「リー・クワンユー講演集」を読んで2012.1.5
「リー・クワンユー講演集」を読んで
画像提供雄松堂書店
元駐シンガポール大使 橋本宏
2011年9月、シンガポールのCengage Learning Asia社から“The Papers of Lee Kuan Yew , Speeches, Interviews and Dialogues,1950-1990”が刊行され、同月末リー元首相出席の下、
同地において出版記念会が開催された。
これは、1950年のロンドンからの帰国に始まり、シンガポールがマレーシアから分離独立した
1965年の首相就任から、1990年の首相辞任に至るまで40年間にリー氏が行った演説、記者会見、
対談等を包括的に編纂した全10巻にも及ぶ大部の記録である。
リー元首相は、首相引退後上級相に、そして2004年には顧問相に就任し、2011年5月に閣僚職を
辞するまで、通算46年間シンガポール政府部内にあって、その建国と発展を直接指導してきた。
また、国際舞台でもその発言には常に一目が置かれていた。40年にわたるその発言録は、シンガ
ポールの歴史にとどまらず、東南アジア及び世界の動きを辿る上で、極めて重要な資料となって
いる。 リー元首相は、シンガポール占領期から敗戦、復興と発展、そして経済的停滞へと進んで
来た日本の姿を身近に見てきたこともあり、この発言録を通じて浮かび上がるリー元首相の見た
「日本の戦後史」は、極めて興味深いところである。
リー元首相自身の説明によれば、同元首相プレス担当秘書のYeong Yoon Ying女史の提案を受け、
本書の刊行に踏み切った由で、1990年から2011年までの間の発言録の刊行も予定されていると
聞いている。リー元首相も認めているように、本書は決して読みやすいものではないが、戦後の
東南アジアや国際政治の変遷を学ぶ上で大いに参考になる資料であると考える。
今般、株式会社雄松堂書店は、Cengage Learning Asia社との共同企画として、主として官庁や
大学図書館、企業図書館向けに、日本でも英語版を販売することとし、2011年12月14日、同社
及びCengage Learning Japan社との共催で日本発売記念行事が行われた。
筆者は来賓挨拶の一翼を担い、外務省アジア局地域政策課長、南東アジア第2課長時代及び駐シン
ガポール大使としての同国勤務中に得たリー元首相の思い出を話す機会をいただいたので、リー
元首相が、わが国の総理大臣をも惹きつける見識と政治家としての魅力を持っていたこと、わが国
における英語教育普及の重要性やゆとり教育への疑問を呈した鋭いコメント、日本経済の停滞に対
する懸念と市場開放の重要性の指摘、日本より早期に国を挙げてのIT発展やバイオテクノロジー
研究開発に着手した先見性等について、個人的に得たエピソードを紹介した。
最近筆者は、今回の全集の対象とはなっていない、Lee Kuan Yew 氏に対する新たなインタビュー
をまとめた“ HARD TRUTHS to Keep Singapore Going”(published by Straits Times Press,2011)
を読む機会があった。
同書の序文においてリー・クワンユー元首相は、「経済と国防は密接にリンクしている。強い経済
なしに強い国防はあり得ない。強い国防なしにシンガポールは存在できない。シンガポールは隣国
によって脅される衛星国になってしまう。400万人以上の人口を有する小さな国という狭い土台の
すべての上に、強い経済と強い国防力を維持するために、政府は、最も優秀、最も献身的、最もタフ
な人たちによって指導されなくてはならない。」と述べている。
リー・クワンユー氏のこうした見解は、シンガポールの抱える歴史的、地政学的脆弱性(マレーシア
からの分離独立、スカルノ大統領時代のインドネシアからの軍事的圧力、水供給、砂の輸入等の制限
という隣国からの圧力、シンガポールの民族間の軋轢、きわめて乏しい天然資源、小さな小国等々)
に対する同氏の危機意識とこれを克服しようとする強い意思を反映したものと言えよう。
同氏が、建国当時も今もシンガポールの置かれた基本的状況に変わりはないとし、現代の若い人たち
が歴史から学ぶ重要性を訴えていることに、この発言録の持つ現代的な意味がある。現在の日本の政
治的、経済的、社会的現状を見るとき、リー・クワンユー氏の発言振りを他山の石とし、独立心の重
要性を考えていくことが、日本国民にとって必要であると改めて考える。 (2011年12月26日寄稿)
「上野景文著「バチカンの聖と俗」を読んで2011.10.03
「上野景文著「バチカンの聖と俗」を読んで

元駐チェコ共和国大使 髙橋恒一
本年7月末に出版された上野景文著「バチカンの聖と俗」(かまくら春秋社)は、15年程前から文明・文化についての論考を発表してきた著者が2006年から4年間にわたるバチカン大使としての体験と観察を基に書き下ろした意欲作です。著者によれば本書は、バチカンについての概説書でも単なる体験記でもなく、「文明論としてバチカンに迫ることを試みたもの」ですが、その言葉どおりに著者がバチカンでの体験を通じて捉えたバチカン像が興味深いエピソードと供に種々の視点から鮮明に描き出されています。
先ずバチカンの国名について宗教機関でありながら、主権国家でもあるバチカンの二重性を体言している由緒正しい国名は、わが国が使用している「バチカン市国」ではなくもう一つの国名である「 Holy See」 ( HS, 邦語訳は「聖座」又は「法王座」)であり、国際的にも HS の方が通りがよいという、日本では余り知られていない重要な事実が指摘されています。また、現在のバチカンは、国土も国民も産業も持っておらず、むしろ信条や目的を共有する人々が集まった目的集団であり、国家とぃうより、法王をトップに戴く国際機関と捉えた方が理解しやすいとの指摘もバチカンの特性を理解する上で有益だと思われます。
宗教機関としてのバチカンに関しては、体験的文明・文化論の観点から捉えたカトリック教会の本質として以下の3点を挙げており、これが本書の主旋律となっています。(1)2000年に亘り歴代の法王が、キリストの言葉により正統性を与えられた初代法王聖パウロの後継者として正統性を維持してきたこと。(継続性、正統性の連鎖)
(2)世界中の全司祭が、法王により任命された司教を通じ法王に結びつき、正統性の連鎖を通じて、聖パウロに結びついていること。(普遍性、世界性)
(3)カトリック教会は、2000年を生き延びる過程で、あるいは世界性を達成・維持する過程で、分かりやすさ、親しみやすさを高め、民衆を教会に引き付けておくため、聖母、聖人、聖遺物、法王、教会などの「中間項(パラメーター)」を設け重視してきたこと。(「中間項」の維持―工夫・妥協の名手)
著者は、カトリック教会の聖遺物へのこだわりと信者獲得のため教会間でも行われたという骨の争奪戦の歴史を詳細に観察し、聖遺物へのこだわりは、民衆の心を引き止めるためにカトリック教会が示した柔軟性の最たる事例であると述べています。その上で著者は、中間項にこだわる現実主義のカトリック教会と神と人間の間の中間項は不純物であり不要だとしてこれを排除する純化思想のプロテスタント教会との違いは、ある種原理的違いではないかと指摘しています。こうして著者は、同じ一神教型文明と言っても、多神教的要素を積極的に取り込んだカトリック型文明とイデオロギーの純粋性にこだわるプロテスタント型文明は、別種の文明であると結論付け、これまでの2つの文明対比論から3つの文明対比論に転換した旨宣言しています。著者の「大きな神様」と「小さな神様達」というキーワードによる世界の文明対比論は、ユニークであり、カトリック型文明とプロテスタント型文明の違いについての説明も説得的ですが、新しい3つの文明対比論についても、今後、正教会、ユダヤ教会及びイスラム教をも含めた形での本格的な論考が発表されることが期待されます。
バチカンの対外関係については、一方において国際的プレイヤーとしてのバチカンの存在感の大きさが強調されています。著者は、ローマ法王の存在感を高め、国家としてのバチカンのマグネテイズムを高めている要因として、国際社会のお目付け役としてのローマ法王が有するモラル・パワーとメッセージ力、情報力(40万人のカトリック司祭、11,7億人の信者、カトリック系のNGOによる情報収集のメカニズム)、発信力(ローマのカトリック系メデイアの力)、ノウハウの蓄積(外交の老舗)等の諸点を挙げ、わが国もバチカンのこうしたパワーにもっと注目し利用することを検討すべきことを提言していますが同感です。これと同時に宗教国家であるが故のバチカン外交の困難性も指摘されています。後半のキリスト教諸宗派及び諸宗教とカトリック教会との関係についての詳細な記述を読むと、宗教上の関係と外交関係が密接かつ微妙に絡み合っていること、バチカンが我々の知らないところで長期間にわたり困難な交渉を忍耐強く続けてきていることがよく分かります。
本書の後半では、欧州において科学信仰、人権信仰、表現の自由信仰、ライシテ(宗教と統治の分離思想)、自然・環境信仰といった神なき信仰が根を下ろした西欧北部とバチカンを中心とする伝統的欧州(西欧南部)との間でイデオロギー論争が激化している状況が豊富な具体的事例により紹介されています。そしてこの論争は、伝統的キリスト教をバックボーンとする既存の西欧文明と脱キリスト教の文明という、2つの文明間のせめぎ合いを意味しており、欧州の文明的変貌を反映しているとの著者の見方が示されています。欧州についての情報は、数多くありますが、こうした文明的基盤まで掘り下げた分析というのは、珍しく、今後の欧州情勢を見ていく上で重要な視点だと思います。
最後に著者は、世界全体を見渡せば、西欧や日本のように世俗化の進んだ社会も例外的に存在するが、国際社会全体では、宗教の影響力はむしろ強まっているとして、宗教という要素を軽視しては、世界の多くの国の国民と文化を理解し社会動向を予測することは出来ないので、外交力の強化を図る観点より宗教の動向を制度的・体系的に把握する方向で外務省が組織の整備を図ることを提言しています。時宜にかなった提言であり外務省の現役の皆さんに是非検討をお願いしたいと思います。
本書は、著者が明確な問題意識に立って多くの顔を持つバチカン・カトリック教会と正面から取り組んだ探求の書であり、バチカンについての一風変わった良い解説書であるだけでなく、西欧北部と南部との間でイデオロギー論争が激化している欧州の最新情勢と宗教の影響力が強まりつつある世界におけるカトリック教会と諸宗派、諸宗教との関係についての類例を見ない解説書にもなっています。バチカン・カトリック教会だけでなく、欧州情勢やグローバルな国際関係更には文明論等に関心をもっている方々に、広く一読をお勧めいたします。
(9月26日寄稿)
「田中 修著「2011~2015年の中国経済」(蒼蒼社)」を読んで 2011.08.1
「田中 修著「2011~2015年の中国経済」(蒼蒼社)」を読んで

元中国大使 国広 道彦
本書の目次だけ見ると役所の調書のように見える。しかし、少し読み進めると著者の鋭い分析を随所に見出す。
著者はまず中国のマクロ経済政策の決定過程を解説し、第12次五カ年計画(2011~2015年)の成立過程を解説し、その間に如何に情報を集め、計画内容を各部局、地方にまで議論させるかを説明する。その上で第12次五カ年計画についてその指導理念、主要政策の内容、経済の実態について詳細な説明を展開する。その一部には中国側文書の引用がかなりあるので読みづらい部分もあるが、そこは大項目だけを見て前に進んでもよい。
著者は1996年から4年間財中国大使館の財務担当参事官として北京に駐在して以来、今日まで財務省に在籍しながら、一貫して中国経済を観察している貴重な存在である。中国から統計資料や重要政策の発表があるたびに几帳面なメモを作成しているが、平素は自分自身の意見を述べることには慎重である。しかし、この本の中では彼の情勢判断が多く示されている。
その意味で、第V部の「中国経済の行方」は特に興味深い分析を披露している。いかなる国でも高度成長は必ず終焉すると警告し、「そのときまでに中国の金融システムがセーフティネットを含め十分強化され、金融機関のコーポレートガバナンスが確立されていなければ、急激な国内マネーの増大により、そのときこそ日本の1980年代後半のような深刻なバブルが発生し、最終的には中国発の金融危機が発生する可能性も否定できない」と言う。
「あとがき」の「中国は大国か」という設問に対し、相撲の横綱・大関の心体技にたとえた分析はさらに面白い。著者の評価はかなり厳しく、未だ中国は大国の資格を整えていないという結論である。また、「日本の役割」として、少子高齢化に対処して、財政と両立しうる社会保障体制のモデルを構築して中国に示すことだとする意見は私もつとに唱えているところである。
私が最も強い印象を受けたのは最後の2行である。「日本が自分を過大視しているときは中国は眼中に入らないし、日本が自信喪失しているときには、中国の姿が実際以上に巨大に映るのである。中国を等身大に見ることは、日本を冷静に見直すことでもある。」と。中国の経済政策の仕組みと実態を理解しようとするに当たって本書は好個の参考書である。
(2011年6月25日寄稿)
「国際人のすすめ-世界に通用する日本人になるために」 松浦晃一郎著 2011.07.14
「松浦晃一郎著「国際人のすすめ-世界に通用する日本人になるために(静山社出版)」を読んで

松井靖夫 元科学技術協力担当大使、
元ユネスコ事務局長補
松浦晃一郎氏が、日本の外交官40年余のプロフェショナルとしての経験とユネスコ事務局長10年の成功体験に基き、国際人として得られた成果と学んだ教訓を織り込んだ好著である。国際人をめざす前途有為な我が国の若い世代、彼らを育てようとする教育関係者、国際社会の舞台をみているジャーナリストと研究者には必読の書である。
本書は、ユネスコ改革に奮闘する、世界に通用する国際人の資質と
日本流が通用しないダイバシティ組織の3部から成り立っている。これは松浦晃一郎氏が、日本の国益を中心に行動する外交官から、国際機関の長として国際社会全体のこと即ち人類全体の利益をまず考えて行動する国際人への転換の軌跡を説明し、この背景のもとに、本書のテーマである世界に通用する国際人の資質について自らの鍛錬と努力を前提に解説している。ついで、ダイバシティな組織(人種、価値観の多様な3,000人のスタッフ)の統率の仕方、国際選挙の戦い方など実例をもって説明している。この構成と展開は、大言壮語やプロパガンダに距離をおき、知的な誠実さとファクトを大切にする松浦晃一郎氏の人柄の表れといえる。
ユネスコ改革に奮闘する(第1部)は、ユネスコに精通していない読者には、ユネスコ独特の「企業文化」の予備知識があったほうがよいと思う。ユネスコは、世界遺産(登録と保護)と言う「ヒット商品」でその名を知られ、輝かしい時代もあった。そもそも、「戦争は、人の心に生まれるものである。したがって、人の心に平和の砦を築かなければならない。」との文章で始まる国連教育科学文化機関憲章(1948年)から生まれた。政治的、経済的取りきめでは、永続的平和は続かず、人類の知的、精神的連帯の上に平和を築くべしとの第三の道(政治でもなく、経済でもない)を志向してきた。ユネスコの職員、各国常駐代表のなかには、インテリや文化人を自任するものが多かった。しかしながら、前任者のマイヨール元事務局長(スペイン出身)は演説が上手なカリスマ型のリーダーで、「平和の文化」の定着を唱え、具体的な事業よりも運動に力をいれ、任期の最後の年には、事務局内で、こうした運動同調者の多くを異例の形で昇進させた。これらが、松浦晃一郎氏がまず直面した状況であり、負の遺産の整理と事務局の立て直しが待ったなしの課題であった。
世界に通用する国際人の資質(第2部)については若い読者に熟読を薦めたい。
松浦晃一郎氏は、語学力が基本、記憶力のつけ方、判断力が鍵、議論するコツ、中期ビジョンを打ち出す、体力がすべてを決める6項目をあげている。同氏の求めるレベルは
高い。国際機関では、二カ国語以上は常識とし、英語に加えてもう一つの外国語(ユネスコの場合はフランス語)で質疑応答がスムーズかつ臨機応変にできること、そして記憶力は努力によって高められる、総論だけの合意では、各論で意見の相違がでることはしばしばあるので、詳細を常に勉強研究した上で記憶し、各論も総論といっしょに議論する習慣づける事を必要としている。
また、判断力は、国際機関のトップとして運営するにつれ、その重要性を益々感じたとし、若い外務省事務官時代に薫陶を受けた局長から「外交官としていろいろ難しい局面に遭遇するに違いない、一番留意すべきはしっかりと判断し、しっかりと決定することだ」といわれたことを常に思い出したとし、ユネスコの各国事務所の整理統合、人事問題での労働組合との対決などの難しい交渉では、大局観をもち、原則に戻って判断をしたと判断力の重要性を説いている。 議論をするコツについては、40年間の外務省生活の中で、常にタイミングよく、丁寧かつ論理的に意見をのべることを悩み、心がけてきたと述べている。 国際機関では、相手の反応をみて、英語ないしフランス語で、論旨を明確に伝え、事務局が言うことはもっとも、だとの印象を残すよう努めたとし、自分の考えを述べる訓練を重要視し、特に大学教育が鍵であると述べている。「中期ビジョンを打ち出せ」では、米国の復帰実現のための水面下での工作と秘話にも言及している。体力がすべてを決めるの項では、一日15-16時間働き、加盟国首都訪問を繰り返す激務のうえで毎日の健康維持の配慮が最も大切とし、90歳になったら健康維持法の本を執筆すると今から宣言している。
日本流が通用しないダイバシティな組織(第3部)では、国際組織を動かす秘訣を述べている。興味深いのは、日本流と欧米流の常識の対比である。日本の外務省40年間で言いつけられた3つの教え(長話をするな、自慢話をするな、責任から逃げるな)を守ってきたが、国際選挙で運動するときは正反対の3原則(できるだけ長話をする。成功した自慢話だけを話す、失敗談など話してはならない。不利な点の指摘にはすぐ反論し、絶対に責任をみとめてはならない)を実施するようアドバイスを受けた。しかし、なかなか身に付かないまま、当選したと述べている。ユネスコ事務局長になってからは、話は英語とフランス語では長く、自慢話も増えたが、それでも欧米人からみれば謙虚と映った、責任から逃げない点は日本での教えを守り、欧米人からも高い評価をえたと述べている。
(2011年7月11日寄稿)
「これから、中国とどう付き合うか」宮本雄二著 2011.05.12
宮本雄二著「これから、中国とどう付き合うか」を読んで

元駐チェコ共和国大使 髙橋 恒一
1. 本年1月に出版された宮本雄二著 「これから、中国とどう付き合うか」は、2006年から4年間、駐中国大使を務めた著者が、長いあいだ中国を観察し、日中関係を考えてきた者として、自らが到達した考えや認識を初めて世に問うた対中国外交論である。これまで意識的に中国関係の対外発言を控えてきたという著者が、満を持して専門家としての薀蓄を傾け、自説を書き下ろしたものだけに口調は熱く、読んでいると著者の肉声が聞こえてくるようにすら感じられる。
2. 本書の最大の特長は、駐中国大使として2008年の日中共同声明で正式に定められた「戦略的互恵関係」の策定に自ら関わった著者が、マスコミで余り報じられない日中外交の現場でのやり取りや水面下の動きを臨場感たっぷりに紹介しつつ、この日中関係の新しい枠組み誕生の背景とその歴史的な意義を解明している点にあると思う。勿論それだけではなく本書の随所に見られる著者の長年の現場感覚に裏打ちされた等身大の中国像の描写も、情報のほとんどをマスコミに依存している我々の対中国理解をより冷静でバランスのとれたものにする上で参考となる。例えば以下のような箇所だ。
・ 中国あるいは中国共産党の内部でも実に多様な意見がある。最終決定がなされるまでのいちいちの意見あるいは中国の一部の状況が、中国や中国共産党全体の意見あるいは状況を代表できない可能性は常にある。さらに中国自身がわかっていなかったり、決めかねていたりすることもある。こうした状況を、外部から無理に整理してひとつの結論を出そうとすると、間違った答えを導きかねない。相手が混沌としているのであれば、正しい答えも混沌としているものだ。
・ 中国共産党は、他国の多くの政党と比べても、かなり高度に組織化されており、組織内の規律も厳格である。とりわけ人材養成と抜擢の仕組みは急速に進歩している。中国政治を伝える際、派閥についての報道が多いが、そのことだけで見ようとすると間違えてしまう。
また、巻末資料、参考文献及び日中関係年表も本書を読む上で必要と考えられる情報が過不足なく選ばれており、使い易く有益である。
3. 「戦略的互恵関係」という概念に関し著者は、「物事を長期的な観点から、より広い視野に立って眺めることで(戦略的)、そこから導き出される共通の利益を基礎にした関係(互恵関係)をつくりあげていこう、というものである。要は、経済のグローバル化と地球的な相互依存関係の深まりを背景にして、世界的な視野から日本と中国の国家利益を考えていくこと、世界の平和と繁栄に貢献する日中関係を作っていくことである」と説明している。「戦略的互恵関係」は、21世紀にふさわしい良く考えられたキーワードだと思われるが、当初日本側が提案した「戦略的共通利益に基づく互恵関係」よりは大分短くなったものの依然として説明的でパンチ力に乏しいこともあり一般的な知名度が上がらないのは残念である。
著者は、1990年代からの日中関係を振り返り、戦略的互恵関係誕生までの経緯を詳細に紹介しているが、そこで特に注目すべきは、戦略的互恵関係の策定は、中国側において対日歴史認識の整理がなされたことで可能となったものであることを強調していることである。著者は、2005年の上海デモを契機に中国指導部の「日本問題」に関する政策は大きく変化したとして、同年の胡錦涛主席の抗日戦争勝利60周年記念大会での演説と2007年の温家宝総理の日本の国会での演説を分析すれば、中国側は、日本で問題が起きないかぎり、中国側から歴史問題を提起することはないという方針を決めたと判断して間違いないであろうと指摘する。そしてその結果、さまざまなしがらみにがんじがらめにされた日中関係を、世界という広い舞台に移すことが可能となったのだと言う。
4. 著者は、大きな背景のなかで理性的に考えれば日中関係において日本が追求すべき国益は、自ずと明らかであるとして、以下の5点を挙げる。
・ 中国と安定した予測可能な協力関係を構築すること
・ そのために、必要な国民レベルでの関係改善をはかること
・ 中国という経済空間を最大限に活用して日本企業を発展させ、産業を強化し、日本経済の成長戦略を描くこと
・ 中国と重厚な対話を積み重ね、関係諸国と連携をはかりながら、アジア、ひいては世界の平和と繁栄の協力の構図をつくりあげること
・ 中国の外への膨張の動きと中国軍の動向を冷静に見極め、必要な備えをすること
その上で著者は、これほど明確な国益があるにもかかわらず、これまで日中関係が揺れ動いてきたのは、個々の困難な問題とその背景にある国民感情の問題に加え相互の位置づけの困難性があったからだと分析する。そして日中関係をより長期の、広い視野の中において、何が自国の利益であるかを考える戦略的互恵関係は、これらを克服する唯一といってもいい方法であり、この日中関係の新たな枠組みを維持し、発展させることで、中国との間で安定した予測可能な協力関係を築くことは可能であると主張する。
5. 他方、著者は、日本やアジア諸国の懸念材料となっている中国の軍事力、なかんずく海軍力の増強に関しては、日本としては、「最悪のシナリオ」を想定する軍事安全保障の論理に従い、中国軍の動向を冷静に観察して、国家の安全に必要な措置を粛々ととっていくべきであると主張し、経済と安全保障の二重アプローチを提唱する。そして中国と積極的に対話し、軍事の透明性を高め、中国がこれからどのような世界をつくり、そのためにどのような役割を果たそうとしているのかを、世界に説明するよう要求していくべきであるとしている。
6. 本書は、日本の「啓発された国益」の見地から中国との付き合い方を真正面から考察した問題提起の書であり、日本国民がそれぞれの立場から、中国との立ち位置や付き合い方を考えていく際の材料として大変参考になる書であると思う。特に政治家の皆さんには、本書をタタキ台として国内的な党利・党略を越えて日本の「啓発された国益」を踏まえた今後の対中国外交のあり方を真剣に議論していただきたい。また、マスコミの皆さんには、著者の指摘に応え、画一的なステレオタイプの中国像ではなく、多様で複雑な「等身大」の中国像の報道に努めていただきたい。意を決して本書を出版した著者の勇気と責任感に心よりエールを送り敬意を表するとともに、著者には今後とも日本国内での活発な啓蒙活動と中国各方面への働きかけを続けて欲しいと強く希望する次第である。 (2011年5月6日寄稿)
「中国動漫新人類」を読んで2011.3.3
「中国動漫新人類」を読んで

元駐中国大使 国 広 道 彦
法政大学の王敏先生が「ほんとうは日本に憧れる中国人」という本を出版したとき
(2005年1月PHP新書)、私は彼女に「そのように『日本に憧れる』中国の若者達も心の
奥のどこかに反日のマグマが潜んでいて、何かのときにそれが表に噴出してくるのですよ
ね」と話したことがある。その年の春、いわゆる反日暴動が起きて、「やはりマグマ」がと
思った。
遠藤誉先生が最近出版した「中国動漫新人類」(日経BHP出版)を読んで、「日本のアニメ(動漫)大好き!」と言う中国の若者に「日本許すまじ!」と言う感情が同居していることを再び確認した。中国で生まれ、国共内戦の中を生死をくぐって帰国し、その後40年近く日中の留学生の世話をして中国と関係してきた彼女がそういうのだから我々はその現実に立って考えるしかない。
その現実を彼女はこの本で実に詳しく検証している。
中国では1980年以降に生まれた若者を「八十后」と呼ぶ。「鉄腕アトム」が中国で放映され始めたのが1981年で、彼らは生まれ落ちたときから日本動漫を見ながら育った世代である。彼らは動漫の美しさと自由な発想と行動にひきつけられ、自分もその人物になりきって楽しむ。そして、考え方も変わってしまっている。(著者は彼らを「中国動漫新人類」と定義する。)
日本の動漫が中国に急激に広まったのは海賊版のおかげである。正規の価格で輸出したらこれほど簡単に広まらなかったであろう。動漫は今やサブカルチャーとなっているが、それは上から下に向かう「主文化」と逆に下から上に向かう文化である。中国政府は天安門事件のとき、民主化を叫んだ若者達にアメリカ文化の影響を察知して取締りを強化したが、動漫には政治的警戒心を抱かなかった。しかし、「気がつけば若者達はみな、画一的なベクトルで選択させられていた『国家的道徳規範と価値観』から解き放たれて、『自己の道徳規範と自己の価値観』に基づいて行動する観念を持つに至っていた」。「日本動漫は中国の若者たちの『民主化志向』を醸成したことになる。声もない、デモもない、旗もない、流血もない民主化。静かなる精神文化の 『革命』だと著者は言う。
しかし、最近になって動漫か中国の若者に与えている精神的影響に気がついて、国産動漫の振興策をとるとともに、午後5時から8時までのテレビのプライムタイムに外国の動漫を放映することを禁止した。また、WTO加入に伴って海賊版の取り締まり強化もしている。(しかし、DVDにコピーしたりして日本の動漫の人気は一向に衰えていない。)
他方その上うな若者の心に長年刷り込まれてきた反日感情が同居していて、靖国神社問題などを聞くとスイッチが切り替わる。05年の反日暴動も政府がウラで動かしたものではない。その最初のきっかけをつくったのはサンフランシスコの「世界抗日戦争史実維持連合会」という台湾系の組織であった。著者はその副会長丁元に直接会っていきさつを聴取している(因みに彼は慰安婦問題で米下院の非難決議を通させた影の実力者。)要するに彼らはアナン国連事務総長が日本の安保理常任理事国入りに同情的な発言をしたのに反対するインターネットによる署名運動を起こしたのに、中国の若者がネット上の自由を街頭でも示すに至ったのだと言う。
ここで著者は「大地のトローマ」という著者自身が体験した中華人民共和国に特有の心理現象を説明する。「政府から要求される思想統一的主文化の方向に沿った行動(愛国、反日など)で誰かが動き出すと自分も動かないとまずいと言う心理が働く。しかもより激しく行動したほうが、より安全だと言う保身で動くものも出てくる」と言う。だから平素日本動漫大好きでも、誰かが反日に動き出すと「大地のトローマ」が生じると言う。
最後に著者が動漫の将来について語っているところも興味深い。中華民族はもともと芝居が特技で、非言語的コンテンツを作る才能を持っている。それが表われ始めたのが携帯電話の動漫「手机動漫」である。中国の携帯電話契約者数は5億人に達しており、携帯動漫に有利な3G携帯もその25%に達しようとしているから巨大なマーケットだ。政府も 「オリジナル携帯動漫コンテスト大会」を開催して賞金を出しているし、携帯動漫養成塾が聞かれてもいる。
著者は長年留学生の世話をしていて、日本に留学した若者は大抵「大地のトローマ」から解放されることを指摘し、多くの留学生を受け入れるべきなのに、日本の人管は留学生受け入れに極めて消極的だと批判する。
「逝きし世の面影」渡辺京二2011.02.10
「逝きし世の面影」

元駐メキシコ大使 西村六善
名著である。幕末と明治初期の日本を外国人はどう見たか? この本はそれを膨大な資料をもとに物語る。当時の日本人の純朴さや社会が旨く機能している様子に先ず外国人が驚嘆した。 同時にその良さは日本の開国や国際化とともに消え去るだろうと確信していた。重要なことは彼ら外国人がそのことを自分のことのように悲しみ、嘆いていた点である…この本はそう云う物語である。
例えば、日本に開国を迫った初代米国領事タウンゼント・ハリスはこう述べている。
「これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す…」
外国人に強い印象を与えたのは質素や正直だけでなかった。社会の仕組みと生産力は欧米文明の助けを借りなかったのにどうしてこれだけ水準が高いのか?
産業革命以降、イギリスなどの労働者階級が陥った恐るべき非人道的な状況に較べ、日本はどこも貧しいが困窮していなかった…住まいは狭いが質素で清潔だった。子供のおもちゃに至るまでモノはなんでも上手く出来ていた。
当のハリスは更に「衣食住に関するかぎり完璧にみえるひとつの生存システムを、ヨーロッパ文明とその異質の信条が破壊し、ともかくも初めのうちはそれに替わるものを提供しない場合、悲惨と革命の長い過程が間違いなく続くだろうことに、愛情にみちた当然の懸念を表明する」と書いた。
日本での近代登山の開拓者ウェストンは最後に日本を去る船上で号泣したと伝えられているが、こう云っている。
「明日の日本が、外面的な物質的進歩と革新の分野において、今日の日本よりはるかに富んだ、おそらくある点ではよりよい国になるのは確かなことだろう。しかし、昨日の日本がそうであったように、昔のように素朴で絵のように美しい国になることはけっしてあるまい。」
英国の商人クロウは1881年に木曽山中で「かつて人の手によって乱されたことのない天外の美に感銘を受け」た。ある日の夕方、小さな村で、村中の人々が一日の労働を終えて如何にも楽しげに談笑している「忘れられぬ光景」を見て、「この小さな社会の、一見してわかる人づきあいのよさと幸せな様子に感動した」と書いた。
ハリス領事の通訳だったヒュースケンは1857年に次のように記した。
「 いまや私がいとしさを覚え始めている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人びとの質朴な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子どもたちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人びとが彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない。」
長崎海軍伝習所のオランダ人教育隊長カッテンディーケは2年間長崎で生活した後1859年帰国に際し、次のように嘆いた。
「…私は心の中で、どうか一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに希った。しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うかと思えば、恐ろしさに耐えなかったゆえに、心も自然に暗くなった。」
以上はこの本が物語る印象の僅かな一部だが、著者渡辺京二は綿綿たる哀切をこめてこの喪失感を読者と共有しようとしている。
「 日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振るった清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて十分に自覚されているとはいえない。われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。」
この本は現代日本人に対して当時の日本がどう云うものであったのかを探求するように求めている。当時のことを知れば、多くの日本人は大きな喪失感を抱くだろう。同時にその喪失感を超えて前向きな展開と美しい価値体系を将来の日本で実現できるのか? この本はそう云う問いかけもしている。
「モスクワ攻防戦」2011.1.1
「モスクワ攻防戦」

津守 滋
桐蔭横浜大学法学部客員教授
元駐ミャンマー大使
2010年5月に作品社より出版した『モスクワ攻防戦 - 二十世紀を決した史上最大の戦闘』(津守滋 監訳、津守京子 翻訳)は、現在まで第四版を重ねた。著者は、『ニューズウイーク』誌の元モスクワおよびベルリン支局長のポーランド系アメリカ人、アンドリュー・ナゴルスキである。第二次大戦の独ソ戦については、スターリングラードやレニングラードの戦闘が、「大祖国戦争」の英雄譚として、ソ連国内で広く語り継がれてきたし、これに関する内外の文献も多い。これに対しモスクワ攻防戦については、史上最大の戦闘でありながら(独ソ両軍併せて最高700万人を投入、戦死者数ソ連側190万人、独側61万人)、1941年6月の時点でのドイツの攻撃を予想できず、準備も怠るなど、スターリンの判断ミスにより、ソ連側に多数の不必要な犠牲者を出したこともあり、ソ連崩壊後まで実情は明らかにされなかった。本書は、公開されるに至った秘密資料を駆使し、多くの関係者とのインタヴューを通じて、叙事詩風の物語として仕上げた作品である。
これまで久保文明氏や立花隆氏から書評をいただいているが、久保氏の読後感として、「その物語は限りなく悲しい」との表現は、本書の性格を的確に表現していると思われる。本書は、戦争に放り込まれた人間が、極端な形で機械や道具として使われた場合、どのような恐ろしい状況になるかをイメージするうえから、示唆に富む物語である。
日本は世界5位の農業大国2011.1.1
「日本は世界5位の農業大国」

元シンガポール大使 橋本宏
政府がTPP(環太平洋パートナーシップ)と略称される環太平洋広域自由貿易・経済連携協定への参加問題を取り上げるようになって以来、日本の農業の実態について理解を深める必要があるとの思いに至り、関連する会合に顔を出したり、本を読んだりしているが、日本農業の在り方についての国内議論は余りにも隔たりが大きく、なかなか議論に付いていけない、というのが正直な感想である。
そのような状況にあって、たまたま書店の店頭で見つけた浅川芳祐著「日本は世界5位の農業大国、大嘘だらけの食糧自給率」(講談社+α新書)という極めて「挑発的」な本を見つけて読んでみた。略歴によると著者は長く農業関係誌の編集に携わっている人物である。知人の或る農水省OBに聞いてみたが、著者のことは知っておらず、農林水産省や農業関係議員を厳しく批判するその論調には懐疑的な感じを漏らしていた。しかし、本著は、私のような素人が日本の農業への関心を増大させるに十分な主要農業データを分かりやすく紹介し、また、日頃余り見かけない論理の展開を示していることもあり、敢えてここに紹介する次第である。
本著は、世界における日本農業について、国内生産額で見れば中国、米国、インド、ブラジルに続いて第5位、品目別に見れば、ネギが第1位、ホウレンソウが第3位、ミカン類が第4位、キャベツが第5位、イチゴ、キュウリが第6位、キウイフルーツが第6位と有数な地位を占めていると紹介している。また、農業人口は減少しているものの農産物総生産量は着実に増加し、農業者一人当たりの生産量は1960年の3.9トンから2006年には25トン超に増加している等々、国民が持つ一般的な印象とは異なり、日本の農業は決して衰退している訳ではないと力説している。こうした諸点は農業専門家には周知の事実であろうが、世界的見てもこのような優位性がある分野が存在するのであるならば、それを如何に伸ばしていくかに着目した議論や施策が、もっと広く取り上げられていって然るべきであると思う。
また、本著は、食糧自給率は世界において日本のみ主張し続けているものであるとし、これを重視する農水省はいたずらに国民の不安感を煽り立てるだけであり、日本農業の発展に役立たないと糾弾する。特にカロリーベースの自給率は意味をなさないものであるとして、仮に生産額ベースで見れば、日本の自給率は66%という世界で見ても高率であると論じている。また、食糧自給率の増大を前提とする現在の農業者個別所得補償措置は、黒字を目指す当たり前の事業の在り方を否定し、むしろ赤字を奨励していると厳しく批判している。その上で、本著は日本農業成長八策なるものを提言している。農業の素人である私には、こうした点について論じるだけの知見がない。他方、食糧自給率引き上げを国の政策に据えている日本は世界の中でも特殊な存在であるとする議論は、一般紙上でも取り上げられ始めており(例えば2010年11月20日付日本経済新聞「大機小機」)、私のような素人が、今後国会や関係者間で広く行われていくと予想される農業改革論議をフォローしていく上で、本著は大いに参考になると思われた。
TPPに代表される貿易自由化措置が今後の日本農業にどのような影響を与えるものであるかについては、本著の議論は全く不十分であると感じた。「(事業的農家の多くは)未来のない過保護政策ではなく、より競争原理が強化される既成改革と、新たな売り先を開拓できる各国との市場開放を歓迎するであろう」(189ページ)と言うだけでは、読者も納得できまい。今後こうした点について国内で広く議論が展開されていくことに期待したい。
最近メデイアでしばしば取り上げられる“現在の個別所得補償制度の拡充を通じてTPPに参加していく”という議論は、どうも単純化し過ぎたもののように思える。同制度が日本農業の発展に貢献するものなのか、改善、修正を必要とするものであるのか、その場合TPPとの関連で如何なる具体的な措置が必要か等々について、今後広く有識者、関係者の間で議論が展開され、国民的理解が深化していくことに強く期待したい。

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