『新ローマ法王フランシスコの船出』 2013-5-9

  『新ローマ法王フランシスコの船出』




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      杏林大学外国語学部客員教授・前駐バチカン大使 
                上野 景文


 史上初の中南米出身者として、3月に第266代ローマ法王に就任したフランシスコは、既にして、従来の常識を打ち破る形で、バチカンに新風を吹き込みつつあり、カトリック世界の潮流が大きく変わると予感させるところがある。世界の総人口の1/5にあたる12億人の信徒を擁するカトリック教会の頂点に立つ新法王が、スキャンダル続きのバチカンの体力と信用の回復に成功するか否かは、少なからざる国際的インパクトを有するため、今後の新法王の動きから目を離す訳にはゆかない。以下本稿では、新法王の治世を5つの視点から展望する。

先ず指摘したいことは、カトリック世界は3月のコンクラーベで「最も非バチカン的な人物」に将来を託した、と言うことだ。ローマで勤務していた頃、さる消息筋が私にこう述懐した。「カトリックには、ヒエラルキーと華美を体現したバチカン的文化と、清貧、謙虚、無私の精神で献身的奉仕活動に従事する修道士、修道女の文化との二つがある。カトリック教会が全体として今日まで尊敬を繋なぎとめているのは、ひとえに後者のおかげだ」と。イエズス会出身、ブエノスアイレス出身の新法王フランシスコはまさに後者の文化、「前線の文化」を体現し、「バチカン文化」の対極にいる人物だ。

ブエノスアイレスの時代から、貧しい人達の側につき、かれらに寄り添うべく、質素に生活することを重視、実践して来たベルゴリオ枢機卿は、法王としてバチカンに移ってからもこれまでの質素、謙虚の姿勢を貫き、就任ミサ、法衣、指輪、住居、秘書、公用車などを大幅に質素化、簡素化することで、バチカンに「前線の文化」を持ち込んだ。すなわち、「質素な教会(a poor church for the poor)」を実現するためであれば、先例や華美を廃することも厭わずとの気構えだ。この新風、前法王が苦手とした大衆への直接的語りかけを好むオープンな人柄(注1)とも相俟って、多くのカトリック教徒の共感を呼んでいる。ローマからの来訪者の話によれば、これまでのところバチカン官僚の間で大っぴらな不満の声は聞かれない模様だ(戸惑いはあるようだが)。ただ、法王の新風が吹き続けた場合、やがてバチカン官僚の既得権を侵害することになり、かれらの抵抗が顕在化する可能性がある点、要注意だ。

(注1)ブエノスアイレスで学生時代ベルゴリオ司教(当時)から直接薫陶を得たことの
 あるさる日本在住の神父の話によれば、新法王は、孤高の人であった前法王とは
 対照的に、常に「人と交わり」、「人と語らう」ことを好み、バスで隣り合わせた老婆と
 でも簡単に打ち解ける人柄の由。加えて、同神父は、学生時代に司教から、「書斎に
 こもって、勉強しているだけでは駄目だ。週2日はスラムに分け入って、人々と交われ。
 奉仕・実践を重視せよ。」と説かれたとも述べている。   

第2に、バチカンを揺るがしている性的虐待問題はじめ、山積する「組織の疾患」に関しても、新法王は改革に前向きに取り組むものと見る。それらの疾患の多くは、巨大組織特有の隠ぺい体質、自浄能力の欠如などに起因するが、管理能力を欠いた前政権(バチカンのインサイダー)の対応が後手に廻ったことが、カトリックの信用をいたずらに失墜させた。この反省に立ち、今回カトリック世界は、「バチカンのアウトサイダー」に舵取りを任せるほかないと判断し、バチカンでの経験を持たないベルゴリオ枢機卿を選んだ訳だ。

果たせるかな、新法王は早速に改革のための準備に向け手を打ち始めた。すなわち、新法王は就任から1か月目に当たる4月13日、「バチカン改革のための諮問委員会」の8名の委員(枢機卿)を発表した。内訳を見ると、バチカン官僚の指名は1名にとどめたこと、欧州からの指名は1名にすぎないのに対し、南北米州からは3名も指名したこと、バチカン改革に前向きと言われている英語圏、独語圏から3名指名したこと(注2)、全体の調整役は中米からの枢機卿を当てることにしたことなどに、新法王の意欲とバチカン官僚、欧州出身者の関与を薄めようとの姿勢が看取される。なお、改革の成否は、No.2に当たる「首相」の人選にかかっていることから、今後の人事には特に注目したい。

(注2) 大雑把に言えば、英語圏、独語圏のカトリック教会の方が、ラテン系の国の教会より
 危機意識が強く、改革を求める声が強い趣だ。


第3に、従来欧州中心主義が強固だったバチカンの「脱欧州化」が今後本格化するか否か、就中、これまでバチカン、カトリック世界で実権を握って来たイタリアを中心とする欧州勢に代わって、中南米を含む非欧州勢の発言力が高まることになるか、注視したい。換言すれば、カトリック世界の「重心」が、欧州から「南」、ひいては、「世界」にシフトすることになるか、と言う問題だ。

3月のコンクラーベは、1300年ぶりに欧州人を外し、非欧州人を選んだ。将来アジア、アフリカから法王が選出される素地が創られたと言うことである。とは言え、米州、アジア、アフリカは、世界のカトリック教徒の3/4を占めながら、これまで法王を輩出出来なかった。それは、世界カトリック人口の2割4分を占めるに過ぎない欧州が(法王を選出する)コンクラーベ参加枢機卿の5割強を出し、過大な投票権を与えられているためだ。この欧州偏重の構造を改め、各大陸の実勢、実情を正確に反映したより多元的なバチカンを構築することにより、カトリック教会を真に「グローバルな存在」に脱皮させることは新法王に課せられた使命と言える。ただ、非欧州出身の枢機卿の比率を高め、欧州偏重の現状を是正せんとすれば、欧州勢の抵抗に会うことは必至であり、予断を許さぬものがある。

更に先を見通すなら、こう言えよう。アジア、アフリカなどの発言力が高まるにつれ、バチカンに集中していた権限を各大陸に分散させ、もって、各大陸の独自性容認を強めるべしとの声が、次第に有力になるだろう、と(「集権から分権へ」)。

なお、欧州中心主義を体現していると目された前法王ベネディクト16世は8年の治世の間アジア訪問を果たさず、また、日本ではこの3年間枢機卿不在の状態が放置されて来ている。青年時代に日本に赴任することを志願したことがある新法王(健康上の理由から実現しなかったが)には、日本を含むアジアを重視した取り組みを期待したい。同時に、日本のカトリック教会には、新法王訪日を期しての働きかけを期待したい。

第4に、宗教プロパーの領域につき一言。避妊、中絶の問題から、司祭の独身制、司祭への女性登用の問題に至るまで、これまでカトリック教会が守って来た原理原則の中には、一般社会の常識から大きく乖離しているものが少なくない。避妊、中絶などの問題について言えば、既に「教会離れ」の進んだ西欧諸国ではカトリック教会とは相反する思想が定着している。また、司祭の独身制や女性登用について言えば、米国を中心にカトリック教会の一部で、改革を求める声が出て来ている。

まだある。ラテンアメリカ、アジア、アフリカの教会の発言力が高まるにつれ、カトリック教会が、その教えの中に各大陸固有の文化を取り込むと言う「多元化の問題」が、何れは浮上すると見通される(先に述べた「集権から分権へ」のひとつの事例)。この「ローカル文化の取り込み」ないし「インカルチュレーション」の問題については、バチカンは前法王の時代まではこれを厳しく制限して来た。が、各大陸は力を蓄えており、バチカンは、やがては、各大陸の文化に一目置き、夫々の大陸、地域ごとに固有の文化で「味付け」した教えを容認せざるを得なくなるものと想われる。つまり、大陸、地域ごとの「多元化」が進むことは、長い目で見れば不可避と見る。なお、「ローカル文化の取り込み」と言う観点からは、新法王の出身母体であるイエズス会の中には、かねてより積極派が少なくない点(そのためにバチカンから制裁を受けた会士がいた程だ)、付け加えておく。

このように、新法王を待ち受ける問題は多様だ。法王はこれら諸問題については概して保守的な立場と言われているが、他方、法王は、カトリック教会の「近代化」、「自由化」を推進した第2バチカン公会議を召集したヨハネ23世を尊敬しているものの如くであり、新法王はその胸中では第3バチカン公会議召集を思案しているとの観測すらある。この点を占う材料はまだ乏しいが、公会議を招集するか否かに関わらず、新法王の時代に、何らかの大きな決断、新しい方向付けがなされることは、ありそうだ。

第5に、新法王は、2つの観点から世界全体へのアプローチを強めるものと予感される。
ひとつは、諸宗教との関係。新法王は、ブエノスアイレスの時代からユダヤ教、イスラム教等との対話、交流を実践、重視しており、また法王就任後には、外交団を前に、特にイスラムとの対話を重視する旨言明したことから、今後、宗教間対話を強化するものと見る。
ふたつ目は、実社会の諸問題に関するメッセージ発出。歴代法王は、貧困、環境、人権などのグローバルイシューや国際情勢についての見解表明を重視して来ている。新法王は、師と仰ぐアッシジの聖フランチェスコに倣い、貧困、環境、平和、軍縮などのテーマを特に重視し、活発な意見表明をするものと目される。
つまり、新法王の治世には、外部世界へのアプローチは総じて従前より活発化、可視化するものと目され、それにつれ、国際社会におけるローマ法王、カトリック教会の存在感は高まるものと見る。

   *      *      *     *      *      *

以上整理しよう。新法王は、既にして前法王とは異なる持ち味を醸し出し、バチカンに新風を吹かせ、カトリック世界内外で好感されている。その新法王が、バチカン改革を本格化させる過程で、バチカンとカトリックの前線、バチカンと各大陸との距離を縮め、もって、カトリック教会の歴史的転換を進めることになるかどうか、興味は尽きない。したたかな欧州勢やバチカン官僚による抵抗は手ごわいであろうが、権威と絶対的権力が備わった「専制君主」として、ローマ法王は歴史を動かし得る地位にある。(2013.4.29記)

【参考】上野景文著「バチカンの聖と俗(日本大使の一四〇〇日」
     (かまくら春秋社)





『安倍総理のモンゴル訪問を終えて』 2013-4-15

  『安倍総理のモンゴル訪問を終えて』



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             駐モンゴル大使 清水武則
3月最後の週末を利用し、安倍総理がモンゴルを電撃訪問されました。 エルベグドルジ大統領、アルタンホヤグ首相、エンフボルド国家大会議議長等指導者と精力的な会談を行い、両国が、自由・民主、平和、助け合い、と言った3つの精神を共有する友邦であることを確認する一方で、戦略的パートナーシップ構築に向けた具体的な取り組みについて合意しました。特に経済面では、安倍総理は、「エルチ・イニシアティブ」という、モンゴル語のエルチ(活力)という言葉からとった、「活力ある経済のための日・モンゴル協力イニシアティブ」を発表し、モンゴル側から高い評価を得ました。

モンゴルでは、英豪系メジャーのリオ・ティント社が投資した世界でも屈指の銅・金鉱山のオユー・トルゴイ鉱山が昨年末に操業を始めたり、65億トンの埋蔵量を有するタバントルゴイ炭田(コークス炭田)の開発が検討されているなど鉱山を中心に経済が急速に発展しています。経済成長率は、一昨年は17%、昨年は12%の増でした。国家予算も今年は一昨年の倍です。一人当たりGDPも4000ドルになり、2016年には1万ドルを越えるという国際機関の予測もあります。しかし、昨年の5月に外国投資規制法が採択されて以降、急速な資源ナショナリズムが台頭し、外国投資の撤退、停止が相次ぎ、本年は投資が40%減という深刻な状況にあります。きっかけはChalcoという中国の国営企業が、ある戦略鉱床炭田の過半の支配権を握ったことでした。しかし、投資を締め付けた結果として、中国以外の外国投資も大幅に減ったわけです。今年の経済は相当の落ち込みが予想されます。皮肉にも中国以外の第三国諸国からの投資が大幅に減少し、モンゴル経済は、更なる中国経済への依存度を高めることになります。こうした紆余曲折を経ながらも、中期的にはモンゴルは世界でも有数の資源大国に成長すると考えています。

日本は1990年のモンゴルの民主化以来、モンゴルの最大ドナー国としてこの国の発展を支えてきました。そのことをモンゴル人は忘れてはいません。 東日本大震災の時には何十万人という国民から300万ドルの寄付をいただきました。280万人の人口ですから一人当たり1ドル以上の義援金をいただいたことになります。日本のODAは鉄道、発電所、通信、食料、医療等あらゆる分野に及んでいます。しかし、私が最も誇りに思っているのは日本の教育分野の支援です。 日本が建設した55校の学校で6万人の子供が学んでいます。加えて、草の根無償で実施した地方の学校の修復は200件を超えます。モンゴルの首都では人口増加に学校建設がついて行けず、未だに二部制が当たり前です。 ですから、日本の支援は高く評価されています。

私は、1977年に初めてモンゴル勤務をして以来今回が4回目のモンゴル勤務です。1989年の第2回目の時に、夢見ていたことがようやく具体化しつつあることをうれしく思っています。それは、日本の留学組の中から、この国を背負う人材が出てほしいという夢でした。最後のモンゴル勤務をすることになった今回、昨年の新政権発足で、2人の大臣が誕生しました。その内の1人は、教育大臣です。

また、次官は2人、副大臣も1人でました。モンゴルの最高学府のモンゴル国立大学の学長代行も日本留学組です。今、大学の学長選挙が行われていますが、この他に、健康医科大学、農牧業大学の学長に日本留学組が立候補しています。また、経済分野でもトップ10の企業の中に2人も留学組がいます。このように、日本がモンゴル国の人材育成を通じて、この国の発展に大きな貢献をしていることを知ってもらえれば幸甚です。 モンゴルは7月末から8月初めは、少し郊外に出ると高山植物の宝庫です。 読者の皆さん、是非モンゴルにお越しください。
(2013年4月10日寄稿)






温暖化を食い止める世界制度とは何か? 2013-3-7

   『 温暖化を食い止める世界制度とは何か?』

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            元地球環境問題担当大使  西村 六善

2006年、温暖化問題をめぐる国際交渉で格闘していたある日、突然知らない或る方の訪問を受けた。現在日本機械工業連合会の副会長をしている安本皓信氏だった。同氏は藪から棒に「温暖化の防止には所有権の設定と市場ですよ」と云った。その時は何を論じているのか分からなかったが、これが我々の全球炭素市場提案の始まりだった。経産省OBの同氏の議論は「環境に財産権がついていれば環境の悪化は防止できる」と云うものであった。環境財に所有権を付し、それを市場で売却し、対価を払わなければ環境財を消費できないようにすると価格がコストになって自ずと環境破壊は減少するという訳だ。

当時(そして今も)、この交渉が各国の利害対立で全く進捗しない現実を見て、京都議定書的な作業に内心大きな疑問を感じていた時だったので「これだ」と思った。時恰も、将来世代の為に世界の平均気温の上昇を産業革命以前より2℃以内に抑えようと云う議論が出始めた時であった。何とかしてそれを確実に実現する世界制度を作ろうと二人で研究が始まった。

2℃以内に収めようとすると全球で排出できるCO2の分量(炭素予算と呼ばれる)は科学的に決まる。炭素予算に政府間会議が所有権を設定し、それを排出権として世界中の排出企業に売り出す。 企業は化石燃料を燃焼する時には排出権を購入しなければならない制度にすると2℃は実現する。単純なハナシだ。CO2排出に市場価格がつくのでCO2を出さない技術への投資も合理的に惹起される。更に所有権を持っている政府間会議には新規収入が大量に入ってくるので市場弱者である途上国支援も可能になる。要するに2℃を達成し、同時に貧困国も助ける。世界が一体となって低炭素持続成長を実現できる…

我々はこの考えをあらゆる所に持ち回っている。ハーバード、ケンブリッジ、豪州国立大学等の教授陣と議論し、論文欄に掲載して貰い、ブロンバーグ、ロイター、FTなどに投書し、交渉官、学者、研究者、オピニオン・リーダー、政治家、メディア、NGOなどに呼びかけてきた。途上国の専門家とも論争している。大多数は正しい提案だと評価してくれるが、「今日、これだけの対立がある中でどうやって実現するのか」と疑問も呈されている…

…勿論、問題はそこだ。長年国際交渉を観察してきた日本の学者の一人はこれこそ最良の提案だと云ってくれる。しかし、事は簡単でない。92年の気候変動枠組条約以来、この問題は政府が責任を持って削減するものだと云う観念が根深く浸透している。実はこれが問題の根源だ。国の責任でなく市場で裁く等と云う提案が簡単に受け入れられる素地は今のところ無い。

元々国の責任制度は必然性があって生まれた。抑々、この問題が議論され始めた途端に途上国の先進国糾弾が始まった。「…これは先進国の歴史的で勝手気ままな工業化と生活水準の向上に起因する問題だ…途上国は被害者だ」と。 こうして気候変動問題は南北対立の最も先鋭的な戦場と化した。温暖化問題を解決するのは先進国政府の責任だ…これが政府責任論の始まりだった。そして京都では大議論の結果、この政府責任制度の下で1990年の水準より先進国全体で5%削減すると云うことになった。 

しかし、その後どうなったか? その後時は流れ、事態は一層深刻化し、今や5%どころの小さな話ではなくなった。 膨大なCO2量を何とかしなければならないと云う問題になった。 このまま古い仕組みで行くのか? 当時の制度設計者の意図は真実高邁であったが、政府責任と云う仕組みの問題点も明らかになった。周知のとおり政府と云う代物は困難な負担を引き受けない。どの国もそうだから大抵縮小均衡に向かう。しかもその過程で大喧嘩が起きる。「お前はもっとやれ…」と。当初の理念は兎も角、実際には国家対立と縮小均衡を生んできた。更に国家対立を避けようとして複雑な妥協が生まれ、仕掛けは矢鱈と複雑で重厚で非生産的になった。こんな状態で2℃等はとても実現出来ないだろう。

昨年末のドーハのCOP18では2015年まで新条約を交渉することになった。2020年以降の新しいレジームをどうするかと云う問題だ。問題の深刻さからすると、どう考えても1960年代に由来する南北対立を超克するべきだ。本来なら「最貧国救済の世界連帯」と云う新しい価値観で裁くべき問題だ。いつまでも先進国の過去を論難し、21世紀に至っても「19世紀以降の責任を取れ」等云う糾弾的で否定的な観念で行けば世界は共倒れになる。温度目標も達成できない。寧ろ発想を変えて市場で裁いた方が途上国自身にとって有利だ。

それに、政府が何時までも舞台の中央にいて企業のCO2削減を差配し、国庫から補助金を出し、規制立法をして行くのも非常におかしい。今日の世界では大抵のことは市場に任されている。政府は制度を作るが、あとは市場に任せて退場している。監視役に回っている。この21世紀の現代にCO2についてだけ政府による不経済な管理経済を続けるのか?これも政府責任制に起因する問題だ。

もっと根源的な問題がある。CO2を吐き出して温暖化を惹起しているのは企業とその製品を使って便益を得ている消費者だ。いずれも地球を汚して利益や効用を受益している。この彼らが痛みを覚えるようなコストを何ら払わないでいる。一方、政府責任制度の下で政府がコストを負担している。全く不合理だ。受益者がコストを負担するようになって初めて受益者は行動パターンを高炭素集約型から低炭素型へと転換する。世界中の経済学者が一致してこれが最強の低炭素化への政策だと論じている。

あれやこれやで、敢えて極端に簡略化すると地球環境の将来は政府責任制度を止揚できるかどうかにかかっている。それにしてもこの世界最大の環境問題を振り返って感ずることは方向転換の難しさだ。南北対立をその当時乗り越えられなかったのは仕方ない。誰がやってもあの怒涛のイデオロギーを押しとどめることは出来なかったであろう。しかし、今日、時代は変わった。たったの5%の話ではない。次元が丸っきり違うのだ。全く革新的なことをやらねばとても地球の良好な環境を守ることは出来ない…

そう云う議論をすると「温暖化が人為によると云う話は嘘だ」と云う反論が来る。本当でないから何もしなくても良いと云う議論なら世界を説得しきれないだろう。本当だが、やれることだけをやればよいと云うならこれまた世界を説得しきれないだろう。何故なら、努力はしたが、遂に5℃になってしまった…「100年後、200年後の人類よ、許してくれ」とは言えないだろう。仮に万一、本当でないにしても化石燃料からの脱却は人類社会の新しい文明を開くと云う決定的な価値がある。

方向転換をしないで、このまま政府の責任にして行けば結局、温暖化阻止の戦いに負けるだろう。世界中の政府が突然寛大になって率先して大幅に削減する等と云うことは起きないだろう。政府間会議は全球で排出限度を決め、受益者の責任に帰せしめる市場を作る。そして舞台から退場する。これが最も費用効果的にこの問題を解決し新文明を作る殆ど唯一の戦略だ。最低でも従来型ではダメだと云う点でコンセンサスが出来ればと思い、二人三脚で説得は続く。  (了) (2月28日寄稿)




日本柔道界、どうあるべきか 2013-2-14

   『 日本柔道界、どうあるべきか』

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            元駐デンマーク大使、柔道家  小川郷太郎


今般、やや遅まきながらも明るみに出た女子柔道日本代表チームの園田監督による暴力・パワハラ事件はそれ自体が根深い深刻な問題であるが、日本柔道界が抱える様々な問題の一部にすぎないことも忘れてはならない。この事件に間接的に影響を与えている他の問題も含めて全体的に考える必要がある。今回の事件を契機に日本柔道界の積年の状況に変化が生じ、大きな改革の機会となることを切に望みたい。

この問題を考える前に、認識すべき2つの重要な点に触れたい。まず柔道は、本来身体を鍛えると同時に強い精神や倫理感・徳育を身に着ける教育手段であって、危険で荒々しいスポーツとしてみる世間の一部に見られる否定的な姿勢は改められなければならない。柔道が最も盛んなフランスでは、武士道の精神に基づく相手への敬意、礼儀、勇気、謙虚など8つの項目が指導原理として多くの道場に掲げられている。柔道の創始者嘉納治五郎師範の教えにも通じるこうした柔道の価値を知って親たちが子供に柔道を学ばせることがこの国の柔道人口を世界最大級にさせている。第二に、200の国・地域が国際柔道連盟に加盟していることにみられるように、柔道はいまや真に普遍性を持っているが、それは世界中の人々が柔道の持つこの教育的価値を信奉しているからである。そうした柔道について、創始国である日本は率先垂範してその価値を高め、世界の中で柔道をどう経営するかの視点を持つべきである。

日本柔道界にはどんな問題があるのか。暴力事件の直接的な原因は二つあると思う。ひとつは、「金メダル至上主義」という病弊、もうひとつは体罰も含む厳しい指導こそが選手を強くするという指導者自身の体験に基づく古い信念である。園田監督を含め指導陣には選手自身も望んでいる金メダルへの執着が強くあって、悪意はないがそれを目指す熱意のあまり、選手に手を上げたり厳しい言葉を投げつけることになっていたと推測できる。「日本のお家芸」とされる柔道で金メダルをとるのは国民の願いでもあるが、あまりにそれに執着すると他の大事なことを忘れてしまう。多くのスポーツを見ても発祥地の国が常に強いわけではない。日本国民も一生懸命とったら柔道の銅メダルでも大いに感激する。金メダルをとることはあくまでも目指すが、指導陣は肩の力を抜いて「金メダル」の束縛から抜け出てはどうか。暴力はいけないことは普遍の原則だ。今の指導者が体罰も受けながら自ら発奮して強くなったとしても、それは今日の若い人には通じないし、国際社会では全く通用しない。精神主義も1つの要素として大事だが、科学的で合理的な強化方法も取り入れるべきである。日本のスポーツ界全体で体罰などを用いる指導者の認識を改める必要がある。

次に、日本柔道界の閉鎖性や古い体質が今回の事件に影響を与えていると思われる。今日の日本柔道界は柔道が強くて大きな実績を残した人が中心となって運営されていて、指導層は限られた範囲の大学出身者が多数を占めている。指導層における年功序列や男女格差も歴然とあるし、また、優秀な人材が充分に活用されていないようにも見える。こうした状態が柔道界全体の視野を狭くし、今回の事件のように、女子選手や若い選手たちの気持ちを掴めないことにも繋がってしまった可能性もある。

では、日本柔道界は今回の事件を契機にどういう方向に改革を進めていくべきだろうか。まず、嘉納師範が標榜した柔道の原点に返ることが重要だと思う。柔道は自己を磨き社会に貢献することを目指す教育的手段である。指導者自身が柔道の原点を常に念頭に置きながら指導を行うよう、改めて研修を重ねる必要がある。

次に、柔道界を開かれたものに変えていくことが不可欠である。様々の手段が考えられるが、まず柔道の運営体制の中に思い切った形で女性を組み込んでいくべきである。今や柔道は国際的に男子も女子も同等のレベルで実践されている。女子チームの監督に女性の指導者が付くのは自然であるし、上部組織の理事会を含め役員にも複数の女性登用が実現すれば様々な問題解決に女性の立場からの視点が得られ有益であろう。柔道界には今日多くの課題がある。中学での武道必修化が始まったが課題も多く、教育現場との連携も必要だ。公益財団法人としての財務を含めた適切な組織運営なども重要だ。国際柔道連盟(IJF)が主導するルール作りや試合運営の在り方には問題も含まれており、日本が広い視野で柔道の国際的経営にも注力し主導性を発揮することが不可欠である。そのためにも日本柔道界首脳部などによる内外への発信力強化も重要だが、現在英語のホームページすら整備されていない。

今の全柔連の体制や陣容でこれらの課題に対応するのは到底不可能であるように見える。複雑な内外の課題に対処しうる体制や財政基盤を作ることが急務であるが、柔道の強かった者中心の運営では限界がある。柔道界内外の人を幅広く活用することこそ日本柔道界の視野を広げ、複雑な内外の課題に適切に対応するうえで必須でもある。

どの世界にも複雑な要素があり、変革は容易ではない。日本柔道界の課題解決にも相当の年月はかかろうが、大事なことは新しい発想をもって第一歩を踏み出すことだ。そして、新しい発想を持って実践するためには、責任者の一部交代も含め人心を一新してオールジャパンで臨まなければならない。
                     (2013年2月8日記)




スー・チー女史と議会政治:アウン・サンの悲願達成に向けて2012-9-10

『スー・チー女史と議会政治:アウン・サンの悲願達成に向けて』



           元在ミャンマー大使館参事官  熊田 徹

2221328.jpgミャンマー シュエダゴン・パヤー
1988年のクーデター以来24年、昨年1月に発足したミャンマーの新議会は、今年4月の補欠選挙で圧勝したスー・チー女史以下42名のNLD議員を迎えて、新たな局面に入った。半世紀にわたったミャンマーの軍事政権に対して24年間、国際社会の支援を受けながら、いわば「外から」体制批判を続けてきた同女史達が、今度は体制側とともに議会という「同じ土俵」で、国政への参加を始めた。この新たな展開にミャンマー国民と国際社会の期待が向けられている。

議員就任宣誓式での躓き
4月23日の登院の直前、スー・チー女史と新議員達は憲法で定められた議員宣誓文の修正を求めて宣誓を拒んだ。この予想外の行動に同国政府国民はもちろん、国際社会も大いに気をもんだ。議会はすでに政治改革・経済開放推進のための法案を数千本も抱えていた。
報道によれば、宣誓文にある「憲法を順守」との文言を「憲法を尊重し」に変えなければ宣誓できないというのが拒否の理由だった。憲法に基づいて選ばれた議員が憲法規定を拒むのは明らかに矛盾である。 だが、現行憲法の非民主性を批判し、その改正を主張してきた立場からすれば、この宣誓が憲法改正を封じるものと解されたのかもしれない。しかし、改正には議員総数の4分の1を占める軍人票を含む75%の賛成を要し、重要事項はさらにその後の国民投票で過半数の賛成が必要だから容易ではないとしても、改正そのものは可能だから、理由はそれだけではなかったようである。

日本のほとんどの新聞は報道しなかったが、もう一つ問題があった。宣誓文は憲法遵守の文言に続けて、「ミャンマー連邦国家とその市民たる地位に忠誠を尽くし、連邦国家の分裂排除(non-disintegration of the Union)と国民的連帯の分裂排除・・のため常に献身する」と記している。過去24年間政権批判を続けてき、つい最近まで現政権を「圧政的軍事政権」と同一視してきた野党の立場からすれば、この「分裂排除」とのもって回った用語法が反対党弾圧の口実とみなされても、不思議ではない。いずれにせよ、種々やり取りの後5月2日にようやく宣誓が行われて一件落着した。

実は、この「国家の分裂排除」という特異な表現で示されている概念は現行憲法の中心命題であり、前文でも本文でも強調されている。そして、その達成こそが現政治体制の「正統性」の根拠となっている。それは植民地制の遺産ともいうべき「複合社会」ゆえの、ビルマ族と少数民族との間の不和抗争の歴史を反映したもので、第二次大戦中には日本が「ビルマ族」の独立を約束したのに対し連合国側は少数民族を味方につけ、国内が二分された。東西冷戦期にはこの分裂が「体制と反体制」間のイデオロギー的対立構造として引き継がれて、ミャンマーは東西双方からの公然、非公然の介入工作を受け、その際の心理工作や秘密性が史実の解釈や正統性判断をめぐる混乱をもたらした。体制側と反体制側との間のこの種の混乱は、現行憲法前文も触れているように、ミャンマー現代史上大小何度も生じて秩序の混乱や危機を助長し、あるいは改革の機会を妨げてきた。

たとえば、1962年のクーデターは、当時のミャンマー国軍の認識では、シャン族反乱分子の独立運動が当時のヴェトナム・ラオス問題と連動し、厳正中立国ミャンマーの「国家が分裂する危険」を「排除」するためだった。ニューヨーク・タイムズ紙は、ミャンマー国民も米国の世論と政府もこの無血クーデターを、中立を維持し、連邦の崩壊を防ぐだけでなく、麻のごとく乱れていた議会政治を封じ国家秩序を回複したとして歓迎している、と好意的に報道した。その2年後米国政府は、クーデターの指導者ネー・ウィンを国家元首として初めて公式に招待した。ところが、その後、一部のミャンマー現代史家達が全く異なる解釈を広めたため、世間はいつの間にかこのクーデターを権力欲に駆られた軍部の暴挙とみなすようになった。

1988年9月18日のクーデターについても、米国政府内部では軍事政権に対する人道的制裁の是非をめぐって、ミャンマーの歴史や人権遵守問題に関する見方が混乱したための政策的対立があったし、研究者の間でも類似の食い違いや混乱が見受けられる。一方、ミャンマー国内の体制側と反体制側の双方ともが、一党独裁制から複数政党制への切り替え意思という方向性においては一致していたことも事実である。しかし、いくつかの致命的な誤解や食い違いが重なって双方が対決し、軍の発砲で多くの血が流された。

このクーデター事件に関して忘れてならないのは、9月12日にスー・チー女史が学生達の主張する「外国からの援助や武装闘争」には断固反対との声明を出したことで、この彼女の非暴力主義が、ミャンマーが現在のシリアのような悲惨な内戦状態に陥るのを防いだのだといえる。

24年ぶりのスー・チー女史外遊
 スー・チー女史は、議員就任後まもなく、5月末から6日間のタイへの旅行と6月13日から17日間の欧州歴訪に出かけ、国際社会は24年ぶりとなる彼女のこの国外旅行を祝福し、その一部始終が報道された。同女史がこの外遊から大きな収穫を得たことは、同女史発言のはしはしからうかがえる。ヤンゴンからバンコクへの機上から初めて目にして衝撃を受けたと語った、両首都の夜景での灯りの輝きの違いや、国境地帯難民キャンプとミャンマー人出稼ぎ労働者達の生活ぶりの視察などを通じて、タイとの間の大きな経済格差を具体的に認識したことは、そのひとつといえよう。

6月1日にバンコクで開かれた世界経済フォーラム(WEF)東アジア会合に招かれた同女史は、その演説の中で、司法制度の改善不備などを挙げて改革の方向に不満の意を示した。また、経済特区の開発計画が国民の知らぬところで進められているのは国民和解の妨げになるなどと、手厳しい政権批判を行って、居並ぶ各国経済人達にミャンマーの経済開放についての安易な楽観主義を戒めた。だが一方、6日ヤンゴン空港での記者会見では、「政治、経済、社会のすべての面でタイと並ばなければ難民の帰国は実現しない」とも述べている。
欧州歴訪の皮切りとなった6月14日のILOでの演説では、「民主化を促す経済成長」への支援や「失業救済のための投資」を求めるなど、それまでの国際制裁一点張りともいえる硬直した立場から、開発重視の判断に切り替わっている。翌々日のオスロでのノーベル賞受賞演説では、「民族間和解」の必要を訴えて「国民(ネイション)としての精神」にも触れ、「ミャンマーでの平和の概念は、調和と全体性とを妨げる諸要因からの脱却にある」と説いた。この理念的表現は、あの議員誓約文の論理としっかり重なっている。軍人達の長い苦衷の時代からの脱却決意と、別の立場から将来に向けて抱き続けてきた希望とが融合したこの言葉が、平和賞受賞の21年後に発せられたことは、きわめて意義深い。

 一方で、今後に向けて気にかかることも多い。欧州歴訪の予定は事前に公表されていたが、タイへの旅行は政府との事前打ち合わせなしに女史周辺が独自に決めた日程を、タイ側が急な連絡であったにもかかわらず、何とか取りまとめたものらしく、ミャンマー、タイ両政府はだいぶ戸惑った様子が報道された。当初の予定ではWEF会合にはテイン・セイン大統領も出席し、その際タイ首相との間で経済特区協力協定に署名する予定だったが、急遽取りやめになった。
このことは、昨年8月のテイン・セイン大統領とスー・チー女史との「和解」後も、まだまだ両者間の意思疎通や調整のためのチャネルが整っていないことを示している。昔からミャンマー政治の特徴の一つは「パーソナリティー・ポリティックス」にあるとされ、今後のミャンマー政治の行方もひとえにこの二人の良好な信頼・協調関係如何にかかっていると見られているだけに、くれぐれも注意すべき点である。
与等と野党の関係にあるとはいえ、それぞれの周辺がよほど気を配って改善しないと、せっかく民主化改革への決意で結ばれた二人の間の「同志的信頼関係」が強化されるどころか、足の引っ張りあいで悪化する危険さえあるように思えてならない。

アウン・サンの悲願
スー・チー女史の父君で、ミャンマー国民から今でも建国の父と仰がれている故アウン・サンは、憲法制定会議を2週間後に控えていた1947年5月末、独立ビルマの国家像について演説し、ビルマ的民主主義、国家の統一と少数民族問題などに触れ、切々と国民の理解と努力を訴えた。暗殺される2ヶ月前だった。
彼は、当時の「経済的真実」からすれば、「資本家の民主主義」とは異なる「我々の民主主義」が求められるが、政治も経済も状況と共に変化するゆえ、それは「真の民主主義」の追求ということでもあると説明した。そして、少数民族問題の解決などを含め新しい主権国家への移行のための課題を8つ挙げた最後の項目として司法制度の改革に触れ、これらを満たさねば「真の民主主義」は達成できないと説いた。植民地時代の法制は三権分立でないだけでなく、親族関係に関するビルマ伝統法を別として、インド統治法制を機械的に移稙したものだった。とくに司法制度はミャンマーの伝統的社会秩序を完膚なきまで崩壊せしめた最大原因のひとつだった。

今年6月にスー・チー女史が、WEFバンコク会合で、「司法制度の改善不備」として現状批判を行ったのは、このアウン・サンの遺訓を踏まえてのことなのかもしれない。独立獲得以来今日までのミャンマーの政治体制にはその余裕がなかったのだろうが、やっと新議会でこのような法制不備の改善や「真の民主主義」に向けての努力を開始し得るようになった。

アウン・サンが演説の4分の1を費やした少数民族問題は、植民地時代からの分離政策による平野部「行政地区」の「ビルマ族」と(行政外の)山岳辺境部「後進地区」の多数の「非ビルマ少数民族」との間の敵対意識や「文明度格差」が、その後の外部介入で武力抗争化されたものであった。現行憲法はこれを「国民的連帯の分裂」と表現している。
大小20をこえる武装反乱組織との「内戦」が70年以上も続いたが、大方はすでに和解が進んで議会に代表を送っている。まだ解決していないのは、中国との国境地帯の麻薬がらみのカチン族とシャン州の複数の小支族、英国との特殊関係に固執して今日にいたったカレン族キリスト教徒、西部国境地域ラカイン州のモスレム(かつて分離独立運動を行っていた旧ムジャヒッヅを含む)などである。国軍は、これら武装組織との停戦合意とその国軍編入(国境警備隊など)を目指している。

いまだに中央政府への不信感を解いていないこれらの武装組織が調停役として日本の関与を求めたのに対し、今年6月、日本政府は笹川陽平氏を「少数民族大使」に委嘱してこれに応えた。1988年以降もずっと少数民族地域で業務を続けてきた国際協力機構(JICA)の地道な協力や、これから本格化するアジア開発銀行、世界銀行、「日本・メコン地域協力」などのプロジェクトによる道路その他の社会インフラ開発が、「文明度格差」是正を通じて、この調停プロセスを側面から支えることも大いに期待される。

昨年9月、当時の米国対ミャンマー特別代表兼政策調整官だったD.ミッチェル現駐ミャンマー大使は、テイン・セイン大統領と同大使が「民主主義、人権、開発、和解の4目標」を共有している旨を強調し、その際同大使は「制裁派の誤り」についても触れた。このことは、過去20数年間ミャンマーを国際社会から孤立させてきた制裁政策の是非、つまり事実解釈や正統性判断をめぐって米国内に長年存在してきた政策対立の問題がようやく解消しつつあることを意味する。わが国はもちろんだが、国際社会の大勢もやっとこの「4目標共有路線」に沿って動き始めている。そして、長年続いた国際マスコミからの圧力を警戒して対策が遅れていた、ミャンマー政府のマスコミ自由化も最近ようやく着手された。マスコミの健全化は、国民間の和解促進と新議会の効率的運営をより確かなものとするだろう。

現政権とスー・チー女史とが共有する、「調和と全体性とを妨げる諸要因からの脱却」への希望の実現、すなわちアウン・サンの悲願だった「真の民主主義」に向けての歩みは、ようやくその緒についたようである。
                       (2012年9月10日寄稿)



『欧州債務危機と欧州統合の現状』 2012-7-26

『欧州債務危機と欧州統合の現状』


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   元駐スロバキア大使  副島豊次郎

欧州の債務危機・ユーロ危機は3年たっても収まるところを知らず、危機の深刻さを思えば、そもそもの欧州統合というものについても改めて少し考えをめぐらさざるをえない。 長年、欧州情勢を見守ってきた者として、現時点での感想を以下に述べてみたい。

1. 危機の現状
そもそも現在のユーロ/債務危機は3年前の2009年、ギリシャの新政権がユーロ圏加盟に必要な経済収斂条件、特に財政赤字のGDP3%以内という条件を誤魔化していたと暴露してから表面化し、それ以来、何回ものEU・ユーロ圏首脳会議が開かれては救済策が次々と打ち出されてきたものの一向に事態の改善には至らず、その間に同じく債務問題を抱えるに至ったポルトガル、アイルランドにも救済が行われる一方、危機は昨年夏イタリア、スペインにも飛び火した。

それでも危機は今年3月のサミットのあと小康状態を保っていたが、5月のギリシャ総選挙における反緊縮陣営の躍進と、同月のフランス大統領選挙で緊縮財政より成長をと唱えたオランド社会党党首が勝利して以降、再び緊張状態に戻った観がある。6月のギリシャ再選挙では緊縮財政派が僅差で何とか勝利しサマラス連立政権が成立したものの、同政権は選挙で反緊縮派が数パーセントの僅差に迫った事実に鑑み、EU側との以前の金融支援合意を緩和してもらうべく再交渉するとの方針を表明している。さらに、スペインでは国債の利回りが7%前後の危険水準まで上昇して資金調達が事実上困難になる一方、同国の銀行も不動産バブルの崩壊により資金調達が困難な状態に陥っている。このような状況下、6月28日/29日ユーロ圏・EUサミットが開かれ、駐日欧州連合代表部ホームページ掲載のユーロ圏首脳会議声明によれば、ユーロ圏サミットでは、①圏内の各銀行を単一に監督するメカニズムを今年中に設置するよう検討すること、②同メカニズムにはECB(欧州中央銀行)を関与させ、メカニズムが設立されたあと、ESM(欧州安定メカニズム)がユーロ圏内の銀行に対し当該国政府を経由せず直接資本注入できることを可能にすること、③スペインの銀行へ金融支援を行うため早期にMOUが締結されるよう求めること、④ユーロ圏の金融安定を確保するため、EFSF(欧州金融安定ファシリティ)及びESMを柔軟かつ効率的に活用する等が合意された。また、EUサミットでは、1200億ユーロに上る成長・雇用戦略を導入することで合意した。

これら各国への救済策を資金的に最も負担しているのはドイツである。そのドイツでは自分たち納税者の税金が身の丈以上の生活をして借金を重ねてきた(と思われている)ギリシャ等南欧諸国への救済に移転されるのは承服できないと多くの有権者が考えている。かかる国内ムードを背景にしたメルケル首相は累次首脳会議では、南欧諸国の債務を共同で背負うことになる「ユーロ共同債」には一貫して反対し、南欧諸国は先ず緊縮策により財政の無駄を排除し、財政の建直しに尽力すべきとの態度をとった。 

結果として、ユーロ圏はいわば小出しの対応で何とか事態を乗り切ろうと努めてきたことになる。そういうこともあり、事態は一向に改善せず、ユーロの対円、対ドル相場もズルズルと低下し、この状態が続けばギリシャほか南欧諸国の債務不履行及びユーロ圏からの離脱もあり得ると危惧されるに至った。このような状況下で開かれた首脳会議の上記結果について内外各紙は、ESMによるユーロ圏内銀行への直接金融に、ドイツほか欧州北部諸国もついに同意したのであり、これは予想外の成果であると報じ、そのような内外各紙の評価を受けて確かにスペインやイタリアの国債利回りは一旦低下し、ユーロの対円相場やそれを受けて日経平均株価も一時的に持ち直した。

6月30日の日経紙は、成果の背景として、ドイツのメルケル首相が首脳会議においてイタリアのモンティ首相、スペインのラホイ首相、更にはフランスのオランド新大統領らの攻勢を受け、ついに銀行への直接支援との要求に対し、銀行監督体制の構築という見返りと引き換えに妥協に応じるに至ったと報じたが、7月11日FAZ/フランクフルターアルゲマイネ紙によれば、背景はもっと複雑でありむしろ各国関係者の思惑と行き違いにより結果としてメルケルの譲歩と言う形で報道されてしまったようでもあり、真相は不明である。確かに、これまでの政府を通じた支援では政府の債務が拡大してしまうので、これを避けてESMが疲弊銀行へ直接資本注入することになれば、その疲弊銀行の種々の債務をESMを通じてユーロ各国納税者が共同して負担する、すなわち一種の「銀行同盟」という形となり、ひいては「ユーロ共同債」の創設、つまりユーロ各国がすべての債務を共同で負担することにつながり(うる)道であると考えられることから、ESMによる銀行への直接融資は大いに意味があるし、だからこそ反対論があることも頷ける。

(「銀行同盟」の考え方については、6月30日付ロンドン・エコノミスト誌が、ヴァン・ロンプイ 欧州理事会常任議長の提案であるが、大いに問題のある考え方であると論評。)上記首脳会議決定を実施に移すため、7月10日ユーロ圏財務相会議が開かれたが、会議声明文によれば、スペイン銀行に対する金融支援の第一弾支援について政治的了解に達し、支援計画の最終承認は各国の国内承認が7月20日までに終了することを想定すると合意されたものの、ESMによる銀行への直接資本注入については、銀行監督の一元化実現が前提であるとドイツ等欧州北部諸国が主張して具体的な議論は持ち越された由である。

2. ドイツにおける賛否両論
そのドイツにおいては、6月28日/29日の上記首脳会議決定に対し、172人の経済専門家がメルケル政権に対し譲歩し過ぎであるとの批判文を公に発表し、7月5日/6日付けFAZ紙によればヴァイトマン・ドイツ連邦銀行総裁も右批判の一部に間接的に同調している由である。
さらに上記経済学者の批判に加えて、ESM(及び今年3月の首脳会議で署名された財政協定)そのものの合憲性に反対して、連邦憲法裁判所に対し提訴が行われている。提訴を行った人々は、連立与党の一部であるCSU(キリスト教社会同盟)のガウヴァイラー議員ら保守グループとこれを支持する憲法学者連及び中道左派のSPD(社会民主党)から分派した左派党などである。つまり、国内政治勢力の左右両派が与野党の枠を超えて一緒になってメルケル政権の対ユーロ支援政策に反対する構図となっている。このため現地報道によれば、憲法裁判所は極めて難しい判断に迫られており、7月10日、フォスクーレ裁判所長官が会見で、慎重な審議と相応の時間が必要であると述べ、このため従来7月中に判断が示されると思われていたものが数ヵ月後になる可能性もあると見られている由である。

このため、ESM設立条約自体は連邦議会及び連邦参議院で既に6月29日可決承認された(メルケル首相の属するCDU/CSUから16人、連立与党のFDPからも10人が反対)ものの、大統領による批准はまだ行われていない。ユーロ圏としてはESMを元々2013年に設立する(それまで現行の臨時的措置であるEFSFを続ける)との合意であったが、事態の切迫を受け今年7月1日に前倒しして発足させることとなったものであるが、最大の拠出国であるドイツの批准が遅れて7月13日現在いまだ発足していない状態である。

3. ヨーロッパ統合の現段階
このようなユーロ問題、欧州債務問題の現状をみれば、1999年共通通貨ユーロ発足時に政治的考慮から問題点を無視したこと、更には欧州統合そのものについて、やはり考えを致さざるをえない。確かに、戦後の欧州統合は紆余曲折はあったものの、何と言っても今日のレベルにまで進展してきている。2004年には筆者が在勤していたスロバキアなど10ヶ国がまとめてEU加盟を認められ、戦後欧州の東西分断を最終的に克服して25カ国の大所帯に膨らみ、その後2カ国が加盟して27カ国になり、更に数カ国が加盟希望を表明している。

ただ、思うに、2000年台前半の欧州統合推進ユーフォリズムは2005年の欧州憲法条約の否決により、萎んだということではなかったのかという点である。フランス及びオランダでの国民投票により憲法条約が葬られた背景には種々の要因があったが、根本的には両国を含む欧州各国の国民の意識が、統合を進めてきた欧州各国の統合推進派政治家やブリュッセルの共同体官僚達の思うようには付いてこなかったとみるべきではなかろうか。

確かに、憲法条約の主要な部分は、2007年改正条約という形で引き継がれ、2009年にはリスボン条約として発効して現在に至っている。その条約の成立に指導力を発揮したのは、フランスのサルコジ大統領の賛同を得た、ほかでもないドイツのメルケル首相であった。しかし、同首相としては、条約によって欧州統合を更に進めようとしたわけではなく、従前のニース条約(2003年発効)では15カ国から一挙に25カ国に膨れあがったEUを円滑に運営するには困難があるし、何よりもドイツが1990年の再統一によってEU最大の人口を有する加盟国になったにも拘らずEU理事会の持票増加がフランス等の反対によって認められなかったものが改正条約により実現できるようになった点に最大の理由があったのではなかろうか。

そうだとすれば、現在の欧州ユーロ/債務危機において、メルケル政権が一貫して更なる欧州統合の推進を意味する「ユーロ共同債」構想に反対し続けてきた(何とか現状程度の欧州統合の枠内で問題を短期的ではなく中長期的に解決しようと考えた)のも頷けよう。ただし今回の首脳会議において、統合進展の一歩になりうるESMによる各国銀行への直接支援に条件付きとはいえ同意したことをどう解釈すべきか。メルケル政権の重鎮、ショイブレ蔵相は172人の経済専門家に対し、ドイツは決してユーロ圏の債務を共同で担う方向に転換した訳でないと反論した由であるが(7月6日付FAZ紙)、さしものメルケル首相もやはり緊縮重視の対応策では危機の克服が実現し難いと最終的に悟り、ついに方針転換に踏切ったのかどうか。

いずれにせよ、欧州統合の現段階はこのようなものであり、EUは引続き27の主権国家が運営する一種の機構ないし統合体であって、当たり前のことであるがEUという一つの連邦国家になっているわけではなく、従って、「EU大統領」などというものも存在しない。にも拘らずヴァン・ロンプイ「欧州理事会常任議長」のことを本邦の日経ほか各紙、NHKほか全テレビ局が(我が外務省や駐日欧州連合代表部はもちろんのこと、欧米各紙も正確に表記しているにも拘らず)「EU大統領」とあたかもEUが「大統領」を有するひとつの連邦国家であるかのごとく報じているのは、一般の読者に誤解を与えかねず困ったものである。
(2012年7月13日寄稿)

『プーチン新政権の行方』 2012-5-31

『プーチン新政権の行方』


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  元在ロシア大使館公使 河東哲夫

プーチン「新」大統領は5月7日、不測の事態を恐れて人払いされ、無人になったモスクワの通りを車列で突っ切ると、中世さながらクレムリンの鐘が鳴り響く中、金で輝くゲオルギー大広間で就任式を行った。そして直ちにメドベジェフ前大統領を首相に指名したのはいいのだが、それから約2週間、鳴かず飛ばずとなってしまった。石油依存のロシア経済を改革し、12月の反政府集会で示された市民の閉塞感を吹っ切るためには、就任早々、政権の新陣容を示し、仕事にとりかからなくてはならなかったのだが。

舞台回しのいない新政権

 20日、やっとのことで明らかにされた内閣の顔ぶれを見ると、約75%は「新顔」である。だが、多くの者は同じ省で次官から繰り上がったか、大統領府から内閣への横滑りであり、まったくの新顔は僅か3名である。21日明らかになった大統領府人事も似たりよったりで、閣僚が横滑りした例が多い。何と言ってもプーチン・メドベジェフ二人三脚政権が続いているのだから、顔ぶれに変化がないのも仕方ないが、問題はキリエンコ原子力公社総裁(元首相で改革派)、大実業家のプロホロフ(3月4日大統領選では3位)を入閣させて新風を演出しようとしたのが、両名に断られ、それが組閣難航の原因になったという報道があることだ。

 これだけではまだ十分の判断材料ではないが、東京から見ていると、KGB出身者が要所を固めて舞台回しを務めたプーチン大統領第1期、第2期と比べて、今回はその舞台回しの役割を担う者がまだ固まっていないのではないかと感じられる。本来ならば、イヴァノフ大統領府長官、ヴォロージン大統領府第一副長官が国内の舞台回しをするところなのだが。そして経済政策においても、強力な核が見当たらない。このままでは、内部の調整者不在のままに、プーチン大統領やメドベジェフ首相が前面に出過ぎ、その一言一句に下僚やマスコミが振り回されることになりかねない。

大統領は裸だ

 モスクワでは、反プーチンの集会(と言っても、正式の集会ではなく、ピクニックを装ったテント村など。そして改革派だけではなく、右翼青年や共産党員まで種々の勢力が参加している)が続いており、警官隊も手を下すでもなく見守っているだけだ。そして問題は、プーチンのカリスマがこの「ピクニック」参加者の間だけではなく、社会全体で次第に剥げ落ちてきたと見られることだろう。中立系世論調査機関レヴァダの調査によると、プーチンに個人的魅力を感ずる者は7%、知的・教育水準が高いと思う者は18%、強くて勇気があると思う者は18%、彼が職権乱用で私腹を肥やしていないと思う者は11%に「上っている」。プーチン大統領はこれまで、筋骨隆々の上半身をテレビ・カメラにさらすことで、女性票を取ろうとしてきたが、今回は多くの者が「大統領は裸だ」ということに気が付き始めたのかもしれない。

 プーチン大統領第2期(2004~08年)の経済急成長を支えた原油価格の高騰も、EU、中国の経済下降、シェール・オイルの急増等で曲がり角を迎えている。原油価格は5月初めからだけでも7%強下がったが、こうした状況が続くとプーチンは、「軍人の給料を2倍にする」等の公約を守れない羽目に陥るだろう。


当面、「ユーラシア」重視の外交路線

 就任早々のプーチン大統領が、組閣での多忙を理由にG8首脳会議への出席をボイコットしたことは、彼の当面の外交路線を示す。大統領選挙運動中の発言からもうかがえるように、彼は別に反米ではない。経済近代化のためには米国の支援も必要とする。アフガニスタンの安定はロシアの南翼の安定にとっても重要なので、レーニンの故地、ヴォルガ川のほとりのウリヤノフスク空港を空輸のためのハブとして提供してでも、米軍、NATO軍のアフガン作戦・撤退作戦を助けようともしている。だがプーチンは、米国がロシアの内政に干渉したり、ロシアを侮ったりすることには断固として抵抗するのだ。それに、11月の大統領選挙までは、米国との関係は進めにくいだろう。そしてユーロ危機の欧州も、当面対ロ外交どころではない。

 こうして欧米方面は当面手詰まりなのだが、さりとて華やかな外交舞台も他に見つかりはしない、というのが今のロシアの状況だろう。今年1月にはロシア・ベラルーシ・カザフスタン三国が、関税同盟を人・資金の移動にも広げた「単一経済空間」を発足させたが、プーチン新大統領はそのベラルーシを最初の外遊先に選んだ。これからウクライナをもこれに加えて、2015年までには「ユーラシア連合」を作り上げたい、エリツィンが葬ったソ連を経済面だけでも復活させたい――これがプーチン新政権の外交重点事項だ。

世界の中で最も経験と能力のある大統領になれるはずだったプーチンは、こうして当面は乱気流の中を飛ぶことになるだろう。失速する恐れもないわけではない。難しい立場にあるし、9月初旬のAPEC首脳会議(ウラジオストックで開催)は成功させたいので(オバマ大統領は大統領選に忙しいので来られない)、日本にも微笑を見せるだろうが、北方領土問題解決を真剣に進めるどころではあるまい。そんなことをすれば、反対勢力から足をすくわれてしまう。 (2012年5月28日寄稿)


『在沖米海兵隊基地の日米共同用』 2012-2-23

『在沖米海兵隊基地の日米共同使用』


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元沖縄担当大使 橋本宏

今般明らかにされた2006年のロードマップの見直しとパッケージの切り離しを巡って、政府に是非とも理解して貰いたいことがある。それは、好意的に見たとしても、多くの国民がこれを「米国の都合に日本が乗った」結果と受け取っていることである。政府としては、これに反論することに時間を使うのではなく、これからの日本の進むべき道について、即ちグローバル規模における米軍編成の見直しが行われる中で、自衛隊がどのような役割を担っていくべきかについて、具体的方向性を出していくことに精力を注いで貰いたい。さもなければ、「アメリカの言いなり」ではないかとして、国民の政府不信は深まるだけであろう。

パッケージ方式は、確かに、基地負担軽減と普天間飛行場の辺野古移設の二つを結びつけることで沖縄県民に「圧力」を与える効果があった。沖縄県民はこれを嫌った。他方、パッケージの切り離しが明らかになった途端に普天間飛行場の「固定化」懸念が持ち上がった。これは、基地負担軽減が個々の基地と周辺住民との問題に変質し、普天間飛行場返還問題が全体として次第に風化して行ってしまうことへの懸念である。政府は普天間の固定化は許さないと強調しているが、パッケージの切り離しで、普天間問題が進展する見込みはない。
先日の衆議院予算委員会の集中審議以降自民党が展開している自衛隊の役割強化の議論は傾聴に値する。政府としては、こうした議論の方向性の中で普天間飛行場の問題を捉えることが重要と考える。

即ち、政府としては、今回の米軍再編成問題の中で、自衛隊が米軍の抑止力の一翼を担う在沖米海兵隊の役割をどこまで担うことが出来るかについてよく議論し、その為の整備計画を今後進めていくとの方向性を打ち出すべきである。その上で在沖米海兵隊基地を順次自衛隊との共同使用に持って行き、自衛隊の実力向上に応じて、自衛隊専用の基地へと転換していくべきである。こうしたことを実現するには極めて大きな政治力と長期間にわたる種々の努力が必要になるが、これは努力に値するものと考える。

政府は、普天間飛行場の「固定化の回避」というアプローチではなく、代替施設の建設を前提とする普天間飛行場の「返還」を明確にすべきである。かつて稲嶺知事は普天間代替施設に15年の使用制限を突きつけた。これは現実的な案ではなかったが、基地の固定化に反対する県民感情を踏まえ、新たな恒久的米軍基地の建設を求めるものではないとする主張であり、ここから学ぶべき教訓は大きい。政府としては、普天間代替施設は米海兵隊と自衛隊の共同使用を前提とし、将来的には自衛隊専用の基地にしていくことを明確にすべきである。

政府にとっての喫緊の課題は、沖縄県民の持つ政府不信の念を直視するとともに、米軍再編成の下での日本安全保障政策の在り方、その中での沖縄の占める役割について基本方針をまとめ、県民及び日本国民すべてに対して率直に理解を求めていくべきである。
良しにつけ、悪しきにつけ、2006年のロードマップは老朽化してしまった。普天間飛行場問題解決のための奇策はない。正面からぶつかるしかない。野田総理大臣にはこうした気構えを示して頂きたい。
(2012年2月20寄稿)


『アラブの春」とイラク情勢』2011-11-10

『アラブの春」とイラク情勢』


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       前駐イラク大使 小川 正二

イラクの現状と将来」2011-4-11 論壇も合わせてお読みください。(霞関会編集部)

1. 「アラブの春」の歴史的意味
  昨年末にチュニジアにおいて政府への抗議行動により始まった中東における民主化要求運動、所謂「アラブの春」はその後エジプト、リビア、シリア、イエーメン、バハレーン、ヨルダン等の諸国へと次々に広まっていったが、今回の政治的な運動は従来の中東には見られなかった歴史的な意味を持つものと言えよう。中東諸国の伝統的統治形態、即ち独裁体制(個人的独裁か王制による独裁)かイスラム宗教支配かという2つの選択肢しかなかった政治体制に初めて非宗教的な民主体制への明確な要求が具体的な政治運動として中東の政治舞台に現れてきたわけである。

  この動きの歴史的な意味については現時点で明確な判断を下すことは尚早かも知れず、また専門家の間でも意見が分かれているが、筆者は中東の政治形態、地域情勢に大きな影響を与える出来事であると考えている。今回の運動の背景には情報のグローバル化とアラブ諸国の青年層、それも一定以上の教育レベルを持った青年層のフラストレーションという社会、政治、経済分野での基本的な変動が背景にあり、この流れはアラブ諸国の政治形態に大きな変動をもたらす可能性がある出来事と考えている。

  現在のところ変化はチュニジア、リビア、エジプト、シリア、イエーメン等の個人独裁の諸国において最も激しく起こっており、バハレーンを除いては(これもサウジの介入により鎮静化)王制の湾岸諸国では激しい騒乱は今のところ起きていない。然しながらこれら諸国においても早晩変革への動きが出て来るのは避けられず、王制側かこれに如何に対応するかで、これら諸国の運命は大きく変わっていく可能性があると考える。

  何れにせよ、今回の動きは未だ進行中であり、各国において最終的にどのような結果(どのような政治体制になり、どのような政権が生まれるのか)になるのかは現時点では明確ではない。各国において反政府運動の主体となった青年、無党派層は組織化されておらず、今後行われるであろう選挙において政党(乃至政治グループ)を結成し、議会において多数を占めるのは容易ではなく、組織化に優れるイスラム主義政党が有力な政治勢力として発言力を持ってくるのは明らかである。このようなイスラム主義政党がどれだけの力を持ち、またどのような政治路線(国内においては宗教色の強さ、対外的には反米、反西欧的姿勢の強さ)を取ってくるのかによって情勢は大きく異なっていくことになり、今後の情勢を見通すのは極めて困難である。何れにせよ、今後はこれらイスラム主義勢力をどのように関与させていくのかが、米国の対中東政策の大きなチャレンジとなろう。

2. 中東情勢全体への影響
  今回の中東民主化への動きは各国の国内政治における変革、影響と共に地域全体の地政学的なバランスにも大きな影響を与えつつあり、今後中東地域の政治的バランスがどうなっていくのか注目する必要があろう。


その際にポイントとなるのは、次のような点てある。
 (1)イスラム勢力と世俗的勢力とのバランス
 (2)スンニー派とシーア派との勢カバランス
 (3)反イスラエル色の濃淡
 (4)対米姿勢
 (5)イランとアラブとのバランス
 (6)パレスチナ・イスラエル和平への影響

  主要なものは以上であるが、何れにせよ、イスラエルにとっては極めてやりにくい地域情勢になることは確実。米及び西側諸国にとっては、議会及び新しい政権において存在感を増すイスラム主義政党とどういう関係を構築していくかいくか(これまでのような無視の姿勢は取れない、取れば政策が進まない)が最大の課題となろう。今後の中東政策は政治的プレーヤーの増加によりこれまで以上に複雑なものとなり、実効ある政策遂行のためには極めてニュアンスに富んだ政策とその実効が要求されよう。

3. イラクの現状と将来:民主主義は根付くのか?
  上記のような変化しつつある中東にあって、イラクは一応民主化の路線を少しずつではあるが前に進みつつある。イラク戦争後の政治の主導権を握ったシーア派のみならず少数派たるスンニー派、ケルトも一応現在の政治体制にコミットし閣僚を参加させ、政権運営に参加している。一時は政治路線をボイコットしていたシーア派の反米強硬派のサドル派も昨年末に発足した第2次マリ牛政権には多数の閣僚を出して参加している。問題は大連立による政権運営が必ずしも効率的に運営されず、経済・社会開発の遅れにより国民のフラストレーションが溜まりつつあることである。但し、大多数の国民は現在の政治路線を基本的に支持し、漸く民主主義が根付き、中東においてはある意味で最も民主化が進んでいる国と言えよう。

  但し、新しい国造りのための課題は山積している。大きな問題として政府組織の非効率と腐敗がある。中東諸国或いは途上国においての共通の問題であるが、これは一朝一タに克服することは不可能であろう。しかし、希望は民主体制の中で国民或いは自由なメディアの監視が強まっており、問題の深刻さは認識されつつあり、徐々にではあるが改善への動きは進みつつある。イラク戦争後はシーア派の政治グループ主体の連立政権であるが、イラクのシーア派の政治家の多数は宗教的には比較的穏健な人々であり、原理主義、イスラム主義の色彩は薄い統治体制となっている。また、イラク国民は比較的教育水準が高く優秀な国民であり、また、石油を始めとする資源にも恵まれていることから、今後の国家の運営次第では、経済的に豊かな、穏健なそこそこの民主国家として再生する可能性は十分あるように思われる。

  但し、イラク・米間の駐留延長に関する交渉がうまく行かず、米軍は予定通り本年末までに全面撤退することにより、治安、国防について若干の懸念が残る。国内治安については既にイラク軍、警察が全面的に担っており、米軍の完全撤退が直ちに国内治安の不安定化を引き起こすことはないであろうが、イラクの国境警備、防空体制等は未だ脆弱であり、国外からのテロリスト等の不安定分子の流入が不安要因である。イラク治安部隊の能力向上が必要である。

4. 「アラブの春」とイラク情勢
  最後に、今回の中東民主化の動きとイラク情勢について若干触れたい。イラクは多国籍軍の侵攻により上からの体制変換と民主化が行われ、その過程で宗派間の血で血を洗う激しい内部闘争が起こった。現在進行中の中東における民主化の過程で、中東諸国がイラ
クのような状況に陥らないかどうかはその国の状況や外部勢力の関与等様々な要因にも依るが、中東の国は何れも程度の差はあれ、複数の宗派、民族、部族など複雑な社会構造を抱えていること、容易に武器の入手が可能であり、一種の「暴力の文化」、「力の文化」が
存在することから、体制の変換が平和裏に円滑に行われることは極めて困難であるが、この点て今回チュニジア、エジプトにおいて選挙が円滑に行われ、その結果が尊重されて新政権が樹立されれば、平和的な体制変換の例となり、中東の政治に新しい風を吹き込むこととなり、注目される。

  また、このような状況下にあって、強権政治ではなく、合意形成や政策の実施に時間や一定のルールの下での行動が要求される民主政治を根付かせていくのは時間を要し、大多数の国民の強い支持が無ければ実現が難しいことも事実である。イラクにおいては米軍(多国籍軍)という圧倒的な抑制的軍事力があったにも拘わらず一時は内戦に近い状況に陥ったが、そのような力の存在しない国において自主的な体制変革が如何に進むのかは予断を許さないであろう。

  イラクにおいては、4、5年に亘る混乱と暴力の期間を経たが、ここに来て漸く民主政治がそれなりに機能し始めた訳であり、他の諸国においても程度の差はあれ同様な混乱を体験することは確実ではあるが、そのような時期を乗り切り、国民が新しい体制への基本的な支持を維持すれば民主政治が定着していく可能性は、希望は十分にあると思われる。わが国や米国等、中東地域の安定に大きな関心を有する国としては、民主化のプロセスには時間がかかり、必ずしも西欧的な民主政治がそのまま実現することはなくても各国の方式に適合した形での民主政治の定着は可能であるとの認識の下に忍耐を持ってこれら諸国の努力を支援していくことが重要である。
                                    以 上
 (2011年11月7日寄稿)


『普天間飛行場問題に真剣な対応を』2011-9-12

『普天間飛行場問題に真剣な対応を』



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       元沖縄担当大使 橋本 宏

在沖縄米軍基地の負担軽減が野田内閣にとって最優先の政治課題になる見通しであるとの報道が、この2,3日の間、主要紙を賑わせている。野田総理大臣は、先ずは政府部内の早期の意思統一が重要である、との基本的立場を取っている由。歓迎である。今度こそ政府と沖縄県との間で、パフォーマンスではない、実質的な対話が行われることを期待したい。
他方、普天間基地移設問題を巡る政府と沖縄側との意見の隔たりは非常に大きく、その溝を埋めることは容易ではない。元沖縄担当大使の経験を踏まえ、政府と沖縄県に対し次の要望を行いたい。

先ず政府に対しては、

  • (1)沖縄側に最後通牒を突きつけるような態度は絶対に避けるべし。
  •   “それでは普天間飛行場の固定化が進むだけ”云々といった「恫喝」は
  •    無用である。
  • (2)基本的立場の維持と応用問題への柔軟な対応を軸にし、首尾一貫した
  •    対応をしめすべし。腰砕けは最悪である。  
  • (3)鳩山内閣発足直後から2011年5月の日米合意に至るまでの間、如何なる
  •    理由で自民党連立時代の普天間問題への対応ぶりの変更を希求し、また、
  •    如何なる理由で最終的には自民党時代とほぼ同様の対応ぶりに戻った
  •    かについて、その「混迷と変遷」の経緯を沖縄側にきちんと説明すべし。
  •    沖縄はこれまで「蚊帳の外」に置かれていたことを忘れてはならない。 
  • (4)同様の説明を自民党にも行い、その上で、日本の国益の観点から年5月の
  •    日米合意の尊重につき、同党の賛同を求めるべし。
  • (5)上記(3)及び(4)を経た後に、沖縄側との間で正式かつ真剣な対話を
  •    開始すべし。  

沖縄県知事に対しては、上記に関して政府の真摯な対応ぶりが理解出来る場合には、前提条件を設けることなく、政府との間の正式な対話に応じることを、私は要望したい。

安全保障といった日本の基本的国益に係る課題に対する総理大臣の役割は、日本全国民の立場を踏まえた上で、また、沖縄県知事の役割は、沖縄県民全体の立場を踏まえた上で、これ以上の譲歩を相手側から勝ち取ることは困難であるとの共通認識を形成するまで真剣な対話を行い、その結果を国民及び県民に訴えることにある。両者共に、決して政府及び県内部の個々の利害に囚われた対応をしてはならない。普天間問題は、政府にとっても沖縄県にとっても、それぞれの最高責任者が力を出し尽くすところまで詰めて行かなければ解決は見えて来ないことを、心に銘記すべきである。

(9月10日寄稿)

『EUと日本』2011-9-01

『EUと日本』



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       前EU日本政府代表部特命全権大使 小田野 展丈

「嵐去り 後に残るは 優しき心」

絆サミットと名付けられた第20回日・EU定期首脳協議が5月28日にブリュッセルで開催されました。冒頭の句は、その首脳協議後の共同記者会見の際に俳句愛好家のファン=ロンパイ欧州大統領が詠んだと日本の新聞が報じたものです。大統領は東日本大震災の直後に日本政府代表部・大使館へ弔問の記帳に訪れました。

欧州大統領というのは俗称で、正式には欧州理事会常任議長です。欧州連合(EU)の強化と効率化を目指して加盟27カ国がリスボン条約を批准し、2009年末に発効したことで創設された新ポストです。対外的にEUを代表するという意味では大統領の俗称も的外れではないでしょう。儀礼上の順位はブゼク欧州議会議長、ファン=ロンパイ欧州理事会常任議長、バローゾ欧州委員会委員長となっています。

ファン=ロンパイ常任議長とは色々な折にお会いして親しく言葉を交わす機会がありました。「EUトップ3人の肩書きはみんなプレジデントだ」、「ブリュッセルで式典に出席し、プレジデントと声を掛けられると3人が振り向く」、「自分の肩書きには常任と付くが任期は2年半(再選は1回に限り可能)、欧州委員会委員長は単なるプレジデントだが任期は5年、再選されれば10年だ、欧州では表現に微妙なニュアンスが込められている」などと静かな声で笑いながら語っていました。

このEUはギリシャ危機に代表されるように経済・財政危機に直面しています。3,4年前までは安定的に経済が拡大し、強いユーロを誇っていた状況は様変わりしました。リーマン・ショックの後遺症が複雑に増幅し表面化しています。現在は債務不履行に陥らないように国家財政の立て直しをはかるべく緊縮政策を実施し、経済全体が縮小均衡へ向かいつつある諸国(PIIGS,ポルトガル、アイルランド、伊、ギリシャ、スペインの頭文字)もあれば、ユーロ安で恩恵を受ける強い輸出産業を擁するドイツのような例もあります。経済力の格差が拡大し、これが加盟国間の利害を複雑にし、共通の対応策を迅速に構築するのを難しくしている面があります。また、緊縮政策の実施や経済の停滞は社会問題を顕在化させており、国内でも加盟国間でも政治的な軋轢を招来しています。共通通貨ユーロの信認を維持することも大きな課題です。ちなみに、世界の外貨準備に占めるユーロの比率は約26%と推定され、米ドル(約61%)に次ぐ地位を占めています(日本円は4%弱)。

EUは米国を凌駕する経済的存在です。また政治面でも次第に大きな役割を演じつつあります。EUは5億の人口で民主的な市民社会を構築し、豊かな欧州文化と伝統を体現しています。世界経済では約26%を占め(米国は約23%)、世界貿易の33%(米国は11%)を占めます。重要なEU市場に注目して3000社以上の日本企業が活動し、約40万人の雇用機会を提供していると推定されます。その日本は経済の開放度を向上させないと厳しさを増す国際競争に伍してゆくのが難しくなるでしょう。貿易依存度、外国投資の受け入れなどの尺度で国際比較をすると日本は低位に止まっています。日・EU経済連携協定の交渉を開始することは、日本市場を開き日欧の経済交流を更に活性化させる良い契機になります。

日本とEUは、共に少子高齢化社会へ急速に変貌しつつあります。教育に力を入れて科学技術や研究開発を振興し、競争力を保持して繁栄を維持する必要性が高いのです。規模の大きい欧州経済と発展著しいアジア経済を結ぶ通商ルートを脅かすソマリア沖の海賊に対する対応策でも日本とEUは互いに協力しています。このように双方が協力関係を強化することで得られる利益は大きく、お互いに真剣に向き合って交流する時期に至っています。

EUと欧州諸国は東日本大震災に際して多大の緊急援助や復興協力を迅速に展開しました。日本に対する真摯な気持ちを表現したものに他なりません。政治や経済から目を移せば日本人は西洋のクラッシック音楽や文学などに永く親しみ、本場仕込みの料理人が調理するイタリア料理やフランス料理を楽しんでいます。欧州市民は浮世絵や俳句、囲碁、そして漫画やアニメに親しみ、最近では寿司や天婦羅など日本食を身近に堪能しています。相互交流の底流は存在しています。これを奔流にすることが日本の将来の展望を開くものと考えています。  (8月22日寄稿)



『建党90周年胡錦濤講話に見る中国の現状』2011-8-18

『建党90周年胡錦濤講話に見る中国の現状』



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                     前駐中国大使 宮本 雄二

中国共産党建党90周年と胡錦涛
 建党90周年の行事は、胡錦濤にとって大変重要な意味を持つものであった。江沢民が10年前の建党80周年のときにやったように、自分が去った後、中国共産党そして中国を指導し続ける何らかの「受け継がれるもの(レガシー)」を残す絶好の機会であったからである。
江沢民の時代から、中国のナンバーワンの任期は2期10年ということになってきた。党の総書記については党規約に任期の規定はないが、国家機関である国家主席については憲法で10年の任期が決められているからでもある。これに従えば胡錦濤は来年秋の第18回党大会で総書記の座を去り、再来年春の全国人民代表大会で国家主席を辞することになる。

 思えば胡錦濤もよくやってきたものである。
1989年の天安門事件で趙紫陽が失脚し、鄧小平は江沢民を抜擢し、「第三世代指導者」として中国のナンバーワンに据えた。さらに鄧小平は、1992年の第14回党大会において当時チベットの書記をしていた胡錦濤を中央委員から2段階アップの政治局常務委員に抜擢した。江沢民の後継者たる「第四世代指導者」の誕生である。胡錦濤が、50歳になる直前のことであった。 翌1993年の全国人民代表大会で国家副主席に任命され、それから10年、江沢民にしっぽをつかませず、無能呼ばわりもさせず、無事ナンバー・ツーを勤め上げ、禅譲を実現させた。そして来年で中国のナンバーワンをつとめて10年を迎える。その間、失政らしいものもなかったが、同時に成果も見えにくい胡錦濤時代であった。しかし、20年間、この微妙なポストを無事こなしてきたことは、やはり大した政治家だと私は思う。
その胡錦濤が、ついに任期の最終コースを迎えようとしている。江沢民は、建党80周年の講話において「三つの代表」理論を打ちだした。中国の先進性と多数の利益を代表するのが中国共産党であるという理屈で、企業家、つまり資本家も共産党員になれるようにした。
この理論は、何が社会主義であり、共産主義なのかをますます分かりにくくしたという意味で、事態を深刻化させた面はある。“みんなの党”ですよといえばいうほど、利益の調整は難しくなる。だが、実力をつけてきた企業家を取り込まず外で自由にさせておくことの方が、党にとっての危険とデメリットは大きい。この意味で、江沢民の誇る成果ではある。現にその後、この理論は党規約にはっきりと書き込まれ、今や中国共産党の“重要理論”にまで昇進している。 胡錦濤も江沢民にならって、建党90周年の華々しい場で何か新しいものを打ちだしたかったであろう。しかし一読した限りでは新理論は打ちだされていない。そして毛沢東、鄧小平、そして江沢民は使うことのできた「△△を中心とした指導グループ」という言い方も、胡錦濤はまだ使えないでいる。

胡錦濤は何を伝えようとしたのであろうか
 このレポートを書く機会に江沢民の10年前の建党80周年講話を再読してみた。そして今回の胡錦濤講話とのトーンの違いに驚かされた。 胡の講話は江に比べて、中国共産党の現状と将来に対する厳しい見方と切迫感に満ちている。10年前の報道を読んでいると、江の講話でさえ現状に対する悲観が目立つと書いているものがあった。胡の講話は、それよりもさらに悲観的になっている。
 胡は、党をめぐる現状と党のもつべき心構えについて、次のように述べる。長々と中国共産党の成果を誇り、羅列した江講話とは大きな違いである。

 「世界、中国、中国共産党をめぐる情況は大きく変化している。この新しい情勢下において、党の指導と執政(注:政務をとる、政権を握るの意)のレベルを高め、腐敗を防止し変質を防ぎ、危険を制御する能力を高め、党の執政能力と先進性をつくりあげ(なければならない。そうす)ることは、これまでに遭遇したこともない多くの新しい状況、新しい問題、新しい挑戦に直面するということであり、(そのことから生じる)執政の試練、改革開放の試練、市場経済の試練、外部環境の試練は、長期にわたる、複雑かつ厳しいものであることを、全党は、冷静に見て取らなければならない。精神懈怠の危険、能力不足の危険、大衆から離れることの危険、腐敗に受け身であることの危険は、さらに鋭く全党に及んでおり、党が党をしっかりと管理し、厳しく党を治めるという(われわれの)任務は、これまでのいかなる時期よりも重く、さらに切迫したものとなっている。」

 ここからは中国のバラ色の将来は見えてこない。経済的にはGDPで日本を超え、世界の奇跡と讃えられているにもかかわらず、また「世界の大国」の地位を回復したにもかかわらず、楽観論はどこにも見られない。胡錦濤は、講話において新たな「理論」を打ち出すというよりは、むしろ党としてどのように考え、何をなすべきかについて、党の総書記としての考えを述べているように見受けられる。おそらく「新しい理論」に向けて党内の議論を集約できなかったのではないだろうか。
ここに胡錦濤が「新しい理論」を打ちだすことができなかった、根本的な理由があるように感じられる。議論は集約されず、党内が割れているのである。時代が変わり、情勢が変わり、これまでのやり方は大きな壁に直面しているのに、それを突破するコンセンサスは、まだ生まれていないのである。

中国の現状
 党内が割れ、コンセンサスが浮上しにくい一つの理由は、“鄧小平路線”をどう解釈するか、どこに重点を置くか、について議論が収束していないからである。胡は、鄧の言葉を大きなよりどころにして政権運営を行っている。権威は依然として鄧にあるのである。逆にいうと、鄧小平路線を超克できていないところに、現政権の課題と限界がある。
例えば、その一つが、成長と分配の問題である。結論としては両方を同時にやれ、ということになるのだが、政策あるいは現場の施策の段階になると、そう簡単ではない。とりわけ中国共産党自体が既得権益化している現状においては難しい。今のやり方で経済成長から利益を得る仕組みができており、それが既得権益化しているのである。どうしても「成長」派が優位に立つ。 そういう中で、いくら税収増が続いているとはいえ原資は限られている。それを成長部分に回すのか、それとも分配部分に回すのか、あるいは環境に回すのかという問題を現場はかかえている。今の仕組みでは、力の弱い「大衆向け」に資金は自動的には向かわないということになる。

胡錦濤も成長なくして何物も達成できないことはよく分かっている。そのことを強調してもいる。しかし民、つまり大衆の不満も高じていることもよく分かっている。大衆の不満が高じれば社会の安定を保つこともできない。それは結局、経済の成長に響く。
この大衆の不満への警戒感は、江沢民をはるかに超える。江講話を読むと、ときおり、とってつけたように大衆路線の重要性がふれられているだけだ。しかし胡講話では、これがマインテーマである。やはり大きな時代の変化といわざるを得ない。
その結果として、人民大衆との関係の強化が繰り返し強調されている。とりわけ大衆の不満が大きい基層幹部の質の向上が焦眉の急となっている。「大衆への奉仕を基層党組織の核心的任務及び基層幹部の基本的職責とし、(そのことを通じ)基層党組織を、発展させ、大衆に奉仕し、人心を凝集させ、和諧を促進する強力な砦とする」と述べている。しかし実現のハードルは高い。

二つ目の党を割りかねない対立点が、鄧小平理論をいかに超克するかというところに出てくる。つまり鄧小平路線を推進しながら、結局それを越えざるを得ないという現実の課題にどう直面するか、という難題である。中国の現状が、今や鄧小平の語った言葉だけでは対応不可能となってきたことの表れでもある。その最たるものが反腐敗の問題がある(鄧自身、反腐敗の重要性を何度も強調している。しかし有効な処方箋は出していない)。
胡の言葉を借りれば「人心の動向と党の存否に係わる、党がしっかりと取り組まなければならない重大な政治任務」なのであり、「腐敗を有効に処罰できなければ、党は直ちに人民の信任と支持を失う」のである。 胡は、制度改革で対応しようとしている。「制度を用いて権利を管理し、物事を管理し、人を管理する」ということであり、「党建設を制度化し、規範化し、手続化する」という発想になる。“人治”からの離脱だが、制度をつくっただけでは不十分なのは明白なので、共産党員は立派な人間にならなければならないと強調する。その結果、胡講話には「徳」という字が無数に出てくる。ここで再び“人治”に戻ってしまうのである。 結局、鄧小平を越えないと解決は難しいといわざるを得ない。つまり私がよく使う譬えのように、中国共産党は癌にかかっており、自分で手術はできないのである。どうしても政治制度を改革しなければならないことになる。しかし“政治改革”と聞くと、そこで思考停止に陥るのが、1989年の天安門事件以来の、これまでの中国共産党であった。

中国共産党は、「自覚して憲法と法律の範囲内で活動する」というが、憲法や法律は、党がOKしないと党員には及ばない。中国共産党が憲法を超える存在であることが諸悪の根源ともいえるが、そこに言及することはない。そこで「積極的ではあるが穏当に政治体制改革を進める」ということになる。
結論は「社会主義民主」であり、「社会主義法治国家」である。つまり「中国の特色ある」仕組みということになる。胡講話の中に「民主」が嫌になるほど出てくるが、そういう意味である。しかしそれが何であるかかについて、まだ結論は出ていない。次の習近平時代の重大な課題となろう。

さらに大きな課題として、依然としてイデオロギーの問題をかかえている。われわれは1978年に鄧小平理論が採択され、それでこの問題は終わったと思っているが、実はそうではない。鄧小平理論は、オーソドックスな共産主義論者ないし保守主義者の強い批判を浴びてきたし(これが中国では「左」となる)、改革派(これが中国では「右」になる)からは改革が不十分であるとの、これも強い批判を浴びてきた。
中国指導部は、いつも、この「左」と「右」からの挑戦を受けてきた。そしてその中間を歩くことが最も安全であることを学んだように見受けられる。だが、それでは「新しい理論」は出にくい。ここに時代を突破する、もう一つの致命的な限界をかかえているのである。

終わりに
 このように中国の現状は厳しい。しかしすぐに崩壊することもない。この、ますます存在感を強める中国が、新しい国家像、自己認識を求めてさまよい始めた。鄧小平の描いた構図だけでは収まらなくなってきたのだ。 中国がすでに大戦略を定めて、一歩一歩それに向かっているという類の話は、中国の現実と合わない。中国自身が、結論を出せていないし、そもそも何を求めているのか焦点を絞りきれていない。議論は始まったが、まだ本格的な議論の段階には至っていない。
経済に関しては、われわれと同様の認識と見て良い。既存の世界経済秩序から最大の利益を引き出した中国が、その破壊者になるとは思えない。だが地政学の世界は違う。中国が「中国の特色ある」世界地政学秩序を願うのであれば、覇道は是認されない。アメリカの行動を覇権主義と批判しているのは中国ではないのか。
孟子に出てくる「力を以て仁を仮る者は覇なり」、「徳を以て仁を行う者は王たり」が覇道と王道の原義である。王道を口にすると、すぐ華夷秩序や朝貢関係の世界観を前提としているとのコメントに出会う。
だがこの古い世界観は、今日の状況に全くなじまない。アメリカや欧州、それにインドやロシア、そして日本という大国が同じ舞台に登場した今日、中国が中心となって世界全体を統べることは、予見しうる将来、考えられない。またこの世界観は、著しく文化的であり、文明的なものである。中国が卓越した文化と文明をもつことを前提とする。それが実現するにしても、とてつもなく長い時間を必要とするであろう。
中国は、数百年前の古い秩序に還ることはできない。そうであるならば新しい普遍的な理念を打ちだすべきである。そして世界文明の発展に寄与すべきである。その理念が中国の古典から来たとしても何の問題もないし、そこに中国台頭の文明史的な意義ある。
                  (2011年8月10日寄稿)

『たかが世界遺産、されど世界遺産』2011-7-25

『たかが世界遺産、されど世界遺産』



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                     文化庁長官 近藤誠一

来年40周年を迎える世界遺産条約が、いま正念場を迎えている。
2011年6月25日午後5時50分(日本時間26日0時50分)、平泉の世界遺産への登録が決まった。これが震災からの復興に取り組む東北の方々にとって大きな励みとなったことは間違いない。しかし同時に最近の世界遺産の登録をめぐる議論には、大きな国際関係のうねりが見て取れる。それは戦後の国際関係を支配してきた欧米先進国が唱える「普遍的」理念に対する後発組の反抗である。

 世界遺産は、世界遺産条約(1972年)の加盟国が推薦する案件を、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)という専門家集団が審査して勧告を出し、それを参考にして21の加盟国から成る世界遺産委員会が登録の是非を決める。登録の基準は、候補資産が「顕著で普遍的な価値」(Outstanding Universal Value、以下OUV)を有するか否かである。しかし世界遺産リストに途上国の遺産が少ないことを理由に、次第に途上国から批判が高まってきた。

 その第一は、OUVという基準が欧米の価値観に基づくものであり、途上国の多様な価値観を反映していないという批判である。第二は勧告をするICOMOSの専門家の多くが欧米の専門家であるので、途上国の資産の価値が十分理解できないとの批判である。さらに第三には最終的に登録の是非を判断する世界遺産委員会の構成が先進国中心であるという批判である。ユネスコの他の委員会と異なって、この委員会だけは地域代表制をとらず、自由な選挙を行うため、結果として専門家が多く、知見の蓄積のある先進国が多数を占めている。

 こうした批判に対し、欧米先進国は、OUVの概念自体は条約上規定されているもので、各国ともそれを承知で批准したものだから変更すべきではないこと、ICOMOSはあくまで世界の最先端の専門家集団であって、その判断は尊重すべきこと、そして委員会のメンバーは高度な専門知識をもった人材がいるか否かという科学的観点から選ぶべきであって、政治的な地域別割り当ては適当ではないことなどを主張し、抜本的な改革に反対し、途上国による登録を奨励するための人材育成などで問題をかわしてきた。OUVそのものや、その審査プロセスの専門性の維持は絶対に確保するとの姿勢を守り続けてきたのである。

  しかし先進国のこうした戦略が最近になってほころび始めた。これまでの「改善策」に効果がみられないことに業を煮やした途上国が、選挙で連帯して委員会により多くの途上国を送り込み、かつ委員国に選ばれた国の代表が途上国からの推薦案件をまともな議論なしにどんどん登録するという戦術に出たのである。専門家が長い検討の末価値はないとの判断を下した候補資産を、いともたやすく覆して登録したことに、ICOMOSの専門家はもちろん、ユネスコの事務局員や先進国は怒りを隠さなかった。しかし途上国はそれに臆することなく、本年も同様の行動をとり、当初のICOMOS勧告では12件しかなかった登録件数を一挙に25件にまで増やした。

  ここまで極端な委員会の政治化に眉をひそめる国は少なくない。しかし一旦ある国が議題にのっている候補案件を、勧告を覆して登録することを提案すると、それに反対し難いのも事実である。被審査国との関係を悪くしたくないという心理が働く。また自国が推薦案件を抱えている場合は、下手に反対して自分の案件の審査のときに不利にならないようにしようと考える。こうして登録のインフレが起こり始めた。

  この事態をどう収束するかは容易な問題ではない。勢いを増しつつある新興国の一部が、先進国主導の現状の変革の旗手として喝采を浴びている以上、そしてそれが合法的な手段で行われている以上、止めることはできない。結果としてさほど価値のない案件が次々と世界遺産に登録されることで、世界遺産全体の価値が下がり、条約の信頼性が低下していくという正論は、それ自体先進国の論理であるとして途上国はとり合わない。条約を改正して、先進国も途上国も満足する新たな価値基準を設けることは、政治的にも、手続き的にも現実的ではない。

  こうした事態に対して日本はどう対応すべきか?先進国として、条約の精神を守るべく委員会の政治化に抵抗すべきか?それとも、4年前の石見銀山や3年前の平泉の推薦に対するICOMOSの評価が、欧米中心のものであったがゆえにいずれも価値不十分と勧告されたことから、途上国の側に立って「欧州中心主義の是正」に加わるべきか?これは世界遺産条約という小さな世界の問題ではあっても、今後の変わりゆく国際政治での日本のスタンスという大きな問題に結びつく重大な側面をもっている。今後の日本からの新規案件の推薦の戦略にも拘わる。各国の「良心」が次第に頭をもたげ、誰ものメンツを保ちながら、健全な審査を復活し、条約の信頼性を維持していく方法を真剣に考えねばならない。折しも来年の40周年記念行事をホストするのは我が日本である。これは、単なるお祭りに終えることなく、この根本的議論に一石を投じる機会にしたい。 (寄稿日 2011年7月21日)





『習近平とはどんな人物か(書評をかねて)』 2011-7-4

『習近平とはどんな人物か(書評をかねて)』


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                     元駐中国大使 国広道彦



 明年秋の第18回中国共産党大会で中国の指導部が交替する。トップの胡錦濤主席の後任には、党序列6位昨年秋の三中全会で党軍事委員会副主席に選任された習近平国家副主席が選ばれるであろうと言うことがほぼ確実視されている。しかし、彼の人物については、美人歌手彭麗媛の夫であると言うことは別として、余り知られていない。
 私は昨秋以来習近平氏についての情報を集めようとしたが、得られなかった。彼が福建省長をしていたとき、谷野大使が全人代の期間中公邸で昼食に招いたら、大変気さくに話をし、同省に進出している日本企業のことなどメモも見ずに流暢に語ったということを聞いたことはあった。また新聞報道などからみて、鷹揚な人柄で調整型の方タイプかな、また長老などのとりなしも上手いだろうという印象を受けていた。
ところが、2009年2月メキシコ訪問の際、在留華人を前に「腹いっぱいになって、やることのない外国人がわれわれの欠点をあれこれあげつらっている。中国は革命も輸出していないし、飢餓も貧困も輸出していない。トラブルを起こすようなことは何もしていない。これ以上いいことがあるだろうか。」としゃべったと言う報道が伝わった。このような反国際協調的な考えの持ち主が次の中国の指導者になったらどうなるのだろうかと言う懸念を感じた。
他方、半年くらい前のthe International Herald Tribuneに、彼は父仲勲が文革で14年間糾弾投獄されていたために多難な少年時代を過ごし、7年間の下放時代を過ごしたが、その間農民と親しく交流し、農民生活の苦しさを身を持って体験した。彼は太子党ではあるが並のプリンスではないと言う記事を読んだことがある。
胡錦濤も副主席時代に余り多くを語らなかった。しかし、胡耀邦の下で日本重視の考えを固めていたであろうことは察しられた。これに比べて習金平氏を知る材料は誠に少ない。
ところが、中国、台湾、香港を駆け回って、習近平氏について調査し、雑誌「サピオ」に一年間書き続けたジャーナリスト茅沢勤(ペンネーム)がいた。それをまとめて、「習近平の正体」と言う本が小学館から出版されていたのを発見した。暴露もののような表題だが内容はまじめなもので、興味深い。
内容を余り詳細に紹介すると著作権違反になるから、著者の結論的な部分をいくつか説明する。
第一に,彼は「心底からの共産主義者である」。典型的な「共産党人」である。「われわれ共産党人とって、民衆は衣食を与えてくれる父母であり、全身全霊で人民に仕えることを忘れてはなりません。党と政府の一切の方針と政策は、人民大衆の利益に符合するかどうかを最高の基準として決めねばなりません」と言っている。
第二に、集団主義精神が中華民族の結集力であると言う信念を持ち、「集団主義が彼の政治手法でもある。他方、鷹揚な性格が彼の抱擁力になっている」。
第三に、彼は北京にいてブルジョア腐敗分子として糾弾されるより下放の道を選んだのだが、そこでの雑穀をすすった極貧生活が彼の政治信条を作った。8回も申請書を提出してようやく「青年共産党」に入党を認められたのだが、地方の上司の推薦で精華大学に入学。
第四に、現場、社会の底辺重視である。「何事も現場や民衆の中にこそ真実がある」と言う持論である。大卒後党中央軍事委員会弁公庁に配属され、軍事委秘書長をかねていた耿颷副総理の秘書に任命されたが、3年後に自ら希望して下放先の陝西省に戻った。これから24年間地方政治で過ごすことになるが、それが彼の政治的運命を大きく変えた。
第五に、習近平氏にとって幸運だったことは少年時代や地方勤務から人脈に恵まれたことである。上海党書記になるに当たって裏で働いた曾慶紅は子供時代からの友人である。父仲勲の中央人脈も勿論ある。
第六に、政治とカネの問題については慎重にやっている。彼が福建省長になる前の年「遠華事件」という大腐敗事件が起きたが彼に累が及ぶことはなかった。兄弟にはとかくの噂があるが彼は「政治の道に入ったら、財をなすことを考えてはなりません」と言っている。
 習近平政権とはどのような性格の政権になるだろうか。私は胡錦濤の親民政策は引き継がれるだろうが、民主化への前進は期待できず、共産党体制の引き締めが強化されるのではないかと言う気がしていたが、この本を読んだ印象も同じである。

『日韓交流を考える』 2011-6-23

『日韓交流を考える』

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                   前駐大韓民国大使  重家俊範

昨年の夏、約3年の勤務を終え、韓国から帰国した。日韓関係は、種々の問題を抱えながらも、着実に前進している。

日韓の往来も、経済の停滞や為替レートなどの影響を受けて、年によって増減はあるが、年間500万人近い人々が往来するようになってきた。単純計算しても、1日1万5千人近い人々が往来していることになる。羽田、金浦の間は、今や、毎日24便が飛行する。若者たちの交流も増大している。特に日韓経済協会が中心になって2004年から実施している日韓高校生交流キャンプは、素晴らしいプロジェクトだ。これに参加した学生たちは、最後は抱き合い涙ながらにわかれるという。また、参加者の感想文の中で、若者たちは、生身で見た日本人、韓国人は、それまでに聞いてきた日本人、韓国人とは違うものだったと異口同音に書いている。若者たちは、先入観なしに、お互いを理解している。相互理解が前進していることは間違いない。

これまでの日韓交流史の中で、韓国の人々によって最も前向きに評価されているのが、江戸時代の朝鮮通信使の派遣である。1607年の派遣を含め計12回の朝鮮通信使が日本に派遣された。朝鮮通信使一行は、九州から瀬戸内海を海上移動し、各地で逗留し、交流した。その後は、陸路、江戸に向け移動した。

                    ✥

2007年、韓国に勤務することになった時、知人の勧めによって、広島県呉市の東方にある下蒲刈島を訪ねた。かつて朝鮮通信使が常宿とした島である。当時、下蒲刈島の三之瀬は瀬戸内海でも潮待の港として栄え、琉球使節などもここを経由して江戸に向かっていた。


安芸灘大橋を渡り、数分走ると島の中心である三之瀬に入る。狭い商店街を通り抜けると、立派な石組みで作られた長雁木(階段状の船着場)に着く。海が手の届くような近くにある。船着場の真前に御本陣の跡がある。御本陣は、一行の案内役を務めていた対馬藩の宿所だった。その横から、古い石畳の小道が、民家の間を縫って、山の傾斜を登っている。その小道を上ると、使節団の宿所となった「上の茶屋」につくが、残念ながら、今は何も残っていない。それでも古い石畳は、通信使一行が船着場で大歓迎の式典を終え、列を成して宿所に登って行く風景を彷彿とさせるに十分である。

広島藩は通信使一行(正使他、儒学、音楽、医者など文化の素養のある人を多く含む500名に上る大使節団だった)を歓待するため、一行の嗜好を事前に調査するなど入念な準備をしたという。通信使接遇の経験のあった上関(山口県)などにわざわざ人を派遣して調査をしたりした。また、一行の荷物運搬のため、小船135隻を海田、仁方など近隣の村々から調達したとの記録も残っている。水の確保も大問題で、三之瀬の井戸だけでは足りず、広島や三原の城の井戸水を調達するため水船100隻を準備したそうだ。

広島藩は、特別のご馳走で一行をもてなした。このことは、通信使の一行の記録にも、「安芸蒲刈ご馳走一番」と記されている。


土地の人々にとって、異国の代表団を迎えるのは一大行事だったことは想像に難くない。次のような法度が出されたというから面白い。「通信使の船が通るときはその船を優先すること。彼らの風習が異なっていてもそれをとがめてはいけない。気まま、心ままは我慢しとにかくもめごとをおこさぬこと。海上から見える家はきれいにしておくこと。道路もよく掃除しておくこと。通信使を見物することは禁止、特に上陸のときは厳禁する。一行に「筆のもの」、「手跡」(書とサイン)などを求めてはいけない。」 


2007年は、朝鮮通信使の4百周年の年だった。同年10月に開催した「日韓交流お祭り2007In Seoul」では、朝鮮通信使の行列を再現した。

                    ✥


かつて、東アジアは、多くの文化の往来があった地域である。奈良時代然り、室町時代然りである。奈良時代は東アジア文化交流の一つの黄金時代だったのではないだろうか(中国のシステムの下での交流時代だったとの指摘はあるかもしれないが)。東アジアは、今や再び、緊密な交流を通じて、大きなコミュニティーを形成しつつある。東アジアが、何よりも世界の他の地域とのリンクも大事にしながら、そして、未来に向かって、一層繁栄する平和なコミュニティーに大きく発展することを願うばかりである。
                      (寄稿日 2011年6月23日)普天間飛行場移設の大前提は民自両党間の基本合意形成』 2011-6-1
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『普天間飛行場移設の大前提は民自両党間の基本合意形成』 2011-6-11

『普天間飛行場移設の大前提は民自両党間の基本合意形成』


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                      元沖縄担当大使 橋本宏

現在政府にとって最も緊急を要する国家的課題が東日本大震災からの復旧・復興であることは論を俟たない。同時に日本全体の中長期的発展のために取り組まなければならない喫緊の課題は他に多くあり、それらを放置しておくことは許されない。わが国安全保障政策の根幹に関わる普天間飛行場移設問題もその一つである。

1996年4月に橋本総理大臣・モンデール駐日米国大使(当時)が共同記者会見において普天間飛行場の全面返還を表明して以来、長い年月と紆余曲折を経て、2009年4月には自民党政権下で普天間飛行場移設に先立つ環境影響評価準備書が提出され、同年8月には地元沖縄の関連市町村の首長から意見書が提出されるまでに至っていた。しかし、同年8月30日の総選挙に基づく9月16日の民主・社民・国民新党による鳩山連立内閣の成立後、普天間飛行場移設問題が混迷に混迷を深めたことは周知の事実である。その後2010年5月28日の日米共同発表により、大筋で2006年5月の日米合意である「ロードマップ」)のラインに戻ることにはなったものの、その間沖縄は全く「カヤの外」に置かれ、爾後名護市長も沖縄県知事も、この共同発表の内容は受け入れ困難との立場を明確にしてきている。

そもそも仲井真県知事からすれば、総選挙の選挙戦の中で鳩山民主党代表(当時)が、普天間飛行場移設問題に関し「最低でも県外移設が期待される」と訴え、首相就任後も県外移設の可能性を追求したものの、結局2010年5月の日米共同発表において、「代替施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する」ことに再び合意するに至った経緯について、県知事に対して正式で詳細な説明を行わなかったことから、これでは沖縄県として何をどのように理解すれば良いのか全く分からない、としか言いようがないのであろう。加えて、仲井真知事としては、政府による県外移設の可能性の検討という過程を通じて、沖縄県民は最早県内移設という選択肢を受け入れる余地をなくしてしまった、との思いを強くしていることであろう。

今年に入って関係閣僚が相次いで沖縄県を訪れ、政府としては昨年5月の日米合意について県民の方々の理解が得られるよう特段の努力をしていきたいと述べているが、県知事はじめ関係首長は「受け入れ困難」という対応を続けており、事態打開の目処は全くついていない。筆者は、沖縄担当大使としての経験を踏まえ、今年1月の霞関会ホームページの論壇に「米軍基地問題に対する沖縄県民の意識」と題する寄稿をした経緯があるが、そこで開陳した論点からしても、現在の政府の対沖縄アプローチは「無理筋」のものであると考えざるを得ない。

そこで筆者は政府に対して次のような段取りを助言したい。

(第1段階)早期に菅総理大臣から仲井真知事に対して、2009年総選挙以降2010年5月の日米合意までの間の民主党・政府の「対応ぶりの変遷」について、正式かつ詳細な説明を行うこと。
(第2段階)続いて菅総理大臣から谷垣自民党総裁に対して、同様の説明を行うとともに、民自両党間で普天間飛行場移設問題についての基本合意の形成を行うこと。
(第3段階)この基本合意を踏まえ、政府は沖縄県に対し政府の立場に対する
理解を求めること。
(第4段階)政府は沖縄振興も含め普天間移設全体の課題について沖縄県との間(結果として米国政府との間)で調整を行うこと。

以下に若干の解説を行いたい。なお、6月2日菅総理大臣は震災対応に一定の目処がついたところで退任する意向を明らかにした。時期がいつになるかは詳らかにされていないが、将来退任の場合、筆者としては、次期総理大臣に対してもこの段取りを助言したい。

第1段階については、政府側としては、これまで経緯について沖縄県に何度も遺憾の意を表明している、という理解であろう。また、仲井真知事としては、菅総理大臣から正式説明を受けたからと言ってこれに納得することは出来ないという立場であろう。それにも拘わらず、筆者としては、菅総理大臣から仲井真知事への正式説明は、政府としての義務であると考える。沖縄をカヤの外に置いたままで、日米合意に対する理解を沖縄に求めることは、政治の王道ではないし、また、沖縄県民の誇りを傷つけるものである。菅総理大臣からすれば、この正式説明はまことに居心地の悪いものになるであろうが、これを乗り越え、沖縄県民に「礼節」を示す必要がある。少なくとも仲井真知事が沖縄県民に対して、“政府の説明には到底納得できないが、正式かつ詳細な経緯の説明を行ったことは評価する”といった趣旨の発言することが出来る環境を醸成する必要がある。

第2段階については、菅総理大臣としては、2010年5月の日米合意が2006年の自民党政権下の日米ロードマップと軌を一にするものであることを認め、政権交代によっても日本が継続して順守すべき基本的国益の認識を共有することを通じて、普天間飛行場移設の基本的立場について両党間の合意の形成を求めるべきと考える。政権交代があるたびに政府の普天間飛行場移設問題に対する基本的立場が変更される可能性があるような状況では、沖縄県民が政府の取り組みを真剣に受け取ることは困難であろう。

第3段階については、民自間の基本的合意の基礎があって初めて、政府の立場に対する沖縄県の「理解」を求める環境が整うことになると言える。現在はこうした環境が出来上がっていないと言わざるを得ない。他方、例え民自両党間の共同歩調が整ったとしても、それが直ちに沖縄県民からの理解が得られることを意味するところにはならない。しかし、少なくとも沖縄県民の理解を得るため、一つの重要なステップが踏まれることになる。敢えて言うならば、筆者には、このような過程を経ずして沖縄県の理解を求めることは、ほぼ不可能に近いと思える。

第4段階においては、政府・沖縄間、ひいては日米間において、どこまで相互の立場の相違点を調整し得るかについて、ギリギリの話し合いが必要となる。抽象的な表現ではあるが、その最終的な姿は、関係者間のすべてに一定の不満は残るものの、日米両国政府、沖縄県の3者間のバランスをこれ以上動かすことは出来ないという共通認識が生まれるような内容の合意、以外のものであることは考えにくい。かかる合意達成が如何に難しいことであるかについては、普天間飛行場の移設問題のこれまでの経緯から見ても明らかであるが、そうであるが故に、菅総理大臣としては、米軍基地の存続に反対する沖縄県民の深い思いへの理解を持ちつつ、強いリーダーシップを発揮してこの調整に全力をあげることが必要と考える。

筆者には、今の政府のやり方が続く限り、普天間飛行場移設問題のすべての関係者が解決の遅れの責任を相手側になすりつけたままで、ただただ時間が過ぎていくような気がする。皮肉に聞こえるかも知れないが、筆者には、普天間飛行場の現状が続くことに対して、関係者の誰もが不満を持っているように見えると同時に、未解決のために焦慮している様子も伝わって来ない。こうしたことで日米両国政府も沖縄県も良いのであろうか?

上記のような段取りは政府にとっても沖縄県にとっても受け入れ難いものであるとして、筆者は各方面から批判を受けるかも知れない。しかし、関係者のすべてが大いに汗をかき、大いに苦労することなしに、普天間飛行場移設が実現するとは到底思えない。

東日本大震災の復興に関連して政策課題ごとに民自両党が共通の立場を模索する動きが続いている。普天間飛行場移設問題についても、まず両党間で基本的合意の形成に取り組み、それを基礎にして、沖縄県への働きかけを早急に始めて貰いたい。
                              (2011年6月3日寄稿)

『危機における対外コミュニケーションの教訓』 2011-6-9

『危機における対外コミュニケーションの教訓』


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                   元カナダ大使  沼田 貞昭 

東日本大震災は、危機状況における日本の対外コミュニケーションについて3つの教訓を残した。

1.危機管理の当事者は、おびただしい噂とか憶測が飛び交う情報空間に果敢に飛び込んで、能動的にメッセージを発出していくべし。

筆者も何度かインタビューされたことのあるBBC テレビの百戦錬磨のキャスターNik Gowingは、今日、危機発生後メディア対応までの時間は精々30分程度しか無く、そこで必要なのは、三つのF(3 Fs: First, Fast, but Flawed)、即ち、第一に、情報空間に最初に乗り込むこと(First)、第二に、とにかく速く対応すること(Fast)、第三に、不完全な情報であっても(but Flawed)とにかく出し、後から必要に応じ訂正していくことであるとしている。(“Skyful of Lies” and Black Swans, RISJ, July 2009)

今回の原発事故について、国際原子力事故評価尺度のレベル5かレベル7か、1,2,3号機のメルトダウン(炉心溶融)は有ったのか、放射能影響予測ネット「SPEEDI」の予測値公表は何故遅れたのかと言った問題に関して、東電および政府当局は不都合なものを隠していたのではないかとの疑念を呼んだ。時が経つにつれて事態の深刻さが次々と露呈されたような印象を与えたことは否めない。不確かなものを出すとパニックを招きかねないとの考慮はあろうが、むしろ、前述の3 Fsに従って、考えられる悪いシナリオも早い段階から明らかにしておくべきだったと思う。

2.的確な状況認識に基づいて、骨太かつ明確なメッセージを発出するべし。

5月10日付ジャパンタイムズ紙は、「東電はデータの津波でメディアを溺れさせている」(TEPCO drowns media in data tsunami.)との記事を掲載した。
極めて専門的で分かりにくい原子力の問題について、コンテクストを明らかにしないまま技術的用語と数字が羅列されると、聞く方は消化不良を起こしてしまう。聞き手の主要関心事が「安全」と「安心」にあるとすれば、膨大な事実関係の中からこれに答えるエッセンスを抽出して、分かりやすいメッセージを伝える工夫が必要である。外国メディアに対しては、国際共通語たる英語で説明することも必要であり、この負担が内閣国際広報室の少数のスタッフに一手に振りかかっていたように思われるが、多言語で効果的に発信できる科学者や民間の専門家の活用も考える必要がある。

今回、炉心溶融、海水注入等をめぐる東電、政府当局の説明が二転三転した背景には、関係者間の連絡不足があったと指摘されている。危機発生直後から事態の全貌を把握する中央の司令塔が存在し、情報を整理して優先順位を付けた上で、責任ある立場にあるリーダーが発出すべきメッセージを考えて行くことが必要である。

3.日本のイメージを回復するために、政府のみならず、民間、市民団体の活動についてのポジティヴな話題を積極的に広めていくべし。

当初、震災と津波の被災者たちが示した落ち着き、秩序正しさ、忍耐と言った底力は、積極的なイメージとして海外に伝わったが、その後原発事故をめぐる安全神話の崩壊および風評被害は、「クールジャパン」、「日本の食」と言ったブランドにネガティヴな影響を与えてきた。

日本のイメージの回復のためには、まず、日本がその活力を結集して復興に取り組み、世界におけるその地位を回復して行く決意を政府指導者が示すことが必要である。これに加えて、自動車生産とか半導体等部品のサプライチェーンの復旧が着々と進んでいる状況、タイム誌の「世界の100人」に取り上げられた南三陸町の菅野武医師および桜井勝延南相馬市市長と言ったローカル・ヒーロー、被災地にボランティアとして馳せ参じた若者達の姿等を積極的に紹介していくことも重要である。
                     (2011年6月2日寄稿)



『東日本大震災とアフリカからの支援』 2011-5-25

『東日本大震災とアフリカからの支援』 



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                元駐ナイジェリア大使 佐々木 高久

今回の大災害で色々なことに感じ入った。それは被害者の内に秘めた底力であり、一般市民・アーチスト・スポーツ選手等の一過性でない支援活動、世界各国よりの心温まる各種支援、日本人を信頼し、激励してくれた各国メデイアの報道である。
ここでは、日本から距離的に遠く、多くの日本人にとって感覚的にも縁の薄いアフリカ大陸の諸国が極東の日本で起きたこの惨害に対してどのような反応を示したかについていくつかの例を紹介することとしたい。

1. お見舞い状
アフリカ大陸53ヵ国の内、現在内戦中である1ヵ国を除いた52ヵ国の大統領、首相等から、また、
アフリカ連合等4つのアフリカの国際機関の事務局長から、天皇陛下、総理等に対しお見舞いのメッセージが届けられた。各国首脳は、その中で、弔意と連帯の意を表すると共に、「勤勉な日本国民がこの厳しい苦難を勇気と献身の精神で乗り越えるものと確信しております」、「日本がこの惨事に耐え、早期に立ち直り、正常化及び繁栄に向けた復興を進めることを確信しております」等々と述べ、日本人の勤勉さ、不屈の精神をもって日本が早期に再建復興することに期待感を示している。

2. 救助チーム
震災発生直後、19ヵ国・地域が被災地に救助チームを派遣したが、その内の一つが
南アフリカ救助チームであった。南ア・チームは総勢45名、3月18日から27日まで滞在し、宮城県の岩沼市、名取市、石巻市、多賀城市において救助活動を行った。

(1) 南ア・チームは、現地で使用する機材や宿泊用テント、チーム用の食料等総量12トンの装備品を持ち込み、南ア側手配の車両で、また、福島第1原発の状況も了解の上で(放射能防護服も持参)現地入りした。

(2) 同チームは、宮城県警、地元警察の要請に従い、「言われたことは何でもやる」との姿勢で割り当て区域の捜査活動を行った。同チームは規律を守り、高い士気をもって活動し、資器材の整理整頓、隊員の行動等に厳しい指示が徹底され、現地警察、地元民より高い評価を得た。

(3) また同チームは、瓦礫の下の捜査やその撤去作業に加えて、外国救助部隊では唯一ゴムボート(2隻)を持ち込み、冠水した地域で水上、水中での捜査活動も行った。

3. 義援金
(1) 在京アフリカ外交団の外務副大臣表敬
3月30日、在京アフリカ外交団を代表する10名のアフリカ大使が高橋外務副大臣を来訪して、東北地方太平洋沖地震に対するお見舞いと日本国民に対するアフリカ諸国の連帯の気持ちを表明した上で、5月に予定していたアフリカ・デーの行事を中止し、その予算120万円を被災者のために寄付した。

(2)これまで、2ヵ国から人道支援物資の支援の申し出に加えて15ヵ国から義援金の申し出があったが(この内の10ヵ国がGNI一人当たり2ドル/日のいわゆる最貧国)、各国の日本国大使館には一般市民、学校・NGO等の代表が義援金を持って弔問のために訪れ、また各種団体が義援金募金のための行事を催している。

4. 各国における行事
(1) ジブチにおける「日本国民との連帯の一日」
ジブチ政府は、ゲレ大統領のイニシアチブの下に、3月23日を東北地方太平洋沖地震の被災者に捧げる「日本国民との連帯の一日」とし、各種行事を実施した。当日、大統領、首相、主要閣僚等が在ジブチ日本国大使館を訪れ、弔問記帳した後、約800名が出席する式典がジブチ市内の「東京広場」(1996~97年、日本の援助により整備された主要道路の起点ロータリー付近)で開催された。この式典には、ジブチ側より、ゲレ大統領、主要閣僚、国会議長、国会議員、宗教関係者の他一般市民が、日本側より、大使、館員、自衛隊部隊(ソマリア沖派遣海賊対処行動部隊の代表約50名)、JICA関係者(青年海外協力隊員を含む約20名)、在留邦人が出席した。

(2) モザンビークにおける「平和と連帯のための行進」
4月2日、大震災のお見舞いと連帯の表明のため、「平和と連帯のための行進」を行い、ゲブーザ大統領夫妻を始めとする政府関係者、一般市民等多数が参加した。

(3) スーダンのインターナショナル・スクール(KICS)生徒有志による支援活動
KICS(生徒数約450名、日本人生徒3名)は4月3日から8日までを「日本支援週間」とし、その間、日本映画会、菓子販売会等を実施すると共に、企業をめぐり募金活動を行った。4月14日同校講堂にて、生徒、校長、、教師、父兄等約150名が参加し、上記活動にて集めた義援金米貨5,800ドルを現金で日本国大使に手交、日本赤十字への送金を依頼した。

(4)セネガルにおける義援金贈呈式
セネガル政府は、ワッド大統領のイニシアチブにより、1億FCFA(約1,800万円)の義援金を寄付することに決定し、4月18日セネガル外務省において、日本大使に対し義援金贈呈式を行った。その際、ニョン外務大臣は、「日本の被災者に対する弔意を表するため、自分を始めとする政府関係者が日本大使館にて記帳を行ったが、その後、セネガル市民の強い声もあり、セネガル政府として未曾有の困難に立ち向かう友人に対し義援金を寄与することを決定した。」と挨拶した。

(5)コンゴ民主共和国における追悼マラソン大会
4月10日、NGO主催による追悼マラソン大会が首都キンシャサで行われ、約300名が参加した。

国連によると、2011年に日本が世界から受ける義援金、物資の合計金額はスーダンを抜いて世界第一位になるとのことであるが、これを聞いた大部分の日本人は、世界各国よりの心温まる各種支援に感謝しつつ、被災地のみでなく日本全体の再生・創生を一日も早く達成し、これまで以上に、国際社会の平和と安定のため積極的役割を果たしていきたいとの決意を新たにしたに違いない。世の中はつくづく「困った時はお互い様」であると思う。日本は1945年の敗戦後、ガリオア・エロア援助等のお蔭で飢餓地獄から救われ、世界銀行からの借款で東海道新幹線、東名高速道路、黒四ダム等を建設し、基幹産業の復興・発展を実現したのである。日本は1954年にはコロンボ・プランに加盟し、賠償と相まって経済協力に取り組み、1990年代の8年間はODA(政府開発援助)実績で世界第一位であった。その後、日本経済の不調により、日本のODA金額は最盛期の4割に減り、順位も第五位まで下げている。ODAの効用については色々なことが言われているが、今回、エチオピア全土を代表する宗教諸団体指導者から菅総理に届けられたお見舞い状「日本政府及び国民に対する哀悼表明メッセージ」の中での下記一文は、日本が実施してきた国際協力が正しく評価されていることを示唆している。
「世界第三位の経済大国である貴国は、発展の継続が期待される世界において、中心的なあらゆる役割を果たしてきています。エチオピアのような発展途上国に対する貴国の継続した支援は、我々すべてが評価している真の友情と協力に基づく模範例となっています。日本政府及び国民は過去数十年にわたり、自らの資源を使い、天災及び人災の影響を受けた国々を支援してきました。それ故、国際社会が、日本の寛大さに対するお返しとして、国家の危機にある貴国を支援するためにあらゆる可能な手段で応えると我々は固く信じております。」

かつて、日本製品の高品質を称える言葉の前置きとして、「以前の日本商品は安かろう悪かろうであったが、」と言われたものだが、日本のODAもその轍を踏むことにならないよう心から祈りたい。評判を上げるには長い年月を要するが、評判を下げるにはそんなに時間はかからない。国際社会の名誉ある一員としての地位を保つために、長期的視野に立った国際協力が不可欠であると考える。
                     (2011年5月18日 寄稿)


『大震災のあとは外交も新たに』 2011-5-20

『大震災のあとは外交も新たに』 



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              元駐デンマーク大使 小川郷太郎

大震災で見えたこと
国難ともいえる今度の大震災で、三つのことが国民の目にも明らかになったように思う。
ひとつは、日本人の持つ素晴らしい資質である。未曽有の大災害にあって冷静沈着に行動し、秩序や礼節を守る日本人を世界中が驚き称賛した。さらに、日本は先端技術や製造技術、多様なジャンルの文化などで世界中の評価を受け、また核廃絶などの平和外交や世界中の途上国への援助(ODA)でもよく知られ、徳性のある国家だとも思われている。
もうひとつは、多岐にわたる世界の深い相互依存関係の現実である。工場の被災で世界中の生産現場に影響がでたが、逆に見ると、食料も含め資源の乏しい日本の対外依存度は極めて高いことだ。
最後に指摘したいのは、日本は一人ではないということである。震災直後からの日本人同士の助け合いも心温まるが、貧しい途上国やときに緊張が生じる近隣国を含め、全世界が日本に温かい応援の言葉を送り支援の手を差し伸べてくれている。上述した日本の資質への評価が世界中からの日本支援の背景にあることも、私はあえて強調したい。

日本再生の機会:全く新しい考えと行動を
今般の震災は、不幸にして衰退期が始まりつつあった日本を襲った。グローバリゼーションがますます進み、世界の相互依存関係が否応なく強まってきた最近の20年余り、日本は経済の低迷もあり内向き傾向を強め、少子化が急速に進む中で必要な改革も怠ったまま、政府開発援助(ODA)を大幅に削減するなど時には世界の流れに逆行するような行動もとってきた。その結果、日本は国際社会の中で少しずつ影響力を失いつつあった。
 私は4月半ばに震災地を訪ねた。街全体が灰燼に帰したような凄まじい現場に立つと、かつて見たことのある終戦直後の東京の焼野原の写真を思い出した。大震災を、明治維新や第二次大戦後のような国の方向の転換を図る機会と考えてもよい、そのためには全く新しい考えと行動が必要だと感じた。
発想の転換という見地からは、例えば「生き方」についても考え直し、物質的便利さ追求から心の幸せ重視の方向に少しでも舵を切るチャンスでもある。破壊された地域の再興には、これまでの土地所有制度を変更した高台への集合住宅化、教育・医療・介護を一体化した新コミュニティの創造、製造業・農業・漁業の産業基盤の集積、最先端の技術を駆使した電力・上下水道・交通システム配備などの新しい発想も必要であろう。エネルギー政策の転換や社会保障と税制改革などでも大胆な発想で早急な取り組みが求められる。

「世界の中の日本」の視点を
内政上の改革をここで論じる余裕はないので、外交に焦点を当てて提言を試みたい。日本が世界の相互依存関係の網の目に深く組みこまれている事実を踏まえ、今後の復興と発展のためには「世界の中の日本」という視点が不可欠だ。
第一に、政府開発援助(ODA)の概念を発展的に解消し新たに「国際協力費(仮称)」という予算項目を創り、この費目のもとで、単に途上国への開発援助だけでなく、日本が得意な技術や文化の分野で各国と協力・交流し、世界に貢献する活動を強化する。予算規模は、膨大な財政赤字のもとで困難ではあるが、当面GDP の0.5%を目標にし、将来財政赤字解消に目途がついた段階で1%を目指す。0.5%という数字は防衛費の半分であるが、対外依存度の高い日本の再興を図る国策上の重要経費と認識すれば高いと考えるべきではない。
第二に、唯一の被爆国である我が国が国連の安保理常任理事国に入ることである。現在核保有国で独占されている常任理事国グループに戦後徹底して平和外交推進に努力してきた日本が加わることによって、平和に向けた影響力を強化することが出来る。安保理入りに向けた努力をあらためて強力に推進すべきである。
次に必要な方向は、長期的な日本の国益を考え、国をさらに開く政策だ。具体的には、当面の政策として環太平洋連携協定(TPP)への参加がある。そのために農業を企業化するなどの改革を進める必要がある。また、少子化に伴う労働力需給バランスも考慮して外国人労働者を含めた人的資源について一層の開放策をとることも重要である。
最後に、目指すべきもう一つの方向は、アジア太平洋地域で日本が敬意を受けながら指導性を発揮することである。言うまでもなく、中国やインドなどの新興大国を抱えるアジア太平洋は世界の中で最もダイナミックな地域である。中国はますます存在感を高め、安定勢力であるアセアンは2015年の経済共同体実現に向かっている。日本はこれまでアジア諸国の発展を支援し地域諸国の信頼を勝ち得てきたが、時として「歴史問題」で中国や韓国等の近隣国から批判を浴びたりもした。中国が台頭し、東アジアが共同体を目指す動きの中で日本が重要な役割を果たすには、経済の活力を高めることと歴史問題を克服して域内諸国の信頼を回復すことが不可欠である。歴史問題の克服のための数少ない現実的な方法は、1995年の終戦50周年を機会に発表された村山首相(当時)の談話の趣旨を日本国の最高首脳と国民のレベルで再確認して、誠実な域内協力関係をリードすることである。今後の日本にとって、日米関係とともに良好な日中関係が最大の課題である。

何よりも政治主導が必要
このような日本を築くためには、何よりも政治主導が必要になる。福島第一原発事故を見たドイツのメルケル首相は、いち早く脱原発政策を明確にした。原発に限らず社会保障、税制、地方分権、少子化対策など国の大きな制度に関し、日本の変革は嘆かわしいほど遅い。一刻も早く政治の閉塞状況から抜け出すため、なるべく早い時点で総選挙を実施し、政界再編成を通じて信頼される政権を作ることがどうしても必要になる。
                           (2011年5月16日 寄稿)




『福島原発事故の国際的な影響』 2011-5-9

『福島原発事故の国際的な影響―原子力の安全には国境はない―』




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             遠藤 哲也 
              元 原子力委員会委員長代理

 どこかで事故が起これば、地球全体の事故になるとのことわざどおり、福島第一原子力発電所の事故は世界中に大きな衝撃を与えた。特に、事故が原子力先進国と自他共に許す日本で起こっただけに、その影響は大きかった。事故への対応については、去る4月17日、収束へのとりあえずの道筋が東京電力から発表されたばかりで、これが今後どのように具体化されてゆくかが問題である。いずれにしても、事故への対応は現在進行中であり、各国の反応などもとりあえずのものであることをことわっておきたい。

(各国の原子力政策への影響)
第一にTMI、チェルノブイリ事故の後遺症からようやく立ち直り、「原子力ルネッサンス」が云々されるようになった昨今だが、今回の事故により原子力発電は再びきびしい逆風にさらされることになった。しかし、だからといって「原子力よさようなら」というわけでは決してない。事故後のギャラップの世論調査をみても(世界47国・地域)原子力発電への賛成は落ち込んではいるが、それでも賛成49%、反対43%となっている。
第二に、ただ、各国に共通して言えることは、安全性への非常に強い要求である。従来、原子力安全はそれぞれの国の主権事項とされていたが、チェルノブイリ事故以降それはそれとしても世界各国の共通関心事項となった。IAEA事務局に独立した原子力安全局が設けられたのもこの頃である。安全条約の締結、ピュア・レビューの実施、WANO(World Association of Nuclear Operators)の発足、セーフティー・カルチャーの重要性の認識など新しい発展がみられるようになった。来る6月下旬にIAEAで閣僚級の安全会議、9月にはIAEA総会、他方G8、G20 においても議長国フランスの音頭によって福島事故にからんで原子力安全問題がとりあげられる予定である。このように、今後安全問題は国際社会の一層の関心を引くようになり、安全についてより具体的な国際的な統一基準ないしガイドラインの形成の方向に進んでゆく可能性がある。
第三に、事故の影響は国によって相当に違うことである。やや大雑把だが、次のようないくつかのカテゴリーにわけられる。
(1) 原子力発電を積極的に推進しており、これからも引続いて積極的に推進
しようとする国
フランス、ロシア、韓国、インド、中国など
(2) チェルノブイリ事故後、脱原子力を指向していたが、近年前向きに方針を変えつつあった国
スウェーデン、ドイツ、イタリア、スイス、英国など主として欧州諸国だが、これらの諸国では市民の間に再び原発不信感が高まり、かつての脱原子力に立ち戻るきざしがみられる。
(3) 新規原子力導入国だが、既に導入を決定している国と導入を検討している国の二つに大別される。
具体的に導入を決定しているUAE、ベトナム、トルコなどについては、若干の遅れはあっても計画は実行されよう。
しかし、未だ検討段階に有るヨルダン、マレーシア等については当分の間慎重な待ちの姿勢をとるのではなかろうか。
(4) 米国については、オバマ政権は発足以来、原子力発電は米国にとって不可欠であるとしていたが、次第に旗色をより鮮明にして来ている。(原子力をクリーンエネルギーの一つとしてはっきりと位置づけている)その一方で、事故による原発に対する不安の高まりをうけ、原子力規制委員会(NRC)に対し、国内原子炉の包括的安全点検の実施を命じている。
しかし、米国で30年間以上途絶えていた原発の新規建設が始まるか否かは、むしろ商業的考慮に大きく左右されよう。

(日本からの情報発信に対する不信など)
 今回のTriple Disasterのうち地震と津波については、秩序正しい日本、思いやりの精神に富みかつ団結力の強い日本、冷静な対応など諸外国からいささか気恥しい位の評価が寄せられた。だが、原発事故への対応については、外国の見方はそれとは違って、必ずしもポジティブなものばかりではなかった。二つだけとりあげてみよう。
 その一つは、情報の発信についてである。今回の事故について、外国の報道振りや在日外国人の行動をみる限り情報の発信が適切に行われていたとは思えない。日本の情報は、自分に不都合なものは隠し、甚だ不透明であり(disturbingly opaque)、影響を意図的に過小評価しているなどとの先入観が抱かれているためか、今回の事故情報についても外国からはそのような色眼鏡を通じて見られていたきらいがある。それには、言葉の問題もあろうし、殊に、原子力は素人が理解しにくい専門分野だという理由もあろう。又、日本の原子力関係者が一種の閉鎖的な「原子力村」を作っており、その中で政・産・官(官については規制と推進の未分離の問題もある)・学がもたれあい、「ムラ」にとって不都合なことは外に出さないといった悪弊が根強く存在しているとの見方もある。いずれにせよ、こういったことには根本的にメスが入れられなければならないし、今回の事故は禍を転じて福となす又とないチャンスでもある。
 今一つは低レベル放射性汚水の海への放出である。これは止むを得ない措置であったと思うし、国際法上も規制されている措置ではない。
 しかしながら特に中国、韓国、ロシアなど近隣諸国に対しては事前に十分に説明しておくのが、外交上望ましくかつ必要であり、前者の適切な情報の迅速な発信とともに今後国際社会に対し十分に配慮すべきである。
                     (2011年5月5日 寄稿)




「東日本大震災、外国からの支援に感謝を忘れずに」2011-4-21

『東日本大震災、外国からの支援に感謝を忘れずに』




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              前駐モロッコ大使 
              元国連工業開発機関(UNIDO)事務局次長
              広 瀬 晴 子



未曾有の大震災、大津波、それに続く福島原発の事故から一月が過ぎ、東北の惨状は日々が経つにつれますますその悲惨さ、長引く避難所での不自由な生活、なかなか先の見えない福島原発の事故の収束と放射能汚染の影響等々、胸の塞がれる思いである。一方で、そのような中でも前向きに生きようとしている人たち、自衛隊、警察・消防そして東電関係者の第一線で日々懸命に働いている方達、多くのボランティア若者達等の奮闘振りには目覚しいものがある。敬服すると共に、この力で皆で頑張れば、日本は大丈夫と明るい気持ちにさせられる。

今回の大事故は現代の日本の経済発展に伴い物資に恵まれ、快適で豊かな暮らしをしてきた我々に様々な苦難を与え、色々と考えさせられることがあった。
1.自然の猛威の前に人間の万全を期したはずの対策はなすすべもなかったこと
  (防潮壁しかり、原発の安全装置しかり)
2.今後の日本のエネルギー政策をどうすべきなのか、原子力発電はどうすべきなのか?
3.多くの国から支援が来ると共に原発のニュースは世界を駆け巡り放射能の脅威を
  与えたこと
4.今後の復興はどうあるべきか、思い切った発想の転換が必要なのでは?
  どれも難題であるが、ここでは3に焦点をあてて考えたい。私にはどうも世界の中での
  日本という観点での報道が少ないように思えた。これは我々の意識にもよるもの
  だろうが…

外国からのお見舞い、支援は震災・津波の直後から続々と集まり、神戸の震災の時を遥かに上回り、我々の想像を遥かに超えた規模で140カ国を超える国からの支援、応援が集まっている。各国の支援は物資、義援金、救援チーム派遣の提供等様々で、国別リストと概略は外務省のホームページに出ているが、それを少し詳しく見てみると、先進国、近隣のアジアの国だけでなく、あまり目立たず報道もされていない国々、例えばアフリカの国、南アやボツワナ、ナミビアから、貧しいLDCのタンザニアやルワンダ等の国、スーダンのように紛争に苦しむ国からのものが沢山あるのに驚かされる。結構な額(8千万円とか8百万円)の義援金に、口々に日本にはいつもお世話になっているからこんなときには恩返ししたいという心のこもったメッセージをそえて。これらは、日本が今までに、やった、やったとあまり宣伝はしないものの地道な経済協力を続けていること、世界各地の大災害の折にはいち早く応援に駆けつけて支援してきていることへの感謝のあらわれともいえよう。世の中、世界規模でもちつもたれつ、友人たちのありがたさに感謝すると共に、このことを忘れないようにしなくてはと思う。

また、原発の事故の処理が中々収束しないと見てアメリカ、フランス等からの応援がサルコジ大統領やクリントン国務長官自ら來日し、日本政府に支援を申し出、専門家を送ってきている。彼らのフットワークの良さに感心すると共に、まさに日本の原発事故の行方が他の国、特に原発に頼る割合の強い国にとっては大変大きな影響を持っている現われといえよう。すでにドイツなどのように、グリーン・パーティーが躍進、原発をやめて自然エネルギーの開発に的を絞ることに決定した国もあり、大きな政治問題となる可能性もあるので関心が高いわけである。
それらの事柄に対して日本の報道振りはどうも分かりにくく、海外での心配をあおったり、風評被害の原因にもなっていると思われる。事実に基づいた偏らない論理的な説明と、今後の可能性をはっきり示すことで被災者にとっても他の人々(外国も含む)にも不安がなく理解できるようにする必要があろう。また、外国向けには地図も示して放射能の被害も限られた地域にとどまっており、なによりチェルノブイリとは違って地震発生時に原子炉は停止していることをはっきり分かってもらうことが大事であると思う。炉や建屋が損傷して放射能の汚染水が漏れていること、その封じ込めにまだしばらくかかること等から油断は出来ない状況ではあるものの日本全体が汚染されているかのような誤解はさけたいものである。

日本の食料の海外依存が高いことはかねがね言われていることでながら、改めて世界の国々との協力、協調の大切さを思い起こしたい。今回の日本の大惨事には我々日本人が総力を上げ努力すると共に、寄せられた支援はありがたく受けて復興の助けとさせてもらいたい。そして将来世界のどこかで災害が起きたときや、紛争や貧困で支援が必要と思われる国や地域に日本が支援を惜しまず、できる時がくることを信じたい。そしてそのためにも国内の様々な支援と復興をめざした活動と共に海外からの支援についても報道・発信をもっとして欲しいと思う。






「大震災からの復興―国際社会にも目配りを」 2011-4-14

『大震災からの復興―国際社会にも目配りを』


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   元外務審議官 株式会社日本総合研究所 国際戦略研究所理事長 田中 均



 東日本大震災で失ったものはあまりに大きく、それを言葉に出すことすら躊躇してしまう。しかし、いつまでも頭をたれているわけにはいかない。大震災によって私たちが見えてきたものも多くある。これから何をしなければならないか、冷静に考えるべきだ。日本が取り組まなければならないのは、単なる「復興」ではなく、日本の「新生」である。
 大震災で最も目に付いたのは、危機に対する備えの貧弱さだ。地震大国日本は、津波や原子力発電所の安全確保に十分な投資をしていたとは言い難かった。企業も、製造拠点や経営拠点の分散に十分意を払ってこなかった。他の地域からの融通を含め、電力供給の危機管理計画は不十分だった。

 今後の日本に必要なのは、復興会議や復興庁より、従来の縦割り行政を廃し、新しい計画で国土と産業を再構築する「日本新生院」とでも言うべき機能の創設である。東北地方の復興は、都市や産業の再配置を含めた国土保全の観点を持つ計画に基づく必要がある。
 企業も含めて危機管理計画を策定し、実行することが求められるだろう。安全への投資は、危機がなければ無駄になり、非効率と考えられるかもしれない。だが、先進国は国民の安心のために必要な投資を怠るべきではない。
 原子力安全行政の不十分さも露呈した。日本に原子力安全技術や関連の研究者、学者が不足しているわけではない。電力会社や経済産業省、学者ら原子力推進者から全く独立し、安全の基準を定めて履行する規制当局の存在が欠けているのだ。国際的な安全基準の見直しと独立した規制当局の設置が、原発建設再開の前提である。
 大震災は、私たちと国際社会の関係を見直す貴重な機会でもある。150を超える国、国際機関の支援や多くの国と個人からの義援金の拠出は、大変心温まる動きだった。これらの支援は、大津波被害の大きさに加えて、日本が国際社会で高く評価されている国であることとも無縁ではない。

 とりわけ米国は、被災者の支援、行方不明者の捜索、福島原発事故の処理など、あらゆる面で大きな援助を提供した。在日米軍も多くの兵力を割き、常に自衛隊との共同オペレーションという原則を守りながら支援をしている。私も長い間、米国との関係に携わってきたが、今回ほど同盟国のありがたさを感じたことはない。
 当面の最大課題が震災からの立ち直りであることは論をまたない。だが対外関係は二の次といった考えに陥るべきではない。例えば、国内の資金需要が大きくなるので当面は政府開発援助を減らすとか、自由貿易拡大のためのTPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加を先へ延ばすといった安易な考えに走ってはならない。
 復興財源は、財政基盤を再構築するという待ったなしの課題と矛盾しないよう、結果的には増税で賄っていく必要がある。その際、国際協力も重要な経費に位置づけて、援助が大きく減っている現状から反転してほしい。TPPの前提となる農業の自由化も、東北地方の農業再生と両立しうるはず。東アジアでの大きな変動を踏まえて日米同盟の進化を実現させる、日米戦略協議と首脳間の会合をいたずらに遅らせるべきではない。

 待ち受ける数々の国家的大事業を前に、与野党がねじれ国会で政局的やり取りを繰り返す余裕はない。必要なのは、与野党の完全な協力体制を構築し、あらゆる人材を活用して事に当たることだ。次期総選挙まで、例えば2年と時限を区切った民主党と自民党の大連立こそが、日本を救う道である。

         (2011年4月13日付毎日新聞コラム「世界の鼓動」より転載)

「中東和平」 2011-4-11

『中 東 和 平』


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  日本政府代表(中東地域及び欧州地域担当) 飯村 豊

 大震災が起きる直前の2月下旬,私は政府代表としてシリア,イスラエル,パレスチナを訪れた。
 今,世界で大きな地殻変動が起きつつある地域をあげよと云われれば,私は東アジアと中東をあげる。東アジアにおいては中国とインドという新興大国の台頭に伴い国際関係の再編が進行しつつある。太平洋・インド洋の制海権を握り,多くのアジア諸国に政治的・経済的影響力を維持してきた米国との間にどのような勢力均衡が作られていくのか,北朝鮮問題の収束の行方とも絡み合い,東アジアの将来を決めていくだろうと言われている。
 もう1つの中東地域は第1次世界大戦の発火点となったバルカン半島にもしばしば比べられる。第2次世界大戦以来イスラエルと近隣のアラブ諸国との間に4回に亘る中東戦争が戦われ,湾岸地域ではイラン・イラク戦争,湾岸戦争,イラク,アフガン戦争が闘われてきた。中東では東アジアと違い,米国自身の政策が必ずしも腰が定まらず,また,イスラムの急進化も進み,国際社会は火山地帯のマグマの上にいるように感じてきている。
 そこに,今回の各国での民衆蜂起である。反政府運動は各地に燎原の火の如く広がり,曲がりなりにも地域の力関係の基礎的エレメントとなってきた各国の独裁政権を脅かし,転覆しつつある。私が中東を訪れたのはチュニジア・エジプトで上がった火の手がシリアに本格的に及んではいない時であった。

 シリアではダルダリ副首相,ムアッリム外相,シャアバーン大統領補佐官等に会ったが,いつシリアに火の手が上がるかわからないという不安感,機先を制するために政治改革を加速化すべきか否かの躊躇,そしてエジプトと異なり米国には追従しない外交を守ってきたことが,民衆にも支持されているとの自負,当然口には出さないが巨大な治安組織が民衆の動きを抑え込むだろうという秘かな確信,場合によってはエジプトに代わって中東における安定勢力となり,西側との関係を深め,経済の発展を図ることができるかもしれないとの期待など様々な気持ちが渦巻き,それも人によって濃淡の違いがあるように見受けられた。しかし,このようなシリアにも,私が離れた数日後には津波が押し寄せ,問題の焦点は外交政策ではなく,体制の在り方であることがはっきりしてきた。

 イスラエルではリーベルマン外相,中東和平交渉を担当するモルホ首相特別顧問などと会談した。中東の政治情勢の混迷の結果,これまでイスラエルの安全保障を支えてきたエジプトとヨルダンとの和平の将来に不安が生まれつつあり,他方では,レバノンではヒズボラの勢力が強大化し,更にはイランの影響力が地域に広がる中で,イスラエルの現政権の指導者は自国の周辺の地域の行方を不安の眼で見ている。ネタニヤフ政権は,ここは守りを固くして,嵐の中で迂闊な譲歩をするわけにはいかないとの思いを定めているように見受けられた。いかなる和平であろうともヨルダン渓谷におけるイスラエル軍の駐留を認めるものでなくてはならないと強調する姿が印象的であった。
パレスチナ自治政府のアッバース大統領に会ったのは今回が10回目であったが,同大統領の言辞からは,オバマ政権への失望のみならず,オスロ合意は一体何だったのかとの懐疑心が強まりつつあることがうかがえた。とりつくしまのないネタニヤフ政権を前に,本意ではないが,この9月の国連総会においてパレスチナ国家承認を勝ち取るために国際世論に訴える道を進まざるを得ないとの気持ちが強まっているように見受けられた。イスラエルが受け入れない和平は実体がないが,イスラエルに米国が圧力をかける気持ちがないならば,国際的キャンペーンに頼らざるを得ないというのであろう。
 今,燃えさかるアラブ民衆の怒りの火が,これからの中東の姿をどう形づくっていくのか,まだ誰にも分からないだろう。はっきり言えることは,どのような中東になったとしても,更に言えば,私達が期待するように,より民主的な政体がアラブ各国の主流になったとしても,イスラエルとアラブ諸国の関係が正常化されず,パレスチナで不正義が行われているとアラブの人々が思い続ける限り,多くのアラブ人は国際社会の現状打破勢力に心を寄せ続けるだろう。

 シリアのムアッリム外相の述べることを額面通り受けとることはないが,彼の一言が記憶に残っている。「今年末からは米国オバマ政権も完全に大統領選挙モードに入るだろう,次期大統領が中東和平のイニシアティブをとることに積極的になるとは思えない,我々の前に残された時間はあと残りの数ヶ月,ここで中東和平プロセスを軌道にのせておかなくてはならない。」同外相のこのような発言の背後にある政治的意図は別にして,時間の感覚に関する限り,正鵠を得た発言ではあるまいか。
私の印象では,アッバース大統領も同じようなタイム・フレームを持っていると思う。国際世論を動員すると言っても心は米国主導の和平プロセスの推進であると思う。ヨーロッパ,特に英,仏も和平を前進させたい,そのためにはEUとしての特色を出しつつ,米国をサポートしなくてはいけないとの気持ちだろう。ムバラク政権崩壊前のエジプトや政治不安期に入る前のヨルダンも今年中に和平を前進させたいとの気持ちでは同様であった。問題は,米国の現政権が腰を上げるのかということである。日本の役割も,米国とイスラエルが和平プロセスをめぐり国際社会で孤立するような絵柄が現れないように努め,米国のイニシアティブの下に和平が前進するよう支えていくことにあると思われる。
 今,中東を席巻している大きな津波が沈静化した後に出てくる新しいアラブ世界は従来以上にイスラエルを厳しい視線で見る可能性が大きい。また,アラブとイスラエルの対立がイスラム原理主義の先鋭化の肥沃な土壌を提供していることを忘れてはならない。
 我々は,当面震災と福島原発問題への対応,更には復興に向けて全力を注がなくてはならないが,同時に日本がこの難局から再び立ち上がることを志すとすれば,これからの何年かを「失われた外交」の時代にしてはならない筈だ。特に,日本国民の生活に直接関わりのある東アジアと中東では,地域全体に歴史的地殻変動が起きつつあるだけに外交の手綱を緩めてはなるまい。               (4月5日寄稿)








「日本は「第三の奇跡」を起こせるのか」
2011-3-31



『日本は「第三の奇跡」を起こせるのか』



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 元駐スウェーデン大使  大塚清一郎

未曾有の大震災が日本を襲ってから2週間が過ぎた。まずは、被災された方々には心からのお見舞いを、亡くなられた方々には謹んでお悔やみを申し上げたい。
危機管理には3つの要諦があると言われている。
第1が迅速、果敢な初動対応。第2は「悪いニュース」ほど迅速に正確に伝達することだ。特に、福島第一原発については、菅首相が震災の翌日、ヘリコプターで視察しことは「現場重視」という意味では良いとしても、その後の肝心な初動対応の遅さ、危機認識の甘さ、後手、後手の情報伝達等を見て、歯がゆい思いで事態を見守っているのは私だけではあるまい。最悪の事態を想定した自衛隊、警察、消防、地方自治体などの迅速果敢、包括的・有機的活用が必須であることは言うまでもない。予断を許さない福島第一原発事故を最大限の努力でなんとか封じ込めて貰いたい。

総理は国難に対処する最高司令官だ。記者会見では、国民の耳には痛く厳しくとも、正しい情報を迅速に知らせて貰いたい。 それが「最悪の事態のニュース」であっても、である。更に、最高司令官には、テレビを通じた「国民へのメッセージ」では、この大震災を乗り越えるための国民の「気力や勇気」を鼓舞する「力強い言葉」で語りかけていただきたいものだ。
震災発生後、諸外国からは、日本人の冷静な対応を称賛する言葉が伝わってくる。それはそれで心強いことだ。「不屈、自制心、連帯、勇気」、英語では“resilience” という言葉が目につく。2005年8月、米国ルイジアナ州をハリケーン「カトリーナ」が襲った際の米政府の対応の遅れ、暴動、略奪、放火などの被害の記憶が生々しい。米国人には、今回の危機に冷静に対応する日本人の行動は称賛に値すると映るのかもしれない。しかし、これらの称賛を手放しで喜ぶ訳にはいかない。日本でも、頻発する震災詐欺、被災地での灯油やガソリンの火事場泥棒などの醜い被害は枚挙にいとまがない。我々日本人は心を戒めて、これからの正念場に立ち向かわねばならない。
危機管理の第3の要諦として、「修羅場でのユーモア」も忘れてはなるまい。第二次大戦中のポーランドのアウシュヴィッツ収容所の中で、ユーモアを忘れずに実践した人物のことを想起したい。ユダヤ人の心理学者、ヴィクトール・フランクルは、収容所生活のある日、建設現場で働く仲間に提案した。「毎日、義務として最低ひとつは笑い話を作って皆で交換しようじゃないか」 奇跡の生還を果たした彼は、『夜と霧』の中で「ユーモアは自分を見失わないための魂の武器である」と書いている。これからの苦しい復興への道を我々日本人は歯を食いしばって進まなければならない。修羅場でのとげとげしいひと言は周りの人々のやる気を削ぐ。折角のチームワークを一気に崩してしまう。長丁場での「ストレス管理」や「心のケア」は、これから益々大事になるだろう。
日本は、明治維新、戦後復興に続く「第三の奇跡」を起こすことが出来るのか?これからの5年、10年が正念場となる。それは、単に物理的な「復旧」ではなく、震災を機会として「新生日本」に向けた視点を生かしたものでなければならないだろう。被災地を災害に強く、高齢者や環境に優しい「町づくり」にしてゆく視点も肝要だ。

日本の底力を信じたい。底力は追い込まれてこそ出る。特に日本の若者の開発途上の底力に期待したいものだ。しかし、日本の底力を発揮させるには、妨げとなる「政治の足枷」を取り払わねばならない。党利党略に走る日本の政治の貧困からの早急な脱却が急務である。そのような条件が整えば、復興への道筋に光が見え始めることだろう。「危機」は、熱意と創意工夫で必ずや「機会」に転化出来る。それが出来た時、世界は「日本の第三の奇跡」と呼ぶに違いない。
 昨日、新聞で時事川柳を目にした。<東北の桜それでも春を待ち> 惨禍の悲しみに包まれた日本列島にも桜の季節がやってくる。内向き志向を脱し、再び元気よく胸を張って歩きだす日本を見たいものだ。       (平成23年3月28日執筆)



『誰もが知りたい:チュニジア、エジプト、リビアに続く国はどこか?』2011-3



『誰もが知りたい:チュニジア、エジプト、
リビアに続く国はどこか?』


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立命館大学客員教授・外交政策研究所代表 宮家邦彦

 昨年の焼身自殺事件を発端にチュニジアで騒乱が起こり、1月14日ベン・アリ大統領は国外に脱出した。その後エジプトでも大規模デモが始まり、2月11日にはムバラク大統領も退陣した。世界の中東専門家も「意外にあっけない」と思ったことだろう。

 注目すべきは、中東の多くの国で「騒乱」は起きたものの、トップが退陣する「政変」は今のところチュニジアとエジプトだけであることだ。しかも、いずれも政体変更を伴うような「革命」ではない。やはり、「騒乱」と「政変」と「革命」はそれぞれ明確に区別すべきであろう。

 今の焦点は勿論、リビアだ。カダフィ一族支配という以外「政体」らしい「政体」が存在せず、軍部もエジプトのように強力ではない。もしかすると、リビアは本当に「革命」にまで発展するかもしれない。

 より重要な問題は「革命」成就後リビア原油の管理権を誰が握るかだ。現在のような千載一遇のチャンスをイスラム過激主義諸勢力が見逃すはずはない。リビア軍が迅速に全土を制圧でもしない限り、「革命」後リビアは今以上に不安定化する可能性がある。

 さて、今誰もが知りたいことは、「リビアの次」はどの国か、ではなかろうか。

 そもそも「騒乱」が「政変」や「革命」に至る条件とは何だろう。一つの仮説はこうだ。財政の豊かな王政国家は結局潰れない。共和制国家の強権的独裁者は、長期政権の下で「王朝」化したり、「世襲」しようとでもしない限り、簡単には潰れない。あくまで現時点での仮説でしかないが・・・。

 こう考えると、リビアの次はカネのない王政のバハレーンとヨルダン、共和制ではイエメンあたりが危ないことになるのだが、いずれもそう簡単には潰れそうにない。貧しい王家はそれなりに国民に気を遣うし、そもそもイエメンは誰が大統領でも国家再建は難しい。

 今回国際社会はリビアでの市民の無差別殺戮を強く非難しているが、昔の中東には今のリビアよりはるかに酷いことを平気でやった「独裁者」が大勢いたものだ。彼ら(とその息子たち)は今頃胸を撫で下ろしているのではないか。

 例えば、シリアだ。1982年ハマーという町に無差別攻撃をかけ市民数万人を虐殺したとされるのは、今のバシャール大統領に政権を譲った父親アサドではなかったのか。ハマーでの虐殺に比べれば、現在のリビア騒乱など実に「可愛いもの」である。

 シリアのような国家が今一番「安泰」ということ自体、今の中東諸国が直面する矛盾の奥深さを象徴しているように思えてならない。

「最近の援助に一言」2011-02-01

2013-05-16

最近の援助に一言        matsuitaishi.jpg


    元科学技術協力担当大使、援助政策ウオッチャー 松井靖夫

外務省が去る6月に発表した今後の国際協力の在り方では、効果的な援助を進めるため、
技術協力や資金協力を一体として進めるほか、NGOの重要性と開発コンサルタントの育
成を強調している。これらはよいと思うが、具体策は徐々にしか見えない。ここ一、二年、
援助論議が、政府関係者、アカデミックス、NGO、民間企業の間で行われたが、政府機
関と開発コンサルタント、NGOとアカデミックスの間でのそれぞれの役割について理解
と認識がいまだ収斂しておらず、オールジャパンの援助体制として強化されたとの印象は
受けない。これからは、対立点の強調よりも協力の実績による信頼関係の構築が大切であ
る。一例であるが、日本から遠く、地震で大きな技官を受け、いまだ立ち直れないハイチ
の復興現場では、自衛隊PKO部隊、援助事業を受注する開発コンサルタントのほか、J
EN、赤十字を含めた日本のNGO数団体が活躍する。道路、建造物、水道管、電力など
の復旧から、生活支援を行う援助事業に対し、住民を励まし、飲料水の確保、衛生教育、
住宅修理を手伝うNGOのアプロー干は、相互補完性があり、協力の余地は、大きいとハイチの現場経験をした開発コンサルタントは語る。政府援助関係者がこうした日本の援助コミュニティの信頼と協力強化の実績づくりをエンカレジしていくのが、いま求められていると思う。

もうひとつの援助論議は、援助の効率化である。財政赤字の累積の中、援助する側からも、
無駄をなくすべしとの意見は強い。長年やってきたが、プライオリティが下がってきてい
る事業や、ややもすると惰性で続いている手法を見直し、整理するいい機会であろう。し
かし効率化を軸とする議論をこのまま続けていくデメリットも大きいと思う。二国間援
助予算の継続的な削減は、集中と選択の余地を狭め、新しいチャレンジを難しくする。日
本だけがドーナーではないので、相手国から頼りに成らないと思われ、アジア、アフリカ
諸国は、新興国からの援助に魅力を感じているのではなかろうか。 日本の技術に基づくインフラ輸出と建設、大学間協力を含む科学技術協力、アフリカでの安全な水の確保から人口急増する途上国での上下水道、防災対策の強化など本問題への多面的な協力は国民にも理解しやすく、日本の利益にも結び付く。もっと推し進めてほしい。それと同時に、中国の経済協力とそれを使った政治的影響力の増大がみられる中で、援助と知恵を上手に活用し、日本の影響力を回復する戦略を具体化する時期にきていると思う。たとえば、中国が破格の経済協力を提示し、日本の企業が劣位に立つ状況では、OECDやDACの現在の資金競争の規制ルールにとらわれず、対等の条件をだすことが、不可欠である。想定されていなかった状況での新しい、ルールの策定は、1980年代、90年代に日本の台頭を前に欧米諸国が行ってきたことである。









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「外を見まわそう」 2011-01-01


2013-05-16

外を見まわそう         mrogawa.png

                  元駐デンマーク大使 小川郷太郎    



 最近の日本全体の内向き傾向は深刻だ。政治も、経済も、国民も、殆ど一億総視野狭窄状態に進んでいるかのように見える。
 国を主導すべき与党も野党も選挙配慮で動くばかりで、自ら描いた「国民の皆さま」の意向を念頭に互いに相手の足を引っ張り合う。社会保障制度が破綻しかけているのに消費税論議は先送りし、国の制度設計への行動はない。無駄排除を目指す「仕分け」の意図は良くても、政治家自身があまりにもミクロの予算費目に頭を突っ込みすぎて、大きな国の方向の構築はなおざりだ。経済力や軍事力を強大化させる中国への対応はそっちのけにして、尖閣ビデオ流出の犯人捜しや責任者糾弾に明け暮れる。かつて果敢に行動した日本企業はリスク回避の慎重姿勢を一層強め、海外の市場獲得競争で他国に後れをとっている。国内農業保護に固執するあまり、環太平洋の経済連携(TPP)などの世界の自由経済体制構築競争で置き去りにされつつある。国民も、ひたすら節約をし、過剰なほどにインフルエンザ予防のマスクをして、携帯電話の画面を見つめながら下を向いて歩く。中学生の国際学力比較で昨年少し盛り返したものの、日本の地位は傾向としては下がっている。世界大学ランキングでも日本の順位はどんどん下っている。しかし、若者の海外志向が弱まり留学生は激減している。世界がグローバル化でどんどん動いているのに、日本は内にこもって世界と逆の動きをしている。
日本の国力や勢いが継続的に下がっているが、気付いて焦る雰囲気もない。私は、その最大の責任は政治とマスコミにあると思う。政府は、「政治主導」「国家戦略」「有言実行」など、わざわざ口に出さなくても当たりまえのことを看板にしつつ、それ自体具体的内容のない言葉の中味を明らかにしないままでいる。マスコミは国内の個別の事件を過度に詳細に、かつ、連日繰り返し報道して国民の目をひたすら内向きにすることに貢献している。
世界の相互依存関係はますます深まるなかで、対外依存度のとくに大きい日本は世界大の視野で巨視的に物事を見る必要がある。政治指導者は選挙目当ての党利党略はやめて、与野党いっしょに随時世界の動きの現場を見に行ってはどうか。マスコミは、事件報道はほどほどにして、日本が直面する課題に参考になるような世界の流れや趨勢をもっと国民に知らせる努力をしてほしい。
(4月21日寄稿)




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