の習近平時代の重大な課題となろう。

さらに大きな課題として、依然としてイデオロギーの問題をかかえている。われわれは1978年に鄧小平理論が採択され、それでこの問題は終わったと思っているが、実はそうではない。鄧小平理論は、オーソドックスな共産主義論者ないし保守主義者の強い批判を浴びてきたし(これが中国では「左」となる)、改革派(これが中国では「右」になる)からは改革が不十分であるとの、これも強い批判を浴びてきた。
中国指導部は、いつも、この「左」と「右」からの挑戦を受けてきた。そしてその中間を歩くことが最も安全であることを学んだように見受けられる。だが、それでは「新しい理論」は出にくい。ここに時代を突破する、もう一つの致命的な限界をかかえているのである。

終わりに
 このように中国の現状は厳しい。しかしすぐに崩壊することもない。この、ますます存在感を強める中国が、新しい国家像、自己認識を求めてさまよい始めた。鄧小平の描いた構図だけでは収まらなくなってきたのだ。 中国がすでに大戦略を定めて、一歩一歩それに向かっているという類の話は、中国の現実と合わない。中国自身が、結論を出せていないし、そもそも何を求めているのか焦点を絞りきれていない。議論は始まったが、まだ本格的な議論の段階には至っていない。
経済に関しては、われわれと同様の認識と見て良い。既存の世界経済秩序から最大の利益を引き出した中国が、その破壊者になるとは思えない。だが地政学の世界は違う。中国が「中国の特色ある」世界地政学秩序を願うのであれば、覇道は是認されない。アメリカの行動を覇権主義と批判しているのは中国ではないのか。
孟子に出てくる「力を以て仁を仮る者は覇なり」、「徳を以て仁を行う者は王たり」が覇道と王道の原義である。王道を口にすると、すぐ華夷秩序や朝貢関係の世界観を前提としているとのコメントに出会う。
だがこの古い世界観は、今日の状況に全くなじまない。アメリカや欧州、それにインドやロシア、そして日本という大国が同じ舞台に登場した今日、中国が中心となって世界全体を統べることは、予見しうる将来、考えられない。またこの世界観は、著しく文化的であり、文明的なものである。中国が卓越した文化と文明をもつことを前提とする。それが実現するにしても、とてつもなく長い時間を必要とするであろう。
中国は、数百年前の古い秩序に還ることはできない。そうであるならば新しい普遍的な理念を打ちだすべきである。そして世界文明の発展に寄与すべきである。その理念が中国の古典から来たとしても何の問題もないし、そこに中国台頭の文明史的な意義ある。
                  (2011年8月10日寄稿)

『たかが世界遺産、されど世界遺産』2011-7-25

『たかが世界遺産、されど世界遺産』



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                     文化庁長官 近藤誠一

来年40周年を迎える世界遺産条約が、いま正念場を迎えている。
2011年6月25日午後5時50分(日本時間26日0時50分)、平泉の世界遺産への登録が決まった。これが震災からの復興に取り組む東北の方々にとって大きな励みとなったことは間違いない。しかし同時に最近の世界遺産の登録をめぐる議論には、大きな国際関係のうねりが見て取れる。それは戦後の国際関係を支配してきた欧米先進国が唱える「普遍的」理念に対する後発組の反抗である。

 世界遺産は、世界遺産条約(1972年)の加盟国が推薦する案件を、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)という専門家集団が審査して勧告を出し、それを参考にして21の加盟国から成る世界遺産委員会が登録の是非を決める。登録の基準は、候補資産が「顕著で普遍的な価値」(Outstanding Universal Value、以下OUV)を有するか否かである。しかし世界遺産リストに途上国の遺産が少ないことを理由に、次第に途上国から批判が高まってきた。

 その第一は、OUVという基準が欧米の価値観に基づくものであり、途上国の多様な価値観を反映していないという批判である。第二は勧告をするICOMOSの専門家の多くが欧米の専門家であるので、途上国の資産の価値が十分理解できないとの批判である。さらに第三には最終的に登録の是非を判断する世界遺産委員会の構成が先進国中心であるという批判である。ユネスコの他の委員会と異なって、この委員会だけは地域代表制をとらず、自由な選挙を行うため、結果として専門家が多く、知見の蓄積のある先進国が多数を占めている。

 こうした批判に対し、欧米先進国は、OUVの概念自体は条約上規定されているもので、各国ともそれを承知で批准したものだから変更すべきではないこと、ICOMOSはあくまで世界の最先端の専門家集団であって、その判断は尊重すべきこと、そして委員会のメンバーは高度な専門知識をもった人材がいるか否かという科学的観点から選ぶべきであって、政治的な地域別割り当ては適当ではないことなどを主張し、抜本的な改革に反対し、途上国による登録を奨励するための人材育成などで問題をかわしてきた。OUVそのものや、その審査プロセスの専門性の維持は絶対に確保するとの姿勢を守り続けてきたのである。

  しかし先進国のこうした戦略が最近になってほころび始めた。これまでの「改善策」に効果がみられないことに業を煮やした途上国が、選挙で連帯して委員会により多くの途上国を送り込み、かつ委員国に選ばれた国の代表が途上国からの推薦案件をまともな議論なしにどんどん登録するという戦術に出たのである。専門家が長い検討の末価値はないとの判断を下した候補資産を、いともたやすく覆して登録したことに、ICOMOSの専門家はもちろん、ユネスコの事務局員や先進国は怒りを隠さなかった。しかし途上国はそれに臆することなく、本年も同様の行動をとり、当初のICOMOS勧告では12件しかなかった登録件数を一挙に25件にまで増やした。

  ここまで極端な委員会の政治化に眉をひそめる国は少なくない。しかし一旦ある国が議題にのっている候補案件を、勧告を覆して登録することを提案すると、それに反対し難いのも事実である。被審査国との関係を悪くしたくないという心理が働く。また自国が推薦案件を抱えている場合は、下手に反対して自分の案件の審査のときに不利にならないようにしようと考える。こうして登録のインフレが起こり始めた。

  この事態をどう収束するかは容易な問題ではない。勢いを増しつつある新興国の一部が、先進国主導の現状の変革の旗手として喝采を浴びている以上、そしてそれが合法的な手段で行われている以上、止めることはできない。結果としてさほど価値のない案件が次々と世界遺産に登録されることで、世界遺産全体の価値が下がり、条約の信頼性が低下していくという正論は、それ自体先進国の論理であるとして途上国はとり合わない。条約を改正して、先進国も途上国も満足する新たな価値基準を設けることは、政治的にも、手続き的にも現実的ではない。

  こうした事態に対して日本はどう対応すべきか?先進国として、条約の精神を守るべく委員会の政治化に抵抗すべきか?それとも、4年前の石見銀山や3年前の平泉の推薦に対するICOMOSの評価が、欧米中心のものであったがゆえにいずれも価値不十分と勧告されたことから、途上国の側に立って「欧州中心主義の是正」に加わるべきか?これは世界遺産条約という小さな世界の問題ではあっても、今後の変わりゆく国際政治での日本のスタンスという大きな問題に結びつく重大な側面をもっている。今後の日本からの新規案件の推薦の戦略にも拘わる。各国の「良心」が次第に頭をもたげ、誰ものメンツを保ちながら、健全な審査を復活し、条約の信頼性を維持していく方法を真剣に考えねばならない。折しも来年の40周年記念行事をホストするのは我が日本である。これは、単なるお祭りに終えることなく、この根本的議論に一石を投じる機会にしたい。 (寄稿日 2011年7月21日)





『習近平とはどんな人物か(書評をかねて)』 2011-7-4

『習近平とはどんな人物か(書評をかねて)』


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                     元駐中国大使 国広道彦



 明年秋の第18回中国共産党大会で中国の指導部が交替する。トップの胡錦濤主席の後任には、党序列6位昨年秋の三中全会で党軍事委員会副主席に選任された習近平国家副主席が選ばれるであろうと言うことがほぼ確実視されている。しかし、彼の人物については、美人歌手彭麗媛の夫であると言うことは別として、余り知られていない。
 私は昨秋以来習近平氏についての情報を集めようとしたが、得られなかった。彼が福建省長をしていたとき、谷野大使が全人代の期間中公邸で昼食に招いたら、大変気さくに話をし、同省に進出している日本企業のことなどメモも見ずに流暢に語ったということを聞いたことはあった。また新聞報道などからみて、鷹揚な人柄で調整型の方タイプかな、また長老などのとりなしも上手いだろうという印象を受けていた。
ところが、2009年2月メキシコ訪問の際、在留華人を前に「腹いっぱいになって、やることのない外国人がわれわれの欠点をあれこれあげつらっている。中国は革命も輸出していないし、飢餓も貧困も輸出していない。トラブルを起こすようなことは何もしていない。これ以上いいことがあるだろうか。」としゃべったと言う報道が伝わった。このような反国際協調的な考えの持ち主が次の中国の指導者になったらどうなるのだろうかと言う懸念を感じた。
他方、半年くらい前のthe International Herald Tribuneに、彼は父仲勲が文革で14年間糾弾投獄されていたために多難な少年時代を過ごし、7年間の下放時代を過ごしたが、その間農民と親しく交流し、農民生活の苦しさを身を持って体験した。彼は太子党ではあるが並のプリンスではないと言う記事を読んだことがある。
胡錦濤も副主席時代に余り多くを語らなかった。しかし、胡耀邦の下で日本重視の考えを固めていたであろうことは察しられた。これに比べて習金平氏を知る材料は誠に少ない。
ところが、中国、台湾、香港を駆け回って、習近平氏について調査し、雑誌「サピオ」に一年間書き続けたジャーナリスト茅沢勤(ペンネーム)がいた。それをまとめて、「習近平の正体」と言う本が小学館から出版されていたのを発見した。暴露もののような表題だが内容はまじめなもので、興味深い。
内容を余り詳細に紹介すると著作権違反になるから、著者の結論的な部分をいくつか説明する。
第一に,彼は「心底からの共産主義者である」。典型的な「共産党人」である。「われわれ共産党人とって、民衆は衣食を与えてくれる父母であり、全身全霊で人民に仕えることを忘れてはなりません。党と政府の一切の方針と政策は、人民大衆の利益に符合するかどうかを最高の基準として決めねばなりません」と言っている。
第二に、集団主義精神が中華民族の結集力であると言う信念を持ち、「集団主義が彼の政治手法でもある。他方、鷹揚な性格が彼の抱擁力になっている」。
第三に、彼は北京にいてブルジョア腐敗分子として糾弾されるより下放の道を選んだのだが、そこでの雑穀をすすった極貧生活が彼の政治信条を作った。8回も申請書を提出してようやく「青年共産党」に入党を認められたのだが、地方の上司の推薦で精華大学に入学。
第四に、現場、社会の底辺重視である。「何事も現場や民衆の中にこそ真実がある」と言う持論である。大卒後党中央軍事委員会弁公庁に配属され、軍事委秘書長をかねていた耿颷副総理の秘書に任命されたが、3年後に自ら希望して下放先の陝西省に戻った。これから24年間地方政治で過ごすことになるが、それが彼の政治的運命を大きく変えた。
第五に、習近平氏にとって幸運だったことは少年時代や地方勤務から人脈に恵まれたことである。上海党書記になるに当たって裏で働いた曾慶紅は子供時代からの友人である。父仲勲の中央人脈も勿論ある。
第六に、政治とカネの問題については慎重にやっている。彼が福建省長になる前の年「遠華事件」という大腐敗事件が起きたが彼に累が及ぶことはなかった。兄弟にはとかくの噂があるが彼は「政治の道に入ったら、財をなすことを考えてはなりません」と言っている。
 習近平政権とはどのような性格の政権になるだろうか。私は胡錦濤の親民政策は引き継がれるだろうが、民主化への前進は期待できず、共産党体制の引き締めが強化されるのではないかと言う気がしていたが、この本を読んだ印象も同じである。

『日韓交流を考える』 2011-6-23

『日韓交流を考える』

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                   前駐大韓民国大使  重家俊範

昨年の夏、約3年の勤務を終え、韓国から帰国した。日韓関係は、種々の問題を抱えながらも、着実に前進している。

日韓の往来も、経済の停滞や為替レートなどの影響を受けて、年によって増減はあるが、年間500万人近い人々が往来するようになってきた。単純計算しても、1日1万5千人近い人々が往来していることになる。羽田、金浦の間は、今や、毎日24便が飛行する。若者たちの交流も増大している。特に日韓経済協会が中心になって2004年から実施している日韓高校生交流キャンプは、素晴らしいプロジェクトだ。これに参加した学生たちは、最後は抱き合い涙ながらにわかれるという。また、参加者の感想文の中で、若者たちは、生身で見た日本人、韓国人は、それまでに聞いてきた日本人、韓国人とは違うものだったと異口同音に書いている。若者たちは、先入観なしに、お互いを理解している。相互理解が前進していることは間違いない。

これまでの日韓交流史の中で、韓国の人々によって最も前向きに評価されているのが、江戸時代の朝鮮通信使の派遣である。1607年の派遣を含め計12回の朝鮮通信使が日本に派遣された。朝鮮通信使一行は、九州から瀬戸内海を海上移動し、各地で逗留し、交流した。その後は、陸路、江戸に向け移動した。

                    ✥

2007年、韓国に勤務することになった時、知人の勧めによって、広島県呉市の東方にある下蒲刈島を訪ねた。かつて朝鮮通信使が常宿とした島である。当時、下蒲刈島の三之瀬は瀬戸内海でも潮待の港として栄え、琉球使節などもここを経由して江戸に向かっていた。


安芸灘大橋を渡り、数分走ると島の中心である三之瀬に入る。狭い商店街を通り抜けると、立派な石組みで作られた長雁木(階段状の船着場)に着く。海が手の届くような近くにある。船着場の真前に御本陣の跡がある。御本陣は、一行の案内役を務めていた対馬藩の宿所だった。その横から、古い石畳の小道が、民家の間を縫って、山の傾斜を登っている。その小道を上ると、使節団の宿所となった「上の茶屋」につくが、残念ながら、今は何も残っていない。それでも古い石畳は、通信使一行が船着場で大歓迎の式典を終え、列を成して宿所に登って行く風景を彷彿とさせるに十分である。

広島藩は通信使一行(正使他、儒学、音楽、医者など文化の素養のある人を多く含む500名に上る大使節団だった)を歓待するため、一行の嗜好を事前に調査するなど入念な準備をしたという。通信使接遇の経験のあった上関(山口県)などにわざわざ人を派遣して調査をしたりした。また、一行の荷物運搬のため、小船135隻を海田、仁方など近隣の村々から調達したとの記録も残っている。水の確保も大問題で、三之瀬の井戸だけでは足りず、広島や三原の城の井戸水を調達するため水船100隻を準備したそうだ。

広島藩は、特別のご馳走で一行をもてなした。このことは、通信使の一行の記録にも、「安芸蒲刈ご馳走一番」と記されている。


土地の人々にとって、異国の代表団を迎えるのは一大行事だったことは想像に難くない。次のような法度が出されたというから面白い。「通信使の船が通るときはその船を優先すること。彼らの風習が異なっていてもそれをとがめてはいけない。気まま、心ままは我慢しとにかくもめごとをおこさぬこと。海上から見える家はきれいにしておくこと。道路もよく掃除しておくこと。通信使を見物することは禁止、特に上陸のときは厳禁する。一行に「筆のもの」、「手跡」(書とサイン)などを求めてはいけない。」 


2007年は、朝鮮通信使の4百周年の年だった。同年10月に開催した「日韓交流お祭り2007In Seoul」では、朝鮮通信使の行列を再現した。

                    ✥


かつて、東アジアは、多くの文化の往来があった地域である。奈良時代然り、室町時代然りである。奈良時代は東アジア文化交流の一つの黄金時代だったのではないだろうか(中国のシステムの下での交流時代だったとの指摘はあるかもしれないが)。東アジアは、今や再び、緊密な交流を通じて、大きなコミュニティーを形成しつつある。東アジアが、何よりも世界の他の地域とのリンクも大事にしながら、そして、未来に向かって、一層繁栄する平和なコミュニティーに大きく発展することを願うばかりである。
                      (寄稿日 2011年6月23日)普天間飛行場移設の大前提は民自両党間の基本合意形成』 2011-6-1
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『普天間飛行場移設の大前提は民自両党間の基本合意形成』 2011-6-11

『普天間飛行場移設の大前提は民自両党間の基本合意形成』


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                      元沖縄担当大使 橋本宏

現在政府にとって最も緊急を要する国家的課題が東日本大震災からの復旧・復興であることは論を俟たない。同時に日本全体の中長期的発展のために取り組まなければならない喫緊の課題は他に多くあり、それらを放置しておくことは許されない。わが国安全保障政策の根幹に関わる普天間飛行場移設問題もその一つである。

1996年4月に橋本総理大臣・モンデール駐日米国大使(当時)が共同記者会見において普天間飛行場の全面返還を表明して以来、長い年月と紆余曲折を経て、2009年4月には自民党政権下で普天間飛行場移設に先立つ環境影響評価準備書が提出され、同年8月には地元沖縄の関連市町村の首長から意見書が提出されるまでに至っていた。しかし、同年8月30日の総選挙に基づく9月16日の民主・社民・国民新党による鳩山連立内閣の成立後、普天間飛行場移設問題が混迷に混迷を深めたことは周知の事実である。その後2010年5月28日の日米共同発表により、大筋で2006年5月の日米合意である「ロードマップ」)のラインに戻ることにはなったものの、その間沖縄は全く「カヤの外」に置かれ、爾後名護市長も沖縄県知事も、この共同発表の内容は受け入れ困難との立場を明確にしてきている。

そもそも仲井真県知事からすれば、総選挙の選挙戦の中で鳩山民主党代表(当時)が、普天間飛行場移設問題に関し「最低でも県外移設が期待される」と訴え、首相就任後も県外移設の可能性を追求したものの、結局2010年5月の日米共同発表において、「代替施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する」ことに再び合意するに至った経緯について、県知事に対して正式で詳細な説明を行わなかったことから、これでは沖縄県として何をどのように理解すれば良いのか全く分からない、としか言いようがないのであろう。加えて、仲井真知事としては、政府による県外移設の可能性の検討という過程を通じて、沖縄県民は最早県内移設という選択肢を受け入れる余地をなくしてしまった、との思いを強くしていることであろう。

今年に入って関係閣僚が相次いで沖縄県を訪れ、政府としては昨年5月の日米合意について県民の方々の理解が得られるよう特段の努力をしていきたいと述べているが、県知事はじめ関係首長は「受け入れ困難」という対応を続けており、事態打開の目処は全くついていない。筆者は、沖縄担当大使としての経験を踏まえ、今年1月の霞関会ホームページの論壇に「米軍基地問題に対する沖縄県民の意識」と題する寄稿をした経緯があるが、そこで開陳した論点からしても、現在の政府の対沖縄アプローチは「無理筋」のものであると考えざるを得ない。

そこで筆者は政府に対して次のような段取りを助言したい。

(第1段階)早期に菅総理大臣から仲井真知事に対して、2009年総選挙以降2010年5月の日米合意までの間の民主党・政府の「対応ぶりの変遷」について、正式かつ詳細な説明を行うこと。
(第2段階)続いて菅総理大臣から谷垣自民党総裁に対して、同様の説明を行うとともに、民自両党間で普天間飛行場移設問題についての基本合意の形成を行うこと。
(第3段階)この基本合意を踏まえ、政府は沖縄県に対し政府の立場に対する
理解を求めること。
(第4段階)政府は沖縄振興も含め普天間移設全体の課題について沖縄県との間(結果として米国政府との間)で調整を行うこと。

以下に若干の解説を行いたい。なお、6月2日菅総理大臣は震災対応に一定の目処がついたところで退任する意向を明らかにした。時期がいつになるかは詳らかにされていないが、将来退任の場合、筆者としては、次期総理大臣に対してもこの段取りを助言したい。

第1段階については、政府側としては、これまで経緯について沖縄県に何度も遺憾の意を表明している、という理解であろう。また、仲井真知事としては、菅総理大臣から正式説明を受けたからと言ってこれに納得することは出来ないという立場であろう。それにも拘わらず、筆者としては、菅総理大臣から仲井真知事への正式説明は、政府としての義務であると考える。沖縄をカヤの外に置いたままで、日米合意に対する理解を沖縄に求めることは、政治の王道ではないし、また、沖縄県民の誇りを傷つけるものである。菅総理大臣からすれば、この正式説明はまことに居心地の悪いものになるであろうが、これを乗り越え、沖縄県民に「礼節」を示す必要がある。少なくとも仲井真知事が沖縄県民に対して、“政府の説明には到底納得できないが、正式かつ詳細な経緯の説明を行ったことは評価する”といった趣旨の発言することが出来る環境を醸成する必要がある。

第2段階については、菅総理大臣としては、2010年5月の日米合意が2006年の自民党政権下の日米ロードマップと軌を一にするものであることを認め、政権交代によっても日本が継続して順守すべき基本的国益の認識を共有することを通じて、普天間飛行場移設の基本的立場について両党間の合意の形成を求めるべきと考える。政権交代があるたびに政府の普天間飛行場移設問題に対する基本的立場が変更される可能性があるような状況では、沖縄県民が政府の取り組みを真剣に受け取ることは困難であろう。

第3段階については、民自間の基本的合意の基礎があって初めて、政府の立場に対する沖縄県の「理解」を求める環境が整うことになると言える。現在はこうした環境が出来上がっていないと言わざるを得ない。他方、例え民自両党間の共同歩調が整ったとしても、それが直ちに沖縄県民からの理解が得られることを意味するところにはならない。しかし、少なくとも沖縄県民の理解を得るため、一つの重要なステップが踏まれることになる。敢えて言うならば、筆者には、このような過程を経ずして沖縄県の理解を求めることは、ほぼ不可能に近いと思える。

第4段階においては、政府・沖縄間、ひいては日米間において、どこまで相互の立場の相違点を調整し得るかについて、ギリギリの話し合いが必要となる。抽象的な表現ではあるが、その最終的な姿は、関係者間のすべてに一定の不満は残るものの、日米両国政府、沖縄県の3者間のバランスをこれ以上動かすことは出来ないという共通認識が生まれるような内容の合意、以外のものであることは考えにくい。かかる合意達成が如何に難しいことであるかについては、普天間飛行場の移設問題のこれまでの経緯から見ても明らかであるが、そうであるが故に、菅総理大臣としては、米軍基地の存続に反対する沖縄県民の深い思いへの理解を持ちつつ、強いリーダーシップを発揮してこの調整に全力をあげることが必要と考える。

筆者には、今の政府のやり方が続く限り、普天間飛行場移設問題のすべての関係者が解決の遅れの責任を相手側になすりつけたままで、ただただ時間が過ぎていくような気がする。皮肉に聞こえるかも知れないが、筆者には、普天間飛行場の現状が続くことに対して、関係者の誰もが不満を持っているように見えると同時に、未解決のために焦慮している様子も伝わって来ない。こうしたことで日米両国政府も沖縄県も良いのであろうか?

上記のような段取りは政府にとっても沖縄県にとっても受け入れ難いものであるとして、筆者は各方面から批判を受けるかも知れない。しかし、関係者のすべてが大いに汗をかき、大いに苦労することなしに、普天間飛行場移設が実現するとは到底思えない。

東日本大震災の復興に関連して政策課題ごとに民自両党が共通の立場を模索する動きが続いている。普天間飛行場移設問題についても、まず両党間で基本的合意の形成に取り組み、それを基礎にして、沖縄県への働きかけを早急に始めて貰いたい。
                              (2011年6月3日寄稿)

『危機における対外コミュニケーションの教訓』 2011-6-9

『危機における対外コミュニケーションの教訓』


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                   元カナダ大使  沼田 貞昭 

東日本大震災は、危機状況における日本の対外コミュニケーションについて3つの教訓を残した。

1.危機管理の当事者は、おびただしい噂とか憶測が飛び交う情報空間に果敢に飛び込んで、能動的にメッセージを発出していくべし。

筆者も何度かインタビューされたことのあるBBC テレビの百戦錬磨のキャスターNik Gowingは、今日、危機発生後メディア対応までの時間は精々30分程度しか無く、そこで必要なのは、三つのF(3 Fs: First, Fast, but Flawed)、即ち、第一に、情報空間に最初に乗り込むこと(First)、第二に、とにかく速く対応すること(Fast)、第三に、不完全な情報であっても(but Flawed)とにかく出し、後から必要に応じ訂正していくことであるとしている。(“Skyful of Lies” and Black Swans, RISJ, July 2009)

今回の原発事故について、国際原子力事故評価尺度のレベル5かレベル7か、1,2,3号機のメルトダウン(炉心溶融)は有ったのか、放射能影響予測ネット「SPEEDI」の予測値公表は何故遅れたのかと言った問題に関して、東電および政府当局は不都合なものを隠していたのではないかとの疑念を呼んだ。時が経つにつれて事態の深刻さが次々と露呈されたような印象を与えたことは否めない。不確かなものを出すとパニックを招きかねないとの考慮はあろうが、むしろ、前述の3 Fsに従って、考えられる悪いシナリオも早い段階から明らかにしておくべきだったと思う。

2.的確な状況認識に基づいて、骨太かつ明確なメッセージを発出するべし。

5月10日付ジャパンタイムズ紙は、「東電はデータの津波でメディアを溺れさせている」(TEPCO drowns media in data tsunami.)との記事を掲載した。
極めて専門的で分かりにくい原子力の問題について、コンテクストを明らかにしないまま技術的用語と数字が羅列されると、聞く方は消化不良を起こしてしまう。聞き手の主要関心事が「安全」と「安心」にあるとすれば、膨大な事実関係の中からこれに答えるエッセンスを抽出して、分かりやすいメッセージを伝える工夫が必要である。外国メディアに対しては、国際共通語たる英語で説明することも必要であり、この負担が内閣国際広報室の少数のスタッフに一手に振りかかっていたように思われるが、多言語で効果的に発信できる科学者や民間の専門家の活用も考える必要がある。

今回、炉心溶融、海水注入等をめぐる東電、政府当局の説明が二転三転した背景には、関係者間の連絡不足があったと指摘されている。危機発生直後から事態の全貌を把握する中央の司令塔が存在し、情報を整理して優先順位を付けた上で、責任ある立場にあるリーダーが発出すべきメッセージを考えて行くことが必要である。

3.日本のイメージを回復するために、政府のみならず、民間、市民団体の活動についてのポジティヴな話題を積極的に広めていくべし。

当初、震災と津波の被災者たちが示した落ち着き、秩序正しさ、忍耐と言った底力は、積極的なイメージとして海外に伝わったが、その後原発事故をめぐる安全神話の崩壊および風評被害は、「クールジャパン」、「日本の食」と言ったブランドにネガティヴな影響を与えてきた。

日本のイメージの回復のためには、まず、日本がその活力を結集して復興に取り組み、世界におけるその地位を回復して行く決意を政府指導者が示すことが必要である。これに加えて、自動車生産とか半導体等部品のサプライチェーンの復旧が着々と進んでいる状況、タイム誌の「世界の100人」に取り上げられた南三陸町の菅野武医師および桜井勝延南相馬市市長と言ったローカル・ヒーロー、被災地にボランティアとして馳せ参じた若者達の姿等を積極的に紹介していくことも重要である。
                     (2011年6月2日寄稿)



『東日本大震災とアフリカからの支援』 2011-5-25

『東日本大震災とアフリカからの支援』 



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                元駐ナイジェリア大使 佐々木 高久

今回の大災害で色々なことに感じ入った。それは被害者の内に秘めた底力であり、一般市民・アーチスト・スポーツ選手等の一過性でない支援活動、世界各国よりの心温まる各種支援、日本人を信頼し、激励してくれた各国メデイアの報道である。
ここでは、日本から距離的に遠く、多くの日本人にとって感覚的にも縁の薄いアフリカ大陸の諸国が極東の日本で起きたこの惨害に対してどのような反応を示したかについていくつかの例を紹介することとしたい。

1. お見舞い状
アフリカ大陸53ヵ国の内、現在内戦中である1ヵ国を除いた52ヵ国の大統領、首相等から、また、
アフリカ連合等4つのアフリカの国際機関の事務局長から、天皇陛下、総理等に対しお見舞いのメッセージが届けられた。各国首脳は、その中で、弔意と連帯の意を表すると共に、「勤勉な日本国民がこの厳しい苦難を勇気と献身の精神で乗り越えるものと確信しております」、「日本がこの惨事に耐え、早期に立ち直り、正常化及び繁栄に向けた復興を進めることを確信しております」等々と述べ、日本人の勤勉さ、不屈の精神をもって日本が早期に再建復興することに期待感を示している。

2. 救助チーム
震災発生直後、19ヵ国・地域が被災地に救助チームを派遣したが、その内の一つが
南アフリカ救助チームであった。南ア・チームは総勢45名、3月18日から27日まで滞在し、宮城県の岩沼市、名取市、石巻市、多賀城市において救助活動を行った。

(1) 南ア・チームは、現地で使用する機材や宿泊用テント、チーム用の食料等総量12トンの装備品を持ち込み、南ア側手配の車両で、また、福島第1原発の状況も了解の上で(放射能防護服も持参)現地入りした。

(2) 同チームは、宮城県警、地元警察の要請に従い、「言われたことは何でもやる」との姿勢で割り当て区域の捜査活動を行った。同チームは規律を守り、高い士気をもって活動し、資器材の整理整頓、隊員の行動等に厳しい指示が徹底され、現地警察、地元民より高い評価を得た。

(3) また同チームは、瓦礫の下の捜査やその撤去作業に加えて、外国救助部隊では唯一ゴムボート(2隻)を持ち込み、冠水した地域で水上、水中での捜査活動も行った。

3. 義援金
(1) 在京アフリカ外交団の外務副大臣表敬
3月30日、在京アフリカ外交団を代表する10名のアフリカ大使が高橋外務副大臣を来訪して、東北地方太平洋沖地震に対するお見舞いと日本国民に対するアフリカ諸国の連帯の気持ちを表明した上で、5月に予定していたアフリカ・デーの行事を中止し、その予算120万円を被災者のために寄付した。

(2)これまで、2ヵ国から人道支援物資の支援の申し出に加えて15ヵ国から義援金の申し出があったが(この内の10ヵ国がGNI一人当たり2ドル/日のいわゆる最貧国)、各国の日本国大使館には一般市民、学校・NGO等の代表が義援金を持って弔問のために訪れ、また各種団体が義援金募金のための行事を催している。

4. 各国における行事
(1) ジブチにおける「日本国民との連帯の一日」
ジブチ政府は、ゲレ大統領のイニシアチブの下に、3月23日を東北地方太平洋沖地震の被災者に捧げる「日本国民との連帯の一日」とし、各種行事を実施した。当日、大統領、首相、主要閣僚等が在ジブチ日本国大使館を訪れ、弔問記帳した後、約800名が出席する式典がジブチ市内の「東京広場」(1996~97年、日本の援助により整備された主要道路の起点ロータリー付近)で開催された。この式典には、ジブチ側より、ゲレ大統領、主要閣僚、国会議長、国会議員、宗教関係者の他一般市民が、日本側より、大使、館員、自衛隊部隊(ソマリア沖派遣海賊対処行動部隊の代表約50名)、JICA関係者(青年海外協力隊員を含む約20名)、在留邦人が出席した。

(2) モザンビークにおける「平和と連帯のための行進」
4月2日、大震災のお見舞いと連帯の表明のため、「平和と連帯のための行進」を行い、ゲブーザ大統領夫妻を始めとする政府関係者、一般市民等多数が参加した。

(3) スーダンのインターナショナル・スクール(KICS)生徒有志による支援活動
KICS(生徒数約450名、日本人生徒3名)は4月3日から8日までを「日本支援週間」とし、その間、日本映画会、菓子販売会等を実施すると共に、企業をめぐり募金活動を行った。4月14日同校講堂にて、生徒、校長、、教師、父兄等約150名が参加し、上記活動にて集めた義援金米貨5,800ドルを現金で日本国大使に手交、日本赤十字への送金を依頼した。

(4)セネガルにおける義援金贈呈式
セネガル政府は、ワッド大統領のイニシアチブにより、1億FCFA(約1,800万円)の義援金を寄付することに決定し、4月18日セネガル外務省において、日本大使に対し義援金贈呈式を行った。その際、ニョン外務大臣は、「日本の被災者に対する弔意を表するため、自分を始めとする政府関係者が日本大使館にて記帳を行ったが、その後、セネガル市民の強い声もあり、セネガル政府として未曾有の困難に立ち向かう友人に対し義援金を寄与することを決定した。」と挨拶した。

(5)コンゴ民主共和国における追悼マラソン大会
4月10日、NGO主催による追悼マラソン大会が首都キンシャサで行われ、約300名が参加した。

国連によると、2011年に日本が世界から受ける義援金、物資の合計金額はスーダンを抜いて世界第一位になるとのことであるが、これを聞いた大部分の日本人は、世界各国よりの心温まる各種支援に感謝しつつ、被災地のみでなく日本全体の再生・創生を一日も早く達成し、これまで以上に、国際社会の平和と安定のため積極的役割を果たしていきたいとの決意を新たにしたに違いない。世の中はつくづく「困った時はお互い様」であると思う。日本は1945年の敗戦後、ガリオア・エロア援助等のお蔭で飢餓地獄から救われ、世界銀行からの借款で東海道新幹線、東名高速道路、黒四ダム等を建設し、基幹産業の復興・発展を実現したのである。日本は1954年にはコロンボ・プランに加盟し、賠償と相まって経済協力に取り組み、1990年代の8年間はODA(政府開発援助)実績で世界第一位であった。その後、日本経済の不調により、日本のODA金額は最盛期の4割に減り、順位も第五位まで下げている。ODAの効用については色々なことが言われているが、今回、エチオピア全土を代表する宗教諸団体指導者から菅総理に届けられたお見舞い状「日本政府及び国民に対する哀悼表明メッセージ」の中での下記一文は、日本が実施してきた国際協力が正しく評価されていることを示唆している。
「世界第三位の経済大国である貴国は、発展の継続が期待される世界において、中心的なあらゆる役割を果たしてきています。エチオピアのような発展途上国に対する貴国の継続した支援は、我々すべてが評価している真の友情と協力に基づく模範例となっています。日本政府及び国民は過去数十年にわたり、自らの資源を使い、天災及び人災の影響を受けた国々を支援してきました。それ故、国際社会が、日本の寛大さに対するお返しとして、国家の危機にある貴国を支援するためにあらゆる可能な手段で応えると我々は固く信じております。」

かつて、日本製品の高品質を称える言葉の前置きとして、「以前の日本商品は安かろう悪かろうであったが、」と言われたものだが、日本のODAもその轍を踏むことにならないよう心から祈りたい。評判を上げるには長い年月を要するが、評判を下げるにはそんなに時間はかからない。国際社会の名誉ある一員としての地位を保つために、長期的視野に立った国際協力が不可欠であると考える。
                     (2011年5月18日 寄稿)


『大震災のあとは外交も新たに』 2011-5-20

『大震災のあとは外交も新たに』 



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              元駐デンマーク大使 小川郷太郎

大震災で見えたこと
国難ともいえる今度の大震災で、三つのことが国民の目にも明らかになったように思う。
ひとつは、日本人の持つ素晴らしい資質である。未曽有の大災害にあって冷静沈着に行動し、秩序や礼節を守る日本人を世界中が驚き称賛した。さらに、日本は先端技術や製造技術、多様なジャンルの文化などで世界中の評価を受け、また核廃絶などの平和外交や世界中の途上国への援助(ODA)でもよく知られ、徳性のある国家だとも思われている。
もうひとつは、多岐にわたる世界の深い相互依存関係の現実である。工場の被災で世界中の生産現場に影響がでたが、逆に見ると、食料も含め資源の乏しい日本の対外依存度は極めて高いことだ。
最後に指摘したいのは、日本は一人ではないということである。震災直後からの日本人同士の助け合いも心温まるが、貧しい途上国やときに緊張が生じる近隣国を含め、全世界が日本に温かい応援の言葉を送り支援の手を差し伸べてくれている。上述した日本の資質への評価が世界中からの日本支援の背景にあることも、私はあえて強調したい。

日本再生の機会:全く新しい考えと行動を
今般の震災は、不幸にして衰退期が始まりつつあった日本を襲った。グローバリゼーションがますます進み、世界の相互依存関係が否応なく強まってきた最近の20年余り、日本は経済の低迷もあり内向き傾向を強め、少子化が急速に進む中で必要な改革も怠ったまま、政府開発援助(ODA)を大幅に削減するなど時には世界の流れに逆行するような行動もとってきた。その結果、日本は国際社会の中で少しずつ影響力を失いつつあった。
 私は4月半ばに震災地を訪ねた。街全体が灰燼に帰したような凄まじい現場に立つと、かつて見たことのある終戦直後の東京の焼野原の写真を思い出した。大震災を、明治維新や第二次大戦後のような国の方向の転換を図る機会と考えてもよい、そのためには全く新しい考えと行動が必要だと感じた。
発想の転換という見地からは、例えば「生き方」についても考え直し、物質的便利さ追求から心の幸せ重視の方向に少しでも舵を切るチャンスでもある。破壊された地域の再興には、これまでの土地所有制度を変更した高台への集合住宅化、教育・医療・介護を一体化した新コミュニティの創造、製造業・農業・漁業の産業基盤の集積、最先端の技術を駆使した電力・上下水道・交通システム配備などの新しい発想も必要であろう。エネルギー政策の転換や社会保障と税制改革などでも大胆な発想で早急な取り組みが求められる。

「世界の中の日本」の視点を
内政上の改革をここで論じる余裕はないので、外交に焦点を当てて提言を試みたい。日本が世界の相互依存関係の網の目に深く組みこまれている事実を踏まえ、今後の復興と発展のためには「世界の中の日本」という視点が不可欠だ。
第一に、政府開発援助(ODA)の概念を発展的に解消し新たに「国際協力費(仮称)」という予算項目を創り、この費目のもとで、単に途上国への開発援助だけでなく、日本が得意な技術や文化の分野で各国と協力・交流し、世界に貢献する活動を強化する。予算規模は、膨大な財政赤字のもとで困難ではあるが、当面GDP の0.5%を目標にし、将来財政赤字解消に目途がついた段階で1%を目指す。0.5%という数字は防衛費の半分であるが、対外依存度の高い日本の再興を図る国策上の重要経費と認識すれば高いと考えるべきではない。
第二に、唯一の被爆国である我が国が国連の安保理常任理事国に入ることである。現在核保有国で独占されている常任理事国グループに戦後徹底して平和外交推進に努力してきた日本が加わることによって、平和に向けた影響力を強化することが出来る。安保理入りに向けた努力をあらためて強力に推進すべきである。
次に必要な方向は、長期的な日本の国益を考え、国をさらに開く政策だ。具体的には、当面の政策として環太平洋連携協定(TPP)への参加がある。そのために農業を企業化するなどの改革を進める必要がある。また、少子化に伴う労働力需給バランスも考慮して外国人労働者を含めた人的資源について一層の開放策をとることも重要である。
最後に、目指すべきもう一つの方向は、アジア太平洋地域で日本が敬意を受けながら指導性を発揮することである。言うまでもなく、中国やインドなどの新興大国を抱えるアジア太平洋は世界の中で最もダイナミックな地域である。中国はますます存在感を高め、安定勢力であるアセアンは2015年の経済共同体実現に向かっている。日本はこれまでアジア諸国の発展を支援し地域諸国の信頼を勝ち得てきたが、時として「歴史問題」で中国や韓国等の近隣国から批判を浴びたりもした。中国が台頭し、東アジアが共同体を目指す動きの中で日本が重要な役割を果たすには、経済の活力を高めることと歴史問題を克服して域内諸国の信頼を回復すことが不可欠である。歴史問題の克服のための数少ない現実的な方法は、1995年の終戦50周年を機会に発表された村山首相(当時)の談話の趣旨を日本国の最高首脳と国民のレベルで再確認して、誠実な域内協力関係をリードすることである。今後の日本にとって、日米関係とともに良好な日中関係が最大の課題である。

何よりも政治主導が必要
このような日本を築くためには、何よりも政治主導が必要になる。福島第一原発事故を見たドイツのメルケル首相は、いち早く脱原発政策を明確にした。原発に限らず社会保障、税制、地方分権、少子化対策など国の大きな制度に関し、日本の変革は嘆かわしいほど遅い。一刻も早く政治の閉塞状況から抜け出すため、なるべく早い時点で総選挙を実施し、政界再編成を通じて信頼される政権を作ることがどうしても必要になる。
                           (2011年5月16日 寄稿)




『福島原発事故の国際的な影響』 2011-5-9

『福島原発事故の国際的な影響―原子力の安全には国境はない―』




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             遠藤 哲也 
              元 原子力委員会委員長代理

 どこかで事故が起これば、地球全体の事故になるとのことわざどおり、福島第一原子力発電所の事故は世界中に大きな衝撃を与えた。特に、事故が原子力先進国と自他共に許す日本で起こっただけに、その影響は大きかった。事故への対応については、去る4月17日、収束へのとりあえずの道筋が東京電力から発表されたばかりで、これが今後どのように具体化されてゆくかが問題である。いずれにしても、事故への対応は現在進行中であり、各国の反応などもとりあえずのものであることをことわっておきたい。

(各国の原子力政策への影響)
第一にTMI、チェルノブイリ事故の後遺症からようやく立ち直り、「原子力ルネッサンス」が云々されるようになった昨今だが、今回の事故により原子力発電は再びきびしい逆風にさらされることになった。しかし、だからといって「原子力よさようなら」というわけでは決してない。事故後のギャラップの世論調査をみても(世界47国・地域)原子力発電への賛成は落ち込んではいるが、それでも賛成49%、反対43%となっている。
第二に、ただ、各国に共通して言えることは、安全性への非常に強い要求である。従来、原子力安全はそれぞれの国の主権事項とされていたが、チェルノブイリ事故以降それはそれとしても世界各国の共通関心事項となった。IAEA事務局に独立した原子力安全局が設けられたのもこの頃である。安全条約の締結、ピュア・レビューの実施、WANO(World Association of Nuclear Operators)の発足、セーフティー・カルチャーの重要性の認識など新しい発展がみられるようになった。来る6月下旬にIAEAで閣僚級の安全会議、9月にはIAEA総会、他方G8、G20 においても議長国フランスの音頭によって福島事故にからんで原子力安全問題がとりあげられる予定である。このように、今後安全問題は国際社会の一層の関心を引くようになり、安全についてより具体的な国際的な統一基準ないしガイドラインの形成の方向に進んでゆく可能性がある。
第三に、事故の影響は国によって相当に違うことである。やや大雑把だが、次のようないくつかのカテゴリーにわけられる。
(1) 原子力発電を積極的に推進しており、これからも引続いて積極的に推進
しようとする国
フランス、ロシア、韓国、インド、中国など
(2) チェルノブイリ事故後、脱原子力を指向していたが、近年前向きに方針を変えつつあった国
スウェーデン、ドイツ、イタリア、スイス、英国など主として欧州諸国だが、これらの諸国では市民の間に再び原発不信感が高まり、かつての脱原子力に立ち戻るきざしがみられる。
(3) 新規原子力導入国だが、既に導入を決定している国と導入を検討している国の二つに大別される。
具体的に導入を決定しているUAE、ベトナム、トルコなどについては、若干の遅れはあっても計画は実行されよう。
しかし、未だ検討段階に有るヨルダン、マレーシア等については当分の間慎重な待ちの姿勢をとるのではなかろうか。
(4) 米国については、オバマ政権は発足以来、原子力発電は米国にとって不可欠であるとしていたが、次第に旗色をより鮮明にして来ている。(原子力をクリーンエネルギーの一つとしてはっきりと位置づけている)その一方で、事故による原発に対する不安の高まりをうけ、原子力規制委員会(NRC)に対し、国内原子炉の包括的安全点検の実施を命じている。
しかし、米国で30年間以上途絶えていた原発の新規建設が始まるか否かは、むしろ商業的考慮に大きく左右されよう。

(日本からの情報発信に対する不信など)
 今回のTriple Disasterのうち地震と津波については、秩序正しい日本、思いやりの精神に富みかつ団結力の強い日本、冷静な対応など諸外国からいささか気恥しい位の評価が寄せられた。だが、原発事故への対応については、外国の見方はそれとは違って、必ずしもポジティブなものばかりではなかった。二つだけとりあげてみよう。
 その一つは、情報の発信についてである。今回の事故について、外国の報道振りや在日外国人の行動をみる限り情報の発信が適切に行われていたとは思えない。日本の情報は、自分に不都合なものは隠し、甚だ不透明であり(disturbingly opaque)、影響を意図的に過小評価しているなどとの先入観が抱かれているためか、今回の事故情報についても外国からはそのような色眼鏡を通じて見られていたきらいがある。それには、言葉の問題もあろうし、殊に、原子力は素人が理解しにくい専門分野だという理由もあろう。又、日本の原子力関係者が一種の閉鎖的な「原子力村」を作っており、その中で政・産・官(官については規制と推進の未分離の問題もある)・学がもたれあい、「ムラ」にとって不都合なことは外に出さないといった悪弊が根強く存在しているとの見方もある。いずれにせよ、こういったことには根本的にメスが入れられなければならないし、今回の事故は禍を転じて福となす又とないチャンスでもある。
 今一つは低レベル放射性汚水の海への放出である。これは止むを得ない措置であったと思うし、国際法上も規制されている措置ではない。
 しかしながら特に中国、韓国、ロシアなど近隣諸国に対しては事前に十分に説明しておくのが、外交上望ましくかつ必要であり、前者の適切な情報の迅速な発信とともに今後国際社会に対し十分に配慮すべきである。
                     (2011年5月5日 寄稿)




「東日本大震災、外国からの支援に感謝を忘れずに」2011-4-21

『東日本大震災、外国からの支援に感謝を忘れずに』




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              前駐モロッコ大使 
              元国連工業開発機関(UNIDO)事務局次長
              広 瀬 晴 子



未曾有の大震災、大津波、それに続く福島原発の事故から一月が過ぎ、東北の惨状は日々が経つにつれますますその悲惨さ、長引く避難所での不自由な生活、なかなか先の見えない福島原発の事故の収束と放射能汚染の影響等々、胸の塞がれる思いである。一方で、そのような中でも前向きに生きようとしている人たち、自衛隊、警察・消防そして東電関係者の第一線で日々懸命に働いている方達、多くのボランティア若者達等の奮闘振りには目覚しいものがある。敬服すると共に、この力で皆で頑張れば、日本は大丈夫と明るい気持ちにさせられる。

今回の大事故は現代の日本の経済発展に伴い物資に恵まれ、快適で豊かな暮らしをしてきた我々に様々な苦難を与え、色々と考えさせられることがあった。
1.自然の猛威の前に人間の万全を期したはずの対策はなすすべもなかったこと
  (防潮壁しかり、原発の安全装置しかり)
2.今後の日本のエネルギー政策をどうすべきなのか、原子力発電はどうすべきなのか?
3.多くの国から支援が来ると共に原発のニュースは世界を駆け巡り放射能の脅威を
  与えたこと
4.今後の復興はどうあるべきか、思い切った発想の転換が必要なのでは?
  どれも難題であるが、ここでは3に焦点をあてて考えたい。私にはどうも世界の中での
  日本という観点での報道が少ないように思えた。これは我々の意識にもよるもの
  だろうが…

外国からのお見舞い、支援は震災・津波の直後から続々と集まり、神戸の震災の時を遥かに上回り、我々の想像を遥かに超えた規模で140カ国を超える国からの支援、応援が集まっている。各国の支援は物資、義援金、救援チーム派遣の提供等様々で、国別リストと概略は外務省のホームページに出ているが、それを少し詳しく見てみると、先進国、近隣のアジアの国だけでなく、あまり目立たず報道もされていない国々、例えばアフリカの国、南アやボツワナ、ナミビアから、貧しいLDCのタンザニアやルワンダ等の国、スーダンのように紛争に苦しむ国からのものが沢山あるのに驚かされる。結構な額(8千万円とか8百万円)の義援金に、口々に日本にはいつもお世話になっているからこんなときには恩返ししたいという心のこもったメッセージをそえて。これらは、日本が今までに、やった、やったとあまり宣伝はしないものの地道な経済協力を続けていること、世界各地の大災害の折にはいち早く応援に駆けつけて支援してきていることへの感謝のあらわれともいえよう。世の中、世界規模でもちつもたれつ、友人たちのありがたさに感謝すると共に、このことを忘れないようにしなくてはと思う。

また、原発の事故の処理が中々収束しないと見てアメリカ、フランス等からの応援がサルコジ大統領やクリントン国務長官自ら來日し、日本政府に支援を申し出、専門家を送ってきている。彼らのフットワークの良さに感心すると共に、まさに日本の原発事故の行方が他の国、特に原発に頼る割合の強い国にとっては大変大きな影響を持っている現われといえよう。すでにドイツなどのように、グリーン・パーティーが躍進、原発をやめて自然エネルギーの開発に的を絞ることに決定した国もあり、大きな政治問題となる可能性もあるので関心が高いわけである。
それらの事柄に対して日本の報道振りはどうも分かりにくく、海外での心配をあおったり、風評被害の原因にもなっていると思われる。事実に基づいた偏らない論理的な説明と、今後の可能性をはっきり示すことで被災者にとっても他の人々(外国も含む)にも不安がなく理解できるようにする必要があろう。また、外国向けには地図も示して放射能の被害も限られた地域にとどまっており、なによりチェルノブイリとは違って地震発生時に原子炉は停止していることをはっきり分かってもらうことが大事であると思う。炉や建屋が損傷して放射能の汚染水が漏れていること、その封じ込めにまだしばらくかかること等から油断は出来ない状況ではあるものの日本全体が汚染されているかのような誤解はさけたいものである。

日本の食料の海外依存が高いことはかねがね言われていることでながら、改めて世界の国々との協力、協調の大切さを思い起こしたい。今回の日本の大惨事には我々日本人が総力を上げ努力すると共に、寄せられた支援はありがたく受けて復興の助けとさせてもらいたい。そして将来世界のどこかで災害が起きたときや、紛争や貧困で支援が必要と思われる国や地域に日本が支援を惜しまず、できる時がくることを信じたい。そしてそのためにも国内の様々な支援と復興をめざした活動と共に海外からの支援についても報道・発信をもっとして欲しいと思う。






「大震災からの復興―国際社会にも目配りを」 2011-4-14

『大震災からの復興―国際社会にも目配りを』


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   元外務審議官 株式会社日本総合研究所 国際戦略研究所理事長 田中 均



 東日本大震災で失ったものはあまりに大きく、それを言葉に出すことすら躊躇してしまう。しかし、いつまでも頭をたれているわけにはいかない。大震災によって私たちが見えてきたものも多くある。これから何をしなければならないか、冷静に考えるべきだ。日本が取り組まなければならないのは、単なる「復興」ではなく、日本の「新生」である。
 大震災で最も目に付いたのは、危機に対する備えの貧弱さだ。地震大国日本は、津波や原子力発電所の安全確保に十分な投資をしていたとは言い難かった。企業も、製造拠点や経営拠点の分散に十分意を払ってこなかった。他の地域からの融通を含め、電力供給の危機管理計画は不十分だった。

 今後の日本に必要なのは、復興会議や復興庁より、従来の縦割り行政を廃し、新しい計画で国土と産業を再構築する「日本新生院」とでも言うべき機能の創設である。東北地方の復興は、都市や産業の再配置を含めた国土保全の観点を持つ計画に基づく必要がある。
 企業も含めて危機管理計画を策定し、実行することが求められるだろう。安全への投資は、危機がなければ無駄になり、非効率と考えられるかもしれない。だが、先進国は国民の安心のために必要な投資を怠るべきではない。
 原子力安全行政の不十分さも露呈した。日本に原子力安全技術や関連の研究者、学者が不足しているわけではない。電力会社や経済産業省、学者ら原子力推進者から全く独立し、安全の基準を定めて履行する規制当局の存在が欠けているのだ。国際的な安全基準の見直しと独立した規制当局の設置が、原発建設再開の前提である。
 大震災は、私たちと国際社会の関係を見直す貴重な機会でもある。150を超える国、国際機関の支援や多くの国と個人からの義援金の拠出は、大変心温まる動きだった。これらの支援は、大津波被害の大きさに加えて、日本が国際社会で高く評価されている国であることとも無縁ではない。

 とりわけ米国は、被災者の支援、行方不明者の捜索、福島原発事故の処理など、あらゆる面で大きな援助を提供した。在日米軍も多くの兵力を割き、常に自衛隊との共同オペレーションという原則を守りながら支援をしている。私も長い間、米国との関係に携わってきたが、今回ほど同盟国のありがたさを感じたことはない。
 当面の最大課題が震災からの立ち直りであることは論をまたない。だが対外関係は二の次といった考えに陥るべきではない。例えば、国内の資金需要が大きくなるので当面は政府開発援助を減らすとか、自由貿易拡大のためのTPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加を先へ延ばすといった安易な考えに走ってはならない。
 復興財源は、財政基盤を再構築するという待ったなしの課題と矛盾しないよう、結果的には増税で賄っていく必要がある。その際、国際協力も重要な経費に位置づけて、援助が大きく減っている現状から反転してほしい。TPPの前提となる農業の自由化も、東北地方の農業再生と両立しうるはず。東アジアでの大きな変動を踏まえて日米同盟の進化を実現させる、日米戦略協議と首脳間の会合をいたずらに遅らせるべきではない。

 待ち受ける数々の国家的大事業を前に、与野党がねじれ国会で政局的やり取りを繰り返す余裕はない。必要なのは、与野党の完全な協力体制を構築し、あらゆる人材を活用して事に当たることだ。次期総選挙まで、例えば2年と時限を区切った民主党と自民党の大連立こそが、日本を救う道である。

         (2011年4月13日付毎日新聞コラム「世界の鼓動」より転載)

「中東和平」 2011-4-11

『中 東 和 平』


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  日本政府代表(中東地域及び欧州地域担当) 飯村 豊

 大震災が起きる直前の2月下旬,私は政府代表としてシリア,イスラエル,パレスチナを訪れた。
 今,世界で大きな地殻変動が起きつつある地域をあげよと云われれば,私は東アジアと中東をあげる。東アジアにおいては中国とインドという新興大国の台頭に伴い国際関係の再編が進行しつつある。太平洋・インド洋の制海権を握り,多くのアジア諸国に政治的・経済的影響力を維持してきた米国との間にどのような勢力均衡が作られていくのか,北朝鮮問題の収束の行方とも絡み合い,東アジアの将来を決めていくだろうと言われている。
 もう1つの中東地域は第1次世界大戦の発火点となったバルカン半島にもしばしば比べられる。第2次世界大戦以来イスラエルと近隣のアラブ諸国との間に4回に亘る中東戦争が戦われ,湾岸地域ではイラン・イラク戦争,湾岸戦争,イラク,アフガン戦争が闘われてきた。中東では東アジアと違い,米国自身の政策が必ずしも腰が定まらず,また,イスラムの急進化も進み,国際社会は火山地帯のマグマの上にいるように感じてきている。
 そこに,今回の各国での民衆蜂起である。反政府運動は各地に燎原の火の如く広がり,曲がりなりにも地域の力関係の基礎的エレメントとなってきた各国の独裁政権を脅かし,転覆しつつある。私が中東を訪れたのはチュニジア・エジプトで上がった火の手がシリアに本格的に及んではいない時であった。

 シリアではダルダリ副首相,ムアッリム外相,シャアバーン大統領補佐官等に会ったが,いつシリアに火の手が上がるかわからないという不安感,機先を制するために政治改革を加速化すべきか否かの躊躇,そしてエジプトと異なり米国には追従しない外交を守ってきたことが,民衆にも支持されているとの自負,当然口には出さないが巨大な治安組織が民衆の動きを抑え込むだろうという秘かな確信,場合によってはエジプトに代わって中東における安定勢力となり,西側との関係を深め,経済の発展を図ることができるかもしれないとの期待など様々な気持ちが渦巻き,それも人によって濃淡の違いがあるように見受けられた。しかし,このようなシリアにも,私が離れた数日後には津波が押し寄せ,問題の焦点は外交政策ではなく,体制の在り方であることがはっきりしてきた。

 イスラエルではリーベルマン外相,中東和平交渉を担当するモルホ首相特別顧問などと会談した。中東の政治情勢の混迷の結果,これまでイスラエルの安全保障を支えてきたエジプトとヨルダンとの和平の将来に不安が生まれつつあり,他方では,レバノンではヒズボラの勢力が強大化し,更にはイランの影響力が地域に広がる中で,イスラエルの現政権の指導者は自国の周辺の地域の行方を不安の眼で見ている。ネタニヤフ政権は,ここは守りを固くして,嵐の中で迂闊な譲歩をするわけにはいかないとの思いを定めているように見受けられた。いかなる和平であろうともヨルダン渓谷におけるイスラエル軍の駐留を認めるものでなくてはならないと強調する姿が印象的であった。
パレスチナ自治政府のアッバース大統領に会ったのは今回が10回目であったが,同大統領の言辞からは,オバマ政権への失望のみならず,オスロ合意は一体何だったのかとの懐疑心が強まりつつあることがうかがえた。とりつくしまのないネタニヤフ政権を前に,本意ではないが,この9月の国連総会においてパレスチナ国家承認を勝ち取るために国際世論に訴える道を進まざるを得ないとの気持ちが強まっているように見受けられた。イスラエルが受け入れない和平は実体がないが,イスラエルに米国が圧力をかける気持ちがないならば,国際的キャンペーンに頼らざるを得ないというのであろう。
 今,燃えさかるアラブ民衆の怒りの火が,これからの中東の姿をどう形づくっていくのか,まだ誰にも分からないだろう。はっきり言えることは,どのような中東になったとしても,更に言えば,私達が期待するように,より民主的な政体がアラブ各国の主流になったとしても,イスラエルとアラブ諸国の関係が正常化されず,パレスチナで不正義が行われているとアラブの人々が思い続ける限り,多くのアラブ人は国際社会の現状打破勢力に心を寄せ続けるだろう。

 シリアのムアッリム外相の述べることを額面通り受けとることはないが,彼の一言が記憶に残っている。「今年末からは米国オバマ政権も完全に大統領選挙モードに入るだろう,次期大統領が中東和平のイニシアティブをとることに積極的になるとは思えない,我々の前に残された時間はあと残りの数ヶ月,ここで中東和平プロセスを軌道にのせておかなくてはならない。」同外相のこのような発言の背後にある政治的意図は別にして,時間の感覚に関する限り,正鵠を得た発言ではあるまいか。
私の印象では,アッバース大統領も同じようなタイム・フレームを持っていると思う。国際世論を動員すると言っても心は米国主導の和平プロセスの推進であると思う。ヨーロッパ,特に英,仏も和平を前進させたい,そのためにはEUとしての特色を出しつつ,米国をサポートしなくてはいけないとの気持ちだろう。ムバラク政権崩壊前のエジプトや政治不安期に入る前のヨルダンも今年中に和平を前進させたいとの気持ちでは同様であった。問題は,米国の現政権が腰を上げるのかということである。日本の役割も,米国とイスラエルが和平プロセスをめぐり国際社会で孤立するような絵柄が現れないように努め,米国のイニシアティブの下に和平が前進するよう支えていくことにあると思われる。
 今,中東を席巻している大きな津波が沈静化した後に出てくる新しいアラブ世界は従来以上にイスラエルを厳しい視線で見る可能性が大きい。また,アラブとイスラエルの対立がイスラム原理主義の先鋭化の肥沃な土壌を提供していることを忘れてはならない。
 我々は,当面震災と福島原発問題への対応,更には復興に向けて全力を注がなくてはならないが,同時に日本がこの難局から再び立ち上がることを志すとすれば,これからの何年かを「失われた外交」の時代にしてはならない筈だ。特に,日本国民の生活に直接関わりのある東アジアと中東では,地域全体に歴史的地殻変動が起きつつあるだけに外交の手綱を緩めてはなるまい。               (4月5日寄稿)








「日本は「第三の奇跡」を起こせるのか」
2011-3-31



『日本は「第三の奇跡」を起こせるのか』



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 元駐スウェーデン大使  大塚清一郎

未曾有の大震災が日本を襲ってから2週間が過ぎた。まずは、被災された方々には心からのお見舞いを、亡くなられた方々には謹んでお悔やみを申し上げたい。
危機管理には3つの要諦があると言われている。
第1が迅速、果敢な初動対応。第2は「悪いニュース」ほど迅速に正確に伝達することだ。特に、福島第一原発については、菅首相が震災の翌日、ヘリコプターで視察しことは「現場重視」という意味では良いとしても、その後の肝心な初動対応の遅さ、危機認識の甘さ、後手、後手の情報伝達等を見て、歯がゆい思いで事態を見守っているのは私だけではあるまい。最悪の事態を想定した自衛隊、警察、消防、地方自治体などの迅速果敢、包括的・有機的活用が必須であることは言うまでもない。予断を許さない福島第一原発事故を最大限の努力でなんとか封じ込めて貰いたい。

総理は国難に対処する最高司令官だ。記者会見では、国民の耳には痛く厳しくとも、正しい情報を迅速に知らせて貰いたい。 それが「最悪の事態のニュース」であっても、である。更に、最高司令官には、テレビを通じた「国民へのメッセージ」では、この大震災を乗り越えるための国民の「気力や勇気」を鼓舞する「力強い言葉」で語りかけていただきたいものだ。
震災発生後、諸外国からは、日本人の冷静な対応を称賛する言葉が伝わってくる。それはそれで心強いことだ。「不屈、自制心、連帯、勇気」、英語では“resilience” という言葉が目につく。2005年8月、米国ルイジアナ州をハリケーン「カトリーナ」が襲った際の米政府の対応の遅れ、暴動、略奪、放火などの被害の記憶が生々しい。米国人には、今回の危機に冷静に対応する日本人の行動は称賛に値すると映るのかもしれない。しかし、これらの称賛を手放しで喜ぶ訳にはいかない。日本でも、頻発する震災詐欺、被災地での灯油やガソリンの火事場泥棒などの醜い被害は枚挙にいとまがない。我々日本人は心を戒めて、これからの正念場に立ち向かわねばならない。
危機管理の第3の要諦として、「修羅場でのユーモア」も忘れてはなるまい。第二次大戦中のポーランドのアウシュヴィッツ収容所の中で、ユーモアを忘れずに実践した人物のことを想起したい。ユダヤ人の心理学者、ヴィクトール・フランクルは、収容所生活のある日、建設現場で働く仲間に提案した。「毎日、義務として最低ひとつは笑い話を作って皆で交換しようじゃないか」 奇跡の生還を果たした彼は、『夜と霧』の中で「ユーモアは自分を見失わないための魂の武器である」と書いている。これからの苦しい復興への道を我々日本人は歯を食いしばって進まなければならない。修羅場でのとげとげしいひと言は周りの人々のやる気を削ぐ。折角のチームワークを一気に崩してしまう。長丁場での「ストレス管理」や「心のケア」は、これから益々大事になるだろう。
日本は、明治維新、戦後復興に続く「第三の奇跡」を起こすことが出来るのか?これからの5年、10年が正念場となる。それは、単に物理的な「復旧」ではなく、震災を機会として「新生日本」に向けた視点を生かしたものでなければならないだろう。被災地を災害に強く、高齢者や環境に優しい「町づくり」にしてゆく視点も肝要だ。

日本の底力を信じたい。底力は追い込まれてこそ出る。特に日本の若者の開発途上の底力に期待したいものだ。しかし、日本の底力を発揮させるには、妨げとなる「政治の足枷」を取り払わねばならない。党利党略に走る日本の政治の貧困からの早急な脱却が急務である。そのような条件が整えば、復興への道筋に光が見え始めることだろう。「危機」は、熱意と創意工夫で必ずや「機会」に転化出来る。それが出来た時、世界は「日本の第三の奇跡」と呼ぶに違いない。
 昨日、新聞で時事川柳を目にした。<東北の桜それでも春を待ち> 惨禍の悲しみに包まれた日本列島にも桜の季節がやってくる。内向き志向を脱し、再び元気よく胸を張って歩きだす日本を見たいものだ。       (平成23年3月28日執筆)



『誰もが知りたい:チュニジア、エジプト、リビアに続く国はどこか?』2011-3



『誰もが知りたい:チュニジア、エジプト、
リビアに続く国はどこか?』


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立命館大学客員教授・外交政策研究所代表 宮家邦彦

 昨年の焼身自殺事件を発端にチュニジアで騒乱が起こり、1月14日ベン・アリ大統領は国外に脱出した。その後エジプトでも大規模デモが始まり、2月11日にはムバラク大統領も退陣した。世界の中東専門家も「意外にあっけない」と思ったことだろう。

 注目すべきは、中東の多くの国で「騒乱」は起きたものの、トップが退陣する「政変」は今のところチュニジアとエジプトだけであることだ。しかも、いずれも政体変更を伴うような「革命」ではない。やはり、「騒乱」と「政変」と「革命」はそれぞれ明確に区別すべきであろう。

 今の焦点は勿論、リビアだ。カダフィ一族支配という以外「政体」らしい「政体」が存在せず、軍部もエジプトのように強力ではない。もしかすると、リビアは本当に「革命」にまで発展するかもしれない。

 より重要な問題は「革命」成就後リビア原油の管理権を誰が握るかだ。現在のような千載一遇のチャンスをイスラム過激主義諸勢力が見逃すはずはない。リビア軍が迅速に全土を制圧でもしない限り、「革命」後リビアは今以上に不安定化する可能性がある。

 さて、今誰もが知りたいことは、「リビアの次」はどの国か、ではなかろうか。

 そもそも「騒乱」が「政変」や「革命」に至る条件とは何だろう。一つの仮説はこうだ。財政の豊かな王政国家は結局潰れない。共和制国家の強権的独裁者は、長期政権の下で「王朝」化したり、「世襲」しようとでもしない限り、簡単には潰れない。あくまで現時点での仮説でしかないが・・・。

 こう考えると、リビアの次はカネのない王政のバハレーンとヨルダン、共和制ではイエメンあたりが危ないことになるのだが、いずれもそう簡単には潰れそうにない。貧しい王家はそれなりに国民に気を遣うし、そもそもイエメンは誰が大統領でも国家再建は難しい。

 今回国際社会はリビアでの市民の無差別殺戮を強く非難しているが、昔の中東には今のリビアよりはるかに酷いことを平気でやった「独裁者」が大勢いたものだ。彼ら(とその息子たち)は今頃胸を撫で下ろしているのではないか。

 例えば、シリアだ。1982年ハマーという町に無差別攻撃をかけ市民数万人を虐殺したとされるのは、今のバシャール大統領に政権を譲った父親アサドではなかったのか。ハマーでの虐殺に比べれば、現在のリビア騒乱など実に「可愛いもの」である。

 シリアのような国家が今一番「安泰」ということ自体、今の中東諸国が直面する矛盾の奥深さを象徴しているように思えてならない。

「最近の援助に一言」2011-02-01

2014-09-27

最近の援助に一言        matsuitaishi.jpg


    元科学技術協力担当大使、援助政策ウオッチャー 松井靖夫

外務省が去る6月に発表した今後の国際協力の在り方では、効果的な援助を進めるため、
技術協力や資金協力を一体として進めるほか、NGOの重要性と開発コンサルタントの育
成を強調している。これらはよいと思うが、具体策は徐々にしか見えない。ここ一、二年、
援助論議が、政府関係者、アカデミックス、NGO、民間企業の間で行われたが、政府機
関と開発コンサルタント、NGOとアカデミックスの間でのそれぞれの役割について理解
と認識がいまだ収斂しておらず、オールジャパンの援助体制として強化されたとの印象は
受けない。これからは、対立点の強調よりも協力の実績による信頼関係の構築が大切であ
る。一例であるが、日本から遠く、地震で大きな技官を受け、いまだ立ち直れないハイチ
の復興現場では、自衛隊PKO部隊、援助事業を受注する開発コンサルタントのほか、J
EN、赤十字を含めた日本のNGO数団体が活躍する。道路、建造物、水道管、電力など
の復旧から、生活支援を行う援助事業に対し、住民を励まし、飲料水の確保、衛生教育、
住宅修理を手伝うNGOのアプロー干は、相互補完性があり、協力の余地は、大きいとハイチの現場経験をした開発コンサルタントは語る。政府援助関係者がこうした日本の援助コミュニティの信頼と協力強化の実績づくりをエンカレジしていくのが、いま求められていると思う。

もうひとつの援助論議は、援助の効率化である。財政赤字の累積の中、援助する側からも、
無駄をなくすべしとの意見は強い。長年やってきたが、プライオリティが下がってきてい
る事業や、ややもすると惰性で続いている手法を見直し、整理するいい機会であろう。し
かし効率化を軸とする議論をこのまま続けていくデメリットも大きいと思う。二国間援
助予算の継続的な削減は、集中と選択の余地を狭め、新しいチャレンジを難しくする。日
本だけがドーナーではないので、相手国から頼りに成らないと思われ、アジア、アフリカ
諸国は、新興国からの援助に魅力を感じているのではなかろうか。 日本の技術に基づくインフラ輸出と建設、大学間協力を含む科学技術協力、アフリカでの安全な水の確保から人口急増する途上国での上下水道、防災対策の強化など本問題への多面的な協力は国民にも理解しやすく、日本の利益にも結び付く。もっと推し進めてほしい。それと同時に、中国の経済協力とそれを使った政治的影響力の増大がみられる中で、援助と知恵を上手に活用し、日本の影響力を回復する戦略を具体化する時期にきていると思う。たとえば、中国が破格の経済協力を提示し、日本の企業が劣位に立つ状況では、OECDやDACの現在の資金競争の規制ルールにとらわれず、対等の条件をだすことが、不可欠である。想定されていなかった状況での新しい、ルールの策定は、1980年代、90年代に日本の台頭を前に欧米諸国が行ってきたことである。









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「外を見まわそう」 2011-01-01


2014-09-27

外を見まわそう         mrogawa.png

                  元駐デンマーク大使 小川郷太郎    



 最近の日本全体の内向き傾向は深刻だ。政治も、経済も、国民も、殆ど一億総視野狭窄状態に進んでいるかのように見える。
 国を主導すべき与党も野党も選挙配慮で動くばかりで、自ら描いた「国民の皆さま」の意向を念頭に互いに相手の足を引っ張り合う。社会保障制度が破綻しかけているのに消費税論議は先送りし、国の制度設計への行動はない。無駄排除を目指す「仕分け」の意図は良くても、政治家自身があまりにもミクロの予算費目に頭を突っ込みすぎて、大きな国の方向の構築はなおざりだ。経済力や軍事力を強大化させる中国への対応はそっちのけにして、尖閣ビデオ流出の犯人捜しや責任者糾弾に明け暮れる。かつて果敢に行動した日本企業はリスク回避の慎重姿勢を一層強め、海外の市場獲得競争で他国に後れをとっている。国内農業保護に固執するあまり、環太平洋の経済連携(TPP)などの世界の自由経済体制構築競争で置き去りにされつつある。国民も、ひたすら節約をし、過剰なほどにインフルエンザ予防のマスクをして、携帯電話の画面を見つめながら下を向いて歩く。中学生の国際学力比較で昨年少し盛り返したものの、日本の地位は傾向としては下がっている。世界大学ランキングでも日本の順位はどんどん下っている。しかし、若者の海外志向が弱まり留学生は激減している。世界がグローバル化でどんどん動いているのに、日本は内にこもって世界と逆の動きをしている。
日本の国力や勢いが継続的に下がっているが、気付いて焦る雰囲気もない。私は、その最大の責任は政治とマスコミにあると思う。政府は、「政治主導」「国家戦略」「有言実行」など、わざわざ口に出さなくても当たりまえのことを看板にしつつ、それ自体具体的内容のない言葉の中味を明らかにしないままでいる。マスコミは国内の個別の事件を過度に詳細に、かつ、連日繰り返し報道して国民の目をひたすら内向きにすることに貢献している。
世界の相互依存関係はますます深まるなかで、対外依存度のとくに大きい日本は世界大の視野で巨視的に物事を見る必要がある。政治指導者は選挙目当ての党利党略はやめて、与野党いっしょに随時世界の動きの現場を見に行ってはどうか。マスコミは、事件報道はほどほどにして、日本が直面する課題に参考になるような世界の流れや趨勢をもっと国民に知らせる努力をしてほしい。
(4月21日寄稿)




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